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下書き  作者: 矢久 勝基
第三節 葛藤
17/18

その17

 メィファの意識が戻ったとき、すでに周りにはメルビルたちはおらず、精霊石や砂時計が入っていたはずのベルトポーチには何も入っていない。

 いや……メィファはポーチに見慣れない紙が入っているのを知った。が、状況はさらにそれどころではないらしい。彼女は立ち上がる。

 寝ていたときのことは覚えていない。ただしラナの顔を思い出すと頭痛がする。その痛みに重さを感じながら、メィファは自分自身の変化を感じていた。

 すなわち、

「ティティ、力を貸して」

 静かにそう言い放つと、彼女が今まで横になっていた丘の上には華々しい水柱が咲き乱れ、周囲のゼリーを多く巻き上げた。

 実は今、彼女は再び囲まれている。実際には寝ている間にはすでにそういう状態になっていたらしいが、彼女の周囲数メートルにわたって死んだゼリーたちの肉片が散乱している辺り、彼女は何者かに護られていたらしい。それが強力な力を持つ精霊群だったことは容易に想像がついた。

 彼女自身も、ゼリーに囲まれていることを意に介さないほどに落ち着いている。

「アンティァーナ。おいで」

 メィファは眷属ではなく、雷神自身を呼び出した。

 途端、空は雷雲に包まれ、白い馬のような下半身を持つ雷神、アンティァーナが空に稲光の橋を架けながら滑り降りてくる。四方八方が青白い放電に満ちて、ゼリーのほとんどは一瞬にしてその姿を消した。

 そう。ラナとの接触はメィファの奥底に眠っていた"力"を目覚めさせたのである。まるでもう一つの脳が動き出したかのように今までになかった精霊術の知識がとめどなくあふれてきている。

 メィファにとってそれは心地の良い感覚ではなかったし、この知識は何者のものなのかという肝心なところは分からないままなのだが、ともあれ今、メィファは自分の知らない精霊術の印が結べ、自分では及びもつかない力にあふれていた。


 ゼリーの相手を終えた彼女は、ポーチの中から先ほどの紙を取り出してみた。

「あれ……?」

 それはメルビルに渡したはずの母からの手紙であった。達筆の母、ミーシャ=オーフェンの香りを久しぶりにかいで、メィファは少し泣きそうになる。

 メルピアットより愛を込めて……手紙はそう締めくくられている。メルピアットは今、ニルーズという穀物が収穫時期のはずであった。一面が黄色く染まるニルーズの畑がメィファは大好きで、それを見に母親とおやつを持って出かけるのも、その時期の楽しみでもあった。

 あんな日はもう二度とこないのではないか……灰色の空と、黒一色の大地……そして、自分が手にした得体の知れない力……どんどん知らないところへ流されていく自分の運命を、ハタと振り返る瞬間であり、メィファはこみ上げてくるものを感じていた。

 しかし、メルビルはそんな、母親の手紙を読ませるためにそれを忍ばせたわけではなかった。メィファもまもなくそれに気づく。

 手紙の裏に、明らかに母の字とは違う、無骨な文字が走り書きされていたのだ。


~~必ず迎えに行く~~


 メィファは息をのんだ。メルビルだろう。なぜなら、この手紙を所持しているのは世界に一人、メルビルしかいないのだから。

 あるいは彼がわざわざこの手紙を使用してメィファに文字を残したのは、この言葉がメルビル本人のものであることを証明付けたいからかもしれなかった。

(必ず迎えに行く……)

「……えっと」

 どうすればいいのだろう。待っていればいいのだろうか。


 メルビルとラナは進んでいる。

 あてもない行軍になるかと思われた。しかし、メィファの持っていたメモが、彼らの行き先をはっきりさせた。

 メモはミカエルの字で、時空を行き来するためのさまざまな手順が書かれていた。時間がなかったのだろう。殴り書きではある。その中に、

<次元の踊り場はどの方向へ抜けても同じ場所にたどり着く>

 とあり、つまりメィファが降り立った場所と、二人が降り立った場所は同じであるといえた。

 であれば、ことあるごとに上空に昇りこの地を俯瞰していたラナである。正確な場所はいえずとも、大体の場所のあたりをつけることはできる。

 メルビルは終始黙っていた。もともと無駄口を叩かないほうではあるが、ラナはその沈黙で息が苦しい。

「メルビル様……」

 なにか言いかけても、後が続かない。ラナはその背中にいくつもの罪を背負っていることを承知していた。それが重くのしかかって、言葉が言葉にならないのだ。

 それでも……どのような十字架を背負ったとしても、彼と共にいたい。生きたい。そのためには彼が自分を認めてくれないといけない。メィファを捨てて自分と共にいることを、彼が『正しかった』と思ってくれないといけない。

