その2
が、彼らの余裕が次の瞬間、凍りついた。
「事情を聞いてあげるから暖かいところにいこうか」
と、一人が肩に手を置いた際、噛みつかんばかりの視線を送ったメィファが、左手を複雑に動かしたことで精霊力が働いたのだ。
一瞬の閃光……男がその意味を知った時、その姿はすでにメィファの手の届くところにはいない。はるか遠くに倒れ、呆けたように辺りを見回している。
「セクハラすんなや」
どすの聞いた声でにらみつけてくるメィファから、転げるようにあわてふためいて間合いを取る残りの二人。
ただちに腰を低くして構えたが、続く言葉がなかった。
彼女は今の瞬間、信じられないことをいくつもやってのけたのだ。なまじ精霊の力に精通している彼らだけに、状況が理解できない。
まずここには先ほど述べた力場がある。精霊の力が具現化することがまずありえなかった。
そして召喚した精霊が光の精霊でも上位に位置する「ペィキュリー」であったこと。あのような短時間で召喚できる精霊ではない。
何より、光を圧力に変えたこと。
光が物を押すことなどありえないのはこの世界も同様である。
しかし、二人をにらみつけているメィファの左腕で踊っているのは間違いなくペィキュリーが召喚されていたことを示す独特の光であり、やられた男は転げた身体を擦り傷だらけにしながらはるか向こうでしりもちをついている。その圧倒的な事実を受け入れるしかない。
「ユム、力場を解いて応援を呼べ」
そして、そこから導き出される結論は一つしかなかった。つまり、この娘が持つ力が、力場で抑えても抑えきらないほどに強力である、ということ。
ユムと呼ばれた男は風の精霊「ティーチェル」を呼び出すと、懐から取り出したホイッスルのようなものを力いっぱいに吹いた。風に乗ったその笛の音がつむじを巻いて増幅し、まるでサイレンのように大音響となって木の葉を揺らす。
それとほぼ同時に、それを指示したほうの男がユムとは別の精霊を呼んでいた。
「大地に根ざすタムタムの精霊よ。わが声を聞き入れその大地に落ちる影を縫え!」
夕日に照らされたメィファの影が風に吹かれたように揺らめいていびつに歪む。
「あっ!!」
短い悲鳴。体が地面に張り付いてしまったかのような重量感を帯びた。
「なんじゃこりゃぁぁ!!」
必死にもがくメィファ。だが、身体は重くなっていく一方だ。
一方で動きを封じた精霊使いの男のほうも驚きを隠さない。
(効いた……)
不法者を拘束する際に行うマニュアルを反射的にこなした二人だったのだが、彼女の圧倒的な力を見た後ではこのように予定通りの効果を発揮するほうが不思議であった。
(この娘は自分の力に気づいていないのか……)
「コノヤロぉぉぉ! ワタシをどうするつもりだボケーーー!!」
鉛の鉄球が体中に撒きつけられたような重量感の中で、この精霊の力は口の自由だけは保障されているらしい。
「卑怯者ーーー!! 卑怯者ーーーー!!! やるなら正々堂々とやれぇ!!」
足をベアトラップにやられて動けない猫のように声を限りに騒ぎ立てているメィファの周りには、いつの間にか野次馬が遠巻きにしている。傍から見れば男三人が女一人を痛めつけているようにも見え、その空気には「小娘にそんなにマジにならんでも……」といったものすら感じられて、彼らにはつらい。
「わかったわかったわかった」
コホンとひとつ咳払いをした三人のうちの隊長格の男……彼女に向けて大地の精霊を召喚した男が、それらの目を気にしながら言った。
「なにも手荒な真似をしようと思ったんじゃないんだ。ただ君がとても目立っていたからちょっと声をかけたんだが……」
「街の真ん中で人を探したら犯罪かぁぁ!!!!」
「いやいやいや」
この隊長格の男には回りのひそひそ声が気になって仕方ないらしい。ちらちらと辺りに目配せをしながら、愛想たっぷりの笑みを浮かべたりしている。
「人を探してるのなら私たちが力になるよ。この辺に住んでいるのかい?」
「たぶん」
「名前は?」
「メルビル=プラムック」
「え……?」
驚いた顔をした。ふてている彼女の口から発せられたその名前を、彼はよく知っている。
「メルビル殿……?」
