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19.ディーの思惑

 部屋にいたのは黒い髪の少女だった。


「……取りあえず座ったら?」


「えっ、あ、うん」


 促されて言われるがままベッドの隣にあった椅子に座る。上半身だけ起こした彼女と目が合う。


「……」


「……」


 沈黙。

 どちらも無言のまま時間だけが過ぎていく。


 そのおかげで、混乱の極致だった俺の脳がようやっと冷静さを取り戻し、思考が現実へと追いついた。


「……あのー」


「なに?」


 不機嫌そうな少女の声に口をまた閉じたくなるが、このまま逃げたり誤魔化したりするわけにはいかない。

 俺は現実から目を逸らすことなく、意を決して核心に触れる。


「ディーさん、ですか?」


「………………………………そうだけど」


 長い間の後に続いたのは、肯定だった。


 女の子の正体はディーだった。

 入る部屋を間違えたとか、あんた誰ですかと現実逃避しそうになったが今は現実を受け入れることが重要だ。


 そう。彼女はディーだった。


 取りあえず、俺のやることは一つだ。


「大変申し訳ございませんでしたッ!」


「ちょっ、なんでいきなり土下座!?」


 すぐさまジャンピング土下座に移行し床に額をこすりつけると、仏頂面だった少女が困惑の声を上げる。


「誠に申し訳ございませんでしたッ!」


「だからやめてって! 私、色々聞かれるんだろうなぁ、って心の準備してたのに、それを吹っ飛ばして土下座から突入しないでよ! 予想の斜め下に行かないで!」


 ディーが必死に叫ぶが、俺は許しを得るまで頭を上げるつもりはない。


 俺は当初、ディーにぶん殴られるくらいの覚悟はあった。何でもありの命を懸けた真剣勝負ではあったし仕方がなかったことだが、逆鱗と言う竜人族にとって特別な場所を殴ってしまったのだから。

 それで最後にはお互いに許して笑い合って大団円とか考えていたわけですよ。


 だが、ディーは女だった。


 男同士なら金的くらわしても、まだセーフだろう。

 しかし、相手が異性だったら?


 セクハラである。


 聞いていた話から逆鱗はそういう意味合いを持つ部分などと同じなのだと推測できる。獣人には尻尾は両親や伴侶にしか触れるのを許さないという種族もいて、酔っぱらいが握って強姦罪で捕まったということもあるのだ。竜人の逆鱗もそれに当たるのだ。


 なので、必死に頭を下げる。

 状況が状況だったので訴えられるということはないが、問題はそこではない。

 これからのことを考えると心証が悪いのは非常によくない。

 セクハラ野郎に仕事を誘われて承諾する女性がいるだろうか。いや、いない。いるわけがない。


「すみません、ごめんなさい。てっきり男だと思ってたので逆鱗をぶん殴っても大丈夫だろうとか考えてました」


「あっ、逆鱗のことか。それならって男と思われてたの、私!? どっからどう見ても女の子でしょ!」


 一般人にトカゲの雌雄の判別ができるか!

 などと叫んだりはしない。言いたいけど。


 竜人にとってトカゲ呼ばわりはNGワードなのだ。

 人間がサルって言われるのとは比べ物にならないくらいに不快になる。竜人はプライドが高いせいか結構地雷多いんだよなぁ……。


「あのですね、竜化した状態だと俺にはちょっと難易度が高すぎでしてね。はい」


「ああ、そういえばこの姿で合うのは初めてだっけ?」


 そうなんだよなぁ。人型のディーって一回もあったことなかった。

 ショートカットの黒い髪。黒水晶のような瞳。肌は雪のように白い。端正な顔立ちをしていてクールな印象を受ける。


「今の姿だったらまだしも、竜化してたら見分けなんてつかないよ。それに言動だって……そういえばそんな喋り方だっけ?」


「うっ……」


 ギクリ、と体が跳ねるとディーは極まりの悪いそうに顔を逸らす。


「尊大っていうか、女の子っぽい話し方じゃあなかったよね。一人称も我だったし。声は変身した影響で声帯が変わったからだろうけど、仕草とかは粗暴だったよね。ねえ、なんで? ねえ?」