 ……彼から、話しかけてくれないくればいけないのだ。

 ラナはこの重苦しい時間に耐えながら、彼の言葉をずっと待っていた。


 やがて彼らは"その場所"に差し掛かる。ダプト=ロアの男たちの骸もいくつか転がっており、それを確信に変えていた。恐らく彼らはこの地に吐き出されてまもなく生気をすべて吸い取られてしまったのだろう。

「時間はまだ余裕がありそうですね」

 そう言うラナの手の中にはあの砂時計がある。時にゼリーに進路を阻まれながらかなり長い時を歩いた。ラナは風になれるから飛べばいいと思うかもしれないが、彼女にしてみれば身を削る作業である。全力疾走をし続けると思えばそのような無理は最後までとっておくべきであった。

 ともあれ、今からメィファのところに戻ろうすれば、さらにこちらに歩いて戻る時間はあるまい。

「少しお休みくださいませ。私が見張っています」

 そういう意味で、メルビルの決意を汲み取ったラナの表情はやわらかかった。

「ラナ」

 そんな彼女の名を、あの丘から先、初めてメルビルが呼ぶ。

「ラナの兄貴は、料理が得意だよね」

「え……? は、はい」

 呆気にとられたラナの鼻腔に、兄ミカエルの、ハーブの効いたスープの香りが一瞬漂った気がした。懐かしい香りだったが、それ以上にメルビルの次の言葉が気になる。

 彼はやさしい表情を見せていた。

「僕が君らの森に滞在した時に何度かご馳走になったんだよ。すごくおいしくてさ」

 お世辞ではない。だからこそ彼はメィファが怒鳴り込んできて卒倒した時に、彼に介抱を頼んだのだ。

「なんでそんなに料理に精通したのか聞いたんだよ。そしたらなんて言ったと思う?」

「いえ……」

「妹が、喜んでくれるからなんだって言ってたよ」

「あ……」

 ラナは、彼が何を言わんとしているかが分かった。一瞬スープの香りを運んできた彼の気持ちが、ここを離れようとしていたのだ。

「あの……!」

 急いで口を挟もうとしたが間に合わない。

「君は、そんな兄貴の下へ帰らなきゃならない」

「か……帰ります! でも!」

「僕はメィファのところに行かなきゃ」

「いや!!!!!」

 ラナが一際大きな声を上げる。そんな彼女の肩に手を置いてメルビルは言った。

「ラナ。メィファがこんなとこに迷い込んできたのは僕のせいだ。見捨てていけるわけないだろ」

「じゃあどうするおつもりですか!? 私を帰らせて二人でこの時空に残ると!?」

「いや、帰る別の方法を探すよ」

(あるわけがない……)

