32.感謝の手料理デス
見覚えのある栗色の髪の女性が、柱の近くで土気色の顔をして倒れていた。昼寝をしているわけではない、ぐったりとした彼女の元へと慌てて駆け寄る。
「あ、れ、レイド君。帰ったっすか……」
覗き込むとまだ僅かに意識があったナナさんが生気のない目で俺を見上げる。弱弱しく、普段の無駄に元気な様子は欠片もない。
「な、なにがあったんだ!? 襲撃か? アリーシャ様は無事なのか!?」
見る限り外傷は見当たらない。ならば、特殊な魔法を受けたのか?
焦りで冷や汗が頬を伝う。嫌な想像が止まらない。
そんな俺を落ち着かせるように、ナナさんが俺の服を掴む。
「安心するっす。アリーシャ様は大丈夫。だから、今は自分の身のことだけを考えるんっす」
「俺……?」
よくわからないことを言い残し、ナナさんは瞳を閉じた。命に別状はなさそうだが、詳しいことを聞き出そうと揺すっても目を覚ますことはなかった。
「一体なにが……」
「それは私が説明しましょう」
「ケイトさん?」
困惑していると、タイミングを見計らったようにケイトさんが姿を現した。いつもの不機嫌疎な無表情が、今は少し青白くなっている気がする。
「まず最初に謝罪を。これは私の浅慮が原因です。すみませんでした」
「け、ケイトさん?」
あ、あのケイトさんが俺に頭を下げるだと!?
不測の事態と非現実的な光景が連続し、俺の脳みそは処理が追い付かない。
いったい、何がどうなった。
「今、ウルさんが貴方ために料理を用意しています。貴方にお礼がしたいと言っていたので、私が勧めました」
ウルシが、料理?
それがどうしてナナさんの死につながるのか。
いや、死んではなかった。
「……まさか、私が監督していながらあんなものができるとは思いませんでしたよ」
遠い目をしたケイトさんは自嘲するように空笑う。
この人にこれだけ言わせるってどんなもの作ったんだよ、あいつ……。
さっきまでとは違う汗が全身から吹き上がる。
「毒が入ってたんですか?」
能力の制御ができるようになったと本人は言っていたが、何かの拍子につい発動してしまったとか。
だが、それくらいでケイトさんがこんな風になるとは考えにくい。
「慣れない作業と気持ちの高ぶりからか、最初の料理は銀食器が変色しました」
確か、毒物と銀が反応して色が変わるんだっけか。地球でも毒殺を警戒した貴族が使用していたと聞いたことがある。
「ウルさんは少し落ち込んでいましたが、すぐに作り直しました。すると、今度は食器の色は変化しませんでした。……が、毒探知の魔法は反応しました」
二作目はどうやら銀と反応しない毒物が入っていたようだ。
その後、ウルシは何度もやり直したらしい。
俺が毒物で死なないとはいえ、お礼に毒入り料理をだすわけにはいかないと、俺が出かけてからずっとかんばっていたそうだ。
「そして、ようやく探知魔法でも毒の入っていない品が完成しました」
短い言葉だったが、しみじみと語る姿からどれだけの苦労があったのか感じられた。
「出来上がった品をナナリーが味見すると……ああなりました」
「ちょっと待て!」
おかしい。
毒の入っていないはずの料理を食って、なんで人が倒れる。
「毒は入っていませんよ。毒も何も入っていないのに殺傷能力を秘めた料理というだけです」
「何それ!?」
「味見役のナナリーが倒れるのを見て、これではダメだとまたウルさんは料理を作り始めました」
人が倒れたんならいい加減やめろよ。
すぐにでも俺が止めに行くか? いや、俺のために作ってくれているのに、俺が止めたらすごく傷ついた顔をしそうだ。ああ見えて、結構ナイーブなやつだし。
「ん? 話からして、ナナさんは厨房で倒れたんですよね。なんでこんな玄関の近くに?」
「ああ、それは」
瞬間、物凄い力で腕が掴まれる。
ギョッとして下を向くと、死相の浮かんだ顔に瞳だけが爛々と怪しく光っていた。生者を黄泉へと引き摺り込もうとするアンデットのごとく、ナナさんは執念とか怨念とかを感じさせる力で俺を拘束した。
「当初の目標を逃がさないためですよ。是が非でも」
しまった! こいつらグルだ!!
