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下書き  作者: 矢久 勝基
第一節 運命の出会い
7/18

その7

 生きたい。

 初めてこの男は戦いの中で、人生を"生きたい"と思ってしまった。

「よし……」

 彼は速度の衰えない八本足のトカゲの体当たりを、風に押させて倒れこむように避けると岩の陰で二人折り重なるような形になったまま、囁くようにいった。

「逃げちゃおう」

 今の状況、生き残るにはそれしかない。

「逃げられるのかや!?」

 三つ巴の戦いとなってる今、狭い敷地でメルビルは弾かれたパチンコ玉のように縦横に転げまわっている。とても逃げられるような状況とは思えない。

「逃げる!」

 メルビルは吼えた。岩場に一際強い風が巻き起こる。その風に乗って地上から数メートルも巻き上げられた身体が、刹那の差で死神の大鎌の刃をすりぬける。が、別の角度からは反転し頭をもたげたバジリスクが、まるで深海から浮上してきたシャチのごとく口を開けて飛びついてくる姿が見えた。

「やばい!」

 野生の狩りの勘なのか、逃げる場所はそこしかなかったとはいえ、爬虫類の知能でその場を押さえられてしまうとは思わず、対応が後手に回る。彼らの上昇スピードより向こうのジャンプのほうがはるかに速い。

「雷神アンティァーナ!!眷属をよこせぇぇ!!」

 人形のようになっていたメィファの声が、トカゲが到達するよりも一瞬早く弾けたが間に合わない。口を開けたバジリスクと空中を上昇する二人の間に現れた雷神の子もろとも、巨大な牙が二人を捉えた。

「ああ!!!」

 悲鳴はメルビルではない。十メートルほど直下、地上に残る男たちの間で起こった。彼らが呆然と見上げている前で、弧を描いて落ちてくるバジリスクが得意げに二人をくわえている。

 だがさらに次の瞬間、モンスターは驚愕の表情を浮かべて二人を吐き出した。アンティァーナの眷属「フィクシー」が多量の電気を伴って腹の中で暴れたのである。バジリスクもこれはたまらず、着地にまで失敗して頭から地上に雪崩れれ落ちた。体重が重いだけにそのダメージは大きく、土煙を立てて腹ばいになった後、そのまま動かなくなった。

 吐き出されたほうもただではすまない。メルビルは地面に叩きつけられる時、必死の受身を取って転がったが、それは自分を守るためというより、彼女をかばうための受身であり、彼も頭の直撃は免れたものの全身を強く打っていた。

「メルビルーーー!!」

 メィファは無傷だった。バジリスクに噛み付かれれたところから落ちる瞬間まで終始、メルビルの行動は彼女のことしか考えておらず、おかげで彼女はすぐに顔を上げることができる。

「メルビル!! メルビル!!!」

 彼の背中に接着されたままの彼女の右手を避けるようにオオトカゲの歯形がついており、そこからはおびただしい量の出血がある。

「いやだぁ!! メルビルーー!!」

 彼女は背後に死神がいることなど忘れてしまったかのように彼の名前を呼び続けた。

「メルビルーー!!」

~~ 一緒にいてくれるっていったのに…… ~~

「え……?」

 自分の声に混ざって、何かの声がした気がしてメィファはふと我に返る。きょろきょろと辺りを見回せば、背中に、大鎌を振り上げた死神がいる。

 メィファはそれを他人事のように見ていた。その死は目前にあるのに、遠いことのように思える。だってわたしは……。


「うらぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 その死神の背中に覆いかぶさるように落ちてきた男がいる。高所に回りこんで岩場から飛び降りてきたスレッドだ。

 両腕には米俵のような大石が抱えられており、かなりの勢いを持ってそれを振り下ろした。

 ブム……というくぐもった音、精霊相手なのでどの程度の痛みを被ったかはわからないが、人間に同じことをしたらまず死ぬだろう。それだけの打撃がこの男にノーマークだった死神の背中を直撃した。メィファが叫ぶ。

「わっ! 人間!!」

「名前覚えろ!!」

「どうしてここに?」

「お前ら見てたら自分がいやになって……おわぁ!!」

 鎌がスレッドの眉間をかすめる。一瞬でもしゃべる時間を与えられたのだから、先ほどの一撃はやはり効いたのだろうが、それだけでは死の使いをとめることはできそうにない。体勢が整えばまた何もなかったかのように振り上がる死神の鎌。標的はスレッドには目もくれずメィファだ。

