その5
メィファはその後、メルビルがしっかり見えなくなるまで見送った。
その間、彼女に話しかける者はいない。特にレプラコンの男などはまるで呼吸すらしていないかのように静かだ。
もちろん、表向きは……である。必要以上のおしゃべりを自分から投げる男ではない。しかし、頭は独楽鼠のように絶えず回っている。
数歩先でじっと立ち尽くしているあの女の行動を一つ一つ頭に入れて、彼女を手に入れるにはどういう心理の虚を突けばいいか……そんなことばかりを考えていた。
矢先、女が動きだす。
「どこへ行くんです?」
ミカエルは歩き出した少女の方向に疑問を呈した。
「街ならこっちですけど」
それに、先にこの人間を森の外へ送らなければ……とも言うと、
「わたし、ここでいいよ」
「……どちらへ……?」
「どこでもいいじゃろが。とっとと人間送りに行かんかい!」
ミカエルはメィファとしばらくの間、視線を戦わせた。やがて静かに言い放つ。
「……あなたは、彼が行く正確な場所を知らないはずだ」
すると、彼女は自分の首の後ろをトントンとたたいた。
「ワタシの髪に下位精霊を忍ばした」
「え!?」
ミカエルは再び愕然となった。
「……あなた、まさかそのために……?」
「アレなら絶対に捨てんじゃろが」
それだけの理由で、彼女はあの芸術とも言える長い髪を惜しげもなく絶ったのだ。火種がないときに材料が他にないから札束を燃やしてしまったような……そんな思い切った真似、自分にできるだろうか。いや……
しかしそれでも、覆しようのない事実がある。
「バジリスクは……危険すぎます」
「まぁまてょ……」
出番だ、と、考えをさまざま張り巡らしていたレプラコンの小男は思った。
「あの男を追いかけるつもりかょ?」
「悪いかや!?」
「悪かねぇぜ。ただ、考えなしに行くにはバジリスクは相手が悪いだろ」
「……」
メィファはこの小男のほうを向いた。明らかに次の言葉を聞くための表情だ。
「レプラコンに秘策があるぜ」
「どんな?」
「ワイらレプラコンは見てのとおり小さいから、でかい奴には一家言あるんだょ。ちょっと付き合ってもらうが、それだけの価値はあると思うぜ」
小悪魔のような顔が不敵に笑う。彼女を操る好機だった。
「バジリスクを殺しに行くんなら役に立つと思うぜ」
「……」
「おめおめと死にに行きたくはないだろぅ? アンタが役に立てたらあの男も助かるんじゃねぇのかぃ?」
「言っとくけど、わたし、石化トカゲなんてどうでもいいの」
「へ?」
だが、彼女の言葉は一声目にして、すでにこの男の理解を超えていた。
「わたしはあの人に会いに行きたいだけなの。寄り道させないで」
強引についていくことはおそらく彼が許さなかった。だが、ひそかに後を追って後戻りできないところまで行けば、なんとかなるだろう。我ながら怖いくらいの執着心だが、これくらいの気持ちがなければ恋ではない。彼女はその気持ちに胸を張っていた。
「いや、だけどよ、バジリスクに殺されちゃ何にもなんないだろぅ?」
「大丈夫。わたしもあの人も殺されないよ」
「なんでだょ」
「運命の出会いだから」
「は……?」
……先ほどミカエルがしたような愕然とした表情を、今度はマムールがした。
「私たちはこんなところで死ぬ運命じゃないの。だから大丈夫」
恋愛運がよくて幸せな結婚ができると母親に予言されている。ならばまだ結婚もしていない自分は死ぬわけがなかった。
この出会いはきっと……いや、間違いなく運命の出会いなのだ。ならば二人は離れ離れでいてはいけない。
……そう、決めた。
そして、決めたら立ち止まっているような娘ではなかった。
「諦められるかぃ!」
彼女は興奮して一度叫び。そして走り出す。
「あ! まって!!」
ミカエルの甲高い声が後を追いかけた。マムールもしばらく自分の合理的な丸め込みがあのような非合理な理屈で突っぱねられたことに呆然としていたが、はっと我に返ると、その隣でやはりその脇でぼぉっと突っ立っているスレッドの眉間を叩く。
「馬鹿! 早く追え!!」
「だけどお前……バジリスクだぞ?」
この男もデビルカースを知らなくてもバジリスクは知っているようだ。
