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77.一方その頃――『堕』

 気がつくと、僕は空を見上げていた。起き上がろうとして、全身に痛みが走る。そこでようやく僕たちの身に何がおきたのか思い出す。


 スケルトンワイバーンで空からの逃走を目論んだものの、撃墜されて地面に叩きつけられたのだ。そのせいで、少しの間意識を飛ばしていたみたいだ。


「レジィ、いるかい?」


「ファルス・・・・・・」


 最愛の名を呼ぶと、すぐ近くから答える声が聞こえてきた。振り向くと、彼女は非常に辛そうな様子で木にもたれ掛かっていた。


 他の人たちに比べれば荒事は苦手だけれど、それでも『夜会』に招待されるだけあり、空に身を投げ出されても咄嗟に身体強化を発動させるくらいのことはできる。落ちたのが、王女の敷地内にある森の上であったのも幸いだった。枝に引っかかって落ちたときの衝撃が少なからず緩和されたのだ。


 それでも、全身がとても痛いんだけどね。


「大丈夫かい?」


 身体強化に関してはレジィの方が僕なんかよりも上手いから、墜落したときのことにはあまり心配していない。轟音を伴って飛んできた瓦礫が直撃すれば流石に不味かっただろうけれど、そんなことにはならず僕たちの代わりにスケルトンワイバーンが粉々になった。


 それよりも気がかりなのは、逃走の直前に起きた出来事だ。


 思いのほかしぶとい敵の青年に呪術をかけたと思えば、なぜかレジィの方が体調を崩した。呪術が失敗したのはわかったけれど、あんなことは彼女といて初めてだった。


「ごめんなさい、ファルス。あまり、よくないわ・・・・・・」


 弱々しく首を振る彼女に体を引きずりながら近寄る。さっきまでよりも顔色が悪い。


「呪を返されてしまったみたいなの」


「呪術返し、というやつかい?」


 呪術は失敗すると、術者に何倍にもなって返ってくるというリスクがある。

 しかし、レジィの呪術の腕はかなり高く、一流の呪術師でも彼女の呪を防ぐことができるのは数えるくらいだろう。さらには、呪術返しの対策もしていて、例え自分の術が失敗しても自身に与える影響を無くしたり減らすような仕掛けもいくつも用意していたはずだ。