気づいた時にはもう遅い。いくら拘束から逃れようともがいても、アンデットは俺を捕らえて離さない。
「調理の段階で私がどれだけ苦労したと思ってるんっすか。絶対に逃がさないっす!」
「ほんと、何があったの!?」
完成品だけでなく、作る段階からなにやらあったらしい。この二人をこんな状態にする厨房の光景がまるで想像できない。ウルシの奴、どんだけ酷かったんだ?
この二人の様子から、ウルシの料理を食べて無事に生きていられる自信が湧いてこない。
「ちょっ、待っ、離せってば。――――あっ、そうだ! 俺はこの後同僚との顔合わせがあるだって。だから離せ!」
「心配いりません。味見してもらって、今は客室で寝込んでいますから」
まだ見ぬ同僚はすでにやられていた。
鬼かこの人!?
「貴方の予定はすべて明日以降にずれました。今日の仕事はウルさんの料理を食すことです」
「ギャーッ!」
襟を掴まれ、拘束しているナナさんごと引き摺って厨房まで運ばれていく。
加工される前の家畜にでもなった気分だ。
「ふっ、ふふふ。もうレイド君の死は避けられないっす。厨房につく前に私の身体の感触でも楽しんで大人しくするっすよ」
「ごめんなさい、ゾンビは趣味じゃないです。あと、ナナさんもそういう対象には入ってないんで」
「にゃ、にゃにおぅっ!?」
真顔で返答すると「アンデット扱いは酷いっす! ぽいけど! ぽいけども!」とムキになってより一層力を籠めて抱き着いてくる。
おい、やめろ馬鹿。意識しちゃうだろ!
意外と胸あるんだな、と新しい発見に気を取られていると、すぐに厨房の入り口にたどり着いてしまう。
「あっ、レイド! おかえり!」
拘束から解放されて立ち上がると、厨房に立っていたウルシに見つかってしまう。二人によって逃走経路は塞がれているため、ウルシの相手を余儀なくされる。
「あのね、今日お料理してみたんだけど……食べてみてくれないかな?」
いきなりストレートで来たなぁ。最初は元気だったのに、次第に恥ずかしそうに頬を染めて、らしくないくらい自信のない声になる。
この時点でもう嫌と言えない。
「……えっと、いきなりどうしたんだ?」
「お礼、のつもりなんだけど……その、いろんな……」
悪あがきに言った言葉はさらに俺の首を絞める。というか、胸が苦しい。
罪悪感で。
二人の様子からどんな劇物が用意されているのかと戦々恐々として、彼女の気持ちから逃げようとしていた。
見た目美少女だし、籠められた気持ちも真剣なものだろうし、そんな相手の手料理を断ったりしたら多分罪悪感で死ぬ。
一方で、料理がどれだけの劇物であっても食べて死ぬことはない。俺には加護があるし、ナナさんが致死性はないと証明している。
「……うん……食べるよ」
「ほんと! すぐに持ってくるね!」
ウルシが用意に行くと、俺は二人に近くの椅子に座らせられる。移動せずにここで食べろということだろう。やばいな、まだ心の準備ができてない。
落ち着け、落ち着くんだ。KOOLになるんだ。
厨房にほのかに香るいい匂い。焦げ臭さや悪臭は感じない。料理にとって見た目、味、香りは重要なファクターだ。その一つをクリアしているのだから、最悪というわけではない、はずだ。
それに、それにだ。女の子の手料理だぞ? それだけで食す価値がある。
必死に自分に自己暗示をかけていると――――それは現れた。
「はい、どうぞ! 野菜スープだよ。ちょっと熱いから気をつけてね」
「……ナニコレ?」
「野菜スープだよ!」
そうか。野菜スープか。
この、中でよくわからない物が蠢いている紫色のネバネバは野菜のスープなのか。
え、ほんとなにこれ? ベトベ〇ンの親戚?