「なにやってんだよ! 逃げろ!!」

「逃げられんのじゃ!!」

 彼女の手は彼の背中とくっついてしまっている。そして後先を考えていないこの娘は、恐ろしいことにそれをどうはずすかを知らないでおこなった。

 振り下ろされる人殺しの刃。彼女はまた硬く目をつむり悲鳴を上げていたが、その一撃もまた、空振りに終わる。

「ピータンのわりによくやったぜ」

 見れば、岩陰から姿を現したのは白い長髪を一つに結んだエルフの青年であった。もっとも、しゃべったのはその肩に乗っていたレプラコンだが。

 彼は、スレッドがいらない男気にかられて飛び出した瞬間、ミカエルの方に飛び移っていた。その後ミカエルもそろそろと前進してしまったのでついてこざるをえなかったが、来てみればバジリスクはノビているし、人間は命知らずの突撃で商品を守ったし、状況はそんなに悪くないことに気をよくしている。今の攻撃が空を斬って岩場に突き刺さったのも、彼が能力で二人を一メートルだけずらした仕業であった。

「メィファさん。デビルカースだけならあなたの力で何とかなるかもしれない」

 ミカエルもそれがわかっているから物陰から姿を見せた。

「ニカエル……」

「ミカエルです」

 ミカエルは遠目ではあっても戦いをつぶさに見ていた。

 デビルカースはバジリスクという超生命体がいる中でも二人にターゲットを絞ってその鎌を振るっていた。いや、二人ではなく彼が狙ったのはこの娘だろう。それは精霊学的な勘定で言えば、バジリスクという超生命体をしのぐ生命力を内包していることになる。理解に苦しむ。

 が、とにかくそうであると仮定すれば、彼女のその、バケモノよりも旺盛な生命力は、昨日のバリアのような消極的なものではなく、積極的な攻撃兵器として死神への対抗手段となるのではないだろうか。

 それは以前述べたように"死"に対する"生"のエネルギーであり、死の精霊に対する唯一の対抗手段でもある。

 もちろん、普通の人型ヒューマノイドがそんなことを行っても強大なデビルカースの精霊力を凌駕することはできない。が、この娘なら……と思わせる説得力を、彼女はこの学者肌の青年に見せてきた。

 解明できていない精霊力をそのように利用するのは暴走の可能性もあり危険なのだが、この状況、皆が助かるためにはそれに賭けるしかない。

「レプラコン、今ので彼女をここまで移動させることはできるか」

「できるぜ」

「頼む」

 めり込んだ刃を力任せに抜き、無機質な殺気を振りまく死の使い。その虚無に感情の起伏はなく、再び動き出せばひたすらに生命を飲み込み進んでくる。それはさながら黒い雪崩のようにも見え、彼自身の大きさをはるかに上回る威圧感で迫ってきた。

 しかしその間に、マムールはメィファたちを手繰り寄せるように一メートルずつ移動させ、ミカエルは特殊な精霊術の印を結んでいた。デビルカースとの距離は六メートル。傾斜のある岩場の下から、降りてくる闇を見上げるかたちとなっている。

ミカエルは目の前まで移動してきたメィファに声をかけた。

「行きますよ」

「まてぇ! 何をする気じゃぁぁ!!」

 彼女は気を失ったメルビルに敷かれて倒れたままだが、この際ミカエルの術に影響はない。

「失礼しますね」

「説明してからやれぇぇ!!!」

 そんな時間はない。彼我の距離三メートル。ミカエルは彼女の腹に手を置く。その時には死神の大鎌は彼女の首を切断できる距離にいた。

 振り上がる刃。ミカエルはありったけの力を、じたばたともがいている彼女に注ぎ込んだ。

「八百万を統べる精霊の鼓動を持って開放する力をさん!!」

 まるでその言葉とミカエルの手が電気ショックであったかのようにメィファの身体が一度びくんとはねる。その身体からまばゆい光が発せられ、闇の岩場で花火のようにはじけるのと同時にミカエルはそれをかき集めるような手のそぶりをし、堕ちた死の精霊に両手を向けた。

 瞬間、冷たい岩壁に共鳴するような鋭い音がした。光の金切り音……また、奇怪な現象だった。

「うわぁぁぁ!!」

 一連の動作を行っていたミカエル自身の身体が一瞬、ひしゃげたようになる。圧倒的な生命の力に、逆に自分の生命が押し潰されそうになったのだ。

 悲鳴と共に光がその手を介して放射線状に伸びる。まばゆいのに目を開けられないということのない不思議な光……死神をスポットライトのように照らしてはるか向こうまで突き抜けたその光は、まるでそれに圧力が発生していたかのように一瞬で死神を圧し潰して消え去った。

