90.意地の殺意
月明かりだけが照らす闘技場の中心で、俺は立ち尽くしていた。
これ程無防備な状態でいても一向に暗闇の中から凶刃が突き出てくることはない。つまりは、やはりそういうことなのだろう。
「やっぱ逃げられたな」
敵からしてみれば、時間稼ぎ狙いの面倒くさい相手など戦うメリットはない。適当に放置して自身の目的のためにさっさと行動するというのは非常に理に適っていると言えるだろう。
俺からするととても厄介極まりないのだけれど。
「探すつってもなぁ・・・・・・」
剣をしまって堪らずに頭を掻く。
闘技場という施設はかなり広い。万単位の人間を収容できるだけあって、そこで人一人を探し出すのは至難と言わざるを得ない。
相手の行き先に見当もついていない現状で闇雲に探しに動いて果たして見つけられるかどうか。
俺もここで戦っていたとはいえ、行動範囲は極限られた場所だけだ。とても地理に詳しいとは言えない。
それに追いつけたところで、何ができる。
先ほどの戦いを思い返せば、常に防戦一方。虚を突いて一矢報いることはできたかもしれないが、あんな捨て身な戦法は次からは通用しないだろう。
力の差は隔絶している。俺一人では僅かな時間を稼ぐことしかできず、容易く殺されてしまう。
いつまで経っても応援は来ないし・・・・・・。
敵は強大。こちらの戦力は乏しく、敗戦は濃厚。相手はこちらを無視する腹積りのようで、ならば俺よりも強いやつを呼びに行ったほうがいい。戦略的撤退というやつだ。
まあ、そんなことをしている内に、あの女は逃げ去っているだろうけれど。
「勝てねぇ勝負をするなんて馬鹿がやることだよな」
ため息を深々と一つ。それからようやく闘技場の中心から動き始めた。
敵の居場所は不明。敵は格上。敵はこちらのことなど眼中にない。
なら、いつまでもこんなところにいる理由はない。
歩く、歩く、歩く。闘技場の外へ――――――ではなく。
その真逆。さらに奥深く。闘技場の裏側。自分のよく知る、地下闘技場の方へと足を向ける。
あの女はこっちの方へ向かった気がする。
根拠はない。
後ろ暗い連中が向かうなら、似たような後ろ暗い場所だろう、とか。自分の知っている範囲がそこくらいしかなかったから、とか。
理由としてはそんなものだ。
「見つかると良いんだけどなぁ」
ぼやきつつ慣れ親しんだ地下への階段を駆け下りていく。
見つけられなかった時は仕方がない。その場合は諦めよう。
けれど、運良くこの先にあの女がいたとなれば、その時は真っ向から斬りかかろう。
敵の方が強い。殺される可能性の方が高い。普通なら逃げる。それが賢い選択というやつだ。
だが、残念なことに――――――俺は馬鹿なのだ。
訳のわからない理由で女の子を殺そうとする連中の一味を、些細な理由で子供を害そうとするあの女を、くだらない理由で他者を容易に殺める屑を。
勝てないから、負けるから、殺されるから、逃げられるから、助かるから、生き延びられるから。
そんな理由で、その程度のことでそうそう見逃すことなどで気はしない。ましてや、尻尾を巻いて逃げるなどできるはずもない。
これは意地だ。
正義感とか矜持とか、そんなご立派なものではない。
人道から外れた屑から、相手にするまでもないと見下され、喜び勇んで逃げ帰るのが嫌なだけだ。そんな自分は許せないというだけのこと。
それに、今回は一人きりだ。
救い出す対象も守る対象もいない、己と敵の二人だけ。だったら、ほら。逃げる理由がない。
俺がやりに行くのは殺し合いだ。勝ち負けだけでなく、そこに命が懸かっているのは当然のこと。
確かに、俺の勝率は限りなく低いだろう。けれど、ゼロではない。
勝負は時の運。やってみなくちゃわからない。数多くの人物が多くの至言を残したように、勝負なんてものは結果を見るまでわからない。
だから、勝率なんかで勝ち負けを測るなんて無駄だ。
この博打に似た勝負に挑もうとしている当人から言わせて貰うなら、結局は勝てばいいのだ。
そうすれば生き残れる。現に、俺は今までそうして生き残ってきたのだから。
・・・・・・まあ、問題は遭遇できるかどうかなのだが。
絶対にぶっ殺すスイッチが入ったものの、敵の居場所は掴めていないまま、直感に従って足を動かしているに過ぎない。
「くっそ、アルフィーの案内があれば・・・・・・」
あの精霊の案内人の存在がどれだけありがたかったか身をもって感じる。そして、ナイフによって切り裂かれた瞬間を思い出し、身のうちからさらに怒りが燃え上がる。
「アルフィー・・・・・・」
僅かな間でしかなかった相棒。光の球というか、夜の墓場で見たら火の玉と勘違いしそうな見た目で、しかしその動きは愛嬌があってそれでいて有能で。
――――そう、丁度目の前を飛ぶ大きな蛍火のような・・・・・・。
「あれ?」
真っ二つ切り裂かれたはずの相棒が、気づけば目の前にいた。
クルクルと円を宙に描いていたかと思うと、ぴゅうんっと飛んで行ってしまった。
「・・・・・・生きてたんかいっ!?」
涙ぐみそうになるのを我慢しつつその後を追う。
アルフィーはそういえば精霊だ。精霊の生態というものには全くもって詳しくはないけれど、人間のように簡単に死ぬような存在ではないのだろう。両断されたところでしばらくすれば復活する程度には。
そして、アルフィーの案内の先にそいつはいた。
「今宵は月が美しい」
天井を見上げながらそいつはいう。当然ながら月など見えない。
「久方ぶりよのう。しかし、挨拶は後にせよ。時は満ちた。今こそヴォルザナーク様のお導きに従っ」
「てい」
「ふんぎゃ!?」
樽の上に足を組みながらワイングラスを片手に格好を付けていた馬鹿がいたのでつい足が出てしまった。椅子にしていた樽を蹴っ飛ばされて地面に尻をしたたかに打ち付けたせいか間抜けな悲鳴が上がる。
「な、何すんじゃい!」
「お前こそなにしてんだよ、こんなところで」
涙目になって睨み付けてくる銀髪の眼帯シスターを俺は冷ややかな目で見下ろす。
ああ、やっぱりそうだ。
その酷く整った相貌を観察し、改めて俺は口を開く。
「お前は何者だ、ウィル」
その顔はとてもよく似ていた。あの女、ピクシーに。
違うのは髪と瞳の色が金と銀であることくらい。年齢による顔立ちの差はあっても、ほとんど一緒と言ってもいい。
関係がないとは言わせない。
「お前は、俺の敵か?」
俺は静かに少女の首へと刃を添えた。




