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五章 なにもしらない 下

     *


 その日、放火は起きなかった。小夜は五重塔に泊まり、そして朝、五重塔の前で茜と向きあっている。

「小夜、さよなら。ありがと、本当に」

 ぐすぐす泣きながら茜が小夜を抱きしめた。小夜は巫女らしいゆったりした微笑を浮かべ、ええ、さよならね、と茜の背を叩く。茜は十七歳、小夜より三つも年上なのに、今はなんだか小夜の方がお姉さんのようだった。

「お母さんによろしく言っておいて。私、何も言わずに出てきちゃったの」

「ええっ。それはまずいでしょ、一度帰ってきたらどう?」

「帰れるはずがないよ。だから、お願い」

 茜はうんうんうなずき、小夜の手を握りしめた。そして、ぱっときびすを返し、門のほうへ走ってゆく。

 小夜とならんで茜を見送っていた狐が、すっと小夜に視線を移した。

「小夜。巫女候補の茜が五重塔を降りた今より、そなたが山の神の巫女。いやおうなく巫女をおろされるようなことが起こらぬかぎり、そなたの意思で巫女を降りることはできぬ。よいか」

 小夜はそっとうなずいた。

「では、参ろう」

 狐にうながされ、試験のときとは別の階段を使い、五重塔に登った。試験のときのように長くつらい階段ではなく、ゆったりとした、短い階段だ。

 座敷に出る。試験のときのような大広間ではなく、こじんまりした座敷。吹き抜けの欄干と渡り廊下は同じだが、その中央の広間が壁でくぎられ、いくつかの部屋になっているようだ。そこで、二人の人物が小夜と狐を待っていた。

 扇で自分の顔をあおぐ太鼓腹の狸と、山犬の面をかぶり、あぐらをかいて微動だにしない大男。面の男が武丸だとわかったとたん、小夜は肩をこわばらせた。

「桑の実村の小夜じゃったか。どれ、顔を見せてみよ」

 言われるままに顔をあげると、おうような口調とは裏腹に、気づかうような、やさしい狸の目が小夜を見つめていた。

「おびえておるな、無理もない。じゃが、山の神の巫女は、生贄とは違う。誇り高き役目じゃ。なにもおそれることはない。心してのぞみなさい」

 小夜は静かに頭をさげた。

「狗、面をとってはどうだ。その面をつけるべきは、儀式の間のみであるぞ」

 狐が声をかけたが、武丸は機械的なしぐさで首をふる。

「言葉を返すが、狐。儀式の最中に面をつけなければならないという掟はあるが、その他の時につけてはならないという掟はない」

「では、巫女にせめて歓迎の言葉かなにかを」

「狗として歓迎する、小夜姫よ」

 感情というものをなくしてしまったかのような武丸の物言いに、小夜はあらためて震えあがった。

「我ら三人は、その部屋で寝泊りしておる。そこがわし、むこうが狐、あちらが狗じゃ。なにか用があれば訪ねてくるがよい。さて、巫女の衣装を選びに行くかの」

 小夜は思わず「狗の部屋」を見つめた。火事のとき、武丸はここにいたのだ。これでは厩に駆けつけるのが遅れても無理はない。

「では、これにて」

 武丸がゆらりと立ちあがる。

「火事で燃えた馬具を、新しく用意せねばならぬ」

 止める間もなく、小夜と狐の間を、二人を突き飛ばさん勢いで通り抜けていった。その着物からは、たしかに馬と煙のにおいがする。別人だと思いたかったが、あれは確実に武丸なのだ。

「困り者じゃの」

 口調とは裏腹にまったく困っていなさそうな狸の様子に、小夜と狐は不安な面持ちで視線を交わした。

 狸と狐に導かれ、小夜はまた階段をあがった。

「ここが、巫女の間じゃ」

 小夜は目を見張った。真っ白な絹の巻物が桑の実村総出で作られたのではないかというほど積みあげられていたからだ。いや、「作られたのではないか」ではない。

「見事じゃろう」

 狸は胸を張り、巻物のひとつを広げた。美しい光沢のある見事な絹だ。

「好きなものを選ぶがよい。そちの衣装を作らせようぞ」

「狸さま」

 小夜は声をふるわせた。

「私の母の織った絹は、ここにありますでしょうか……」

 狸はうなずき、一本だけ別にしてあった巻物をとって小夜に渡した。

「そう言うと思っておった。桑の実村出身の巫女はみな、それを所望するのじゃ」

 小夜はそっと絹を広げた。最初、きめ細かく美しく織られていた絹は途中からふいに目がそろわなくなっている。はさみでわずかに切り目を入れた跡。きっと、小夜が巫女になったことを知り、機を切ってしまおうとしたのを誰かに止められたのだ。そして、涙のしみが無数に落ちている。

