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15.観戦者達

 これは想定外だ。


 自分だけでなく、会場中の誰もが驚きを隠せないのかどよめきが大きくなる。

 試合場に突如としてドラゴンが現れたのだから、その反応も当然だ。

 しかし、隣の二人にはまったく動揺が見られないので自分だけ取り乱すわけにはいかない。


 対戦相手のディー選手がドラゴンに変身して、場内は一時混乱に見舞われたが、試合が再開すると、次第に恐怖や困惑から興奮や熱気へと変わっていった。


 人対竜。


 両者の戦いをこれほど間近に観戦できる機会など一生に一度もないだろう。そんなものが目の前で行われているのだ。

 闘技場に好んでやってくる連中が熱狂しないわけがない。


 赤紫の巨大なドラゴンの腕が試合場の地面を抉る。大量の土が舞い上がり、大きな穴が生まれるが竜の爪は獲物を捕らえることはできなかった。


 眼下では小さな影がちょこまかと巨竜の攻撃を掻い潜り続けていた。今も、後方のクレーターに息を呑みながらも、足を止めないで紙一重に躱して見せる。


 ライトブラウンの髪が数本宙に舞う。荒くれ者の多い冒険者だったというには、人の良さそうな人相の青年は涙目になりながら悲鳴を上げている。


 傍目からは酷く情けなく見えるが、ドラゴンを相手に今も生きのびているだけでも十分に称賛に値することなのだ。生き残ることに関しては一級品、と彼女が評しただけはある。

 しかも、逃げ続けながらも敵の観察をやめてはいない。

 まだ勝つ気でいる証拠だ。


 生きて帰るには勝つしかないのだが、大抵の者なら竜の前に立てば生存を諦めてしまうだろう。


 生への執着。逆境での胆力。あの役に実に相応しい。


 ここで彼を失うのは惜しい。

 確実に彼を生還させる方法を握る彼女の様子を窺うが、楽しそうに試合を眺めるだけでレイドを棄権させるつもりはないようだ。


「見苦しい」


 眉間にしわを寄せ、苦々しそうに吐き捨てるケイト。

 基本的に男性に辛辣な彼女だが、レイドに対してはことさら厳しい態度を見せる。


 初めて顔を合わせた時に、アリーシャ様を口説いていたのが未だに気に入らないらしい。あれは無意識に口走っただけだと思うのだが、彼女はアリーシャ様に近づこうとする悪い虫は徹底排除する姿勢だ。


 おかげで、レイドはすっかりケイトを苦手に感じている。配下の者のほとんどはそうなのだが。


 アリーシャ様が飴で、ケイトが鞭。


 その役割を彼女は進んで買って出ている。

 全ては彼女の敬愛する主のため。

 主に向く負の感情を少しでも減らすために、そして少しでも主が慕われるための行動だ。


 ……きつい性格なのは素のようだけど。


「このような相手にいつまで手を拱いているつもりなのでしょう。あんな風に逃げ続けて情けない」


 この言葉をレイドが聞いたら文句を言ってきそうだ。

 僕からすれば、思ったよりも彼を買っているのだな、と感心するのだが。


「ケイトも勝てると思ってるのね?」


 さすが付き合いの長い主従だけあって、彼女の本音を捉えている。

 アリーシャ様も敵がドラゴンになってもレイドの勝利を欠片も疑っていない。会って間もないのにこれだけの信頼を寄せられて当人は少々胃を辛そうにしていたけど。


「あんな不完全(・・・)なドラゴンに負けることはないかと。あれに気づければ彼の能力でも実行できるでしょうし」


 本人がいないためか口が軽い。レイドを褒めるケイトの姿が面白いのか、アリーシャ様はからかうように言う。


「ふーん? ケイトもレイドのことを応援してるのね。仲が良さそうで嬉しいわ」


「……お戯れを」


 無表情のままだが、一瞬だけ顔が引きつったのを僕は見逃さなかった。

 こんな風に彼女で遊べるのはアリーシャ様だけだ。

 このまま放置すると機嫌が悪化して矛先がこっちに向かう可能性がある。意外とアリーシャ様にいじられて喜ぶことも考えられるが、不確定要素は排除したい。


「ところで、アリーシャ様はどうしてそこまで彼に信頼を?」


「知りたい?」


 まだあどけなさの残る顔が妖艶に微笑む。背筋がぞくりと震えるが、取り乱したりはせずに頷く。

 こちらを見透かす瞳は僕の根端を見抜いているだろうが、それでも話に乗って来てくれたことに安堵する。


「彼の実力を信頼してるというよりは、相手との相性の良さね。彼の持つ加護の性質上、肉弾戦なら分がある。完全竜化は私も予想外だったけど、向こうの竜人があれなら大丈夫ね」