「なんでそんな乗り気なのよ!?」


「ほら、それ。今までだったら「貴様に話すようなことではないわ。調子に乗るな」とか言いそうなのにさ」


「うん? 調子に乗ってるの?」


「いえ、全然。例えですよ例え」


 あっぶね。


「はあ。竜人の知り合いがいるんなら知ってそうなんだけどなぁ……」


 意地になってまで隠すようなことではないと観念したディーが訳を教えてくれた。

 竜人は竜化すると戦意が高揚し、常時興奮状態になる。そのため中には変身の前後で性格が変わるやつも出て来るそうだ。トリガーハッピーみたいなもんかな?

 彼女の言動の変化もそれに当たるらしい。


「言動が変わる……言われてみればそうだったな」


 あの人も竜化すると普段よりも凶暴になっていたような気がする。ジョーさんの場合、人型のときからがさつで乱暴で粗暴だったので気づかなかった。平常時から闘争心むき出しにしてるような人だったしな。


「でもテンション上がったからって、一人称が『我』って」


「い、いいでしょ別に。なんか伝説の竜みたいでカッコいいじゃない!」


「中二病か」


 どうやらこの子は、年頃の少年少女が罹患する不治の病だったようだ。今は恥じらって顔を赤くしているところを見ると、自分でもアレな自覚があるみたいだけど。


「ちゅーに?」


「こっちの話」


 こちらには当然ながら中二病と言う言葉はない。そういうのは身の程知らずな言動をしている痛いやつくらいの認識だ。


「じゃあ、この話は終わりね。えーっと、なんの話してたっけ……そうそう、あの時はキレちゃったけど逆鱗の件は私から怒る理由がないから謝らなくていいよ、って言いたかったの」


 俺の土下座姿を見て言いたかった内容を思い出したディーは、本当にもう気にしていないのか俺を許すと言ってくれた。


「いいのか?」


「だって、あれは勝負の最中のできごとだもん。生き残るために最善を尽くすのは当然でしょ?」


 あー、可愛くなってもやっぱり中身はディーなんだな、こいつ。

 竜人にとっては重要なことだろうに、戦闘中のことだからと流してしまえる当たりよっぽどだ。


「ありがとな」


「いいのよ。だってあれ逆切れだもの」


 ……なるほど、自分が悪いという認識を持ちながら、それでも謝ってこないところ見ると、逆鱗のことを完全に水に流してくれたわけではないのだろう。

 やはり逆鱗に触れるのは竜人にとって特別な意味があるということか。もうしばらく、気にかけておこう。


「それで、用件は土下座だけ?」


「いいや、お前に聞くことがあるんだ。お前が眠っている間に色々とあったからな」


 こいつが気絶してからも、色々とやり取りがあったのだ。


 昨夜の試合は俺の勝利に終わった。

 試合後にお嬢様と合流した俺は、とある人物とも顔を合わせることとなった。

 賭けの相手にしてディーの雇い主であるゴーシュという貴族だ。


 結婚を迫ってきたと聞いていたので、もっと強欲そうな脂っこいオッサンを想像していたのだが、負けたというのに俺に賛辞を送ってくるようなナイスミドルだった。

 なかなかできた人ようだと俺は思うのだが、ケイトさん曰く中身は変態らしい。ロリコンという意味だろうか。でも、貴族なら年の差婚とか十代で結婚なんて珍しくないと思うんだけどなぁ。


