肝試し①
夜に、集団で学校に集まって、肝試しを行う。これだけでも非日常的なのに、そこにキャンプファイヤーまで加わっているのだ。ここまでくれば、普通の奴は少なからず高揚感を抱くものなのだろう。人によっては何時間も待つことになるというのに、火の回りは和気あいあいとしている。
でも、その気持ちが俺にはちっとも共感できない。一体これの何が楽しいんだろうか。
客観的に見れば、俺の心の在り方にこそ問題がある、ということになるのかもしれない。大多数はこんなことを想っていないのだろうし。
自分でも、わりと自閉的な方だとは前々から理解している。なんなら世間で言うところの異端児ーーいや、異分子なのかもしれない。他に俺みたいな奴にも会ったことがないし。
だからといって、興味のないものをいかにも興味があるかのように演じ装う気にはなれないし、なろうとも思わない。悪く言えば協調性が欠落しているということになるかもしれないが、よく言えば、一本筋の通った自我があるのだと、そう考えている。
これまでがそうだったように、これからも、周りに流されて、自分を偽って、なあなあで生きていくのではなくて、俺は俺の思うがままに、自分が見聞したもので判断し、自分の脚で歩いて行けるような、そんな存在でありたい。
--と、気付いたら、勢いよく揺らめく炎の柱を見つめながら物思いにふけっていた。
焚火の音は人に安らぎを与えるとか聞いたことがある。もしかしたら、まさにそんな状況だったのかもしれない。
逆に言えば、それくらいに、本当にヒマなのだ。やることがない。
こんなに大勢の前では鈴鹿と会話でもして時間を潰すというわけにもいかないし……それがわかっているのか、鈴鹿も鈴鹿で踊る炎を見つめて呆けていた。
このまま2時間も? いやいや、いくらなんでも、長すぎるだろう。
こんなことになるくらいなら、なにも修学旅行の行程に肝試しを無理やりねじ込んで強行する必要はなかったのでは? この企画の根底がそもそもおかしい気がする。
あの相馬議員さえ現れなければ、きっとご破算になっていたに違いない。最初は市の認可が下りなかったって話だし。
その相馬議員はというと、説明を終えてそそくさと帰るーーと思いきや、どういうわけか、この場に残っていた。
順番待ちの生徒のほとんどがキャンプファイヤーの周りで、ペアを一度解散して普段から仲の良い連中同士で集まって、それぞれが菓子をつまみながら談笑しているなかで相馬議員は、話の輪に加わっては一緒になって談笑する、ということを繰り返して回っているのだ。
友達同士で楽しく放しているところにいきなり市議会議員なんかが乱入してこようものなら、誰しもついつい身構えてしまうことだろう。しかし、これがまた不思議なことに、そうはならないでいる。
こうしている今も、女子が四人で一塊になっている、その輪にちょうど加わっているところだ。
「え? さ、39歳?」
「ええ。でも、あと二か月とちょっとで四十路ですけどね」
「しそじ、って、40歳、ってことでいいんだよね? いやでも……嘘、ですよね?」
「嘘じゃないですよ。なんなら運転免許証を見てみます?」
相馬議員は平然と、免許証らしきものを提示してみせた。餌を巻かれた鯉のようにそこに群がる。
いくら相手が高校生とはいえ、個人情報を平気で他人にみせるとは、なんとも豪胆だな。もっとも、あくまで次期市長を目指しているくらいだから、ある意味これは普通のことか。『隠す』イコール『疚しいことがある』と暗に言っているようなものだしな。あくまで、どこまでもクリーンでないと。
まあ、さすがに住所部分は手で隠すとかしているだろうが。
「……ほ、本当だ。でも、どう見たって二十代にしか見えないんですけど」
一番近くに寄っていた女子が、免許証と本人を交互に見比べる。
「ねえ。うちのお姉ちゃん、覚えてるでしょ? あいつ24だけど、相馬さんの方が全然若く見えない?」
「たしかに。っていうか、相馬さんがものすごく童顔だって気がするけど」
「あ、いろんな方からよく言われるのであらかじめ断っておきますけど、私、整形とか一切してませんよ。本当に」