「あれ?」


「魂が惰弱なのよ」


 アリーシャ様のいう、魂の強さは彼女のような特別な眼を持たない僕にはわからない。精神的な強さとはまた別らしいが、こればかりは感覚的なものなので未だにピンとこない。


「まあ、武芸に関しては力押しの面が強くて、技術が拙いのはわかりますけど」


 技巧はレイドの方が上なのは、試合の前半で証明されている。

 正直、あのまま戦っていれば順当にレイドが勝っていただろう。


「結果を見ればわかるわよ。負けることはありえないから」


「アッハッハッハ、言ってくれるじゃないか!」


 聞き覚えのある声が聞こえると同時に、一瞬だけケイトの表情が盛大に歪み、すぐにいつもの外用の微笑を浮かべる。

 彼はケイトの中で上位の嫌われ者だからだ。それでも愛想を崩さないのは主のために他ならない。どれだけ嫌っていても、相手の立場は変わらないからね。


「御機嫌よう、ゴーシュ様。敵方のところまでやってくるなんて、随分と自信があるようですね」


「それは君も同じだろう、アリーシャ嬢」


 現れたのは礼服に身を包んだ壮年の男。今回の賭けの相手であるゴーシュ殿だ。

 アリーシャ様は模範的な挨拶をしてみせ、二人は貴族らしい上辺だけの会話を続ける。嫌味を交えつつ、楽しそうに舌戦を興じながらも、二人の視線は試合に向けられていた。


「ところで、賭けの約束だけどね」


 先に本題に触れたのはゴーシュ殿だった。


「ああ、命令はまだ考えてるところなの」


「私の妻になってもらいたい」


『……』


 初めて二人が目を合わせる。

 どちらも賭けに負けると考えていないみたいだ。


「まさか、まだ彼が勝つと思っているのかな?」


「まさか、あれで彼に勝てると思っているのかしら?」


 ゴーシュ殿が張り付けていた貴族らしい笑みを消す。


「現状が見えていないとは君らしくないね。君の連れてきた奴隷は逃げ惑うだけで、ディーに反撃の一つもできていないじゃないか。対策として魔道具を揃えてきたみたいだが、竜と戦うことまでは想定していなかったのだろう。人は竜には勝てないのだよ。……普通はね」


 最後にちらりとこちらを見やりながら小声で付け足す。

 彼の言っていることは間違っていない。

 竜と言う規格外の存在を打倒できる人間などごく僅かだ。

 レイドも本物の竜を下せるほどの実力を備えていない


「そう動揺して言われましても、ねぇ」


 しかし、我が主は鼻で笑う。節穴なのは貴方の方ですよと言わんばかりに。


「あの竜人が完全竜化をすると想定していなかったのはゴーシュ殿も同じなのではありませんか?」


「なんのことかな?」


「本物の竜はあの程度ではないということです。魔法薬の力を借りて、一時的に力を増大させ、外側だけを取り繕っているだけなのですよ、あれは」


 惚けるがアリーシャ様には無意味なことかと早々に諦めて肩を落とす。いくら感情を隠そうとしても、彼女の瞳から逃れることができないのは彼もよく承知している。


「ゴーシュ様は本物の竜を見たことがないご様子ですね。あれは実物とは程遠い張りぼてですよ。事前に聞いていたのならそれくらい知っていたはずです」


「……やはり、君の眼には敵わないな」


 苦笑いを浮かべ、両者の試合を睥睨する。


「奥の手として隠していたみたいでね。あと、言い訳させてもらうと、今時邪竜も現れませんし、実物を見たことがある者の方が珍しい……。しかし、不完全とはいえ十分脅威だ。彼()規格外の一人なのかな?」


 こっちを見るのはやめてほしい。

 ケイトに比べれば、自分はまだまだ常識の範囲内なのだから。


「ある意味では」


「はああああああぁ、戦況は勝っているというのに全く安心できない」


 試合場では、レイドが相手に追いかけまわされているところだ。魔道具で強化して走る姿を見て、僕は満足気に頷く。身体強化のトレーニングに付き合って身としては、彼が魔道具を使いこなせているのは実に嬉しい。


 猫と鼠の追いかけっこのような試合が展開されているが、ゴーシュ殿の表情は苦い。

 なにせ、アリーシャ様との勝負で苦汁を舐め続けてきたのだから、彼女の余裕を崩せないのは不安だろう。


「まあ、それが面白いのだがね」


 ゴーシュ・フォン・ラートブルフ。貴族の界隈では生粋の勝負師として有名だ。

 ただのギャンブル中毒者だと口さがない主従は言うが、それは貴女たちが彼に負け知らずだからだと言いたい。


「懲りませんよねぇ。もう一度没落させてあげましょうか?」


「戻ってくるのが面倒なので勘弁してほしいですな。アッハッハッハ」


 数年前、とある伯爵家の若当主がその日が初めての社交界だった令嬢に求婚した。その伯爵は色々と有名な人物であったため、いきなりパーティーで少女は注目を集めることとなる。

