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七章 山の神、あらわる 上

「お母さん……」

 母だけではない。母の後ろに人だかりが見える。

「なんと。あの血判書はこの暗示だったのか」

 顔色を変えた狸がうめいた。鍬や鋤、竹槍をかついだ男衆。その後ろにはきつい目をした女衆がひかえている。武器を持っていない者も石をにぎりしめ、じっとコックリをにらんでいた。巫女を降りた茜もいる。桑の実村の住民がここに集結しているのだ。

 小夜は息をのんだ。今日の夜明け、桑の実村であかあかと火がたかれていたのは。あれは小夜への送り火ではなく、ここに来る準備をするためのものだったのか。

「小夜、お前さんに謝らねばならぬ……」

 あのおばあさん、放火をしたおばあさんが小夜の母の隣に進み出た。

「小夜を、茜を助けたいばかりに放火をしたけれど、それは小夜の大切な友人を殺すことだったのだね。その馬を助けたいために、お前さんは自ら巫女になったんだろう。ならば、それは、わたしがお前さんを巫女にしたてあげたようなものじゃ。お前さんが巫女になったお陰でわたしの罪は反故になったけれど、これではわが身かわいいばかりに小夜を身がわりにするようなもの。わたしは、こんな思いを抱えてゆくのは耐えられぬよ」

 おばあさんがコックリの三者の目をひとりずつ見すえ、深く息を吸いこんだ。

「代々につらなる桑の実村の恨みをおもわれたし! 小夜を返してくださればそれでよし、ならずんば桑の実村一同、男女、子ども足萎え問わず、みな山の主に蜂起いたす!」

 オオーッ、と桑の実村の村人たちが雄たけびをあげた。

 コックリの三者が小夜の周りをかためる。小夜は泣き出しそうになるのをこらえ、ぎゅっと唇をひきむすんだ。

「行ってはいかん。おぬしが行けば、何百、何千もの民が飢えるのだ」

 いつもののほほんとした狸からは想像もできないほど厳しい声が小夜を打つ。

「わかっています」

 こらえきれずに涙がこぼれた。

「私が巫女の役目を果たした後も、みんなを罰さないでください」

「わかっておるよ、もちろんだ」

 ここにいるみんなを守るためにも、小夜は巫女として行かなければならないのだ。でなければ、桑の実村の全員が打ち首になる。日照りが続いて何百人もの人が飢える。母がどれほど泣こうとも、その命には、命だけには代えられない。小梅の結婚を守るため、そして鳶が罰せられないためにも。

「小夜を返してくれぬならば、コックリさまとて容赦はせぬぞ」

 武器を持った男衆が前へ進み出た。武丸と狐が刀を抜き、迎え撃つ構えをする。さがれ、とうなるような低い声が聞こえ、小夜は絶影の手綱をしぼった。

 と、後ろにさがったとたん、軽やかな馬蹄の音が耳に入る。小夜はぎょっと振り返った。ここにいるのはコックリと巫女、そして徒歩の桑の実村の衆だけ。どの馬も駆けてはいないはずなのだ。

 ふりかえれば、留守番をしているはずの翻羽が馬をやめて鹿になってしまったのかと思うほどの軽やかさで斜面を駆けあがってくる。その手綱をとっているのは。

「小夜ちゃん!」

「小梅さん! どうして!」

 衝動的に来たのだろう。その証拠に着ている衣はあまりに長く、帯はかなりおざなりだった。重い十二単を脱ぎ捨て、最後の一枚だけをまとっているのだ。無造作にたばねられた髪はみだれ、汗でべとべと。化粧も落ちてしまっている。が、翻羽のほうがひどいありさまだ。汗で全身の色が変わり、口からは泡をぼとぼと垂らしている。目は血走り息は乱れに乱れ、全身の血管がみごとに浮かび上がっていた。

 ばしん! と硬い音が響く。面におおわれた武丸の頬を、小梅が平手で打ったのだ。

「お兄さまの馬鹿! 分別なし! なにをしたかわかっているの、ここで兄妹の縁、切らせていただきます!」

 小梅のののしり言葉など、七歳のときに出会ってから今までただの一度も聞いたことがない。ましてや手をあげるとは。あまりのことに小夜はぽかんと口を開けた。武丸も面の奥で大きく目を見開いている。

「ごめんなさい、小夜ちゃん。全部鳶さんと葵さんから聞いたわ。鳶さん、頭から血を流しながら私のところへ知らせに来てくれたのよ。後は葵さんから全部聞いたわ。巫女のことも、私が知らない間とはいえ小夜ちゃんを身代わりにしたこともね。さ、馬を取り替えましょう。巫女は私よ」

 小夜は激しくかぶりを振った。

「でも、小梅さんは狐さまと結婚するんでしょう」

 小梅がきろりと小夜をにらんだ。どきっとした一瞬の間に、小梅は声をはりあげていた。

「狐さま、あなたさまとの婚約、この場で破棄させていただきます。無礼なれどお許しくださいませ」

「なに!」

 狐がうわずった声をあげる。小梅は何事もなかったかのように小夜に向き直ると、絶影の手綱を横からにぎった。

「これで私にも巫女の資格があるわ。小夜ちゃんに責任を押しつけるわけにはいきません」

「でも、だめ。絶影を小梅さんに任せるわけにはいかないの」

 ふたりはにらみ合った。

「任せはしない、二人ともだ!」

 小夜も小梅も、はっと声のした方を振り返った。振り返るまでもなく、ぱっと狐が狸と武丸、小夜と小梅の間にすべりこんで、立ちふさがる。狐の仮面をつかみ、はぎとった下は秀麗な若武者の顔。