 ラナは唇をかみ締めた。どのように言えばこの男を説得できるのか。答えなど見つからないままに、必死にすがりつく。

「命知らず様。どうか私とお帰りください。私、あなた様の妻になります。たとえあなた様が呪われていてもかまわない!」

 言い尽くしたラナの瞳がメルビルを捉えて離さない。それしかできることがない中で、訪れた静寂に彼女は違和感を覚えた。

 その静寂に平静がない。

「……なんで知ってる?」

「え?」

「僕が呪われていること、君に話してはいないはずだ」

「……」

 ラナの目が泳いだ。彼にしてみれば彼女との呪われた因縁を感じたばかりだ。そんな彼女の口から"呪い"と聞けば、妙な偶然を感じずにはいられない。

「それは……」

 ラナは口ごもりながら、

「数日前に『僕はもう何年も生きられない』といっていたから……」

「君はそういうときに呪われているという発想をするのか?」

 この世界には幾多の呪いが確かに存在する。だが、死に至る呪いというものはごく限られ、普通は死を示唆したときに呪術を疑うことはない。

「ラナ、君はなにかを知っているのか……?」

「……」

 一転すがることをやめ、うつむいている彼女に、しかし彼はそれ以上圧力をかけようとはしなかった。

「……この呪いは僕で終わりにする。君はこれ以上僕と関わっても無駄になるから、元の時空に戻ってちゃんとした恋をしてほしい」

 ラナの長い髪が小刻みに揺れた。その声は小さく、泣いているようにも聞こえる。

「できるわけないじゃないですか……」

「僕はだめだ。この呪いを……僕らの一族をずっと苦しめてきたこの呪いを抱いて死ぬ。それがこの呪いに打ち克つ唯一の手なんだ」

「ならばお教えします」

 うつむいて、声にならない声で、ラナは言った。

「その呪いを解く方法……」

「えっ!?」

 今度ばかりは無視ができない。メルビルはすべてを停止して、うつむいたままの彼女にすべての意識を向けた。

 ラナは言いよどんでいる。長い沈黙が訪れた。そしてその沈黙から、今の言葉は彼女がとっさに放った虚勢だと思った。いや、思いたかった。

 期待が悪であることは彼の今までの半生が物語っている。メルビルは少しさびしそうに笑って言った。

「ラナ。とにかく僕は行かなきゃ。君はちゃんと帰ってくれ。僕らも戻れば必ず挨拶はしにいくよ」

「呪いを解く方法……」

「やめてくれ。ありはしない」

「メィファを、殺してください」

「……」

 メルビルの表情は、今度は動きもしない。


「……君はいつもそうなのかい?」

 彼の目が涼しげに彼女を見据えている。ラナは顔を上げた。

「いつも……というと……?」

「自分の意志を通すためにはどんな嘘でもつくのか」

「……」

「もう、何も言わないで。僕は君を見損ないたくない」

「嘘じゃない……」

「やめろ!」

「嘘じゃない!!」

 ラナの瞳が意思に満ちる。その瞳に乗った次の言葉は、メルビルの勢いをすべて飲み込み、彼を貫いた。

「アレはもう一人の私なのです!!」

「……え……?」

「……聞いて下さい。全部話します」

 ラナにとって、それは一種の賭けであった。しかし今は、それこそどのような手段を使っても彼を説得しなければならない。

 自分は、彼と結ばれるために再び生を受けたのだから……。


 メルビルは黙っている。話を聞く気のようだった。風もやんだ。大地も息を潜めた。

 すべての精霊が、まるで耳を傾けているかのようだった。

「私の中には……フェルメンセという神が存在しています」

「フェルメンセ……だって?」

 聞いたことがない……はずだった。しかしこの羅列はメルビルの頭脳に懐かしく響く。

「神々の大喧嘩を知っていますか?」

「いや……」

 ミカエルが調べてようやく引っ張り出してきた神話である。一部土着の民のみに語り継がれているものなのだろう。その昔、精霊神フェルメンセが神々を敵に回して繰り広げた大戦争が描かれている。

「その戦争はあなた様にかかっているその呪い……その呪いが発端でした」

 メルビルはそこで初めて、一族が呪われた原因が、デビルカースとの交戦の末に駆けた"記憶"通りであることを知る。詳細はミカエルの文献にあったとおりで、神にも使用が認められていない禁断の呪いが使われた。

