8.負けられない理由が足されました
「遅れて申し訳ない」
ディーと入れ替わるように迎いは現れた。
本当に申し訳なさそうにしてやってきたのは、赤い髪の騎士であるヨハンだ。
すぐに控室から出ると、前を歩くヨハンの揺れるポニーテールを眺めながら、アリーシャ様がどこにいるのか訪ねた。
「まだ観客席にいるよ。思いのほか交渉が長くなってしまってね。次の試合が始まっても終わらなかったから僕が迎いに出されたんだ」
「そんなに気難しい相手なのか?」
「気難しいというか、面倒というか」
貴族同士の交渉と言うのは結構大変なようだ。
「相手が趣味に生きているような人でね。交渉の内容を決めるよりも、趣味の話に脱線してなかなか話が進まなかったんだ。アリーシャ様もたまに乗って盛り上がっちゃうし」
……貴族の交渉ってそんなのが普通なのか?
というか、止めなかったのか側近二人は。
「ケイトさんはお嬢様全肯定だから僕が止めに入ってたんだけど、五、六回目あたりで君を迎いに行くよう言われちゃって」
「追い出されたのかよ」
まったく、お嬢様もなにをやってんだか。
彼女は俺を待たせていても大して悪いとは思っていなさそうだ。まあ、アリーシャ様は貴族で俺はその奴隷だ。対等な扱いをしてもらおうと考えるほうが失礼か。
観客席までやってくると、お嬢様は簡単に見つかった。試合場から見えた場所から動いていなかったのもあるが、その見た目や雰囲気から彼女は独特の存在感があるからな。
「ごめんね、ちょっと話が長引いちゃって」
「知ってますよ。ヨハンから聞きました」
上級階級である彼女から俺に対して謝罪の言葉が飛び出したことに内心驚きつつ、交渉がどうなったか尋ねる。
近くにそれらしい相手がいないので、交渉はすでに終わっているはずだ。
「交渉は上手くいったわ。署名は試合が終われば勝敗に関係なく書いてくれるって」
「マジで!?」
おおっ、勝たなくてもいいって随分プレッシャーが減ったぞ。
相手さんはなんとも気前がいいみたいだ。
「……はあ、どうやら理解していないようですね」
「え?」
交渉の結果を聞いて安堵と喜びに浸っていると、ケイトさんの冷ややかな声音が水を差す。
なんか機嫌が悪そうだ。
「勝敗に関係なく署名する、というのは彼の目的がお嬢様との勝負と言うのもありますが、自分の用意した闘士が負けるはずがないという自信があるからです。それに、生き残っていなければ署名なんてなんの意味もありませんよ」
「うっ……」
いや、でも死ぬ前にわざと負けるくらいはできるはず。
「ルール上、奴隷の参加者は自ら棄権することができません。貴方はその軽い頭でわざと負ける方法を考えているかもしれませんが、そんなことは許されませんし、許しません」
思考を読んだかのように釘を刺してくるな。
奴隷の闘士はその主が宣告しなければ試合を棄権することができない。自主的な危険は不可能なのだ。
棄権以外で死なずに試合に負ける方法は、気絶して試合が続行不可能な状態になるくらいだが、鬼のように睨んでくるケイトが宣言通り許してくれないだろう。
「それともう一つ条件として、敗者は勝者の言うことを一つ聞くということになっています」
「はあっ!? なんだそれ!」
なにとんでもないこと約束してくれちゃってんだよ。
ヨハンも額に手を当てて天を仰ぎ、「……またか」と呟いていた。
また、ってことはお上品に見えるこのお嬢様はよくこんな馬鹿みたいなことをしでかすようだ。知り合って間もない、しかも犯罪奴隷で賭ける内容ではない。
イケメンでいけ好かない野郎だ、と密かに思っていたのだが、これまでヨハンは度々彼女の言動に振り回されて頭を痛めてきたに違いない。
ちょっとだけ彼に好感を抱く。これからはもう少し仲良くなれそうだ。
普段なら「ざまぁ」と心の中で笑っているところだが、俺も被害者なのでそうもいかない。
突然の事態にプレッシャーを感じていると、ケイトさんが俺の肩を握った。手を置いたと表現するには万力のような握力が邪魔だ。
「相手が出して来た条件なのですが、向こうはお嬢様に妻になれと命令するでしょうね」
不機嫌な理由はそれかっ!
えっ、相手の人こんな般若みたいなのが傍にいたのに、そんな条件提示したのか?