「え? 知ってんのかや!?」
メィファの表情がとたんに輝いた。
「知っている」
しかし……と、彼は言う。
「彼は明日ここを出るはずだ」
「だから血眼になって探してるんだろぉぉぉ!!!!」
確かに目を血走らせていた。彼らはこの表情の変化にも驚きながら、まぁまぁまぁとおさえる。
大地の精霊の影響力を解いた上で、彼女が落ち着くまで待ち、別のことを聞いた。
「君はどこの森の者だ?」
「メルピアット」
「君と彼の関係は?」
「え……?」
メィファの目が泳いだ。そりゃぁ何かといわれれば運命の出会いなわけだが、さすがにそんなことは恥ずかしくていえたものではない。
しかし、急に一人赤面しだしたメィファの顔色で察したらしい。というか、無害と判断したのだろう。いや、単にここを早々に切り上げたかっただけかもしれない。
「今から彼の元に案内しよう」
彼は追い立てるように、彼女の背中を押した。
質素な部屋だった。
普段、人が住んでいることはないのだろう。生活感のない間取りが白々しい空間を晒して、ひっそりとたたずんでいた。
そんなに広くもない部屋の中央、座り慣れていない木製の椅子に腰掛けて、剣の手入れをしている男がいる。
メルビル=プラムックである。
栗色の髪の毛をかきあげながら明日の命綱といえるその刃に魂を吹き込んでいる彼にははじめ、ノックの音が聞こえなかった。
しかしどうやら一度で諦める客ではないらしい。
彼は数度目のノックで自分を呼んでいるらしいことに気づき、ようやく顔を上げ返事をした。と、そこには警備の者に囲まれて、さきほど別れたはずの娘が目で何かを訴えているではないか。
「この娘が街中で大声でメルビル殿を呼んでおりまして……」
呆気にとられているメルビルの耳に、半ば困惑した声が入ってくる。
まぁ、実際困惑しているのだろう。彼女が彼らをどう困らせたのか想像するだけで楽しい。
やや薄暗い部屋。彼は光の精霊を部屋に遊ばせると剣を納めて立ち上がった。
「知り合いです。引き取りましょう」
「はっ。では、よろしくお願いいたします」
彼らはほっと安堵したかのような物言いで、そそくさと部屋を後にした。
あとに残される、まだ少女の香りのする娘はちょっとうれしいようなばつが悪いような、何かを求めるような瞳をこちらに向けている。先ほどのようにすぐに噛み付いてくる(文字通り)雰囲気でもなかった。
「どしたの?」
彼は微笑むととても愛嬌がある。その表情のやわらかさがメィファに、話を始めさせる勇気をもたらした。
「剣を……使うんですね」
一連の騒動が今、彼女を冷静に戻している。いや、断っておけば、信じられないかもしれないが彼女はいつも本人の中ではこういう冷静な態度でいると思っている。
そして、そのような殊勝な態度でいるときの彼女は本当に美しかった。
「ああ」
その表情にだまされ(いや、だまされているわけではないが)、彼は楽しそうに目を細めながら言う。
「僕は剣士だからね」
ちなみにエルフという種族において、剣の使い手というのは珍しい。
人間に比べてはるかに軽い筋肉と骨格を持つエルフはあまり重いものを振り回すのには向いておらず、戦にはもっぱら弓や精霊の召喚術を用いる。刃物は使っても刃渡り三十センチほどのセラミック刀などに毒をしみこませたものであった。
この毒は通称「エルフ毒」と呼ばれる、森の植物を利用した毒なのだが、今細かい説明は必要あるまい。非力なエルフが一撃で致命傷を与えるために考えられてきた知恵である。
が、しかし彼の武器は毒を扱うようなちまちました代物ではない。堂々とした直刃の長剣であり、生粋の剣士である証であった。
メィファは先ほどの一言を発しただけで、その後は黙って間がもたなそうにもじもじしている。興奮材料がないと、彼女はなかなか走り出せないらしい。
「さっきはありがとう。お母さんにもよろしく伝えて」
彼のほうもこの娘がなぜまた自分の前に立っているのかがわからない。とりあえず当たり障りのないことを言うしかなかった。
「はぃ……」
「今日はどこに泊まるの?」
「決めてません」
「どこか手配しようか?」
「ありがとうございます」