「神々は私に制裁を加えるために大挙して包囲してきました」

 フェルメンセはその戦いに敗れた。もともと勝つつもりがなかった。その中で彼女はよく持ちこたえ、自分が行うべきことをすべてやり遂げてからその天命を終えたのである。

 神々は彼女を地上に堕とし、メルビルの一族が再びすべてから開放されるよう企図したことも以前ミカエルの引いた文献で述べた。

 しかしフェルメンセはそれを逆にチャンスに変えようとしたのである。

「今世報われぬなら来世では必ず……」

 語るその声はまるでラナのものではないようにすら思える。

「神という衣を捨て、再びあなた様とまみえ、今度こそ結ばれたいと……」

 ただし神々の意図は彼女を彼に殺させることである。当然のことながらメルビルの一族は彼女と触れ合うある時点で、それを知れるように配慮されていた。

「だから私はそのままでは会うことはできなかった……」

 彼女は細工をしたのだ。先ほど述べた"自分が行うことををすべてやり遂げて"とはそのことである。

 すなわち、呪いをかけたという呪いから逃れること。自分のすべてを捨て、まっさらの自分で再び彼の前に立つことであった。

「捨てるといっても、捨てたものは神というある一つの生命そのものですから、そのエネルギーは地上に堕ちたときに消えるものではなかったのです」

「それが……あの子だっていうのか……」

 ラナはしばらくうつむいていたが、やがて小さく頷いた。

「彼女を見るまで……あの力を見るまで、私自身がすべてを忘れていました。でもまさか、あなた様がアレに会っていたとは……そして私も会わなければならなかったとは……」

 運命とは皮肉なものだ。いや、あるいはそのように仕向けられたのかもしれない。自分と神々との戦いは、まだ終わっていないのかもしれない……ラナはその皮肉を、そう解釈している。

「だから私はフェルメンセであってフェルメンセではない……。今は彼女がその力と、呪いを負っています」

 だから、メィファを殺せばメルビルの呪いは解ける。

 そうするしかなかった。捨てられた九割九部のほうの魂はメルビルを愛しても決して成就することのできない十字架を背負っているわけだから、結果自分自身であるラナを憎むのもやむをえないのかもしれない。

 事実、覚醒するなり自分の命を狙ってきた。それを予期して、自分自身の精霊力を跳ね返す工夫すらフェルメンセは行ったようだが、メィファ自身の力の加わりようで自分の命が脅かされる可能性は十分にある。

「すべては……私の身勝手です」

 身勝手が彼に呪いをかけた。身勝手がメィファを生み出した。

 たった一つの身勝手が、彼を数千年呪い、そして彼女を呪い続けた。そして今、身勝手に愛されたいと願っている。

 どの面を下げて現れたかと聞かれればその通りだ。わかっている、わかっている。

「それでも会いたかった。まっしろな姿であなた様にもう一度……。そして今度こそ!!」

 ラナはこみ上げてくるものを、しかし、静かに吐き出した。

「私を……愛してはくださいませんか……?」


 メルビルは呆気にとられたまま、彼女の話を聞きつくした。

 彼女なりの不器用で一途な気持ち。呪いの刃とすら化した神の想い。それも、自分の知らない、親の親の……数え切れないほどにさかのぼった彼の祖が直面すべき感情が今、降り注いでいる。そしてそれは、彼が呪われた家に生まれ今の今まで背負ってきた苦悩、そのものであった。

「……」

 それだけに場は今までで一番長い沈黙に包まれている。

 あるいは話を信じないという選択肢もある。実際今の言葉だけでは彼の心もここまで揺れなかっただろう。

 だが、彼にはあの日見た夢の記憶がある。取るに足らないはずの夢があれほどに彼の気持ちに付きまとったのは、今日この日の、この話を信じるためであったのではないか。

(なんてこった……)

 思えば考えることを放棄していた今までだった。自分がこの呪いを抱いて死ねばすべては終わる……それだけを考えてずいぶんと命を粗末に使用してきた。人生に未練を残さないために、楽しみたいという感情を殺して生きてきた。自分に触れた幾多の人々の心に関わろうとはしなかった。

 すべては……彼女に始まり、彼女で続いている。自分の人生は生まれる前から、彼女の手のひらの上で転がされ続けていたようなものではないか。

(……)

 憎むべき場面なのかもしれない。しかし怒りに任せてこぶしを振り上げたとしても、その先にいるのは神というにはあまりに弱々しく、儚げな少女なのだ。

「私は……フェルメンセは一時の感情に任せてあなた様に呪いをかけたことを本当に後悔しました。彼女のその後の行動はすべて贖罪……そして地上に堕ちる彼女が再びあなた様に会えるよう祈り続ける毎日でした」