 黙って小夜を見つめていた狸が、そろそろと手を出した。小夜はその手に、巻きなおした絹を乗せる。

「では、この布でそちの衣装を仕立てよう。衣装係!」

 ぱたぱたと数人の女性が巻尺や鏡、くしを持って現れた。

「では、わたしたちは出ておる。着替えを済ませたら、さきの座敷へ来るように」

 狐と狸が連れ立って、階段を降りていった。

「小夜姫さま。では、失礼いたしますね」

 小夜は数人の女性たちに体の寸法をとってもらった。その後、湯を使って汚れを落とし、髪をすいて香をたきしめ、巫女装束ではない仮の、しかし小夜の身分では決して手に入ることのない美しい服を着せてもらった。おしろいを塗り、頬と唇には紅をさす。

 一介の村娘を姫に変えた衣装係たちはどこか誇らしげに、しかし小夜をあわれむような目つきをちらちらと投げかけつつ、狐と狸の待つ座敷へ小夜を導いていった。

「おお、よいではないか」

「見違えたぞ。よくにあっておる、小夜」

 二人は口をそろえてほめてくれたが、小夜はうれしくなかった。絹についた涙のしみが、まだ目の奥をちらちらしている。

 狐と狸のふたりが視線をかわした。狐がかすかにうなずく。狸が口を開いた。

「儀式の日取りは、五日後じゃ。こころしてのぞむように」

「その間にしたいことがあるならば、できうる限り適えよう。なんなりと言うがよい」

「五日後の朝に、そちは身を清め、相馬大名を祭司にむかえて出立の儀式をとりおこなう。その後、巫女とコックリの三人、四頭の馬で聖山のいただきにある、ほこらをめざす。今年は日照り年だから、そなたの乗る馬は雨乞いの黒馬、絶影青毛じゃ。山の王が旱魃と豪雨を取り違えぬよう、晴れまねきの白馬、翻羽葦毛は下界へ置いてゆく。山のいただきでそなたに何が起きるかは、巫女しか知ることを許されぬ」

「承知いたしました」

 両手をそえ、そっと頭を下げる。狐が小夜に歩みよって顔をあげさせた。

「そなたは巫女となった時より、我らコックリとならぶ身分だ。頭をさげる必要も、一段低い場所でかしこまる必要もない。慣れるいとまもないだろうが、覚えておきなさい」

「あと、そなたに知らせることはだな。早朝と夕刻、出立の儀式に舞う神楽のけいこをしておる。試験の時に使った広間におるゆえ、そちも来るといいじゃろう。そちは本番も見ているだけで、神楽には参加せんが、一度くらいは見てもよいじゃろうて。では、狐、ここから先は任せるぞ」

 狐がうなずく。狸が太鼓腹をゆすって立ちあがり、座敷を出て行ってしまった。

「では小夜、わたしたちも参ろう。この塔はいりくんでおるから、迷わぬよう、案内せねばな」

「狐さまは、私につきあっていてもよろしいのですか? その、お仕事なんかは」

「狐としてのわたしの仕事は、巫女を選ぶこと。巫女を選んだのちは、巫女とともにあることだ。これも仕事のうち、気にするでない」

 狐はほほえんだ。とても悲しげな笑いかただった。


     **


 その言葉通り、狐は時間の許す限り小夜と一緒にいてくれた。ひとりきりになると、どうしても気持ちが沈んでしまう。だから、ぽつぽつと昔のことを話してくれる狐の声が本当にありがたかった。

「実は、わたしと武丸は幼馴染なのだ。知っておったか?」

「いえ。あ、そういえば小梅さんがそんなことをちらっと言っていたような」

「ずいぶん身分が違う上に、長いこと会っていなかったから不思議に思うのも無理なかろうな。少しばかり恥ずかしい話になるのだが、聞いてもらえるか」

 恥ずかしい話? 小夜が首をかしげると、狐はそうなのだ、とほほえんだ。

「幼いころのわたしは、いわゆるいじめられっ子だったのだ。使用人の子どもらによくからかわれておった。身分からすれば許されることではないのだが、きやつらもしたたかでな。悪事が表に出ないよう、うまく立ち回るのだよ。ヘソなし、ヘソなしと。まだあの声が耳にこびりついておる」