相馬議員は、少し困ったように笑いながら、顔の前で手を振った。
「せ、整形なしでこの顔って……もったいない! なんで芸能界に入らなかったんですか! 興味なかったとか?」
「え」
「市議会議員って、すっごく堅苦しい仕事じゃないんですか? どうして相馬さんみたいな人が?」
「えっと」
「教えてください相馬さん! どうやったら相馬さんみたいに綺麗になれますか?」
「あ、あの……」
質問攻めにあう相馬議員は、敏腕かつ市長候補とは思えないほどにたじろいでいた。
一方で、離れた場所でその話を聞いていた他の女子たちも相馬議員の話でもちきりとなっていた。
「聞いた? 39って、じゃああたしたちと一回り以上違うってことじゃない?」
「っていうか、下手したら母親じゃん」
「あーあ。あんな美人が母親だったら、超自慢できるのになぁ」
「バカ。母親だけ美人でも仕方ないでしょ」
「あ。それもそうか……って、ちょっと! それどういう意味よ!」
下手をしたら、教師よりも生徒たちとの心の距離感が近いようにも見える。げんに、本当の教師たちの年齢を誰一人として知らないし。……まあ、それは俺だけかもしれないけど。
フランクに接する女子たちとは別に、男子は男子で、そのほとんどが相馬議員を遠目で窺い、自分たちのところに近づいてくるのが今か今かと待ち構えている素振りをしている。まるでどこぞのアイドル扱いだ。
相馬議員がどういう腹積もりなのかはわからないが、ただその甲斐あって事実上、大半の生徒たちは、この途方もない待ち時間を、それはそれで結構楽しんでいるようだった。
そうだ。どうせやることもないのだし、相馬議員の所作をそれとなく観察するか。今後の処世術の参考にするために。あの立ち居振る舞いには目を見張るものがあるからな。
というか、もしかして……あの人、そのうちこっちに来るのでは?
このぶんだとあり得る。おおいに。
その可能性を疑った瞬間、俺のなかで根付いている女性恐怖症が、ゆっくりと目を覚ましてきた。
別に美人だからではない。そんなのは関係ない。そもそもあの人が美人とも特に思ってはいない。
単純に、相手が悪いのだ。なまじ俺が脱帽するぐらいの処世術の持ち主であるがゆえに、一度会話を始めてしまえば、いくら表面を取り繕ってみても、本心を見透かされてしまうような気がするのだ。一瞬たりとも気が抜けないというか。そうなってくると、ただの余計な心労でしかない。
……まあいい。近くまできたら、俺の方から遠ざかればいい。それだけの話だ。
タイミングを見逃さないためにと警戒心も働かせて観察を続けようとしたーーそこに、突如として女子の絶叫が舞い込んできた。バラバラな談笑が一斉に中断し、妙な静けさが漂う。
「な、なんだよ今の」
「校舎の方からだったよね?」
「悲鳴……だよな? 最初に入ったのって誰だったっけ?」
「たしか、優香じゃなかった?」
「優香? あの優香が悲鳴って……え、うそ。そんなに怖いの?」
ほとんどの生徒が、暗い校舎の不穏な様子を窺っていたーーとそこに、再び絶叫が割り込んできた。
それからも、間隔をあけて頻繁に聞こえるようになっていき、ときには男子の声も混じっていた。
時間的にいって、もう三組目も校舎の中に入っているくらいだったが、まだ序盤ということで、驚かす役の教師陣やボランティアの卒業生が、思いのほか奮迅しているのかもしれない。あるいは、後発組への牽制の意味合いか。
これが俺たちの番になったらどう変わっているのか。驚かす方も、それはそれで何時間も続けるわけだから、驚かす元気すら枯渇してしまっているかもしれない。それはそれで笑えるが。いや、笑えないか。
そこでふと、隣の鈴鹿に目がいく。
表情が硬い。というか、ひきつっている。物の見事に。
「もしかしてお前、こういうの苦手なのか?」
それとなくそっと問いかけるも、鈴鹿は俺に目も向けず、目を点にして前を向いたまま、小さく首肯するだけだった。
まるで人形。心ここにあらずといった感じである。いかにも鈴鹿らしいというか、はたまた意外というか。
そういえば、ペアを組んだ辺りからずっと浮かない顔をしていたけど、ひょとしてこのせいか?