「……君の気持ちは、そのフェルメンセという神が魂の中にいるからこその感情なのか?」

「いいえ」

 ラナは力強く首を振った。

「私の中のフェルメンセが目覚めたのはつい先ほどです。たしかにそれから気持ちは加速したのでしょうけど……」

 ……確かに少し人が変わったのかと思えるほどの積極性は帯びた。

「私が……ラナである私が、この世界でのイヴになりたいと思った気持ち……これは偽りではありません」

 それが、フェルメンセの魂に根源があるのかまではわからない。しかし、とりあえず今は自分がラナだという気は失っていない。

「そうか……」

 しかしそうすると、メィファにも魂が混在していることになる。なるほどフェルメンセ本体がのしかかっているから、彼女の方がその影響を大きく受けた性格になっていると思えば、あの二面性もうなづける。

(どうすればいい……?)

 彼にしてみれば、一寸先が見えなかった闇に突如あふれんばかりの光が八方から差し込んできたようなものである。

 どちらが出口なのか……逆にわからない。

 そしてどの出口を目指すにしても、円満な解決を期待できないのだ。

(やはり呪われている……)

 思わざるをえない。


「僕は……」

 メルビルの口は自分の生きてきた道を確かめるように静かに動いた。

「君の呪いを抱いて死ぬ。君の呪いは、僕で終わりだ」

 それでバルトスから始まったメルビルの一族の魂は永遠に開放される。一族が連綿と語り継いできた絶望と心中ができるのなら本望だ。

「僕にメィファは殺せない」

 目の前にぶら下がった誘惑を振り払うように、彼は言った。

「君の気持ちを受け取ることもできない。さぁ、兄貴の元に帰りな」

(それで本望だ)

 メルビルはそれを頭で繰り返した。しかし彼の心にそびえ立ったその自己完結はラナにしてみれば到底受け入れることができない。

「どうして……」

 彼女の声は消え入るようだ。

「私……ここまでして……」

 神々の大喧嘩と目される大戦争。世界中の神々を敵に回したとはいえ、やりようによってはなんとでもなった。神の体裁を保つことだってできただろう。

 しかし彼女は神を捨て、すべての力を転生の準備にあてた。神々の鉄槌をその身体に受け、死ぬよりもつらい痛みに耐えながら、儀式のできる自分のテリトリーだけを死守して、力尽きるその瞬間までを生きた。

 彼女にしてもそのように悲壮な決意を持って、メルビルを……いや、メルビルの一族に受け継がれている魂を、ただ、必死になって追ってきたのだ。

 なるほど、ラナとメルビルが出会ったのは偶然だろう。しかしそれならなおさら、偶然出会うまでの長い長い岐路を、フェルメンセの魂は歩き続けたということにもなる。

 幾千の時が過ぎたのだろう。やっと出会えた。ようやく手の届くところに彼がいる。それなのに……。

 彼に触れることもかなわず、また自分の届かぬところへ消えようとしている。しかも今度は永遠に……。

 魂の混在しているラナは自分の意思とは無関係に……いや、見事にリンクをして、あふれる涙が抑えられない。

「私を……お赦しくださいませ……そしてもう一度だけチャンスを……」

「君は、身勝手なままだ」

 ラナの言い分はつまり、一族にかかった呪いを継続するか、それともメィファを殺すか……ということだろう。彼女と結ばれるのなら、その二つのどちらかの決意をしなければならない。

 メィファは自分自身だと彼女は言う。だが違う。時は短くともメィファと接してきた。同じ神の魂が混ざってるからとて、ラナとメィファは別人格だと断言できる。

「僕のために、君のために、メィファを殺していい道理があるものか」

「メィファはあなた様のために私が捨てた私です!」

「あの子にも人格があるだろ!」

「あれは私の人格……」

 呪いを切り離すのに、彼女はすべてを切り離す必要があった。ラナに残っているフェルメンセの意識は、容姿と、記憶と、彼に対する想いだけであり、残りはメィファが色濃く受け継いでいる。