スケールとたとえるならなんだろう。丸腰でホッキョクグマと戦いに行けといわれているようなものだろうか。普通、生身の人間で怖じないものはいない。
だがみるみる小さくなっていく二人の姿に気があせったマムールががなった。
「あんな上玉諦められるかょ!! 行けゃ!!」
「だってお前……」
「お前昨日死神を羽交い絞めにしてたんだぜ!」
「そりゃ、人型なら羽交い絞めにもできるけどトカゲだろうが」
「そういう問題じゃねぇぇ!!」
この馬鹿の基準はよくわからない。が、とにかくその馬鹿を操縦しなければあの宝石は手に入らないのだ。
「とにかく行けゃ! あの女ほしいだろぅ!?」
「ほしいけどよ……」
「じゃあ見失うなぁぁぁ!!!!」
「だけど運命の相手が、とか……」
「そんなモン奪え! お前昨日いい女にしてやるがどうとか言ってたじゃねぇか!」
「だって……」
うすっぺらい自尊心で生きてきた男だから、しゃれた言葉に実力も自信もついてきていないことはマムールにも察することができてはいる。
「無能なわりにでかい口と無駄な男気はどうした!! あの女が死んじまってもいいのかぃ!?」
「ぐぅ……」
「いいから行けーー!! 手に入れたらあの娘でお前の欲望全部満たさせてやると約束してやるぜ!」
「……ほんとか?」
「レプラコン嘘つかなーーーい!!」
「……」
「お前はあの子が何でもしてくれるのを諦められるのかぁ!?」
「うぉぉぉ!!! 諦められるかぁぁ!!」
……そんな大嘘にだまされて、このあまり信条もない大男はようやく後を追い始めた。
守るものが多いほど、人は弱くなる。
人の心に残るほど、別れはつらくなる。
……生まれたころから死と隣り合わせであったメルビルはそんな言葉を、先ほどの娘の顔と頭の中で交錯させながら森を抜けた。
このような思いがよぎっているのは彼女の母、ミーシャ=オーフェンとの別れ以来ではないだろうか。恋心というわけではなかったが、彼女の存在はメルビルの心に深く刻み付けられている。そもそもメィファが持ってきた手紙がミーシャからでなければ、彼女に自分の正体を明かしてまで手紙を受け取らなかっただろう。
その偶然がまた、自分の心に大きな楔を打ち込んできたわけだから、メルビルにとってはこの親子との出会いに、なにか因縁めいたものを感じざるをえなかった。
さらに山道は続く。
そう描けばまるで直線で登っていったように思えるが、なかなかどうして山道というものは複雑なものだ。
あちらの尾根やこちらの谷……峰の連なる複雑な分岐があり、地図を頼りにしないととても目指す場所にたどり着けそうにはない。当然、彼を見失えば追うのは困難であった。
やがて木の数も減り、草原地帯を経て岩肌が目立ってくる高地が彼を迎え入れる。ふっと逆側を振り向けば、山の中腹から眼前に広がる世界が小さく、そして美しい緑に覆われていた。
メルビルはその光景に意外なものを感じて立ち止まった。
愛おしく見えたのだ。空の広いこの丘陵地帯に数多くの精霊が踊っている。その姿が見えているのだろうか。蝶がそれを避け、縫うようにしてひらひらと飛んでいて、丘陵に咲く白い花々をついばんでいる姿が暖かく、とても名残惜しく見えてしまった。
そんなことは今までなかった。灰色でしかなかった世界が色味を帯びて、「一緒にいよう」と語りかけられているようで、彼は戸惑いを隠せない。
そして昨日までの違いを考えれば、思い浮かぶのは、ある一人の娘の顔。
……メィファ=オーフェンが心の中でコロコロと表情を変え、それがまるで眼前の風景をすら変えてるように思えた。
「……」
たった一瞬の接点で……それだけで少し自分は変わってしまったのかもしれない。そしてその変化に、軽いイラつきを覚える。こんな気持ちは、自分にとって"悪"なのだ。望んでデスペラードになったわけではない彼は丘陵に広がる青い空を見ながら、"悪"にとり憑かれた自分が腹立たしかった。
(あの娘のせいだ……)
人生をつまらなく感じていたかった。でなければ、呪われた自分の運命が憎くなる。
あの娘が、抗うことのできない己の運命に立ち入ってきた不協和音のようで……しかしその不協和音が心地よかった自分がいて、メルビルは長いこと、この風景から目を背けることができないでいた。