思案していると、鈴鹿は「ちょ、ちょっとトイレに行ってくるね」と一方的に言い放ち、そそくさと体育館に向かって行った。やはり怯えているに違いない。
たしかに、こういうのが苦手な奴にとっては、待ち時間が長ければ長いほど、自分のなかで恐怖心を勝手に育成し、肥大化させてしまうものだ。だからこそ本番では必要以上に怯え、何でもないことにすら恐怖してしまうようになる。まさに主催者側の思うつぼといわんばかりに。
さっきクジを配っていたときとは豪い変わりようだな。あのときは淡々としていたのに。
でも……改めて考えてみると、『肝試し』っていうシステムは不思議だと感じる。
そもそも、自分たちを驚かそうとしている連中が待ち構えているとわかっていて、そこに自ら足を運んだわけなのに、それでどうして人は、そこまで驚いたり怖がったりできるのだろう?
今回に限って言えば、こうして見取り図だってある。なんだかよくわからない七不思議の文言と一緒に。そしてその文言も、雰囲気を演出するための意図なのだろうが、見方を変えれば、教師陣がどんなふうに俺たちを驚かそうとしているのか、ある程度想像がつく。
俺からしてみれば、もはや情報過多による恐怖感の欠乏だ。いや、もともと恐怖感はなかったから、欠乏ではなく絶無といったほうが正鵠か。
ただまあ、鈴鹿があんな様子なら、さっさとビー玉を回収して、さっくりと終えるのが得策だ。そのほうが結局は俺も疲れずに済むわけだし。
もう一度見取り図を確認しておくかな、と取りだしたところで、「やっほー。君島くん」と前方から声を掛けられた。
「なんだ、宮城か」
「あらら。なんだとは随分な言われようね」
「悪い、他意はないんだ。で、何の用だ?」
「うん、ちょっとね」
そう言うと宮城は、さっきまで鈴鹿が座っていたところに腰を下ろした。
「洸がいなくなっているうちにさ、聞いとこうかなって思って」
この言い分だと、まるで俺たちを観察し、鈴鹿がトイレに向かった隙をついてきたかのように聞こえる。
「聞きたいこと?」
「そう。洸のことで、ちょっとね」
「どうして俺に? 聞きたいことがあるなら本人に聞けよ。別に知らない仲じゃないだろうに」
「だから、洸には聞けないことなんだってば」
「だからってなんで俺なんだよ。お前には俺たちがそんなに親しいように見えるのか」
「見えるっていうか、そもそもの論点がそれなんだけどね」
「どういう意味だよ」
「うーん……じゃあ端的に聞くけど、もしかして二人って、普段はまったく絡んだりしていないけど、本当は結構仲が良いんじゃないの?」
その問いに、表情は変えずに済んだ。けれどその実、胸の奥では、まるでハンマーで殴られたかのような衝撃に見舞われていた。
まさか観られたのか? いつ? どこで?
いや待て。鈴鹿と一緒に出歩いたことなんか、記憶にある限り一度もしていないはずだ。だから観られたわけがない。
かといって、ただのハッタリとも思えない。宮城はこんな学校にこそいるが、こいつはこいつでそれなりに頭がいい奴だ。だからこそ、油断はできない。何かしらの根拠があるに違いない。
とりあえずは白を切り、様子を見るしかないか。
「二人って、俺とあいつのことか? どうしてそう思うんだよ?」
「どこから話せばいいのかなぁ。えっと……あたしのお母さんが病院の看護師をしてるっていうのは前にも話したことがあるでしょ?」
「ああ」
「そこにね、どういうわけか、洸の弟さんが入院してきたんだって」
瞬間、悟った。
宮城は、真実を、あるいはそれに相当近いところまでを、すでに知っているに違いない、と。
まさかそんなところで繋がるとはな。人生何があるかわかったものではない。
ともすれば、あのまま勉強を続けていたところで、バレるのも時間の問題だったのかもしれないな。
俺が何も言わないでいるあいだ、少しも口を挟んでこなかった。俺が悟ったことを、宮城も悟ったらしい。
驚きから諦めに変わったことで、逆に心に平穏が戻ってきた。
さっと、視線だけ動かして周囲を確認する。相馬議員の存在もあって、周りは賑やかなままだ。よくよく見れば何人かが俺と宮城の組み合わせに気になって盗み見をしているようだが、そんなのは常日頃からあることだし、いまさら気にはならない。
「……どこまで知ってるんだ、お前は」
宮城にだけ聞こえるよう、ささやくように尋ねる。
「だいたいのことは。君島くんが洸に勉強を教えてたこととか、洸がもうすぐ学校を辞めちゃうとか」
俺の心情を汲み取ったのか、宮城も声量を抑えてくれる。
知っているというその内容にも、基本的には齟齬がない。残念なことに。
「でも多分、あたしの聞いた話と事実との間にいくらかはズレがあるだろうけどね」
「だから改めて、直接俺に聞こうと?」
「ううん。……いやまあ、それもそうなんだけど、今聞きたいのは、そういうことじゃないの」
たしかにそれもそうか。その辺りのことを聞きたいのであれば、最初に言ったように鈴鹿に直接聞けば事足りるわけだし。じゃあ何だ?