 だから、呪術返しでここまで彼女がここまで変調を来していることが僕には信じられないことだった。


「彼は君を上回るような呪術師には見えなかったし、対呪術用の魔道具でも持ってたのかな・・・・・・」


 痛覚を薄れさせる毒を自分とレジィに流し込む。他の感覚も鈍る欠点はあるけれど、痛みが薄れれば今よりも数段動きやすくなるはずだ。

 二人とも、このままではまともに逃げることもできない。

 追いつかれる前に少しでもこの場を離れておきたい。

 それにしてもピンポイントで対策を講じた相手と遭遇するなんて運がない。


「多分、魔道具じゃないわ・・・・・・あの感覚は、加護よ」


「加護だって?」


 フェニキシア王国には精霊と共に発展してきた国で、精霊と契約して加護を受ける人間は少なくない。

 けれど、レジィの呪術に対抗できる精霊となるとかなり強い力を持ったものに限られる。

 大精霊フェニックスやその眷属の上位精霊などがそれに当たり、そのために僕たちは王族の担当から外されたのだ。


「つまり、あの彼は王族と同等の精霊の契約者だったということか」


 そういえば、彼の傍らには光の精霊がいた。あれがそうだったのだろう。あまり大した力を感じなかったから油断していた。

 けれど、僕の推測をレジィは再び否定した。


「違うわ・・・・・・」


 呆然と虚空を見上げるレジィ。呪術返しのせいで具合が悪いと思っていたけれど、どうも様子がおかしい。

 痛みや苦しみよりも、彼女の表情からはそれらを圧倒的に上回る恐怖を感じた。

 怖がっている、怯えている・・・・・・いや。


 レジィは、何かに畏れているようだった


「あれは・・・・・・精霊じゃない。精霊なんかじゃない」


「・・・・・・レジィ?」


 呪術とは、呪を用いる術。縁を利用した技だ。彼に呪をかける時に、その繋がりからレジィは何かに触れてしまったのだ。

 瘧のように震えながら、レジィは垣間見た存在を口にした。


「あれは――――神よ」




「神・・・・・・?」


 その地に住まう高位の精霊や魔獣が神として崇められていることがある。

 海の神、山の神、火の神、愛の神、学問の神。

 神と呼ばれていようとも、その正体は精霊や人語を解する知性ある獣でしかないことが殆どだ。いろんな国や地域を転々としてきた僕たちはそのことを知っている。

 そんな紛い物の神の加護は、この国の王族たちの精霊の加護と似たようなものでしかない。

 けれど、それらとは違う。本物の神と言える存在がいることも僕らは知っている。


「こっちを見て笑って「ダメだよ」って言って・・・・・・防壁も安全装置も吹き飛ばして呪を何倍にもして返してきたの」


 呪術を通じて見た光景をレジィは呆然と話す。明らかに正気ではない。

 よく見ると、手足がおかしな方向に曲がっていた。満足に受け身など取っていない。こうして生きていたことが奇跡だったことに遅れながら気づく。

 そして、墜落してできた骨折や打撲、何倍にもなって返された呪の苦痛が全身を襲っているはずなのに、レジィは顔を強ばらせ瞳孔の開いた目を泳がせるだけだ。

 痛み止めを施す前から、痛みを感じていたのか怪しい。

 受け答えができていたことに安心していたけれど、逆だったのだ。ギリギリ僕と話ができるだけで、身を苛む激痛すら感じられないほどレジィの精神は壊れかけていた。

 このままでは僕と会話が成立しなくなるかもしれない。


 最愛のレジィは発狂する寸前だった。


「すみませんすみませんすみません」


「レジィ、ごめんよ!」


 見えない何かに向かって泣きながら謝り続けるレジィに、強力な催眠作用のある毒を投与する。

 すぐに意識を失ったレジィを背負い、僕は森の中を歩き始めた。


「神だって? ふざけるなよ。十二神の、本物(・・)の神の加護持ちなんてやつがどううしているんだよ」


 大精霊の契約者なんかよりもよっぽど希少な存在が、目の前に立ちはだかるだなんて想像できるはずがない。

 一生に一度、会えないのが当たり前のような存在なんだぞ。


 ――――それをこの短期間に二人目に会うだなんて、思うわけがない。


 運がないどころか最悪だ。

 思えば、ここのところ最悪続きと言っていい。


 僕が、僕たちが何をしたって言うんだっ。


「本当に最悪だよ。君はまた、僕の邪魔をするんだね?」


「当たり前でしょ?」


 行く手を妨げるように、暗い森の向こうから姿を現した黒髪の乙女。

 忌々しくてしかたがない少女は、冷え切った目で見返してくる。


「貴方たちは、レイドとモカを傷つけた。だからとっちめてやるの」


「仲間の敵討ちかい?」


「どっちも殺せてないけど、そんなところ」


 このウルとかいう少女はどうにも一々癇にさわる物言いをする。そこがまた腹立たしい。


「貴方たちが、今までに多くの人を辱めて殺してきたのかは聞いてるけど・・・・・・私としてはそこは別にいいの」


 普通は憤るところなんだろうけどさ、と呟く。


「強者が弱者を蹂躙するなんてよくあることだし。弱者が死ぬのは仕方の無いことだよ。生き延びるだけの力がなかったって話なんだから」


 殺意を向けながらも、何もせずに話し続ける彼女に馬鹿にされている気になり腸が煮えくりかえる。

 何を余裕綽々としているんだ。

 今に見てろ。


「私が怒ってるのは、私の大事なものを、貴方たちが傷つけたからよ。理由はそれだけ」


 逃げ道を探すふりをしながら、密かに魔術を発動させる。

 僕が開発した、僕のオリジナル。


「それだけなのに。私はすごく怒ってる。自分でもびっくりするくらい」


 周りからは病毒を操る魔術だと思われているけれど、実は少しだけ違う。

 これは病毒を生み出したりする魔術ではなく、元となっているのは他者に活力を分け与える治癒術だ。

 そんなありきたりな治癒術に改変に改変を重ねて、別の術へと昇華した。

 相手に活力を与えるのではなく、相手から自分へと移すように変え。

 移す対象を、活力ではなく病気や毒へと編纂し。

 結果として、病気や毒を魔力として好きに移動させる術を生み出した。


「だから、踏みにじってやることにしたの」


 他の毒を操る魔術との相違点は、この術が分類上は『治癒術』であるということだ。

 世には魔術を防ぐ魔道具はいくつも存在するけれど、治癒術を防ぐ魔道具は少ない。治療院においてある術同士の干渉を防ぐ器具くらいだろう。

 防魔術の魔道具では治癒術を防げない。治癒術まで遮ってしまえば、傷の治療ができなくなってしまうからだ。

 だから、僕はこれまでどれだけ防御を重ねた相手であろうとも、あざ笑うようにして病魔に冒し、劇毒を当ててきた。


「貴方たちがしてきたように。今度は強者()弱者(貴方たち)を蹂躙してあげる」


 体内に保管していた病毒を掛け合わせ、数百、数千の魔毒を生成していく。

 以前はどうやって僕の術を無効化し、跳ね返してきたのかはわからないけれど、前回とは数も毒性も比べものにならない。

 触れた瞬間に腐り朽ち果てる、死の風だ。


「最上の屈辱塗れにして、最高に負かしてあげるわ」


「ほざくなぁ!」


 無駄口を叩いている内に、万に届いた病毒の軍勢。

 僕の秘奥。最強の切り札。

 万を超える病毒の魔力で相手を飲み込む必死の術。


「【パンデモニウム】」


 病魔の魔力風は進路上の土や植物を腐らせながら、あっという間にウルまで飲み込んだ。

 麗しき少女は一瞬の後にして朽ち果てるだろう。

 あの美貌で遊べなかったことに少し後悔を覚えるも・・・・・・すぐに頭が真っ白になった。


「は?」


 どれだけ経っても、相も変わらずウルはその場に形を保っていた。

 髪や肌はおろか、身につけた衣服にすら何の変化も見られない。

 術が失敗した?