それで途切れる会話。光の精霊は変わらず音もなく踊り、部屋を照らしている。他はすべてが息を潜めたかのようで、音のない空間が通じ合わない男と女にとってこれほど居心地の悪いものとは知らなかった。
メルビルについては別の意味でも居心地が悪い。
彼女は何かを話したがっていることだけはわかる。が、その内容が何でも、彼はあまりそれを聞きたくない。
彼は、思い出を作りたくない男であった。
この娘はおもしろい。それに美しい。長く接していると情が移る可能性もある。それを嫌っている。
「じゃあちょっと部屋が余ってるかを聞いてくるよ」
彼は持ちっぱなしだった剣をテーブルに置いて彼女の脇を通り過ぎようとする。
「まって」
それをさえぎったメィファは、男の顔を見上げた。
「旅に出るんですよね」
「ん? ……ああ、そうだよ」
「どちらへ?」
「あちらへ」
「あちらでわかるかい!!」
たいした質問でもないのにすぐに一生懸命になってしまう。メィファ自身、何でかわからないままそれでもそんな小さな質問に食らいついた。
「行く場所を聞いとるんじゃい!!」
「うーん……」
メルビルが思案する。
「風を求めてふらふらと……かな」
「嘘つけーー!!」
「いや、旅人なんてそんなモンだよ」
「違う!!」
メィファがぴしゃりと言い放った。
「お前は絶対に何かの目的があってここを出る!」
「え?」
興奮している彼女にもわかることがあった。
「この施設は単なる旅人が宿として借りられる場所じゃなかろうが!」
九と四の三番地は先ほど言ったように、何者かの侵攻があった時にそれをはねのけるための指揮所になる場所であり、メィファが通されたのはそれらの建物の中でももっとも大きい軍事の中枢部にあたる建物だ。その建物の持つ具体的な役目は彼女にはわからないが、その仰々しさから、いい加減な意味合いを持ってはいないことくらいはわかる。
そんなところに泊まっているのだ。役所がそこらへんの風来坊の寝泊りを受け入れることがないように、彼も何かしら軍事的な役目を持って、ここを借りていたに違いない。
「違うか!?」
「……」
メルビルは目を細めて、この無邪気に騒いでいる娘を見た。思えば彼女の母、ミーシャ=オーフェンに口元が似ている気がする。人の記憶に残りたくない自分が、彼女にだけは深くかかわってしまった。
そのことが今、メィファという新たな因縁を生み出している。
……生み出してしまっている。
「悪いけど……放っておいてくれるかな」
「え?」
「君には関係のないことだから」
「な……」
彼女はかっと目を見開いたまま、口をパクパクさせて硬直する。それは彼の前でしばらくの間続いたが、
「い……いいじゃん、教えてくれたって……」
やっとのことで吐き出した言葉は、喉の奥で渦を巻いたようなくぐもった声だった。
男は、そんな頭をなでてやりたい衝動にかられたが、その気持ちから視線をそらして何もない木の壁を見ることで飲み込むと、言った。
「悪いけど……迷惑なんだ」
「めっっ!?」
少女は一瞬、鬼のような形相をした。メルビルは殴られるものだと思って身体をこわばらせたものだが、その形相は怒りによるものではなかった。
「え……?」
彼女はまるでつっかえ棒が取れた人形のように横向きに倒れ、そのまま失神してしまったのである。
メィファが目を覚ました時、彼女は見覚えのないベッドの上であった。
がばっ!……と勢いよく上半身を起こしてきょろきょろと辺りを見回して、誰もいない部屋でここが布団の上だということを知る。
どうやらあの場で事切れたらしい。そういえば人は痛みが限界を超えると痛いと感じる前に気絶するそうだ。
そうだ。自分はさっき真っ向から拒否られたんだった……。
自分の繊細で純粋な乙女心がその痛みに耐えられなかったということなのだろう。
「……」
彼女はまるで頭が痛いかのように額と頬に手を当ててうなだれる首を支えようとした。……これほど短期間で燃え上がり、これほど短期間でぶち切られた恋もなかなかないだろう。
メィファはベッドに腰掛けた。ここはどこだろう。彼の部屋でないことは家具の配置でもわかる。