宮城は、曲げていた両膝を抱え込むようにして、焚火を眺めながらつぶやいた。
「あのとき君島くんが言ってたのって、ひょっとして洸のこと?」
……ああ、そういうことか。
たしかあれは、今年の二月の初旬のことだった。
鈴鹿の実力がそもそも高校レベルに達していないということから、小学校の基礎から始め、そしてようやく中学校レベルの勉強を始めだして、少しした頃だ。
なお、このあたりですでに合鍵を預かったりしていたのだが、事実上、鈴鹿とはまだ同じクラスだったので、教室を後にする時間に差異を付けるなどして微調整をしていた。俺が徒歩で、鈴鹿が自転車での通学だったこともあって、俺が先に向かい、ニ十分くらい経ってから鈴鹿が教室を後にする、という流れだ。
その日も、昼になっても互いの予定に変更はなく、放課後になれば鈴鹿の家に向かう手筈となっていたのだがーー直前になって突然、予定がないというその予定が崩れた。
カバンを背負い、下駄箱のところまで来たところで、どうしてか後ろから宮城が追いかけてきたのだ。「ちょっと相談したいことがあるんだけど、いい?」と。
実際、これまでにも何度かこういうことがあったから、これといって疑問は抱かなかった。俺も俺で、そういった相談事にはできる限り応対していた。
なぜなら、誰かに相談されるというのは、いわば処世術の集大成だからである。とどのつまり、それだけ信用されているのだ。同時に、医者になったとき、診療時などに必ず活きる経験でもある。だからこそ俺は、面倒と思っても、できる限り応対してきた。何もそれは宮城に限ったことではない。
でもそれも、鈴鹿に勉強を教え始めるまでは、のことである。
この頃の鈴鹿は、基礎を補っていた時期でもあったので、目に見えて成長していた。それがきっかけで、教える俺のやる気も向上していった頃だった。だからこそそのときは、宮城の相談がただただ面倒としか思えなかった。
たとえばこれが朝とかに前もって言われていれば、少しは調整がきいただろうけど、このタイミングで言われてしまうと、どうしても鈴鹿に連絡ができない。かといって、無碍にもできない。「悪い、予定が入っているから、明日じゃダメか?」と暗に拒んでみたが、どうやら早急の案件らしかったから、仕方なく、「少しだけなら」と承諾した。
そうして、住宅街の一角にある、ベンチとブランコくらいしかない小さな公園に向かった。いつも相談を受けている場所だ。
話のとっかかりは、進路についてだった。
これまでも、宮城とはよく進路の話をしてきていた。だから俺が医者を目指しているのも、しいてはどこの大学を目指しているのかも既知であった。逆に、宮城は進路を絞り込むことができず、とりあえず勉強こそ励んでいたが、具体的な志望校は定まってなかった。平たく言えば、将来やりたいことがまだ見つかっていなかったのだ。
前回の相談では、母親と同じ、看護師を目指そうかなと、という話で終わっていたが、さてどうなったのかーーと思って聞いていると、「私も君島くんと同じ大学を受けることにした」という、驚くべき発言をしたのだ。
「……ってことは、お前も医者を目指すってことか?」
「そういうことになるのかな。一応は」
「一応って、どういうことだ?」
「別に、医者になりたいわけじゃないの。ただ……傍にいたいなーと思って」
宮城は、じっと俺を見ていた。
他人に興味がない俺ではあるが、こういうことは何度か経験があるので、さすがにわかる。その一言が、つまりは告白だと。
けれど、その瞬間まで、まさか宮城から告白されるとは露ほども思っていなかった。接する機会こそだんとつに多いが、そのくせ普通の女子が俺に接するときに伝わってくる軽率な虚飾や一種の粘着性のようなものをまるで感じずにきていたからだ。いい意味でさっぱりしているというか。
「冗談、じゃないんだよな?」
「もちろん。本当は、もうだいぶ前から言おう言おうと思ってたんだ。だけど……なかなか言い出せなくて。あたしって、こう見えて臆病だから」
照れるように、恥ずかしがるように、あるいはごまかすように、顔を綻ばせる。
「不純な動機だってことは、あたし自身がよくわかってる。今のあたしじゃ実力不足だってことも重々承知してるつもり。でもね、その……き、君島くんの傍にずっといることが、あたしの、しょ、将来の夢なんだってことに気づいて。だから……君島くんが見ているもの、目指しているものを、あたしも一緒に目指してみたい。それであたしだけ大学に落ちたとしても、傍にいて、支えになりたいなぁって。これが今の、ありのままのあたしの気持ちなんだ」
