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80.一方その頃――『夜』

 部屋から出ると、いつの間にか屋敷の前に立っていた。


 混乱は一瞬。すぐさま動揺を収め、現状を考察する。

 一番あり得るのは、罠に掛かったこと。それも外にはじき出される転移系の罠。


 転移特有の前兆も気配も感じなかったが、問題はそこではない。罠が発動したことでまず間違いなく警備に私の存在を知られてしまった。


 計画は失敗。


 すぐにこの場から撤退するべく振り返ると、門扉にもたれ掛かる人影が一つ。


「こんばんは~」


 黒いローブを纏い、そのフードの下から発せられる間延びした女の声。

 敵だ。

 懐からナイフを抜き取り、構える。


「えーっ、無視はやめてよぉ」


 一方で、女は門扉に寄りかかり気の抜けきった態度のままだ。

 けれど、気取られず私の背後に立っていたことからも、このローブの女が侮れる相手でないことは明白だった。


「・・・・・・それなりの腕利きと見えるが、何者だ?」


「あ、やっと反応してくれた。いいでしょう、教えてあげますとも! なんと私はですね~」


 狙いを定め、右の小指を引く。

 すると、袖から黒塗りの金属片が高速で射出される。


 絡繰り仕掛けの暗器だ。魔力を用いないため、直前に魔法で感知されることがない。扱いは難しく、射程もギリギリ。

 けれど、私なら当てられる。

 女の眉間を打ち抜ける。はずだった。


「その玩具、面白~い!」


 平然と金属片をつかみ取り、コインのように弾いて手元で弄ぶ。

 この夜闇の中、高速で飛来する黒塗りの小さな金属片を、女は容易に捕らえて見せた。


 不意を突いたつもりだった。

 身構えていたところで、できるような芸当でもない。


 確信。この女、例の二人に並ぶ化け物だ。


「ばぁん!」


「ッ!?」


 指弾で撃ち返された金属片をナイフで切り払う。

 追撃は、なし。女はその場から動く気配を見せない。

 余裕のつもりで動かないのなら、好都合だ。


「シッ」


 ナイフを投擲。その陰に隠れるようにもう一つ。

 こんなもので手傷を負わせられるとは露にも思っていない。

 想像通り、女は片手で時間差で迫るナイフをつかみ取る。


「ん?」


 ナイフが破裂し、一体に大量の黒煙が溢れる。隠蔽の魔術をいくつも重ね掛けして、煙の中に紛れて離脱を謀る。

 目的は標的の殺害。それ以外の殺しはついで。

 正面からの戦闘は私の得意とするところではない。あの女との戦いに拘る理由はなく、優先すべきはこの場からの逃走。

 正門が塞がれているのなら、別の場所から逃げればいい。入るときも塀を乗り越えて侵入した。出るときもそうすればいい。


「計画を練り直さなくては」


 あんなのがいるのでは用意していた計画はもう一度すべて考え直す必要がある。

 出直して、体勢を整えなくては。

 助走を付けて手頃な樹木へ跳躍。幹を蹴りつけて、その反動で塀を跳び越える。

 全身のバネを使って柔らかに着地。そして街の闇に紛れるべく駆け出す。




「ちぃーすっ!」


「はっ!?」


 反射的に地面を蹴って、後転して下がる。顔を上げると、目の前にローブの女が手をひらひらと振りながら立っていた。

 先回りされていたことに驚愕し、警戒して周囲を見回したところでさらなる驚愕に襲われる。


「な、に・・・・・・?」


 見覚えのある風景。巨大な門扉に、そこに寄りかかるローブの女。客人の目を楽しませる美しい庭園。そして聳えたつ大きな屋敷。


 気づけば、私は先ほどと同じ場所に立っていた。


「どう、いう」


「逃げられると思った? 残念!」


 女が笑う。


「お帰りはこちらからになりまーす。塀からじゃなくて、ちゃんと正門から出ないと」


 あろうことか、女は門扉を大きく開け放った。

 罠か?