ベッドから立ち上がる用事もなく、ただ漠然と天井を眺めていると、上向きになっている長い耳に扉をノックする音が届いた。視線が扉まで落ちるのと同時に木製の扉が内開きになる。
「ああ、起きてたんですね」
入ってきたのは先ほど自分たちをメルビルのところへ案内してくれた男たちと、同じラシャ地の服を着た青年だった。華奢で身長はメィファよりも小さそうで、しかし端正な顔つきは彼がまたメルビルとは違ったタイプの美男であることを物語っている。白い髪の毛が長く、一本で結んであって、やや女性的な印象も受けた。
「気分は悪くないですか?」
はつらつと声を弾いた彼は、両手に抱えていた暖かそうでいい匂いがするスープとパンをテーブルにおろす。
「これ、メルビルさんが食わせてやってくれって」
「ありがとう……あの人は?」
「もう出ましたよ」
「え!?」
慌てふためくメィファ。弾かれたように髪を振り乱して窓を求めた挙句、
「イタァァ!!」
その勢いが強すぎて首をひねったようだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「いたぃ……」
別に稼動域を超えた動かし方をしたわけでもないのに、首というのは何でたまにこう……気持ち悪くなる痛みを発するのだろう。多くは一過性のものなので放っておくしかなく、突然起きたある種の悲劇を彼女は恨めしく思うばかりだ。
一方で思春期のような匂いのする青年は、彼女に近づいてはみたものの介抱したくても触れられないといったふうに、彼女の五センチメートル前の空気をじれったそうになでていた。
彼女の背中をさらさらと流れるツートンカラーの髪の毛が小刻みに揺れていて、まるで万華鏡のようだ。そんなことを思いながら、少し甘い匂いのする彼女に声をかける。
「大丈夫ですか……?」
「うん……大丈夫」
言いながらメィファも見上げれば、青年の顔が思ったより近くにある。母性本能をくすぐる優しげな目が自分の姿を映し出していた。
もっとも今の彼女にとってはそれどころではない。落ち着けば、窓は自分の背中側に大きいのがすぐに見つかった。
窓枠の向こうは森の影の先に星空が広がっていて、それはメィファが思うとおりの光景だった。
「まだ夜だよね……?」
メィファは彼を年下と見ているか、その口調はメルビルに対するものとは違っていた。青年のほうもそれに不満はなさそうでニコリと微笑んでいる。
「はい、厳密に言うと夜になったばっかりです。寒くないですか?」
「大丈夫」
そんなことより、このような月明かりも頼りない夜の内に出て行かないといけない"旅"というのはいったいなんなのか。
「行き先は……?」
「あなたには言うなといわれています」
「ハァ!?」
……とは、ならなかった。先ほどの「迷惑なんだ」が効いていて、キレるよりも落ち込むほうが比重が大きい。
彼女が視線を落として黙っていると青年はその落ち込みようをいち早く汲んで笑顔を作った。
「とりあえず、冷めないうちに食べてくださいよ。スープには自信があるんです!」
「君が作ったの……?」
「はい」
ショックもショックだが、とはいえおなかもすいている。湯気の立つスープの味を知りたくなって、彼女はゆっくりとベッドを立って椅子に座った。
「トルカブっていうこの地方独特の香草を使ってます。どうぞ」
メィファは木製のスプーンを手にとって髪をかきあげるとその黄色く澄んでいるスープを口に含んだ。
「おいしいですか……?」
上目遣い。かわいらしさまで感じてしまいそうな上目遣いでメィファを覗き込んで評価を聞きだそうとする彼に、彼女はつい微笑んでしまった。
「おいしい」
「よかった」
にっこりと笑顔の彼はシャンと立ちなおし、はつらつと名乗る。
「ミカエル=ランチェスです!」
「あ、うん」
名乗られるとは思ってなかったのだろう。メィファは少しだけ顔を上げると微妙な受け答えをした。
「メルピアットの方の髪はやっぱりきれいですね! うらやましいなぁ……」
緑から青へ……見事なグラデーションがしきりに彼の目を引くらしい。その髪自体は確かにメィファも気に入っているのだが、気持ちが落ちている今は、彼のテンションが少々まぶしすぎた。