丘陵は険しくなり、切り立った岩壁が広大にそびえる岩場に差し掛かった。
斜面に転がっている岩もメルビルよりもゆうに巨大なものも多く、まるで赤ん坊が遊ぶ積み木のおもちゃ箱に小人になった自分が迷い込んだような気分だ。
歩くだけならまだしも、こんなところで襲われでもしようものなら非常に面倒なことになる。
「ほんとに面倒だ!!」
バジリスクとの戦いはそんなことを思った矢先、急遽始まった。
穴倉でおとなしくしているかと思われたこの巨大トカゲは、実際は巣から大きく離れたこの岩場でくだを巻いていたのだ。保護色に覆われて完全に不意打ちとなった一撃を、からくもかわしたメルビルが舌打ちと共に心中の言葉を吐き出して身構える。
完全に誤算であった。見回して目に映る足場は、人型が戦うのにまったく適していない。しかもまだ西の空には燦燦と太陽が輝いている。岩から岩へと自由に飛び移って自分を挑発するオオトカゲからは、力が衰えた様子など微塵も感じさせない。
もちろん、バジリスクはメルビルの襲来を予測してそこにいたわけではないだろうが、ノコノコとテリトリーに入ってきた彼を見る目はまるで笑っているかのようだ。
と、メルビルはその目からすぐに視線をずらした。
目を合わせてはいけない。一瞬で身体の機能が麻痺するといわれている怪物の猛毒は、あの蛇眼から発せられている。その厄介は正面を見ることができないということで、戦いにおいて、死角を自ら作らなければならないところにある。
八本足のオオトカゲはその巨体からは想像もできないスピードで岩壁を横に這い、まるで土砂崩れのように斜め上から飛び込んでくる。十五メートルの巨体が飛ぶとまるで津波が押し寄せたように周辺の空気をすべてさらっていく。
メルビルはその少しの間に自分の周囲を見回して地形を頭に叩き込むと、あらかじめ決めたところに飛び込んでそれを回避した。戦いで見るべきは敵だけではない。平坦でないところでは常に自分がその場でできることを把握できないと追い込まれることになる。
彼はようやく剣を抜いた。白い刃のツヤは消してある造りであり、両刃の先端は西日に照らされても反射することはない。だが名匠によって鍛えられたその刀身はよく研ぎ澄まされていて、まるで自身で冷たい光を放っているようだ。
長剣を携えるなり、ワニのような皮膚を持つバジリスクを追いかける。怪物の動きも早いが、彼も速攻が得意分野だ。一度距離をとろうとする八本の足に追いつけないかとみるや、彼は風の精霊、ティーチェルを呼びながら走り、精霊語を放った。
「押せ(efa;oj)!」
一瞬の突風が彼の背中をはじく。まるでキューに突かれたビリヤードの球の如く加速した彼の身体が、怪物との距離を一気に縮めて凶器と化した。
シャァァァァ!!!という、バジリスクの口から漏れたのは悲鳴なのか。メルビルの斬り上げの一撃は怪物の四本ある一番後ろの左足を宙へ舞い上がらせる。これには石化トカゲもたまらず、別の岩場に飛び移って距離をとった。遅れてドサッとくぐもった音を上げて地面に落ちたのは怪物の巨大な足。
その一撃も鮮やかすぎて恐ろしいが、目の前ではもっと恐ろしいことが起きてメルビルを苦笑いさせた。
紫色の体液を撒き散らしていたその切り口の部分が、内側から盛り上がったのだ。次にはその出血が止まったばかりか、なんと新しい足が飛び出してきたのである。
「ははっ、お前切り刻んでたら冬の食糧難はないな」
冗談を吹くメルビルをバジリスクは睨みつけ、彼があわてて視線を外したところで鋭い牙が並ぶ大きな口が開かれる。その口からシャ……という音とともに、喉の奥から彼に向けて十数メートルも飛んできたのが怪物の体液である。鉄砲水のような勢いで発せられたそれは、寸でのところで身体をよじったメルビルの脇を通って後ろの岩に当たり飛び散った。
「あぶね……」
付着したところから意味不明の煙が立ち始めている。よくはわからないが絶対に触れたくない代物だった。
とにかく足場が悪い。