 それはさておき。

 賭けに勝利したアリーシャ様はさっそく手に入れて命令権を行使した。もっと大事に取っておくのかと思ったら速攻だった。

 なんでも、いつでも勝てるのでこんな命令権は惜しくないらしい。ゴーシュさんって賭け事に弱いのにのめり込むタイプなのだろうか。


 そうしてアリーシャ様が出した命令は、ディーの身柄をすぐにこちらに渡すことだった。


 これにゴーシュ様は二つ返事に了承し、簡単にディーの身柄を譲ってくれた。試合中にディーから少し事情は聞いていたが、本当にあっけなかった。


「事情はあらかた聞いてるわよ。結構ひどい状態みたいね、私」


「ああ……」


 屋敷に連れ帰る馬車の中でも治療が必要なほど、昨晩の彼女の状態は危険だった。

 彼女が服用した神龍の秘薬という魔法薬は、竜人を強制的に完全な竜へと変身させる効果を持つが、その強大な力に見合うだけの負担が体に掛かる代物だったようだ。

 今回はさらに悪いことに、俺が制御を乱したことで魔力回路の至る所に傷がつき、能力が暴走して自らを傷つけることになってしまったのだ。


 毒は竜燐や皮膚を溶かし、体中を侵食した。

 彼女の身体は内外共にボロボロで、今こうして平然としていられるのは偏にケイトさんの卓越した治癒術のおかげだ。

 普通なら、あともう何日も目が覚めることはなかっただろう。


「しばらく竜化は禁止だってさ。数日は安静にしているように言われちゃったし。そんなに寝てなくても、明日くらいにはいつもと同じように動けそうなのに」


「明日には動けるのかよ」


 数時間前まで死にかけていたというのに、いったいどんな体の構造してんだ。

 やっぱりこの種族は色々とチート過ぎる。


「でも、逆に言えば今日はベッドから動けないってことだよな?」


「そうだよ。さすがにしんどいもん」


 不満そうに肯定するディーはなんだか子供っぽく見えた。

 ともかく、暴れる心配がないのはこちらにとって都合がいい。

 お互いに落ち着いて会話ができる。


「あーあ、早くまた昨日みたいな戦いがしたいなぁ」




「それで、今度こそ死んで見せる、ってか?」


 辺りから一切の音が消え去る。

 しかし、その静寂を静謐と呼ぶには彼女の放つ殺気が荒々しすぎた。


「へえ……やっぱり、私がまだ生きてたのってそういうこと?」


「ああ、咄嗟に手を抜いたんだよ」


 最後の一撃。

 振り下ろした鉄塊が彼女の頭部に当たる直前にのぞいた表情は、安堵だった。

 それは全身全霊を出し切り、戦いに満足した武人が決して浮かべることのない昏い笑みを見た俺は寸前でブレーキをかけてしまった。


 その結果、頭にこそ当たりはしたものの威力は落ち、意識を刈り取るだけに終わった。それでも生死の境を彷徨う危険な状態には変わりなかったが、様々な条件が重なり、彼女は生き延びた。


 彼女の望みとは裏腹に。


「いつから気づいてたの?」


「どこかにずっと引っかかりはあったけど、確信したのは試合後だよ。だから、最後のあれは本当に咄嗟だった」


 きっかけはあの表情だった。

 それから、ディーとのやり取りを思い返しているうちに思い至ったのだ。


「お前はさ、強い奴と戦いたいとは言っていたけど、あまり勝ちには拘ってなかった。それよりもずっと、全力の末に果てたいと言い続けていた」


 それが願望であり悲願だと。

 彼女を死にたがりだと思っていたが、実際に彼女は死を望んでいた。


「俺は、お前の自殺の手伝いなんてごめんだ」


「だから手を抜いたの?」


 そのまま一思いに殺してくれればよかったのに、と残念そうに嘆息して窓のほうを見やる。


「あーあ、ようやく死ねると思ったのに。……それも、最高の死に方でさ」


 諦観混じりの彼女の呟きは、どこか拗ねているようにも聞こえた。



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