「メィファさん」
この利発そうなエルフの青年はあいかわらず目をキラキラ輝かせている。
「メルビルさんから事情は聞いてます。手配しておきますので何泊か泊まる気でいてください」
「ここに?」
「ここなら安全です。特に数日間は……」
「どうして?」
「デビルカースが森の周辺を徘徊しています」
「デビルカース……?」
「死神です」
彼が言っているのは死神でも正式な死神ではない。「堕ちた死神」とも標記されるように、天界への送り人である本来の仕事を逸脱して、殺戮に快楽を得るようになってしまった死の精霊たちだ。
寿命の尽きた者の魂を回収しに来る普通の死神と違い、徘徊するのに理由はない。病原菌と同じように風に乗ってさまざまなところに現れては、断ち切る必要のない魂の根を刈ってゆく。その力は強く、街ひとつすべてが殺されてしまうことすらある。
メィファもその精霊自体は知っていた。幼い頃に散々聞かされた「黒い風が吹く夜は息を殺して寝よ」の"黒い風"はその堕ちた死神の事を指している。
それを懇切丁寧に説明してくれたこの青年はこの治安維持の組織の中でも、戦闘員というよりは物見を担当している学者畑の青年であった。
「まって」
メィファの声が鋭くなった。
「そんな日にあの人は旅立ったの?」
「……」
青年はうなづくでもなく、そんなメィファの顔から視線をそらす。
「何も言うなと言われましたから……」
「あの人は死神がうろついてることを知ってるの?」
「……」
「答えんかい!!!」
「え?」
ミカエルの視線が驚愕を帯びて戻ってくる。そこに、先ほどのしおらしいメィファはいない。
「そんな夜に出てったら危険とちゃうんかい!! お前らはそれを承知で奴を行かせたんかと聞いとるんじゃい!!」
「え……えっと……」
質問の内容よりもメィファの豹変に圧倒されて後ずさる青年。
埒が明かないと思ったのだろう。ばんっ、とテーブルを叩きながら彼女は立ち上がる。
そのまま自分の身の回りの持ち物をすべて背負いだした。
「どこへ行くんですか!?」
青年の甲高い声。
「連れ戻す」
「駄目です!」
部屋の出口をふさぐように手を広げるミカエルの声が悲鳴に近くなる。
「お願いですから座ってください! 危険すぎます!」
「その危険な場所にあの人がいるんじゃ!」
「わかって出たんです! あの人はデスペラードですから!!」
「え……?」
……メィファはまるで邪気が祓われてしまったかのように鬼の形相が素に戻り、呆然としたその瞳に青年の姿を映して止まった。
「デスペラード……?」
聞いたわけじゃない。知っている。デスペラードとは通称"命知らず"と呼ばれる類の流れ者のことだ。
地方を渡り歩いては大地を冒さんとする害族たちを駆逐することを生業とする人種であり、武者修行だの、正義感の発露だの、そんな理由から始まって、賞金稼ぎや命がけの売名など、動機はさまざまだ。
しかしその目的は別でも、この人種には共通するところが一つある。
(あの人、強いんだぁ……)
……考えるまでもないが、腕に自信がなければそのような発想はしないし、それも実際相当の腕でなければ生き残ってはいないものだ。
「ど、どうしたんですか?」
突然顔のデッサンが崩れだしてしまりのない表情を浮かべた彼女に別の意味でたじろぐミカエルが、「とにかく」と彼女を椅子のほうに戻す。
「彼に情報は入れてあります。それでも出て行ったのだから、こちらは関与できません」
"命知らず"と呼ばれる彼らはほとんどの場合、どの組織にも属していないのでよほど地元の集落と利害が反さない限り彼らの行動を制限できる者はいない。時に"協力者"として、時に"救世主"として扱われる一方で、流れ者であるゆえに集落の腹は痛まないために、無茶な依頼をされて使い捨てにされる者も少なくなかった。
そしてメィファが、彼のケースを後者だと思える台詞を、この青年は次に吐くことになる。
「彼の仕事の邪魔にもなります。一人で専念させてあげてください」
「一人……?」
メィファの意識が再び青年に向いた。
「一人で行ったの……?」