 普通なら取り乱してもおかしくない状況。しかし、その少女は凛とした態度のまま、逆に周囲を驚かせた。


『私にカードで勝てたらよろしいですよ。――――賭け事はお得意なのでしょう?』


 伯爵が得意である賭博で勝負を申し出たのだ。そして、当時負けなしと知られていた伯爵に、大差をつけて可憐な少女は勝利した。

 彼女にまつわる有名な逸話だ。


 専門であるカードで完膚なきまでに敗北した伯爵は、彼女に対し個人で膨大な借金を負い、家の存続のため当主の座を弟に譲渡した。そして、王国でも指折りの魔術師でもあった伯爵は貴族界から姿を消したのであった。


 しかし、その伯爵は賭け事で身を落としたというのに賭博で財を築き、書き上げた魔術論文が評価され一年ほどで新たな貴族家として復活を果たす。それが目の前の人物である。


 与太話の類だと言われることもあるが、紛れもない実話だ。

 それ以降、某伯爵はその令嬢にさらに執着し幾度も勝負を挑み続けている。二人の勝負は人気があり、今日の客席の埋まり具合を見ればどれほどのものかがよくわかる。


「おや? ディーが仕掛けましたね」


 捕らえきれない追いかけっこに痺れを切らしたのか、ディー選手は大きく息を吸い込むと紫煙のブレスを放つ。

 レイドはブレスの余波を浴びて転がりながらもすぐに態勢を立て直す。追撃を警戒していたが、毒霧を吐き続けるディー選手を見て困惑を浮かべる。

 魔道具によって毒が無効化されているのは相手も気づいているはずだ。ブレスも毒性ではなく、物理的面からの攻撃だと考えていたのに、ブレスは続けたままだが追撃を仕掛けてこない。

 

 だが、会場を漂う紫色の霧が濃くなるにつれ相手の狙いに気づく。

 毒で侵すことはできずとも、視界を奪うことはできる。

 結界があるため、観客席まで届きはしないが大胆な策に出たものだ。

 フィールドは毒霧に包まれ、一面が紫色に染まる。巨体であるディー選手の姿は見えるが、レイドの姿はすっぽりと隠されてしまった。中にいるレイドもこれでは何も見えてはいないだろう。


「そういえば、一つ聞いておきたいことがありますの」


 レイドが窮地に陥っているにも関わらず、彼女の声に焦りの色はない。


「この間ちょっかいを掛けてきたのは、ゴーシュ様ではありませんよね?」


「ディーから聞いてはいる。違うよ。私はイカサマもテクニックの一つだと考えてはいるが、勝負の前に手を出すのは私の流儀ではない」


「知っていますよ。一パーセント以下の可能性をゼロにするただの確認作業です。ご不快になられまして?」


「ああ、とても。お詫びに借金をいくらか減らしてほしいものだよ」


「それとこれとは話が別ですよ」


 赤紫の竜はゆっくりと腕を持ち上げ、霧中の一点へとその巨腕を振り払った。

 直後、試合場の壁から盛大な雷のような破砕音が鳴り響いた。


「え?」


 声を漏らしたのはゴーシュ殿だ。

 滞留していた毒霧が急速に晴れていく。ディー選手の能力によるものだろう。

 半ば壁に埋った姿のレイドが現れ、彼とアリーシャ様との間で視線を行き来させる。

 アリーシャ様が余裕の表情で語っていただけに、簡単に勝負が終わったことに拍子抜け以前に困惑が大きいのだろう。


「無様な姿を晒して……あとで……」


 ケイトが小さな声で呪詛のようなものを呟いていたが、これは聞かなかったことにする。心の安寧のためだ。


「これは……私の勝ちですか?」


 竜の一撃を食らって、試合を続行できるものなどいない。防御力を高める魔道具もあるが、レイドは身に着けておらず、防具も動きやすさを重視した革製のものだ。

 誰もが、試合の終了を疑わなかった。


「彼って面白いのよ。ブルーオーガとの試合のことは知っていますか?」


「あ、ああ、この目で見ていたよ。殴り合っていたね、彼」


「皆さん、なにか魔道具を使っていたと思っているようですけど、違うんですよ。あの試合では、魔道具なんて一つも持ち込んでないの」


「………………冗談でしょう?」


 魔術も魔道具もなしにブルーオーガの拳を受ければ、一瞬で人は肉塊へと変わる。

 ゴーシュ殿が呆気に取られるのも仕方がない。

 信じられないかもしれないが、信じるしかないだろう。


 壁が崩れ、レイドが地面にうつ伏せに倒れ込む。

 倒れている彼は、ブルーオーガを上回る攻撃を受けながら、五体満足の状態で人の形を保っていた。

 これが加護の恩恵か。


「面白い位に丈夫なの。竜に殴られても、平気で立ち上がるくらいに」


 主の言葉に応えるかのように、青年はむくりと体を起こした。



 アリーシャ様により買い取られた犯罪奴隷。

 彼が嵌められた枷を外せるかは、この試合に掛かっている。


 彼も共にある未来を願いながら、心の中でエールを送った。


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