下らないエレベーター
十月。
新進気鋭のAIベンチャーであるT社からの内定を承諾した男は、すぐにでも出社してくれとの要望に応えるべく、こうして朝早くから履きなれない革靴と共にT社ビルまで来た……のはいいのだが。
「……でっけえ…………」
この見上げきれないほど立派なビルに、男は腰が引けてしまっていた。ずっと眺めていると、なんだか倒れてきてしまいそうな気さえしてくる。
男は、住所が合っているかを今一度確かめ――気合を入れ直し、中に入ることにした。
大きなガラスドアを通り、受付の人間と軽い挨拶を交わした後、堂々とした足つきで横に見えるエレベーターまで向かった。……受付のお姉さんもロボットかもしれないが、誰に見られているとも知れないし、格好つけておいて損はないはずだ。
そうして足を進めていると、ちょうど目の前でエレベーターが開いた。出てきた人に軽く会釈をしつつ、男はエレベーターに乗り込む。正面の扉横に目を向ければ、三列にボタンが並んでいるのが見えた。その中から男が『45』と書かれたものを押すと、ボタンが光り、扉が閉まった後エレベーターは上昇を始めた。
エレベーターは途中階で何度か止まりつつも、上昇を続け――四十五と画面に表示されると共に扉が開き、男はエレベーターを降りる。
男は軽く辺りを見回し……オフィスの入り口らしき場所に立っていた男に近づいた。
「……あー、おはようございます。内定を頂いた登川と申します。四十五階に来てくれとのことで伺ったのですが……」
「ああ、おはよう。ここまでよく来てくれた。話は既に聞いているし、早速だが案内をしよう」
「よろしくお願いします」
「ああ。とはいってもそう難しいことを頼むつもりは――」
「……まあ、こんなもんか」
一通り説明を受け、実際に業務――人間を模したAIと喋っていただけ――をしている内に昼休みになり、男は一度ロボットの電源を落とした。
軽く荷物をまとめて席を立ち、三階にあるという豪華なビュッフェに向かうべく、男がオフィスから出ようとして――先輩から待ったがかかる。
「ああ、そうだ。言い忘れていたが……」
「……?」
「ここのエレベーターはな、下らないんだ」
………………は?
「……流石に冗談ですよね?ここ、四十五階ですよ?」
「試してみるといい」
……男は言われるがまま、エレベーターに乗り込もうと近づいた……のだが。
「……あの、下ボタンが付いてないんですけど」
「上昇志向ってやつだな」
「……」
上の表示灯を見る感じ、エレベーターは現在三階に止まっているらしい。男は、ひとまず上ボタンを押し、エレベーターをこの階まで呼び出した。……なぜか先輩は、後ろの方に立って様子を伺ってくれている。
やがてエレベーターが到着し、中に入った男は迷わず『3』を押した。
「……あの、ボタンが反応………………しないんですけど」
が、動かず。自動でドアは閉まった癖に、エレベーターはこの場で腰を据えたままである。
男が一度エレベーターから降りると、先輩は笑みを浮かべて言った。
「笑えるだろう?そいつはな、中に人が乗っていると今よりも下の階層のボタンは機能しなくなるんだ」
…………。
「……全然笑えねえっすよ」
定時となり、男は先輩に一声かけオフィスを出た。そして、昼間と同じように階段に向かう――なんてことはせず、男はエレベーターに向かった。……そう、男には確かめたいことがあった。
男は昼間と同じように上ボタンを押し、エレベーターを呼び出す。やがて、同じようにエレベーターが到着し、男はそれに乗り込んだ後――
何もせず、その場で待った。
そして。
男がしばらく乗っていると、エレベーターは下降を始めた。
……やはりか。昼間は衝撃でうまく思考が回らなかったものの、よくよく考えれば『下らない』というのはおかしい。本当に下らないのであれば、エレベーターから『降りてくる人』など目撃できるはずがない。
つまり、人が乗っていても下ること自体は可能であると。そしてその上で、中からボタンが利かないのであれば――誰かが外でボタンを押すのを待っていればいいというわけだ。
朝に見かけた人も、おそらく同じ方法を使っていたのだろう。男がボタンを押す前にはエレベーターは動いていたが、ボタンを押して待っていた人が先に着いた他のエレベーターに乗った、と考えるのが自然だ。
ああ、しかし、これでようやくあの気が遠くなるような階段地獄からおさらば…………したかったなあ。
下降を続けていたエレベーターが止まり、扉が開く。そして、人と入れ替わるようにして男が外に出ると、目の前にでかでかと表示されている『28』が嫌でも目に入ってきた。
男は上っていくエレベーターをしばらく眺め続け……眉一つ動かさず階段の方に向かっていった。
……そう。この方法には、一つ重大な欠陥がある。中からボタンが利かない以上、外の誰かが押してくれるのを待つしかないのだが……その誰かがいつどこで押すのか、そもそも現れてくれるのかすら分からないのである。よしんば現れたとして、それが一階である確率を考えたら…………もう、議論するまでもないだろう。
そうして男は、心を無にして階段を下り続けたのだった。
あれから数日が経ち、仕事を終えた男がオフィスを出る。が、今日は先輩がご飯に連れて行ってくれるとのことで、一緒に帰ろうと階段に向かった――ところで先輩から待ったがかかった。……なんかデジャヴだな。
「どこに行くんだ?」
「え、いや、帰るんすよね。だから階段で――」
「ああ、まだ気づいてなかったのか。これは――」
「中で待ってればってやつですよね。でもあれじゃ確実性が――」
「……ああ、なるほど。いや、そうではない」
「?」
そう言って背を向けて歩き出した先輩に、男はひとまずついていくことにした。
先輩はエレベーター前で足を止め、上ボタンを押す。するとたちまち、エレベーターが到着して扉が開いた。
…………普通だな。特に何かあるようには見えないが。
そして、男が中に入ろうとする…………のを何故か止まっていた先輩に止められた。
「……え、ちょ、何して――」
「中に人が乗っているとボタンが押せなくなる。なら――」
「…………ッ!」
「人が乗っていなければ押せる……ってわけだ」
「…………」
どんなすごい方法なのだろうかと男は若干ワクワクした。……したのだが、その答えが『片足立ちとなってドアに寄りかかりつつ、必死に腕を伸ばす』というのは流石にないだろう。『1』のボタンも光っているし、確かに下降はしているが……あまりにも原始的すぎる。
……というかそもそも。
「……なんでこんな面倒な仕様にしてるんですか。あまりにも非効率ですしその……見た目もよろしくないでしょう」
「……社長が動き出す際の浮遊感が苦手だと言っていてな。下りられないようにと仕様を変えたんだが……その分の手当が給料に入っているせいで文句も言えん」
「……」
「それに、見た目がアレでももう階段を使う気にはなれんな」
「それは……そうですね」
「だからこうして、不便でありながらも使い続けているというわけだ。どうだ、下らないだろ?」
先輩の何とも言えない笑みに、男はしばらく言葉を探し――言った。
「……ええ、ほんとうに」