 小夜はびっくりして目を見開いた。

「ヘソなし? 狐さまもそうなんですか?」

 武丸のほかにそんな人がいるとは思わなかった。もっとも、武丸はそれでからかわれるどころか、むしろ腹踊りで見せびらかしていたのだが。狐が軽く声をたてて笑う。

「そうなのだ、わたしの腹には生まれつきヘソがないのだよ。それをからかわれていたのだが、そこを救ってくれたのがガキ大将の武丸でな。着物の前をはだけて一喝。俺もヘソなしだ、からかうのなら俺もからかってみろ! おかげで皆、肝をつぶして、わたしに近づかなくなってしまった」

 小夜も思わず笑ってしまった。いかにも武丸のしそうなことだ。

「それからしばらく仲良くなって一緒に遊んでいたのだが、神馬を盗み出して遠乗りに出かけようとしたところを武丸の父上に見つかってな。あの方は本当におそろしかった」

 狐の顔がうれいをおびる。

「ふたりして容赦なく滅多打ちにされてしまった。大切な馬だ、当たり前といえば当たり前の対応だったのだが、わたしは目下の者にそんなことをされたのが腹立たしくてな。以来、武丸と疎遠になってしまったのだ」

 と、階段のほうからばたばたあわただしい足音が聞こえてきた。武丸かもしれない、と小夜は思わず身を固くしたが、ふすまが開いた向こうにいたのは予想に反して狸と衣装係の女性だった。

「そんなに急いでどうされたのですか」

 ここは五重塔の最上階だ。長い階段をあがってきた狸は荒い息をつきながら、狐と小夜に向かいあった。

「大変なことになったぞ。ほれ、見せて差し上げろ」

 狸にうながされ、衣装係が手に持っていた絹の巻物を手元に置き、頭をさげた。

「お狐さま、小夜姫さまにつつしんで申しあげます。小夜姫さまにご指定いただいた絹を仕立てようとしましたところ、巻物の最後にこんなものが。ごらんくださいませ」

 衣装係の声が震えている。狐が歩み寄り、絹を手に取った。

 最初見せられた時と逆向きに巻きなおされた母の絹。そこに無数の海老茶色の染みが浮いている。深い赤みと黒味がかかった一寸ばかりの整然と並んだ染み。狐が目を見開いた。

「血判書ではないか! なぜ、こんなものが。いつ気づいたのだ」

「ちょうど今しがたでございます。ほかの絹も念のため調べさせておりますが、わたくしが見た限りでは、これ一本のみかと」

「血の穢れを絹につけるとは許せぬ。誰がこんなことをしたのだ」

 小夜は胸のどきどきをこらえながら、桑の実村の家の数を数えた。小夜の家、村長の家、ばあさまの家、茜の家……。ひとつ数えるごとに血のしみをひとつ、目で見すえていく。桑の実村は小さくて、家の数もそんなに多くない。ひとつひとつの家と人の顔を必死で思い返しているうち、涙がこみあげてきた。

 血判書の血のしみは、桑の実村の家庭の数とぴったり一致した。

「やはり、そうか」

 小夜が数え終わるのを待っていたらしい狸が、ぽんと絹のそばに片手をついた。

「どう思う、狐」

「三度連続で桑の実村からの巫女。相当、恨みがつのっておるのでしょう。抗議の意かと思いまするが」

「本来なら村を丸ごと処分せねばならぬのだろうが……」

 狸が悲しげに小夜を見つめた。

「巫女はとても、望むまいな」

 小夜は涙を浮かべたまま、唇をひきむすんでうなずいた。

「わかっておる。巫女の望みにより、桑の実村の処分はせぬ方向にしよう。衣につかう絹は替えたほうがよいか?」

 小夜は首を横に振る。狸が小夜の背をぽんぽんとやさしく叩いた。

「あいわかった。血の部分を切り取り、塩でよく清めて衣にしたてよ。切り取った部分は我らに届けるのだ。よいな」

 女中は深々と頭を下げ、絹を持って階段をくだっていった。



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