「君が君の意思で自分を殺せというのならまだ僕も納得ができる。だがあれは捨てた自分だから殺していいなんていう身勝手は許せない」

「ならば……」

 ラナは涙を右手で払うとメルビルを見据えた。

「聞いてみましょう本人に。すべてを明かして……」

 その瞬間吹いた風の色が濁っていたことに、二人は気づかない。


 ラナの賭けは続いている。

 メィファに会うことは自殺行為だ。しかし、これは恐らく自分に課せられた最後の試練なのだと思う。昔バルトスにかけた禁呪は同時に彼女をも呪った。そう見るべき局面であった。

 その呪いを清算するため、彼女が立ち向かわなければならない障害であった。

 それを越えればきっと彼は振り向いてくれる……そう信じるしかなかった。……でなければ報われない。八千代描いた恋なのだ。命を懸けても絶対に諦められない。

 なるほどその想いは身勝手なのだろう。しかし、果たして身勝手から始まらない恋などあるのだろうか。人を愛するということは、そういうことなんじゃないだろうか。

 メィファはあの丘にいた。

 迎えにゆくという彼のメモを信じて一つも動かなかった結果である。死屍累々、ゼリーの破片が地面を濡らすその真ん中で、一人膝を抱えて座っていた。

「あっ!」

 メィファは二人に気づくと軽やかに立ち上がり、バタバタと駆けてきて

「どこいってたんじゃぁぁぁぁ!!!」

 殴りかかってきた。

 さすがのメルビルもこれは身に危険を感じ、やや身をかがめてその拳をやり過ごす。

「よけんなやぁぁ!!!」

「いや、だって、あの勢いで殴られたら歯が折れるし」

「それは困る」

「困るのは僕だ」

「だけどこんなみめよい乙女を、こんなとこに置いてくなんておかしいじゃろがぁぁ!!」

 そしてそこではじめて気づいたようにラナのほうへ向くメィファ。

「そそのかしたのはお前かぁぁ!!!」

「ええ、そうよ」

「な……」

 メィファは呆気にとられ、ラナはやや緊張がほぐれた。自分と接触している間いつもフェルメンセ本体が現れているわけでもないらしい。

 しかし、このままメィファと遊んでいる時間もない。この時空に存在られるリミットが迫っていた。

 ラナはやや躊躇しながらも、毅然とした声を上げる。

「フェルメンセ、私です。姿を現して」

「はぁ?」

 フェルメンセ……どこかで聞いたことが……。

 と、メィファの頭が回転したときには、彼女の身体は後方斜め上にむけて大地を蹴っている。そのまま身体は光を帯び、まるでその光に押されるように大空へと舞い上がると、斜め下へ打ち下ろすような強力な稲光を発生させた。

「あぶない!」

 メルビルが叫んだが間に合わない。

 それは灰色の空を蛇行しながら、まるで吸い寄せられるように無数の方向からラナへと襲い掛かったが、しかし彼女へと到達した瞬間、そのすべてが霧散した。

「分かっているでしょう? 無駄よ」

「貴様!!」

「命知らず様、これがアレが私である証の一つです。私の力は私に効かないように細工されています」

 そして天を仰ぎ見た。

「思い出しなさいあの戦争を!! 何のために私は神であることを諦めたの!? そして、何のために私とあなたは分かれたの!?」

 すべては贖罪のため。己の過ちを正し、再びメルビルの前に立つためではないか。

「あなたはバルトスの一族に殺されるために生まれたの!」

「だまれ!! わらわはこのような形を望んではいなかった!!」

 二人の方に向けられた彼女の眼球からは怒りがもれ、恐ろしいほどの憎しみが雷鳴の如く背中を覆い尽くしている。

「なぜわらわは……自分にすら裏切られなければならんのだ!!」

「他に方法があった!? 私が私でいる以上未来永劫想いを遂げられることは……」

「だまれ!! だまれぇぇ!!」

ラナに二頭の水竜が猛然と襲い掛かってきたが、接触と同時にまるでなにかに飲まれるように消えてしまう。

「思い出して、あの時の無念……神でありながら、たった一人のエルフの娘に恋敗れて……あの時誓ったでしょう? ならば来世……幾年いくとせ時が過ぎようともこの想いを成就させる。私は私を捨ててでもバルトスと共に生きられるように……」