他の観客も気づいて離れていくくらいの殺気だしてんだぞ。どんな胆力してんだ。
心臓に毛が生えてるとか、神経が図太いとかいうレベルじゃねぇ。馬鹿を通り越して勇者だよ、そいつ。
「だから、負けたら殺しますよ?」
機嫌の悪さをうかがえる無表情のまま、抑揚のない声音で言うのはやめてほしい。
めっちゃ怖い。
俺が戦ってたあれより、この人の方がブルーオーガって名前ぴったりだよ。
「もう、ケイトったら。レイドをそんなに脅さないの。大丈夫よ、レイドが勝てばいいだけの話でしょ?」
そんな約束をした問題の張本人はのんびりとした口調で青鬼と化したメイドを宥めていたが、さらりと言ったあんたの言葉が一番プレッシャーだからな。
……いや、よくよく考えれば犯罪奴隷から解放されるには勝つしかないと思っていたわけだし、状況は何も変わっていない。プレッシャーが増えただけだ。
これでも冒険者としてそれなりの数の鉄火場を潜り抜けてきたのだ。隣の二人並みの別格の存在でない限り負けはしない。
「それで、貴方の対戦相手なのだけど、ちょうど今の試合に出ているのよ」
「――――えっ?」
今の試合に出ているのは確か。
交渉の結果が気になっていて見ていなかった試合場の方を初めて向く。
その中央にはついさっき別れたばかりの竜人の姿があった。
獰猛な笑みを浮かべ、爛々と輝かした金の瞳が見据える先には、血色のスライムが蠢いていた。
さっきと同じ個体かはわからないが、前の試合でもその恐ろしさを存分に見せつけた魔物バキュアだ。
試合開始を知らせる銅鑼の音が会場中に鳴り響くと同時に動き始めたのはバキュアだ。
テイマーからの制御から解放された赤い悪魔は、食欲を満たすという本能に従い最も近くにいる獲物へと襲い掛かる。
移動の遅いイメージのあるスライムだが、リキッドスライムはそれを裏切る氾濫しすべてを飲み込まんとする濁流のごとき速度だ。
人間が逃げ切れる速さではない。
竜人であるディーも身動き一つ取れず、赤い濁流に飲み込まれた。
リキッドスライムは粘性の強い体を利用して、常に獲物に纏わりつき体力を奪い、呼吸を阻害しそれを加速させる。それと同時に獲物が生きた状態から食事を開始する。
捕食のために全身を溶かされる激痛と拘束から逃れようともがき、暴れ、足掻くほど体力を失い何もできないまま息を引き取り、悪魔の養分となる。
ディーはこのまま死ぬ。そうなるはずだった。
「なんだ、あれ……?」
ディーを包み込んで食事を開始したバキュアに変化が訪れた。
血のような赤色だったスライムの一部が、徐々に紫色へと変色し始めたのだ。動きも捕らえた獲物を逃さないようにしていたものから、激痛に苦しみのた打ち回っているようになる。
発声器官が存在すれば凄絶な叫びが聞こえてきただろう。
間違いなく、あの魔物は苦しんでいる。
紫はバキュアの全身へと広がり続ける。汚染していくように。
ディーを包んでいたバキュアは落ちたアイスみたいに溶けるように地面に広がっていく。
捕食されたはずの竜人は傲然と腕を組んだまま、力なく崩れ落ちた敵を睥睨している。
その視線は、試合前とは打って変わって期待を裏切られたとでも言いたげで、つまらなそうに息絶えようとしている眼下の敵を眺めていた。
「……俺の対戦相手って、あのスライムですか?」
「まさか」
この光景を目にしながら、未だ俺の勝利を疑っていないどころか勝ちを目前にした楽しそうな声音で告げる。
「毒を統べる竜人。それが貴方の対戦相手よ」
「……ははっ」
乾いた笑い声が漏れる。
戦士の天敵とも言える魔物を瞬殺した対戦相手。耐毒性の強いスライムを殺める毒を操る相手にどう戦えと言うのだ。
さっきの戦いからして触れただけでも毒を浴びるのだろう。
毒爪、毒牙、毒燐、ブレスは溶解液か毒霧か。予測だけでも厄介のオンパレードだ。
ふと上がったディーの視線が俺を捉える。
貴様は我を楽しませてくれよ。
そう言っているかのように、牙の並ぶ大きな口を歪めて笑う。
カッカッ、と笑う竜人のしゃがれた声が聞こえた気がした。