岩と岩の間をツタのように絡みながら駆け抜けることのできる巨大生物に対して、人型はなんと不自由なことか。風の力を借りながら時に空中で進行方向を変えるという妙技を見せつつ戦う彼も、この険しい地形には手を焼いていた。岩と絶壁が支配する地形では進む場所も逃げる場所も極端に限られ、次の回避を視野に入れると突っ込んだ攻撃ができない。おまけにこの怪物の場合、首より上を見ることができず、動きを予測しづらい。
ひとつのミスで身体は再起不能になるだろう。であれば、うかつな蛮勇は単なる犬死となりえる。
ただ……メルビルはちらりと空を見た。太陽が重力に引かれるように下への道をたどっている。このまま牽制を繰り返し太陽と気温が落ちるまで待てば状況はずいぶんと変わるのではないだろうか。
「ははっ」
自分で笑ってしまった。このような化け物を相手にそんな長時間の集中力が持つわけもない。
どうせ今死ななくても自分の場合いつ死ぬかは決まっている。先ほどの言葉を覆すようだが、ここで蛮勇して犬死しても自分の人生に大きな差はないのだ。今までいつもそう思って戦いに身を投じてきた。賢く戦おうなどと思うのは、生きることに未練が沸いてしまったからなのか。
(馬鹿なことを……)
彼は自身を鼻で笑い、白い刀身を持ち上げた。まだ軽い。存分に振れるだけの気力と体力が余っているということだ。首を貫くことができれば如何なトカゲとはいえ、再生することはないだろう。
相手の顔をみずにそれを実行する方法。メルビルは、「あの首にまたがってしまうしかない」と思った。
その間もバジリスクは執拗に攻めてくる。まるでドラゴンのような牙とその口から吹き出してくる毒液、速度を生かした体当たりが、右から左から繰り返される。
彼は時に勘に頼るしかないほどに追い込まれながら、この怪物が、八本あるうちの一番前足よりも前側の背中に降り立つことができれば目を見ることはない、と目途をつけた。
しかしそうだとしても一瞬は彼の注意を自分からそらさなければならない。
(効くかな……?)
思い立ったことはある。目が武器のひとつである以上、逆に言えばデリケートであるはずだ。
「タムタムの精霊よ。小さきものの力を貸せ」
メルビルの周囲の礫がまるで反重力であるかのように巻き上がった。礫なので一つ一つは何かを認識できず、彼にもやがかかったような状態になっているが、彼はそのもやと共に大地を蹴って、風で加速する。
礫のつぶてが瀑布のようにバジリスクに襲い掛かり、巨大な瞳に吸い込まれてゆく。同じ瞬間、メルビル自身はやや斜め上方向に飛んでおり、怪物の頭上を高速で通り過ぎていた。
「ティーチェル!!」
そして彼は身を翻すと、再び風を身にまとい、空中で方向転換をする。怪物の背中を目がけ、まっすぐ落ちてくる彼の両手には白刃が握られていた。
「やばい!!」
が、背中を覆う、トゲのようにぎざぎざと尖った皮膚の隙間から針のような毛が羽を広げるように逆立った時、彼は短く言葉を吐き出してもう一度飛翔方向を変える。
その一瞬後には撃ち放たれた数え切れないほどの毛針が、彼の進行方向であるはずだった場所を通り過ぎている。
礫のつぶては確かに目くらましになったが、トカゲというのは頭の頂に第三の目を持つ種がある。その名の通り頭頂眼と呼ばれる眼の器官であり、怪物はこの明暗を判断できる「眼」で、まだ日が落ちていない空から舞い降りた黒点に照準を合わせたのであった。
このような多彩な攻撃は、意思というより本能なのだろう。なぜこのように好戦的なのかまでは知らないが、石化睨みといい猛毒を宿しているところといい、それはさながら神が創った攻撃兵器のようだ。
(まいったなぁ……)
ここまで全身ハリネズミのようだと手に負えない。
もっとも、今まで屠ってきたモンスターたちもみんなそんなだったから、そんな苦笑いは日常茶飯だったし、今回も誰かに泣きつこうというわけではないのだが、簡単なロジックで決着のつく相手でもなさそうだった。
彼が改めて攻略方法を構築しようと思案し始めた時だった。彼の長い耳がはるか遠くの"人"の声を拾い、反射的に飛び退る。
そしてバジリスクの攻撃半径を出ると、なにかを確かめるかのように視線を落とした。……緑から青へ、少女が身を切ったお守りは、まだこぼれずに残っている。
