22.お嬢様とサボり魔の一時
「あら?」
口元に運んだカップの中身はすでに空になっていた。書類から目を離さずにいたので口をつけるまで気がつかなかった。
「そういえば、さっき使いに出してたわね」
普段はカップが空のまま放置されることなどない。
ケイトが常にお代わりを注いでくれているし、いらなくなった時も彼女は察して下げてくれる。とても優秀なメイドだ。
いつもなら傍を離れる時は、代わりのメイドを置いていくはずなのだけど、執務室には私以外に人の姿はない。
変ね……ケイトなら他の子に仕事を任せてるはずよね。言い忘れたりはしないはずだし。
……ああ、他の正規のメイドはナナリーしか今はいなかったわね。
サボり癖の酷い彼女の姿を思い浮かべながら、使用人を呼ぶためのベルを鳴らす。
「は、はい! 御呼びでしょうか!」
そう間を置かずしてやって来たのはナナリーではないメイド見習いの少女だ。
呼び出されて緊張している姿が初々しくて微笑ましい。ケイトでは絶対に拝めないし見たことがない。
「ナナリーを呼んできてくれるかしら?」
「はい、ただいま!」
元気のいい返事をして部屋を出ていくのを見送る。
彼女に紅茶を淹れさせるのはあの緊張具合では酷だと思いナナリーを呼びに行かせた。きっといつものように中庭辺りで昼寝をしているはずなので、たまにはメイドとして仕事をさせるとしよう。
「新人が増えたからさらに怠けるようになっちゃったしねぇ」
ナナリーが来るまで一息入れ、だらりと背もたれに体重をかける。
目を瞑ると浮かんでくるのはさっきの見習いの少女と、同時期に買った他の奴隷たちの顔だ。
才能がありそうな人材を片端から買い取り、領地に連れていくまでに教育の一環に取りあえず使用人として働かせている。向こうについてからは適した仕事を割り振るつもりだ。
例えば、さっきの子もメイドより文官向きの才能がある。領地についたら本格的に仕込むとしよう。
「才能と言えば、一番の拾い物はやっぱり彼よねぇ」
神の恩寵である加護を宿し、現在竜人の少女のスカウトに向かっている青年レイド。
先日偉業を成した力量もさることながら、異世界人の魂を持つという稀有な存在だ。想像だけど加護にも関連がありそうな気がする。
レイドの魂と加護の考察をしているとコン、コンと間延びしたノック。やっときた。
「入って」
「失礼しまーす」
ノックと似たようなのんびりとした挨拶をして入ってくる。ケイトがいないので随分と油断した態度だ。
私は気にしないけど、ケイトがいたら激怒しただろう。
「不肖ナナリー、ただいま参上しました!」
キリリとした表情で真面目ぶっているが、寝癖のついた栗色の髪がそれを台無しにしているところが非常に彼女らしい。
「それで、何の御用でしょう?」
「紅茶を淹れてくれるかしら?」
「ん? ああ! ケイちゃんはお留守でしたね。あーいあいさー!」
真面目な態度は入室から十秒も経たずして崩れさった。
気の抜ける返事をして出ていくと、数分で戻ってくる。
なぜか自分の分のカップまで持って。
「ナナリーも飲むの?」
「はい」
こんな時だけしっかりした返事をされると主人としては困るのだけど。
けど、立場を除いた私個人の意見としては、これくらいの気安い態度のほうが嬉しい。
別にナナリーが私を侮っていないのは見てわかるし、ただ彼女も私がこういう態度の方が好きなのを知っているからだろう。
「ダメですか? のんびりお茶でもしながら報告しようと思ってたんですけど」
「いいわよ」
従者の態度としては落第点の彼女だが、仕事はできる方だ。
まあ、言ってしまえばやればできるタイプなのよね。
「ケイトが見たら叱られそうね」
「ケイちゃんはいないので大丈夫ですよ。ばれなければセーフです」
「あの子のことだから僅かな痕跡からばれそうだけど?」
「うっ、ありそうで怖い……」
談笑しながらナナリーがカップに紅茶を注ぐ。
その動作がいつも見ているケイトのものよりぎこちないのは、彼女が普段から仕事をサボっているつけだろう。
香りを楽しんだ後、カップに口をつける。
「ありがとう。良いお茶ね」
「お世辞なんてやめてくださいよ。お茶入れるのが下手なの知ってるでしょう」
「そうね、ケイトの味には敵わないわね」
「うえっ、惚気だ。砂糖吐きそう」
「でも、心の籠った良いお茶よ」
「……そうですか」
気恥ずかしそうに目を逸らした後に彼女も紅茶を口に運ぶ。そして一口飲むと「やっぱり美味しくない」と淹れた紅茶の味に眉を顰める。
「それで、報告って?」
「さっきネズミを捕まえました。時間的にはお嬢がベルを鳴らす少し前ですね」
ああ、だから最初に見習いの子が顔を出したのか。
「捕まえたらヨハンが後を引き受けてくれました」
意訳すると、「面倒なので仕事をヨハンに丸投げしました」である。
彼には苦労ばかりかける。あとで労った方がいいかもしれないわね。
でもまさか、ナナリーが仕事をしていたなんて。
「驚いたわ。私はてっきりさっきまで寝ているとばかり思っていたのに」
「あ、あははは。勤勉な私が仕事中にシエスタなんてするわけないじゃーないですかー」
なるほど、寝ているところで気づいて偶然捕まえたというわけね。
「はあ、サボるのもほどほどにね」
「サボっても許してくれるお嬢が大好きっす」