 罠だろう。

 反転して、一度身を潜めるべく屋敷の中へと飛び込んだ。


「意表を突けたと思った? 残念!」


 女が笑う。

 私は、また同じ場所に立っていた。

 門を開いたまま立っている女の足下に、黒煙のナイフを投げつける。煙が立ちこめ、視界を奪うと同時に駆け出す。


「ぐぇ!」


 通り抜けざま、女のいた場所にナイフを投げると間抜けな悲鳴が上がる。


「殺せたと思った? 残念!」


 正門をくぐり抜けると、私はまた先ほどの場所にいた。女は胸元にナイフを生やしたまま平然と立っていた。ナイフの柄を握って「ぐぇ!」と馬鹿にしたように鳴く。


 実際に私をコケにしているのだろう。


「転移・・・・・・ではないな。空間が繋がっている?」


 範囲は屋敷ではなく、あの女。ローブの女から一定以上離れると、特定の座標へと戻される亜空間結界か。


「面倒な・・・・・・」


 抜け出すには、術者であるローブの女を殺すしかない。


「お、やるか? 私の暗殺拳猫の舞の餌食にしてやるぜ!」


 しゃーっ、と両手を上げてふざける女に取り合わず、強化と特殊な歩法を用いて接近する。相手からすれば、いきなり視界から消え、次の瞬間には目の前に現れたように見えただろう。

 何かされる前に、素早く喉を切り裂く。

 暗器やナイフをことも無げに掴んで見せたことから、高い近接戦能力を持っていると警戒していたのだが・・・・・・考えすぎだったか?


「ほほぅ、なかなかのお手前で。七十五点!!」


「!??」


 肩に手を置かれ、すぐ後ろからもう聞き慣れた女の猫なで声。咄嗟に腕を取って体勢を崩し、そのまま頭から地面に叩きつけるように投げる。


「あははっ、びびってやんの、ちょーうけるぅ」


 少し離れた木陰からローブの女がこちらを指さして笑う。女の嘲笑を止めるべく、術を発動させる。彼女の足下の影が起き上がり、刃となって首を刈り取った。


「闇属性の術だ。珍しい」


 飄々とした様子で女はまた門の前にいた。

 そこら中に、私が殺した女の死体が転がっているが、女は何事も無かったように目の前に立っている。


 いったい。

 いったい、何度だ。


「――――何度殺せばいいっ!?」


「およよ?」


 女は首を傾げながら跳ねるような足取りでこちらに近づいてくる。その陽気さが、不気味で仕方が無い。

 腕の暗器は防がれた。なら、あれならどうだ。


「ふげっ」


 パンッ、という破裂音と同時に女がのけぞる。使ったのは、火筒という筒の中で火薬を破裂させて鉛玉を飛ばす武器だ。物好きな闇商人から仕入れた一品で、欠点は多いがその殺傷力は高い。


「もうっ、人を撃っちゃいけないってお母さんに教わりませんでした?」


 だが、女は何事も無かったように再び歩き始める。

 逃げられない。殺せない。

 ぞくりっ、と全身が総毛立つ。


「さてさてさーて、Q1(クエスチョンワン)! どうして私は殺されないのでしょーか?」


 一歩一歩確実に近づいてくる女に対して、後退しながらナイフを投げつける。

 喉、胸、腹、肩、足と突き刺さるも、痛がるそぶりもみせず女は歩みを進める。


(アンサー)! それは、貴方がざ、こ、だ、か、ら! でーす!」


 女は体に刺さったナイフを引き抜いては無造作に捨てる。抜いた箇所からは出血の跡が見えず、悠々と歩く様子から女が無傷であるのは明白だった。


「化け物女が・・・・・・私が、この夜狐が、雑魚だと抜かすか」


「はあ? 夜狐?」


 眉間に突き立ったナイフを抜いた女が、きょとんと小首を傾げて足を止める。


 そして「ぶふぉっ」と盛大に吹き出して腹を抱えて笑い出した。


「くふふふっ、あははははははは!! 夜狐、夜狐、貴方が夜狐? ふはっ、それで狐のお面なんてしてるわけ? ぷくくくくくく、なるほど、そーいうことね。フヒッヒッ――――――やば、変な声出た」


 なおも笑い続ける女に、私は恐怖を忘れ耐え難い屈辱の怒りが沸き立つ。


「なにが、なにがそんなにおかしい!?」


「え、だって笑うでしょ。夜狐ってあれ、仕事の達成率十割の有名な殺し屋のことよね。その正体は誰も知らず、高額な報酬さえ払えば誰でも殺してみせる暗殺者」


 女はローブの下で口元をニマニマと歪めながら言う。




「でぇもぉ――――――貴方、偽者でしょ。ダークエルフのお姉さん?」




 私は、咄嗟に顔へと手を伸ばした。指先から伝わる堅い感触に、狐の面がそこにあることを確かめ安堵する。


「・・・・・・世迷い言を。なにをもって私を偽者だと」


 そう言い返すも、全身から冷や汗が止まらない。偽者と疑われることは幾度となくあったことだが、隠しているはずの種族を言い当てられたことは初めてだった。しかも、あれはカマかけや当てずっぽうではなく確信のある言い方だった。