聞こえた声は確かに彼女のものだ。追いかけてきたのか。
メルビルは表情をゆがめ舌打ちを一つ。無邪気もここまで来ると始末におえない。
本来、理由は何であれ、危険と知りつつ向かってくる彼女は、いわば火に飛び込む虫のようなものであり、そんな行動をとる者の死など自分が知ったことではない。……のだが、髪を自分へ差し出した時の彼女の瞳を思い出すと、あの眼球が動かなくなる瞬間を、どうしても見たくはなかった。
(ここを"閉鎖"するしかない)
「バルカン!」
彼は少々無理のかかる精霊術を用いた。
一瞬、ボゥという空気が膨らむような音と共に岩場の何も可燃物のない場所から焔が立ち昇り、彼の背面に炎に巻かれたトラのような何かが現れる。メルビルが精霊語でなにがしかをつぶやくと、バルカンと呼ばれるその火の化身はバジリスクを取り囲むように走り出した。
踏み抜いたところが赤々と光りだし、次々と火柱となって周囲を取り囲んでいく。まるで編み上げをするかのように火と火が交わり、その異様な光景から逃げ出そうとしたバジリスクの進路を阻んで巨大な壁となった。
進路の先でマグマのような業炎が突如吹き上がったのを、メィファはすぐに目にした。
「噴火かぁぁ!?」
「違いますね。火の精霊が呼ばれたんだと思います」
なんとかついてきているミカエルが火の種類を見て言う。
しかし、あれだけの火力を具現化しているのだ。相当の術士でなければ無茶をしているはずだった。
「メルビルさんかな」
「でも、あれ……」
メィファが言葉に詰まる。風に煽られてもピクリとも動かない不自然な炎は天まで届く勢いで、行く手を完全にさえぎっている。メィファたちの視点を離れて上空から俯瞰すれば、炎で円状のリングができているようなものだ。
可燃物があるわけでもないので延焼の心配もなく、ただひたすらに内外、完全に分け隔てられた空間が作り出されている。
つまり、通る道が完全に火で分断されていた。
「ふざけんなぁぁぁ!!!!」
ミカエルが概要を話せばメィファは叫んだ。
「メルビル=プラムゥッッッック!!! ここは公道だぁ!! ワタシも通る権利があるじゃろがぁぁ!! この火をとっととどかせぇぇ!!!」
音もない炎が燃え盛る目の前までさらに駆け登ったメィファが、軽く息を切らしながら道場破りのような啖呵を切っている。
その場違いな主張が炎の中で牽制と突撃を繰り返しているメルビルにも聞こえ、
(あの子は馬鹿なんじゃないだろうか……)
半ば呆れ、半ば楽しくて苦笑いが止まらない。……彼にとって憎たらしくも楽しい人生の色味が、戦いの渦中の彼にまた、新たな笑顔をもたらしていた。
しかしその笑顔も一瞬で凍りつくことになる。
「無茶だーーーーーー!! やめてください!!」
「どけぇ!! 乳をさわるなぁ!!」
「触ってませんーー!!」
まさか……。
思わず炎の壁のほうに振り向き集中の分散したメルビルの肩口を、トカゲの巨体がかすめていった。
「ぐぁ!!」
かすめただけとはいえもともとの重量が違う。いとも簡単に舞い上がったメルビルの身体が岩肌に叩きつけられ、その場に崩れ落ちる。
「メルビル!!」
その声と、ミカエルの「痛ァァ!!」という声が交錯した。続いて少女の声がこれに重なる。
「水の子ェクフィーユ! 守って!」
瞬間、空間が青く歪んだかと思うと彼女を包み込む。みるみるうちに全身がずぶぬれになっていく中で、ミカエルが声にならない悲鳴を上げた。
「無茶だぁぁ!!」
中位精霊が作り出した炎の壁に簡単な水の力だけを借りて飛び込もうとしている。
ミカエルは必死に手を伸ばすが届かない。足を踏まれて股間を蹴られた彼に今、行動の自由はなかった。
とはいえ、そこまで勢いで行えたメィファも、目の前の火勢にやや躊躇がある。
「あ! 彼女を止めて!!」
「へぁ?」
ようやく追いついてきた人間に大声を張り上げるミカエルだが、肩で息をして膝に手を当てているスレッドがその意味を認識した時には、メィファは盛大な独り言と共に手荷物を盾にして、火の海に飛び込んでいた。
「ワタシは幸せな結婚をする! こんなところじゃ死なんわぁぁぁ!」