メイドの仕事に関してはケイトに一任してある。もう一つの方の仕事はしっかりこなしてくれているので私としては文句はない。
「それにしても、この時期に暗殺しようだなんてお爺様も短慮ね」
「まだなんの情報も出てないのによくわかりますね」
「今手を出してくるのなんてあの人くらいよ」
あと一か月もすれば王都では成人を迎える第二王子の誕生祭が行われる。そんな時期に他家の令嬢が暗殺されれば王の不興を買い、厳しい捜索の目を向けられてしまうことだろう。
そんな中でも、私を害そうなどと考えるのはあの老人以外いない。
「何したらそんなに恨まれるんです?」
「恨まれるようなことなんて何もしてないわ。向こうが勝手に憎んでるだけ。まず私の存在自体が気に入らないのでしょうけど、一番はこれね」
「瞳、ですか」
この二色の青い魔眼があの人にとっては何よりも目障りなのだろう。
魂を見通す力と言うよりは、魔眼自体を忌避している。
向こうが嫌っている以上、こちらから友好的な関係を築くのは不可能だ。仲良くする気などさらさらないけど。
「あの世代の魔眼嫌いはどうしようもないからね」
「あー、『王都の死神』でしたっけ? 私らの年代だと迷信の類ですからね」
本当に馬鹿馬鹿しい。過去に存在した殺人鬼と重ね合わせるなんて。それも魔眼の持ち主と言う共通点だけでだ。
「当事者たちからすれば魔眼は恐怖の象徴なのよ」
「その名残か、民衆でも魔眼は忌避する人もいますしね。同時にまったく知らない人もいる時代ですけど」
時間が経てば、人々の記憶や感情は薄れていく。それが時代の流れだ。
それが良いのか悪いのかは一概には決められないけれど、過去に捕らわれ続けているあの老人たちは私にとって害悪でしかない。
「まだしばらく王都にいるから、また懲りずにちょっかいかけてくるでしょうね。さっさとベイルラントに帰りたいわ」
貴族に身を連ねる者として、誕生祭に参加しないわけにはいかない。王族が主催なので余程の理由がなければ欠席できないのだ。
忙しいというのに、まったく面倒なことね……。
「と言うことは、私の仕事は増えるということですか……突然ぽっくり逝ってくれませんかねあのジジイ」
理由はともかく、彼女の呟きに賛成しつつ紅茶を口につけると、部屋の扉がノックされる。
音に反応してナナリーは素早く中身を飲み干すと、カップを服の中に隠し給仕中のポーズを取り出す。
その様子に苦笑しつつ私は入室を促す。
「失礼します」
「なんだぁ、レイド君っすか」
入ってきたのは最近購入した元冒険者のレイドだった。『元』冒険者というのは、犯罪奴隷になってしまったため冒険者登録が抹消されているからだ。彼には後日また資格を取り戻してもらうつもりでいる。
「ケイちゃんが帰って来たのかと思ったじゃないっすか」
「あれ、ナナさんが仕事してる!?」
ケイトが帰還したのかと怯えるナナリーと、彼女がメイドらしいことをしている(ように見える)ことに驚愕するレイド。一番の新人である彼にまでそんな風に思われているなんて……流石に私からも何か言った方がいいかもしれない。
「レイド、報告が聞きたいわ。ナナリーはヨハンの手伝いをしてきて。対応はいつも通りでいいから」
「わかりました。お任せください」
そう言って綺麗に一礼してナナリーはそそくさと部屋を出ていった。お任せくださいって、そもそも貴女が押し付けた仕事なんだけどね。
苦笑を堪えていると、扉を見据えて呆然としているレイドの姿に気づく。
「どうかしたの?」
「いえ、ナナさんのメイドらしいところを初めて見たので。言葉遣いとか挨拶ちゃんとできるんですね、あの人」
「……まあ、私の前ではね」
本当に大丈夫なのかしら、ナナリー……。
新人教育の仕事を少し割り振ってみようか。他人の目があればサボり辛いだろうし、接する機会が増えれば周りからの評価も変わってくると思う。
やればできる彼女だ。教育係にしても大丈夫、なはずだ。
さて、今は彼女の件についてはこれくらいで脇に置いておきましょう。
「それで結果は?」
「はい。上手くいきましたよ」
予想通り、レイドは彼女の説得に成功したみたいだ。
彼女の魂は負の感情が複雑に渦巻いていたが、彼に対して僅かに期待しているようでもあった。人柄からして、レイドが彼女を放って置くはずもなく、上手く口説いてくれるだろうという予想は的中したらしい。
相性も良さそうだったしね。
「あっ、でもびっくりしたことに、あいつ女だったんですよ!」
「知ってた」
「え?」
「魂を見ればわかるもの」
どうやら彼は気づいていなかったみたいだ。
だから口説いてこいと言ったんだけど。
「それで、今から私は彼女に挨拶しに行けばいいのかしら?」
「あ、はい」
レイドが仕事をこなしてくれたのだし、早めに行った方がいいわよね。
「昨日の疲れもあるでしょうし、レイドはもう休んでてもいいわよ?」
「あー、いや、あいつまだ情緒不安定なんで俺も行きます。その方がスムーズに話が進むと思いますし」
「ならお願いね」
直接話した本人が言うのだから連れていく方が無難だろう。その方が彼女も警戒心を抱かないかもしれない。
「ケイトさんがいないなんて珍しいですね」
「仕事を任せているの。ちょっとした仕事をね」
ナナリーが淹れてくれた紅茶を飲み干し、私はレイドを伴ってディーと名乗っていた竜人の少女の元へと向かった。