「変声術で頑張って渋いおじさんの声作ってるの、わかるよ? 素性をわからなくするための工夫なんだろうけど。まあでも、本物はそんなことしないんだよねぇ」


 ・・・・・・そういうことか。この女、夜狐の知己かっ。


「なるほど、そういうことなら貴様にはおかしくて仕方ないだろうな」


 これ以上この女の前では顔を隠す意味は無いと悟り、狐の仮面を外して素顔を晒す。声を変えるのもやめた。


「あれ、外しちゃっていいの?」


「私を偽者だとわかっている相手の前で真似を続けるなどただの道化だろう」


 夜狐の名を騙っていたのはそうすることが稼ぎやすかったからだ。ダークエルフという種族柄偏見も多く、『夜狐』になりすますのは生きていく上で何かと都合が良かった。

 裏の世界ではそれほど『夜狐』の名は大きく、『王都の死神』に並ぶ恐怖の代名詞でもあった。正体不明ということを利用し、当時は私の他にも夜狐の名を騙る者は多くいたが、次第にその数は減り、いつの間にか『夜狐』を名乗るのは私だけになっていた。


 そう、本物の夜狐もいなくなっていたのだ。


 仕事の達成率十割という都市伝説の実態は、偽者が溢れたことで「本物であれば仕事を成功させるはず」「仕事に失敗した夜狐は偽者」という理屈から生まれた幻想だ。仕事を完遂させる本物が姿を消し、偽者が生き残るなどという滑稽な現実。


「だがな、今は私が『夜狐』だ。本物は消え、他の偽者も消え、私だけが残った。故に、私は『夜狐』でなければならない。」


 今もこうして裏の世界で生きていけているのは『夜狐』の名を使っているおかげだ。この名を聞けば、大抵の者が震え、怯え、警戒する。もし私が偽者であることが露見すれば、仕事はなくなり、私を恐れる者もいなくなる。

 私が生きていけるのは『夜狐』だからであり、『夜狐』でなくなれば待っているのは身の破滅だ。

 だから、私は私が『夜狐』であると示し続けなければならない。


「ふうん、ようは引っ込みがつかなくなっちゃったんだ?」


「ありていにいえば、な」


 それに簡単に捨てられないほどに『夜狐』と言う名は裏の世界では便利なのだ。


「・・・・・・こんなところで死ぬ気は毛頭無い。貴様がどれほどの化け物であろうと、殺して生き延びさせて貰う」


 得体の知れない相手だが、本当に不死身という訳でもないだろう。何か仕掛けがあるはずだ。それを暴き、今度こそ確実に殺す。


「粋がってるところ悪いんだけど、貴方じゃ私を殺すのは無理だよ。弱っちぃし」


「言っていろ」


 確かに、こいつは私よりも強いのかもしれない。けれど、この世に絶対などない。過去に私よりも遙かに強い者を殺したこともある。


 女が見下し、慢心している今が最大の好機。


 掌にナイフを突き立て、呪文を唱える。


「――――遍く飲み込め、【黒渦】」


 私を中心に闇が広がる。


 闇は周囲のものを引き寄せ、飲み込み、その大きさを徐々に増していく。


 この【黒渦】は一族に伝わる秘術で、契約した闇精霊の力を借りてすべてを飲み込む『闇』を呼び出す。『闇』に飲まれたものはこの世から塵も残さず消え失せる。消耗の大きさと、使い勝手の悪さから普段は使用を控えているが、夜会の化物連中すら屠れるであろう私の唯一最大の術だ。