「……」

 当のミカエルが一番唖然である。


 メィファは途切れた意識の中で、ふわりと浮かぶような感覚を覚え、距離感もわからない空間で複数の声を聞いた気がした。

「貴様!! 裏切るというのか!?」

「裏切るんじゃない。もともと俺はこいつを愛している」

「わらわの逆鱗に触れることがどういうことか、わかっていっておるのか」

「ああ。覚悟している」

「貴様だけではない。その呪いは末代まで解けることはないぞ」

「やめてください!!」

 また別の声が飛び込んできて、そこに新たな空気が生まれる。

「……貴様か……」

「わたしとこの人を一緒にしたくないのならわたしを殺せばいい! 呪いなんてやめて下さい!」

「小憎たらしい……」

 女の無念が、夢の外にいるメィファに深く伝わってくる。歯軋りすら聞こえてきそうな苦しみの中で、その女は静かに言葉を告いでいく。

「貴様を殺したところで、この男の心はわらわには戻らない……」

「じゃあ!! せめてわたしに!! わたしに禁呪を!」

 そして、こちらの必死さも身を切るようであった。

「やめろ」

 男の声は落ち着いていた。

「その呪い、甘んじて受けよう。だがもし彼女に手をかけたら、その時はどんな手を使っても殺す」

「殺す…………か……」

 …………

 ……

 ……その時の声の主の悲しみが突き刺さったのを最後に、声は途切れた。


 メィファの内側に起きた変化はそれだけだった。しかし、外側ではさまざまなことが起きている。

 メィファから発せられた光は生命の息吹ともいえるもので、いってみれば身体を循環して傷を癒す血液の成分がこの岩場一体に広がったようなものであった。

 ミカエルははじめ、彼女の生命力が荒い利用にも耐えうると仮定して、デビルカースを倒すことはできなくても撃退できる程度の威力にはなるものだと思っていた。

 だが実際は、彼女の生命力は死神を跡形もなく消し去った。デビルカースは堕ちた死神といいつつ神ではなく、あくまで精霊であるから、それは必ずしも不可能とはいわない。が、彼の驚きを大げさに言えば、水鉄砲を撃ってみたら島が一つ沈んでしまったくらいの衝撃に相当する。

 メィファは気を失っている。見渡せば一転静寂の訪れた岩場はすっかり闇に包まれていて、徐々に目が慣れていたとはいえよく見えていたなと思う。

 改めて光の精霊を呼んだミカエルは、メィファを気遣おうとして驚いた。彼女の手のひらが"命知らず"の服の背中と一体化しており、半分男の下敷きになっている彼女は引きずり出そうにも容易ではないのだ。

 そしてこの学者肌の青年はそれが彼女の無茶によってなされたものであると判断できる痕跡を見つけて呆れてしまった。

「何をやってるんだか……」

 幸いなことに彼はそれを解除するための術を知っている。ミカエルは攻撃的な術よりもそういう、精霊によって人をサポートする術のほうが得意であった。

「生命に作用する精霊の脈動を持って正しき配列を思い出せ」

 そして彼女を引き出す。その手は焼けただれていて痛々しく、顔も身体もところどころが火傷で煤けていて、髪の毛は無残に分断されている。

 たった数時間で彼女がこんなにぼろぼろになってしまったのはこの隣の"命知らず"が原因である。ミカエルにはそのことがなんとなく腹立たしい。

 苛立ちがなぜあるのかがわからないまま、彼女を抱え上げた。

「生きてるのかぃ?」

 後ろで声がした。今回、要所要所で自分たちの力になったレプラコンの小男である。エルフはレプラコンを毛嫌いしているが、レプラコンであるというだけで判断することは改めなければならないかもしれない。

 この男は、その妖精に対して、初めて敬語を用いた。

「はい、気を失っているだけです」

 そしてこの男も……と、メルビルを見て言った。

 バジリスクの石器のような牙に貫かれたはずの傷口から、出血が完全に止まっている。見立て、呼吸も整っていて、こちらも気を失っているだけだろう。彼女の生命の息吹で回復したとしか考えられないが、そんなことも普通はありえない。

(この娘は一体……)

……しかし、それを考える間は、ミカエルにはなかった。薄れていく意識の中で、エルフ特有の長い耳に、小男のこんな声が入ってきた気がする。

「でかしたぜ。じゃ、おやすみな」


……数分後、その岩場には二人のエルフの男が折り重なるようにして眠っていた。

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