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87.一方その頃――『再』

すみません。とても忙しかったんです。

クレアのお気に入りのメイド、アンナの視点です。

 ――――揺れてる?


 馬車の中、とは違う気がする。

 意識が少しずつ鮮明になっていき、ようやく自分が誰かに抱えられているのだと気づく。

 薄目を開けると、知らない金髪の美女の顔が映る。


 ――――この人は誰、だっけ?


 見覚えはない。

 いや、本当についさっき見たような。


 どこで?

 どうして?


 そして、次第に彼女がどのような人物なのか私は思い出していき、体を強張らせた。


「あら、目が覚めたみたいですね」


「あっ……」


 声を出そうとして、喉に痛みが走る。かすれ声が漏れ、何度か咳き込む。


「けほっ、けほっ」


「ああ、ごめんなさい。強く締め付けすぎてしまったようね」


 そうだ。私はこの侵入者の女に捕まり、首を絞められて意識を奪われた。

 荷物のように脇に抱えられたまま私は女を睨み上げる。


「そう怒らないでくださいな。うっかり殺してしまいたくなりますから」


「っ」


 向けられた彫像のような微笑に悪寒が走る。歯の根が合わず、全身が震えて目端に涙が浮かぶ。騎士の人に怒鳴られた時よりも怖いと感じた。

 この場の絶対者が彼女であるとわからされた私は大人しくされるがままにどこかへと連れてかれていく。


「そう怯えなくても、用が済めばすぐに解放して差し上げますよ」


 女はそういうけれど、悪人の言葉なんて信用できない。

 王族に仕えてるとはいえ、下っ端にすぎない私には現在王城でなにが起きているのかまるでわかっていない。

 ただ、この国の王族に害をなそうとしている連中が誕生祭にも関わらず乗り込んできていて、その連中の内の一人がこの女なのだろうということくらいは想像できた。


 強く拘束されているわけではないけれど、暴れたところで彼女から逃げ出せる気が微塵もしない。下手に抵抗しても殺されるか、身動きが取れないような大怪我を負わされる気がする。逃げるには今は機を窺って大人しくしておくべきだろう。


 そもそも、大きな音がしたからって様子を見に行ったのが間違いだった。

 城の方でなにかトラブルが起きているのは、周囲の人の慌ただしさから気づいていた。けれど、なにが起こっているかを教えてくれる人はいなかった。


 下っ端であることもそうだけれど、クレアちゃんが気まぐれに拾ってきた生まれも不確かな私がここで働くことを快く思わない人は多い。ロザリアのように親切にしてくれる人もいるけれど、そんなのはごく一部だ。

 今何が起きているのか、危険が迫っているのか懇切丁寧に教えて貰えることはなく、聞き耳を立てたりして自分で情報収集をしていたのだけれど、そのせいで完全に逃げ遅れてしまっていたらしい。


 その結果が賊の女に捕まるという最悪の現状だった。


「お嬢さんはわたしの言葉が信用できませんか? まあ、できませんよねぇ。ここの通路に仕掛けられている罠は、この区画に入ることを許された人間が一緒ならば起動しない仕組みなのですよ。死体だと認証が外れるようなので、最低限わたしが目的地に着くまでは貴女の存命は約束されます。これで少しは安心できましたか?」


 つまりは目的地について用済みになってからは私の命の保障はないわけだ。分かって言っているのだろう。女の口調は怖がらせることを意図した揶揄う口調だ。


「まあ、人一人殺すのも手間ですからね。わたしも忙しいですから、わざわざ殺したりしませんよ」


「……貴女の目的は、何なの?」


 震える声で女に問いかける。質問してきたことに少し驚いた表情を浮かべた後、女はにっこりと笑った。


「復讐」


 たったの一言。


 けれど、そこには彼女の計り知れないほどの激情が込められていた。


「この国にはわたし、恨み辛みがありまして。滅ぼしてやりたいんですよ」


 今朝の朝食を語るような簡素な物言い。反面、感じられるのはドロドロとしたどこまでも黒く重い情念。

 それに気づけたのは、自分にも覚えがあるからだろう。


「ああ、大丈夫ですよ。今日明日に滅ぼすわけではありませんから。今回はその準備に来ただけです。お嬢さんも死にたくなければ近いうちに別の国に行くことをお薦めしますね。生き延びられればの話ですけれど」