 どんな仕掛けであろうともこの【黒渦】であればそのタネごと女を飲み込み消失させられるはずだ。


Q2(クエスチョンツー)! どうして私は貴方が偽者であると即座に断言できたのでしょーか?」


 しかし、女は慌てる様子も無く、変わらない調子で問いを投げかける。


「・・・・・・それは、貴様が本物の夜狐を知っているからだろう。そんなことよりも、逃げなくていいのか? この闇はお前ごとすべてを飲み込み消し去るぞ」


「うーん、まあ、半分正解かな。じゃあ次ね」


 女が近づいてくる。一歩。また一歩。


 私はその光景が信じられず、呆然と眺めていた。


 すべてを飲み込む【黒渦】の上をまるで意に介すことなく渡って歩いてくる。【黒渦】の中にいて平気なのは術者である私だけのはず。


 そのはずが、女は何の影響を受けること無く近づき、私の目の前に立った。




Q3(クエスチョンスリー)! どうして私は殺されないのでしょーか?」


 それは最初と同じ質問。女はニマニマと嘲りの笑みを浮かべながら問う。


「な、ぜ?」


 なぜ死なない、どうして効かない。


 なんで、私の術が・・・・・・。




(アンサー)! それは、貴方が私の幻術の中(掌の上)にい、る、か、ら! でーす!」




   ◇




 気づけば、私は暗闇の中にいた。


「っ!?」


 甲高い金属音。動けない。いつの間にか手足に冷たい感触が張り付いている。見えないがどうやら四肢が拘束され鎖につながれているようだ。


「こんばんは~」


 ぱっと蝋燭の火が灯り、暗闇の中からローブの女の姿が浮かび上がる。

 視界が確保され、ようやく私がどういった状態に陥っているのか理解が追いつく。

 狭い石室に私は身包みをすべて剥がされた上で手足を鎖でつながれ自由を奪われていた。


 どうして、いつの間に?


「その顔は「なにこれ、意味わかんない!?」って感じです? ふふん、私は優しいですからねぇ、今なら聞きたいこと知りたいことなんでも教えちゃいますよ?」


「え・・・・・・あ・・・・・・なん」


 外でこの女と戦っていたはずが、なぜか囚われの身になっていた。わけがわからず、まずなにを問いただせばいいのかすらわからない。

 口をはくはくとさせるだけの私に、女は大仰に頷く。


「なるほどなるほど。聞きたいことがありすぎて、なにから聞けばいいのかわからなーい、と。それじゃあ、貴方の知りたそうなことを私が懇切丁寧に教えてあげますとも」


 顎に指をやり、「まずは~」と切り出した。


「いつ貴方が捕まったのか。これは割と最初の方ですね。この屋敷に侵入してから、一直線にこの部屋まで来て無抵抗で私に枷を嵌められました。時間にして三十分もかからなかったですかね」


「そんな馬鹿な、そう仰りたい貴方にお教えしましょう。次に貴方がいつ私の幻術に掛かったのか? これは貴方が屋敷の敷地に入る前からですね。実はこの屋敷だけじゃなくて、この辺り一帯がうちのご主人様の私有地なんですよね。正確にはご主人様の下僕、じゃなくて懇意にしてる貴族の土地ですね。だから、合法的に敷地を跨いだ大きな結界を張れるんですよ。大っぴらにはしてませんけどね。調べても簡単にはわからないから、想像よりも広い範囲で張ってある幻術の結界にみんな不用意に踏み込んできてくれるんですよねぇ」


「敷地に入る前から幻術に掛かっていたということは、ええ、そうですとも。屋敷を探索したり、途中でメイドの一人を殺したり、私と戦闘したこともすべてが幻術(ゆめ)だったんです。だっておかしいでしょ。転移の気配もなく場所を移動したり、何度殺しても私が復活したり。なまじ、そんなことができる知り合いがいるせいで逆に幻術とは思わなかったんでしょうけどね」


「まあ、身をもってわかっていただけたとおもいますけれど、幻術の専門家でして私。幻術を破ったと思わせて幻術をかけ続けたり、幻術にかけた相手の体を誘導したりできるんです。こんな風に完封されている貴方を雑魚と呼んじゃうのは納得していただけますよね。そして、こうやってペラペラと話しているのは何をどうしようが絶対に貴方は逃げられないからです。情報が漏れないからこんなに口が軽いんです」


「もう一つついでに言えば、趣味だからですね。この屋敷の警備を一任されているんですけど、基本的に私がやってると話しちゃダメなんですよ。情報が少しでも漏れると警戒されますから。だから、こうやって仕事を頑張ってるのに、誰にも自慢も愚痴も話せないんですよ! 話せる同僚は二人とも素っ気ないし、ご主人様に聞いてもらってると怖い方が睨んでくるし。だからこうして話しても大丈夫な相手に日頃ため込んでいるものをぶつけるんです。ストレス発散できていいんですよね、これ」


「ああ、自分がこれからどうなるか。一番知りたいことですよね。安心してください。殺しはしません。生殺与奪権はご主人様にあるので勝手に殺せないんです。ご主人様が帰ってくるまでは尋問です。夜会のこととか、依頼人のこととか、他にもいろいろ、関係あること無いことキリキリ吐いて貰おうかと」