宮城の口上や態度は、他の女子から今まで見聞きしてきたものとは、一線を画していた。
他の女子はどいつもこいつも顔を赤めて、俺を見るのも恥ずかしいと言った様子ーーまさに恋に恋して浮かれている一種の錯乱状態のようだったが、宮城は違った。若干体が震えているようにも見えたが、それでも凛々しかった。本気だということがいやでも伝わってくる。本気で、俺のことを想ってくれているのがわかる。
だからこそ、何と断ればいいのか、酷く悩ましく感じた。
この俺が、この大事な時期に、恋愛だと? あり得ないだろう、そんなこと。
ただでさえ鈴鹿の件もあって大忙しなのに、そんなことにうつつを抜かしている時間なんかどこにもない。
仮にそれらの前提条件が一切なかったとしても、そもそも俺は女性と握手すらできない。度台無理な話だ。
もちろん、そんなことはおくびにも出さない。だがそれが俺の本音だった。
そして俺は、『そう想ってくれているのは、ありがたいと思う。けど、俺には他に気になっている人がいるんだ』という、心にもない常套句を宮城にも使用した。
たいがいの女子はその場で泣くか、逃げるようにして去ってそれっきり俺に近づいてこなくなるかの二通りに分かれる。だが宮城は違った。
「あたしじゃダメ?」
まさか、食い下がってくるとは思わなかった。ただ、返事は決まってる。
「ああ」
それしか言わない。余計なことを言うと、俺の方でボロが出かねないから。
返事を聞いた直後は、地面を見るように少しのあいだ俯いていた。が、しばらくしてから深呼吸し、両手で自分の両頬を思いきり叩いたのだ。
「そっか。それじゃあしょうがないよね。ごめんね、突然呼び出したうえに変なこと言いだして」
「気にするなって。俺の方こそ悪い。気持ちに応えられなくって」
「ううん。でも……すっごく重たい女だな、とか思ってない?」
「そんなことはないけど。お前の本気度というか、そういうものが伝わってきたし」
「本当に? そう言ってくれると救いだなぁ。あ、そうそう。こんなことがあった後に言うのも変だけど、できればね、君島くんとはこれからも仲良くしていきたいの。だから、今まで通りに接してくれると嬉しいんだけど……進路のこととかも含めて、また相談したいし」
「わかってる。それは心配するなって」
「そっか。よかった。ホッとした」
そこで、互いのあいだに生じていた緊迫感が弛緩する。
ただ、このままダラダラと話していると、不意に『気になっている人って誰なの?』と問い詰められかねなかったので、先に手を打っておいた。
「でも本当、進路はどうするつもりなんだ? このまま医者を目指すのか? それとも……」
「うーん……もう一度よく考えてみる」
結局その程度の覚悟だったんじゃないか、と普段なら胸の奥で揶揄しているところだが、今は違った。俺と同じ大学を目指さないでくれた方が、俺としても都合がいい。
「それがいいな。また相談に乗るから」
「うん、ありがとう」
そのまま公園を後にし、しばらくして二手に分かれるところまで着いたときには、別れてから少しして俺の名を叫び、「こうなったら、あたしを振ったことを後悔するくらい、いい女になってやるんだからー!」と周りを気にせず捨て台詞みたいなものを吐いて、清々しく去っていったのだ。すごくいい迷惑だったが。
事実、その日を境に、宮城の俺に対する接しかたが変わるということはなかった。だから今日までずるずる引きずっているようにも見えなかったかったし、俺も特に気にしていこなかったのだ。
なのに、まさかこんな話をしてくるとは。しかもこんな時に。
「それはーー違う」
「違うの?」
「たしかにそう考えるのも無理もないかもしれないけどな。鈴鹿に勉強を教えだしたのは去年の暮れからだったし、たしかアレは二月のことだっただろ。けど」
「けど?」
「俺と鈴鹿のあいだには、お前が思っているようなーーお前がどう思ってるのかは知らないけど、勉強を教える以外のことはしてないし、あいつも頑なに勉強を教わっていただけだ」
「でも、お互いに、家に行った来たりしてたんでしょ? 合鍵も持ってたって聞いたけど」
……それも知ってるのか。
清志の奴、いったいどこまで喋ったんだ?