 いや、ウルの手前やその背後には僕の【パンデモニウム】の威力を示すように、地面は色を失い、草木は枯れ果てていた。


 けれど、彼女だけはそのままだった。僕の術がまるで効果をなしていなかった。


「な、ぜ」


「まさか、さっきのが貴方の最強の術? この程度のが?」


 パキッ、と何かがひび割れる音が聞こえた。

 少女は僕を見下した目で、なおも平然と言い募る。


「・・・・・・私が思いつく、戦士にとって最も屈辱的な敗北っていうのはね。相手に手を抜かれた上で、全力を叩き潰されて負けること、だと思うの」


 だから。


「私は本気を出さないわ。このままの状態で、貴方の手を徹底的に叩き落としてあげる」


 声音だけは酷く楽しげな冷笑を浮かべ、さあご自由に、と言わんばかりに手を広げる。

 構えてすらいない。何を仕掛けてきてもこちらの手を悉く否定してやる、という意思だけが明確に伝わってくる。

 お前では相手にならないと、彼女は態度で物語っていた。


 急に全身に寒気が走る。それなのに汗が滝のように流れ出る。


「はあ・・・・・・はあ・・・・・・」


 ゆっくりと背負っていたレジィを地面に下ろす。それだけの動作に酷く息が乱れる。

 その間、ウルは何も仕掛けてこない。口にしたとおり、彼女は本当に手を抜いて僕の相手をしているのだ。


 懐から短剣を抜き放ち、目の前に傲然と立つ少女に向かって駆け出す。

 肉弾戦は得意ではない。

 けれど、裏の世界で生きてきたからにはそれなりの技量は持ち合わせている。


 肉体を強化して、すべてのエネルギーを剣先に込めた刺突を繰り出す。

 間違いなく今までで最高の一突きだった。

 僕にとってはこれ以上無い出来。


「はい、残念」


 それを、僕よりも一回り小柄な少女は、刃を摘まんで止めてしまった。

 大きな岩にでもぶつかったかのように、僕の一歩も動かない。全霊の込めた突進を受け止めたというのに、ウルは微塵もその場から後退することは無かった。


「・・・・・・ははっ」


 乾いた笑い声が漏れる。もう、打つ手がない。こんなやつに勝てっこない。


「もう終わり? ならここまでだね」


 摘まんでいた刃を指先で砕かれる。あっけなく最後の武器を奪われ後退する暇も無く、彼女の手が僕の首を掴んだ。


「ぐぅっ」


 あんなほっそりとした腕のどこからこんな万力のような力が出てくるのか。

 指が喉に食い込み、気道が塞がれる。

 このままでは首を握りつぶされるか、へし折られるだろう。

 死にたくない一心で暴れるが、僕を片手で軽々と持ち上げる彼女は腕に爪を立てられようが、体を蹴られようが痛痒を感じた様子もなく冷えた目を向けている。


「安心して。殺しはしないから」


 首を絞める力が少しだけ緩む。その隙に僅かに新たな空気を取り込むが、またすぐに指に力が込められた。まるで力加減を調節しているように、首を絞める力が強弱する。

 どういうつもりなのか。

 僕らのように獲物をいたぶる趣味でもあるのかと、彼女を睨み付ける。しかし、彼女の表情から怒りや敵意を感じても、加虐の色は見えない。


「戦って死ぬだなんて『名誉』は貴方たちにはあげない。死ぬなら法で裁かれて、惨めに死ねば良い」


 一瞬、彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 わかったのは、ウルが僕やレジィと同様に一般人とは常識や価値観がずれているということ。

 ようやく僕は、この少女がただの手練れの一般人ではないことに気がついた。


 普通の人間ではない。

 こちらを見据える瞳の色が、黒水晶から黄金へと変わっているのを見て、彼女の正体へと思い至る。


 竜人(ドラゴニュート)


 ああ、そうか。僕は最初から、彼女を測り間違えていたのか。


「そのまま意識が途絶えるまで、己の敗北を刻みなさい」


 自慢の術も切り札も、今まで培ってきたすべての技を否定された。

 竜人とはいえこんな小娘に手加減された上で、だ。


 笑おうにも、首を絞められて笑うことすらできない。


 この僕が、何もできないまま終わる。


 惨めだ。




 苦しみが和らぎ、世界が真っ黒に染まる。視界は消え、音は遠のき、感覚は薄れていく。


 けれど、何かが砕け散る音だけは、酷く鮮明だった。




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