「はい、デビルカースは夜活発だということは知ってるはずなんですけどねぇ。どうしても今出るというもので……」
「あほかぁ!!」
無謀もいいところだ。彼に依頼された内容がなんだかは知らないが、少なくとも幼い頃から聞かされている死の精霊の話は人が少々強い程度ではとうてい太刀打ちできるものではない逸話ばかりだった。
(なぜ出発を繰り上げたんだろう)
出発は明日の昼だったはずだ。死神が目標でないのなら夜に出なければいけない理由が思い当たらない。
疑問符が脳裏に浮かぶ中で、彼女は悩んだときに立ち止まる性格ではなかった。
「待ってください!!」
また走り出そうとしたメィファの手首を、一瞬早く反応したミカエルがおさえる。
「あなたが行ったってどうにもならない!」
「はなせぇ!!」
血走った目をかっと見開き、必死に引き剥がそうとしたが、ミカエルは小さいとはいえ男性である。娘の力では振り切れない。思うように動けないかわりに、恨み言を吐き連ねた。
「お前らあの人を見捨てたんだろがぁ!」
「見捨てたわけじゃ……」
「言い訳すんなぁ!! 自分の森のピンチをよそ者に任せるような奴らが偉そうなこと言ってんじゃねぇ!」
メィファは悔しそうに腕を力いっぱい引いてみるが、男は一向に力を緩めようとはせず、骨がゆがんで痛みとなる。それに顔をしかめながらも彼女は言った。
「ワタシは行く!」
「駄目です!! なんで彼が出発を早めたかわからないのですか!!」
「なんでじゃぁ!!」
「僕もわかりません!!」
……
「じゃぁ言うなぁぁ!!!」
「でも、あなたに言えば思い当たるんじゃないかと思いました!」
「……?」
腕を右に左に抵抗していたメィファの動きが一瞬緩む。同時に、彼女の気持ちも静かになった。
「なんでよ……」
「出て行くときの彼の様子はちょっとおかしかったですから……」
「おかしい?」
「せわしないというか落ちつかないというか……あなたがここに尋ねてくる前とは違っていました」
「……」
どういうことだろう。その心境の変化には自分が絡んでいるということだろうか。
「離して」
素のメィファが、改めてミカエルを睨む。そんな言葉を聞いたらなおさら確かめずにはいられない。
「わたし、あの人とこのまま「じゃ、おつかれ」はいやなの。離して」
そのまっすぐなまなざしがミカエルの瞳に飛び込んできて、彼は思わず息を呑んだ。
美しい。
この、自分の心を疑いもなくそのまま映し出した無邪気な瞳の理由を、彼は気になって聞かずにはいられない。
「メルビルさんと言う人は、あなたのなんですか?」
「わたしの将来の結婚相手」
先ほど三人の兵に聞かれたときははにかんだ言葉を、今度はきっぱりと言い切った。青年の目がやや泳ぎ、苦笑いを浮かべる。
「そうですか……」
「だから離して」
「でも、それならなおさら行かせるわけにはいかない」
「なんでじゃぁ!!」
「あなたが心配だったから、目覚める前に旅立ちたかったんでしょう?」
その目の誠実さで、彼は今、絶対に負けてはいけないと思った。
「彼の気持ちを汲んであげてください。死の精霊はそれくらい危険です」
「それくらい危険ならなんでとめなかったぁ!!」
「だってどうしてもと言うから……」
「ワタシだってどうしてもじゃぁぁ!!!」
もし、彼が自分の心配をしてくれたのなら、この運命の出会いはやっぱり運命の出会いではないか。
彼女が、その数瞬で得た結論はそれだった。
「とにかくどけぇ! ワタシは行く!!」
「駄目ですって! デビルカースはた……」
「雷の神アンティァーナよ! 眷属をよこして我に加勢せよ!」
彼の説得をさえぎるように霊力を開放する声が部屋に満ちる。部屋の一角、中空がパリパリと放電しながら割れ、中から不恰好な鶏のような短い翼の丸っこい何かが現れた。
「うわ!!」
それが何かはミカエルも知っている。反射的に彼女の腕を放し、後ろに跳び退さった。
一瞬遅れて針のように鋭く落ちてきた稲光と放電音。それがそのまま床を貫いて焦げ臭い匂いをあげる。
後には、すでに部屋を飛び出したメィファの開け放った扉と、「ごえぇぇ」という嘶いている眷族の不細工な姿だけが残っていた。