 この人も恨んだのだろう。怒ったのだろう。憎んだのだろう。

 どうしてそれがこの国を滅ぼすことに繋がったのかはわからないけれど。

 ただ言えるのは私と違って、彼女は誰かに救われることがなかったのだろう。


「さて、ようやく着きましたね」


 足を止め彼女が前に立ったのは、飾り気のない両扉。区画のかなり奥に位置し、何の部屋かはわからないけれど、彼女が目指すだけあって特別なのだろう。


「……ふむ。やはり簡単には開きませんか」


 押しても引いても扉は微動だにせず、彼女が手を翳して開錠の術を使うとその手は扉に掛けられた魔術防壁によってバチンっと盛大に弾かれた。


「時間をかければいけそうですが……その時間がないんですよねぇ」


 困ったように頬に手を添えてため息を零すと、彼女は私を抱え直して扉の前で立つ位置を調整するように変えた。


「力尽くでいきますから少し揺れます。吐いたりしないでくださいね」


「え?」


 彼女の一方的な発言に疑問を覚える間もなく、彼女は答えへと行動を移す。


 堅牢なる両扉へと、彼女はフロントキックを叩き込んだ。


 空気を裂くような轟音。気づけば私は彼女と共に宙を舞っていた。

 扉に掛けられた防壁によって弾き飛ばされたのだ。


「いい感じですね。これでいきましょう」


 何のどこがいい感じなのだろう。

 彼女は私を脇に抱えたままふわりと廊下へと羽のように着地。そして砲弾のように駆けだしてまたしても扉へと蹴りを叩き込む。

 再度、轟音と共に彼女の渾身の飛び蹴りは阻まれ宙を舞う。抱えられた私も一緒に。


「きゃああああああああああああああああああっ!!??!?」


「お静かに。あと吐かないでくださいね。絶対ですよ」


 無理。いや、無理!

 一瞬で色々な方向に体を持っていかれてどこが上か下かもわからない。全身が振り回されて、合間に挟まる浮遊感とすぐに襲い掛かる衝撃の変化について行けない体が痛い目が回る気持ち悪いっ。


 それでも最終的に私が嘔吐しなかったのは、その前に彼女の目的が達せられたからだ。


 響き渡る先ほどまでとは異なる轟音。目まぐるしく回転する視界で辛うじて捉えたのは、べこべこに歪んだあの両扉が部屋の奥へと吹き飛んでいく光景だった。


 あれを彼女は本当に力尽くで蹴破ったらしい。信じられない思いでいると、がっしりと掴んでいた彼女の腕からぺいっと放り捨てられた。


「わっ!?」


「すみません。予定ではここでお嬢さんは用済みだったのですけど、予想より時間がかかったのと彼が速かったので、もう少しだけわたしの役に立ってくださいね」


 指先で赤い石をいくつか砕いた彼女はそう言って扉のなくなった部屋へと入っていった。

 状況についていけず、呆けてその後姿を眺めていられたのは僅かな間だった。

 空間に赤い魔法陣が浮かび上がって、そこから武具を持った人骨たちが這い出て来たのだ。


「あ、ああ、アンデッド!? なんでっ!?」


 冷静に考えればあの女が呼び出したのだとすぐに気づいただろうけれど、そんな余裕は私にはなかった。

 体中が痛いし、視界もまだぐるぐると回っていて気持ち悪いし走って逃げるどころか立つこともままならない。

 転げて、這って、なんとか立とうとしてまた転んで。とにかく恐ろしい魔物どもから距離を取ろうと必死だった。


 逃げることに必死で、他に考えている余裕はない。

 そうでなければ死んでしまう、殺されてしまうから。


「助けて、助けて、助けてっ」


 だというのに、続々と流れて来る過去の記憶。

 王城での暮らし。クレアちゃんと過ごした日々。メイドになった日の記憶。

 クレアちゃんに助けられた時のこと。

 知らない街の路地裏で死にかけていた自分。

 病気で死に近づくのを感じながら、奴隷商の檻の片隅で蹲っていた。

 どの商人からもいらないと僅かな金額で転々と売り払われて。

 必要とされていないのは知っていた。けれど、本当に実の両親に売られた時は悲しかったし、腸が煮えくり返った。恨んで、憎んで、ずっとずっと泣いていた。

 何が起こったのか分からないまま、馬車に乗せられて、その荷台から遠ざかっていく故郷を見えなくなるまで眺めていた。


「あうっ!」


 転んだ拍子に背後で剣を振り上げる魔物の姿が見えた。

 斬られるのかな。痛いのかな。死ぬのかな。


 間近に迫った自分の死を感じて全身が粟立つ。同時に、今までの人生で出会った人たちの顔がものすごい勢いで浮かんでくる。


「ロザリアっ、クレアちゃんっ……」


 刃が直前まで迫った時に浮かんだ二人の顔。

 彼女たちにもう会えないかと思うと、自然と涙が溢れた。


「失せろ」


 恐怖に目を閉じた一瞬。

 襲い来るはずの痛みも衝撃のなく。近くから聴こえた男の人の声に瞼を開く。

 するとそこには魔物の姿はなく、庇うように立つ男の人の背中が目の前にあった。


「え、あれ?」


 その背中に、何故か見覚えがあった。

 自分と同じ明るい茶色の髪に懐かしさを感じた。

 確かな既視感。顔は見えないけれど、自然と浮かぶ男性の顔。


 世界を、家族を、病弱な自分を憎む中で、たった一人だけどうしても嫌いになれなかった人がいた。

 いるはずのない人。もう会えないはずの人。

 きっと勘違い。別人だ。違う人だ。


「ガキを手に掛けようなんて、ざけんなよクソ骨が。ぶっ殺すぞ」


 なのに、どうして。


「絶対に守ってやるからな」


 とても聞き覚えのある声。

 ああ、もう大丈夫だ。

 自然とそう思えた。


 もう会えないと思っていたあの人の姿が浮かぶ。

 溢れ出た涙が、止まらない。


「――――おにいちゃん……?」




次から主人公の視点に戻ります。

更新ペースも戻るように頑張ります。

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