いや、多分あいつじゃない。
記憶の上では、あいつはわりと寡黙なほうだった。それを考慮すると、見舞いに来ていた美乃梨がベラベラとあることないことーーいや、ないことないこと喋り散らしやがったような気がしてならない。そんな光景が容易に想像できる。驚くほどに。
あのお調子者め。
それにしても、面倒なことになった。
どうやら、宮城の頭の中ではすでに答えが組みあがってしまっている。それも、かなり誤謬のあるものが。それを妄信してしまっているから、いくら俺が何と言おうとも、聞き入れてはくれない状態になっているのだ。
宮城が、ある意味で望んでいる答えを、俺が口にするまでは。
適当に言いくるめようかとも思ったが、振り返ってみれば、ここまで嘘をついていないで済んでいる。こうなると、適当に口を濁すよりも、このまま、ありのままのことを話したほうが無難な気がする。
「それは、俺が提案したからだ」
「君島くんが? ふーん……でもさ、家である必要はなかったんじゃないの? 図書館とかもあるわけだし」
「そういうところだと人目につくだろ。そうするといずれは、今のお前みたいに根掘り葉掘り聞きたがってくる奴が出てくるだろうって、そう思ったんだよ」
少し嫌味ったらしく言ってみた。でもこれも、事実であることに違いはない。
「もう。そんなに怒らないでもいいじゃん」
「いや、別に怒ってなんかいないけど」
「怒ってるってば」
そういうお前がなんか知らんが怒っているんだろうが。
くそ……宮城のせいで、俺も段々イライラしてきている。落ち着け。
気分を一新させるため、深く息を吐いた。
「いいか、よく聞け。さっきも言ったけど、俺と鈴鹿との間には何もない。それが結論だ」
「じゃあ、気になってる人って、誰のことなの?」
その問いに、固まる。
恐れていた問いかけだった。ここまで嘘偽りなく語ってきたわけだが、最後の最後で、「それをお前に言う必要はないだろ」と嘘をついた。
固まりこそしたものの、それでもほぼ間髪入れずの返答だったはずだ。
にもかかわらず、宮城は黙ってじっと、俺の目を見ていた。
「……もしかして、まだ疑ってるのか?」
言ってしまってから、しまったと思った。
こんなことを口にしたら、疚しいことがあるとか言っているに等しい。自爆だ。
それを宮城は、あざ笑うかのように「まさか」と口にした。
それから、膝に顔をうずめるようにして、「でもそうなると、誰なのかなぁ。君島くんの気になる人って」と、ぼそっと独り言のように呟く。それが独り言だと思ったのは、そう思えば返答せずに済むと思った俺の曲解だったかもしれない。
「ちなみにさ」
「ん」
「洸のことはどう思ってるわけ?」
その一言でわかった。結局こいつは俺を信じていないと。
つまり、これは誘導尋問だ。表面上はだらだらと話を続けているだけだが、実際のところは多方面から攻めこんできているにすぎない。意地が悪いことに、俺が口を滑らせることを期待しているのだ。
やっぱりこいつは、自分の導き出した答えを妄信してしまっているようだ。もしかしたらさっきの俺の余計な一言がそうさせたのかもしれない。そうだとすると余計に悔やまれる。
正直、錯乱状態とも言える今の宮城にどう答えるのがベストなのか、もはやわからない。手が付けられない。もしもこんなところに鈴鹿が帰ってこようものなら火に油だ、余計に面倒なことになりかねないから一刻も早く終わらせたいところなのに……じゃあ、どう返答するのがいいんだ?
そこで、背後から「おい、響子」と宮城を呼ぶ男の声がした。
そろって振り向いてみると、両手をズボンに入れて、何か不快なものでも目に映ったかのように険しい表情をして俺たちを眺めている男子生徒がいた。
ん……ああ、こいつか。
たしか名前は……飯田? 飯村? いや違うな……ああそうだ、飯山だ。
下の名前は知らない。どうでもいいか。
ゆっくりと、あの日の記憶が蘇ってくる。
それは、俺を体育館の裏に呼び出した奴だった。