「ちなみに、貴方が今いるのも幻術(ゆめ)の中なので、どんな酷い目にあっても死にません。死ねません。心が死ぬこともないです。私、プロですから。なのでさっさと話すことをおすすめしますね」


 一頻りしゃべり終えた女は満足げに「ふぅ~」と息を吐いた。


「だいたいこんなところですかね。他に聞きたいことってあります?」


「お、前は・・・・・・何者、なんだ?」


 現実と見分けがつかない幻術。これ程の術士でありながら、その正体がまるでわからない。「夜狐」として裏の世界で活動してきた私が、知らない。


 だから、問うた。


「そういえば、自己紹介をしてませんでしたっけ?」


 フードを外すと同時にこぼれる栗色の髪。露わになった女の顔に既視感を覚え、そしてどこで見たのか思い出す。


「なっ!?」


「どうも、先ほど貴方に殺されてしまった可愛そうなメイド、ナナリーちゃんですっ! よろしくっすね」


 紛う事なく、テラスで手にかけた不良メイドだった。いや、この女が言う通りならあのときすでに私は幻術に嵌まっていた。あの出来事もすべてまやかしだったと言うことになる。

 自分が幻術に掛かっていたと言うことをまだ受け入れられずにいたが、確実に殺したはずの女がこうして生きて目の前にいるという現実に、もはや信じるほかなくなる。


「――ははっ、この仕事を受けたのは始めから失敗だったようだな」


 こんな化け物どもの巣窟に足を踏み入れたこと、その主を害そうとしたことが間違いだった。

 敵に回すべきでは無かった、刃向かうべきでは無かった。

 私は自分の力を過信し、相手側の力量を見誤った。


「そうっすねぇ。プライベートな場所に予め潜んでおくっというのは普通なら悪くないんすけど、ここだと通用しないんすよ。ケイちゃんの索敵能力は化け物な上に、お嬢を守れる距離から基本的に離れないし。もし隠れててもケイちゃんにすぐに見つかってぶっ殺されてたっすね。実際に体験した私が言うんだから間違いないっす」


「はっ、まるで貴様もアリーシャ・フォン・リオネスを殺そうとしたことがあるような口ぶりではないか」


「あるっすよ?」


 こともなげに頷いたナナリーを、私は訝しげに見上げる。

 すると、彼女の輪郭が僅かに揺らいだ。


「失敗して、殺されかけて、気に入られて。そして私はここにいる」


 それは見間違いなどでは無く、水面に映った像が波紋によって乱されるように、ナナリーという女の姿は揺らめき、歪んでいく。


「仕事で初めて失敗したのもその日。そして私がナナリーと呼ばれるようになった日でもある」


 ナナリーという幻の下から姿を現したのは妖艶な空気を纏う獣人の女。


「それ以前までは人からはこう呼ばれていたの」


 紫闇の髪、赤みがかった切れ長の瞳。その耳と尾の形の特徴は狐族のもの。


「『夜狐』って。――――ちなみに、二問目の答えがこれね」


 馬鹿な。

 確かに、自分が本物であるのならば、相手が偽者であると即座にわかる。

 しかし、なぜ?


「本物、だと?」


「ええ、そうですよ。まあ、信じなくてもいいんですけど」


 かちかち、と歯の根が合わない。嘘であってほしい。信じたくない。

 そう、信じられるはずがない。

 こいつも私と同様に、夜狐という名を騙っているだけの偽者だ。

 嘘だ、嘘だ。これもこの女の嘘。

 嘘であってくれ。


「私は私の仕事をするだけですから」


 夜狐を名乗るために、私は調べたのだ。夜狐の仕事を、その所業を。

 そして知った、なぜ夜狐が裏の世界でも特に恐れられるのか。

 素性もわからぬ上、その殺しの手段も不明だった夜狐だがその標的となった者の死体にはある共通点があった。

 その誰もが、見た者すべてが怖気を感じるような、恐怖に歪んだ顔で死んでいた。

 どんな殺され方をすれば、あのような死相を浮かべるのか。

 誰もがわからず、そしてそれを成した者に恐れを抱く。


 その名を名乗るために、私はそいつの恐ろしさをとてもよく知っていた。


 そして、その矛先が今、私へと向けられようとしていた。


「さて、地獄の中で尋問(お喋り)の続きをしましょうか」


 そして、彼女が新たに見せた幻術(光景)に。




 私は絶叫した。




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