「……」

「身勝手なのは分かってる。でも自分の気持ちに素直でいたいと思った結果でしょう? 私はあなたを捨てた。それが私たちが取れる最善の手段だったからでしょう?」

 運命の日……自分自身を切り離す日、彼女は底の見えない葛藤の中にいた。

 神々をすら騙すためには、自分自身でいられないほどに自分を捨てなければならなかった。わかっていながら儀式を続けた。

 それでも術の完成直前、心は再び深い深い闇に放り出された。

~~ 自分でない自分がバルトスとの想いを遂げることにどれほどの意味があるのか ~~

 己を捨てた魂が己の意識を踏み台にすることは己に対しての裏切りではないのか……。

 ……答えなど出るはずのない、長い長い瞬間を彼女は血が沸騰するほどに悩み、リミットと共に結局彼女は術を完成させた。

「あの時、どうしてやめなかったの? 私たち、どうして切り離す最後の言葉を言い切ったの?」

~~ わかるわけがない。言葉で説明できるわけがない。

 ただそれだけが……未来に光を見出すための、唯一の手段だった ~~

 ……袂を分けた二人のフェルメンセの魂が再びリンクしたかのように同じ結論を導いて、しばらく互いの鼓動を分け合う。

「……バルトス……」

 やがてメィファの頬に一筋の涙が落ち、彼女から光が消える。そしてそのまま地上に降り立つなりみたび気を失った。

 二人はその様を見つめて動かない。


 静けさが不気味なほどだった。

 黒い地上に伏せるメィファと、それを見下ろす二人。しばらく言葉も発さなかったが、やがてラナはメルビルのほうを向き、彼の、背中にかけられた鞘に触れた。

「お願いします。私たちはあなた様と生きるために役割を分けたのです。彼女も私ですからあなた様を愛したかった。でも、私が私のままあなた様を愛せないことは禁呪という過ちを犯した瞬間から決まっていました」

 彼女は……メィファに宿ったフェルメンセは納得したのだ。だから消えた。彼のために無抵抗な自分を晒したのだ。

……ラナは言わずとも、そう語っていた。


 メルビルにしてみれば、これまで幾千年も苦しめ続けられた根源が転がっている。

 今、彼は、たった一つの、造作もない行動でそれから開放される。

 メィファはうつ伏せのまま安らかな寝息を立てている。顎が上がって首筋があらわになっているその格好は、見方によっては彼に命を差し出している姿にも見える。

 精霊神フェルメンセの悲壮な決意は受け取った。バルトスという名の先祖に、どのような物語があったのかは知らない。が、彼女の誠意だけは理解した。

 その上でメルビルはまったく別のことを言う。

「ラナ、時間は?」

 ラナはあわてた。砂時計の砂はあとわずかで消える。

「私が飛びます。この距離なら多分間に合います」

「頼みがある」

「はい」

「メィファを運んでほしい」

「……」

 彼女の顔が苦悶に歪む。その気持ちをメルビルも十分に察したが、その上でくぐもった声を上げた。

「……最後に彼女と話したいんだ」

「おやめください」

 時間がたてばまた彼女の気が変わる可能性だってある。

「頼む。なるほど君らは納得したのかもしれない。でも僕は……」

 その時だ。

 不意に、やや遠くの空に天をめがけて黒い炎が上がった。

「あれは……」

 音もなく燃えさかる炎の場所は、時空の出口と思った場所に近い。

 ラナはさらにあわててもう一度砂時計を手に取り、いまだ流れている砂を見てさらに焦りの度を高めた。

「これひょっとして少しずれてるんじゃ……」

「わからない。飛んで間に合う?」

「あの炎がいつまであるかによります」

 ラナの周囲に風が絡んでいく。

「急ぎましょう」

「メィファを……」

「好きにしてください!!」

 吐き捨てたと同時につむじを描いて彼女の姿は消えた。風に姿を変えた瞬間であった。

 メルビルもあわてて傍らに眠っている少女を抱え上げる。その手元に精霊石が落ちた。

「私が力を込めている余裕はないかもしれません。精霊石の使い方は分かりますか?」

「なんとか」

「では行きます!」

 彼がそれを拾い上げるのと同時に、彼の足は一瞬で地上から離れ、まるで弾かれたように舞い上がった。

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