「わたしが女にうまれていれば、かわってやったものを。これほど悔やむ者がいるというのに、巫女として二人のうちいずれかをさしだせと? 笑止! これ以上、小夜を泣かせるわけにはいかぬ。そして、やっと見い出したわが妻を失う気には、とうていなれぬな」

「狐さま!」

「そのいまわしい名ではなく、翔次郎と呼ぶがよい」

 狐、いや狐田翔次郎は不敵に笑った。

「礼を言うぞ、小梅。ここでそなたが飛びこんできてくれねば、あやうく小夜を見殺しにするところであった。そなたはまこと、わが妻にふさわしいおなごだ」

 小梅が頬を赤らめて翔次郎を見つめる。翔次郎も笑い返し、次は馬上から桑の実村の一同を見渡した。

「桑の実村の衆、村を追われたところで案ずるな。私と私の部下が責任をもって山越えなりなんなり警護し、ちゃんと畑を持って暮らしが立つまで面倒をみよう。日照りになれば、そのときはそのとき。なんのために税と穀物倉があると思っているのだ。小夜、そなたのせいには決してせぬから、ここはわたしにまかせて行くのだ。みな、二人を頼むぞ」

 桑の実村の衆が歓声をあげた。翔次郎がそっとみんなのほうへ小夜を押し出してくれる。とたんに小夜は、駆け寄ってきた桑の実村のみんなに囲まれた。絶影の鞍上にいるままぎゅっとたくさんの手に抱きしめられ、手を握られ、なでられ、ねぎらわれ。

「たわけ! 何をしておるかわかっておるか、今すぐ撤回して山の神に詫びよ!」

「ここで心を変えぬ者は、男の端くれにも置けぬ。狸原どのはどうやら男を捨てたと見えるな」

 翔次郎の視線と太刀の切っ先は、お前はどうなのだ、とばかりにまっすぐ武丸を向いている。武丸の全身にふるえが走った。

「このままでは、村は、里は……」

「その重責をたった一人の少女に任せるということが、まず間違っているのです」

 萩野が吐き捨てた。狸が顔色を赤から青に急展開させる。

「ぬしら、山の神を雨ごいの道具か何かと考えておるのでは、なかろうな」

 真っ青の次は蒼白に顔色を変えた狸が、妙におごそかな声を出した。

「山の神は、神とも精霊ともつかぬ不可思議な存在。かのものの怒りを買えば、どうなることか」

 狸が言葉を発した次の瞬間。

 狸がまたがる騰霧の鞍にかけてあった袋、絹の入った袋が、誰も手をふれていないのに、ぱたり、と地面へころがった。巻物が転がり、純白の絹がひろがってゆく。

「……来た」

 はじまりは、一頭のクマだった。身構える皆をよそに、ほこらの奥からのっそりとあらわれたクマは、人間どもには目もくれず、ゆっくりと歩いてゆく。炎の上に立つかげろうのように透き通ったクマだ。クマのあとを、ちょこちょこと小さなネズミが続く。その後をヘビが、キジが続いた。いずれも透き通った美しい姿だ。

「これが、山の神?」

 獣たちの列は続いてゆく。シカ、イノシシ、サル、ウサギ。そして、二十三頭目に、それは姿をあらわした。

 真っ黒な馬にまたがった、美しい姫。姫は深い眠りからさめたかのように目をしばたくと、一行をうるんだ瞳で見つめた。姫の手からふぅわりと羽衣が浮かびあがる。かわりに狸のそばから、風もないのに絹が巻きあがって、姫の手におさまった。姫は絹の手ざわりを楽しむかのように頬をすりよせると、ふぅわりとまた、新しい絹を羽衣としてまとう。古い羽衣は、千々に乱れて跡形もなく消えてしまった。

 その間もまだ、すきとおった獣たちの列は続いている。いつの間にか最初にあらわれたクマの方は足が地をはなれ、宙を駆けていた。竜巻のように、ゆっくりと列をなして空へのぼってゆくのだ。

 何十頭、いや、百をゆうにこえる獣の群れ。二十三頭ごとに姫と馬があらわれ、羽衣を取りかえて天女と天馬になり、空へ次々と駆けあがってゆく。その美しさに一行は見とれた。

「き、菊野姉さま!」

 萩野が叫んだ。真っ白な馬にまたがった、萩野にどことなく似た少女がゆったりと小夜にほほえみを向けている。桑の実村のみんなもどよめいた。

「菊野! 菊野だ!」

「ねえさま、ねえさま……」

 萩野がぼろぼろ涙を流した。が、萩野の呼びかけも、桑の実村のみんなの声も菊野には届いていない。菊野はただ、ほほえみながら小夜に歩みよってきた。あわてて桑の実村の一同が道を空ける。

「これを」

 今まで自分が身につけていた羽衣を、そっと小夜の肩にかける。小夜は自分の体が軽くなってゆくのを感じた。鞍の下の絶影と、一体になる感触。そして、自分の体と絶影の体が、この世のものでなくなり、透きとおってゆく感覚。

「小夜」

 喩輝の鞍上から武丸が手をのばす。

「待て、小夜。行くな!」

 が、小夜はもう、新しく羽衣をまとった菊野とともに風の速さで走り出していた。

 巫女は、山の神に食われるわけではない。嫁になるのでもない。山の神の一部となり、天女となって馬と共に駆けてゆく。人間の少女は獣の速さで駆けられないから、馬を必要とするのだ――。

 山をはいのぼるように紫の雲が集まってくる。獣の群れは長く長くつらなって、ついに一頭の龍へと姿を変えた。龍に招かれて雲が集まり、ついに待ち望んだ雨が降る。

「行くな、小夜ぉおっ!」

 やっと、やっと我に返った武丸の絶叫が天をつんざいた。



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