こんな毒々しい色のスープなんて初めて見たんだけど。具材も野菜の面影はないし、何より生け作りにされたタコのようにうねうねしている。お好み焼きの上の鰹節じゃあるまいし、なんで動いてんだよ。
何より恐ろしいのは、この見た目に反して匂いが普通のスープと変わらないということだ。
「ケイトちゃんに言われて、初めてだから一品しか作ってないんだけど、がんばったんだ!」
「そ、そうか。……このいま跳ねたのってなに? 材料はなに入れたの?」
「さっきのはニンジンだよ」
「ニンジンっ!?」
なんでニンジンが池の鯉みたいな華麗なジャンプをスープの上で披露すんだよ。それから、ずらずらとスープに使った材料を教えてくれるが、特におかしなものは入っていなかった。
本当に、普通のスープの材料しかなかった。
「……ウルって錬金術師かなんかだっけ?」
「え、違うよ?」
ケイトさんまでがあれだけ疲れた顔をしていた理由がようやくわかった。普通に作っているはずなのに、こんなモザイクがかかりそうなものばかり出来ればそりゃあ疲れもするだろう。
恐る恐る、用意された銀製のスプーンを手に取る。
口に運ぶ前に、一旦先端をスープの中に沈め、救い上げる。銀の匙はその色を変えることなく、光沢を保っていた。つまり、反応を起こすようなものは入っていない。
「ウルさんが一生懸命作ったのです。しっかりと食べるんですよ」
それはつまり、口に入れたら絶対に出すなという命令ですね?
ケイトさんに釘を刺されてそちらを見ると、隣にはドキドキと期待と不安の入り混じった表情をしたウルシが見つめているのに気づいてしまった。
「……」
意を決して、一口目を放り込む。口内にどろりとした感触が広がる。スライムでも食べたのかという触感だ。
味は……塩気が効いた味だ。少し、塩辛いかな。いや、辛い。辛いな。あ、苦みが効いてきたな、酸味が出てきて、甘みが突然主張しだし、渋味が溢れだして――――、
『うん?』
見覚えのある、オッサンの顔をした天使。
よっしーの姿を久しぶりに見た。
「ど、どう?」
「――――はっ!」
意識を取り戻すと、不安そうにしたウルシが俺の顔を覗き込んでいた。
「レイド、味の感想を言ってあげなさい」
「あ、味?」
数舜ほどトリップしていたのか記憶が混乱しているところに、ケイトさんが感想の催促をしてくる。
正直、さっき食べたはずのスープの味は……覚えていない。しいて表現するなら、思い出そうとすると頭が痛くなるような味だろうか。
だけど、まさかそんな感想を口にするわけにもいかないし、と言葉を探していると、悲しそうなウルシと目が合った。何となく、彼女が「口に合わなかったかな、不味かったのかな……?」と考えているのが分かった途端、
「お、美味しかったよ」
俺がそう口にすると、ウルシの表情が一転して明るく輝き出した。
「ほ、本当に? 食べた後黙っちゃったから美味しくなかったのかと思ってたんだけど」
「スープが熱かったんだ。悪いけど、冷たい水を貰えないか?」
「さっきまで外に出てたもんね。すぐ持ってくるよ」
そして、上機嫌に離れていく背中を見送ると、近くに立っていたケイトさんを手招きする。
「これ、本当に毒とか入ってないんですよね!? 意識飛んだんですけど!?」
「確認しましょうか?」
そう言って、ケイトさんはスープに毒探知の魔法を施す。毒があればぼんやりと光るようになるらしい。けれど、特に何も変化は起こらなかった。
信じられず、疑いの目を向けるとケイトさんはさらに追加でいくつもの解毒魔法をスープに掛ける。
「まあ、どれだけ解毒魔法を重ね掛けしたところで意味はないのですが。解毒魔法に味を調える効果はありませんから」
「つまり、壊滅的な味過ぎて気を失ったと? 正直、味なんて覚えてないんですけど、そんなに強烈ならもっと口の中に残っているのでは?」
なんとなく、凄い味がした気がするのだか、それにしては後味が全く感じられない。そんな疑問に答えてくれたのは、生気のない目をしたナナさんだ。
「それは味覚がマヒしてるだけっす。……数時間経ってるのに一向に戻らないんっすよ、私」
どうやらこれはスープの形をした味覚破壊兵器だったようだ。味覚どころかあと少しで人まで殺せそうな気がする。
なんというものを錬成してんだ。
「……ぜんぶ、たべないと、ダメ、ですよね……これ」
「当然です。頑張ってください」
目の前に用意された絶望に死刑宣告を受けた人間のような気持ちにさせられていると、そんなところに投げられ彼女の言葉は酷く俺の心を苛立たせた。
「……ケイトさんは食べてないからそんな無責任なことが言えるんですよ」
「状況から、私が食べていないとでも思っているのですか?」
つい棘のある言葉になってしまったが、彼女の切り返しに俺はすぐに何も言えなくなってしまった。
まさか。
「一つ目から脱落したナナリーに代わり、以降の味見を担当したのは私です。途中で他の方にも任せたりもしましたが、この中で一番彼女の料理を食したのは私です」
彼女曰く、ウルシは酷く味音痴なのだとか。正確には、何を食べても不味いと感じることがないそうだ。
不味いと感じるのは舌がそれを危険なものだと判断するからで、毒竜の力により危険な食べ物など存在しないウルシには、美味しくないとは感じられても不味いという感覚はないのではないか、というのがケイトさんの推測だ。
実際、ウルシは今まで腐った水や食料を食べても不味いと思ったことはないらしく、失敗した試作品も美味しくないと言いながら自分で処理していたのだとか。
「彼女も自身の味覚のことはわかっていたらしく、正常な味覚を持つ人に味見をお願いしたのです」
「最初に私にやらせようとしたのはケイちゃんっすけどね」
「今日ずっと彼女に付き添っていたのは私です。彼女の頑張りを、絶対に無駄にはさせません」
「ケイちゃんの頑張りも無駄になるっすもんね」
余計な茶々を挟む駄メイドがアイアンクローで沈められる。
ケイトさんの苦労も理解した。俺が逃げてそれを無駄にしたくないというのもあるのだろうが、やはり本音の部分ではウルシの今日一日の頑張りが報われてほしいという気持ちの方が強いのだろう。
俺がウルシの料理を褒めた時、ケイトさんの表情がいつもより優しくなっていたから間違ってはいないはずだ。
「お待たせー。あれ、なんでナナさん寝てるの?」
「いつものことでしょう」
「そだね」
ナナさんが倒れ伏していることにさして気にせずに、水の入ったグラスを俺の前に置いた。すぐにそれを口に含むが、水の味がしない。ナナさんが言っていた通り本当に味覚がマヒしているようだ。
……このまま味覚が戻らないってことないよね?
不安になりながら相対するのは、目の前に鎮座するウルシの手料理。禍々しいオーラを発し、頭の奥で失われた記憶がやめろやめろと警鐘を鳴らし続ける。
今すぐにでもこれを放り投げ、この場から逃げ出したい衝動に駆られる。けれど、それを封じ、俺をこの場に縫い止める一人の少女の視線。
男として、できるはずがなかった。
完食するしかない。
それが、自ら死に向かう行いだとしても。
「……やっぱり、いらないなら」
一向に二口目を手に付けようとしない俺を見て、漏らしかけた彼女の言葉を最後まで聞く前に、俺は皿ごと持ち上げて、一気に口の中へと流し込んだ。
「――っ」
味が何だ、見た目が何だ。
この料理と、昼に食べたミリィの料理に籠められた思いに差などない。どちらも一生懸命に作ってくれたものだ。
それから逃げ出すなんてもってのほかだ。
せめて、出された分を食べきるのが礼儀だ。
大丈夫。記憶と意識が飛ぶような強烈な味も、それを認識する舌が機能していない以上問題ではない。一気に胃の中へ流し込め。
「……ごちそうさまでした!」
なに、わかっていたことだ。
一日に二人の女の子の手料理を振る舞われるやつの末路なんて。
心残りは咄嗟についた嘘くらいだろうか。
生きていたら、正直な感想を言おう。
「……ありがと」
薄れていく意識のなかで、少女の声を最後に、世界は暗転した。




