平民アネット 文官を目指す
「落ちた・・・」
張り出された二次試験合格者の番号に、アネットの153番はなかった。
「どうしよう」
落ちるなんて思ってもいなかった。平民学校では成績は常にトップだったし、模擬試験でも楽々合格圏内だった。一次試験でも、自己採点によれば、満点だったと思うのに。
アネットは地方の小さな村の出身だ。領主に才能を見い出され、昨年一年間だけ王都の平民学校に通わせてもらって、王宮の文官試験に挑戦した。
「二次試験、そんなにダメだったかな」
一次試験は正誤が確実に判断できる問題ばかりなので、点数が予想できる。だが、二次試験はすべて記述式であることと、そもそも問題文が外国語で書かれているので、それを正しく読み取るところから始まる。解答は、この国の言葉で良い。
「情報不足が響いたかなあ」
アネットは例年のように大陸公用語で出題されると思って臨んだのだが、近々R国と友好条約が結ばれるせいか、問題文がすべてR国語で書かれていた。アネットは事前にそのことを聞かされていなかったので驚いた。
しかし、問題用紙が配られた時、目だけをチラリと動かして周りを見たが、動揺している人はいなかった。皆、知っていたのだろう。その時点でアネットは情報戦の敗者だった。
とはいえ、アネットはR国語も不自由なく読み書きできたので、それほど時間のロスにはならなかったと思う。設問自体も想定問題集にあるようなものばかりだったので、記述式とはいえ減点されるような解答をした覚えはない。それが不合格とは。都会の貴族はもっとレベルが高いのだろうか。
試験を受けた会場で、見るからに平民なのはアネットともうひとり男の子くらいだった。ほかは、服装も髪型も身のこなしも、何もかもが違う世界の人たちのようだった。場違い感に身を竦めたが、合格したら、この人たちと肩を並べて仕事をしなくてはならない。今から怖気づいてどうする、と自分を鼓舞して頑張ったのに、・・・。
唯一思い当たることといえば、設問の最後に、採点には影響しないが、という前置きの後、『国への提言があれば自由に記載せよ』とあったので、日頃考えていることを時間の限り書いてしまった。あれがまずかったのだろうか。
試験は三次まである。とは言え、三次試験は面接のみで、これは希望の部署を聞いたり、勤務地はどこが良いかなどを確認する程度と聞く。つまり二次試験に合格すれば、採用は決まったようなものだった。
それがまさかの不合格。
アネットは困った。
村のみんながアネットに期待して、王都までの片道の交通費と受験料を工面してくれたのだ。このままおめおめと帰る訳に行かない。何とかもう一年踏ん張って、もう一度文官試験に挑戦したい。
だが、どうやって。
こうなったらダメもとで、とにかく頼める人に頼んでみよう。
アネットは、今住んでいる寮の管理人さんがいつも忙しそうにしているのを見ていたので、すぐに管理人室に向かった。
「おじさん、アネットです」
「どうした。合格したか」
「落ちました」
「はあ、余裕そうだったのに、ダメだったのか」
「はい、つきましては来年も挑戦してみたいので、ここで働かせてもらえませんか。無給でいいので住まわせてください。納戸で寝かせてもらえれば、それでいいです。お願いします。仕送りがなくなるので、自分で生きて行かなくてはなりません」
そう言ってガバリと頭を下げた。管理人は渋ったが、アネットはさらに言葉を重ねて説得した。
「うーん、お給料を出せる立場じゃないから、お金は渡せないけど、遠い親戚の子を預かってるってことにでもしようか」
「やった! ありがとう、おじさん。私、頑張って働くね」
アネットは満面の笑みで礼を言った。
「勉強の時間が取れなくなるけどいいのかい?」
「大丈夫。一日二時間くらいあれば、一年で結構な冊数を丸暗記できるから、図書館で本を借りてくる。これまで本格的に勉強したのって、王都の平民学校の一年間だけだもの、たぶんいける」
「ええ? 一次試験、ほぼ満点て言ってなかったか? それだけの勉強で満点とれるのか、すげえな」
「でも、都会の貴族様も一次はそのくらい取れたんじゃないかな。二次で負けたからね」
管理人は、そんなことがあるだろうかと思ったが、彼もまた平民なので余計なことは口にしなかった。
◇ ◇
「ああ、またここが間違ってる。もう何度目だ。覚える気があるのか」
「すみません。うっかりしていました」
「うっかりって回数じゃないぞ。ほら、早く直して来い」
「お前も、先週頼んだ資料はいつでき上がるんだ」
「はいっ。明日には」
「二日で仕上げろと言っただろう。綴りのミスも多いからな。このレポートも意味が分からない。初等科の作文じゃないんだ。章分けくらいしろ。書き直しだ」
宰相の執務室で、宰相補佐のギルバート・カミングスが、部下二人を叱りつけて追い返した。
「まったく、最近入省してきたやつはどうなっているんでしょう」
カミングスは宰相に思わず愚痴をこぼした。
「彼らは、登用試験では極めて優秀な成績だったと聞いているが」
「どれだけ底上げしてもらったんだか。学園時代にまともに勉強してきたとは思えない程度の低さです。下手したら自分の住所の綴りでさえ間違えかねませんよ」
「そこまで酷いか」
「なんだってあんなのを合格させたんでしょう」
「あいつらの親は、伯爵と子爵だな」
「ああ、そういう・・・」
「だが、実際にこれほど使えないのでは困るな。なにか手立てを考えるか」
「そうですね。はっきり言ってお荷物過ぎます」
◇ ◇
「ないなあ。こんな暗がりで落とした指輪を探せとか、どんな嫌がらせよ」
アネットは暗澹とした思いで、芝生の上に目を凝らしていた。
一時間ほど前に、アネットは一人の女性文官に声をかけられた。そして、不合格だったあなたがなぜここにいるのかと聞かれた。なぜと聞かれても、そこは一般に開放された植物園なので、アネットは気分転換に来ていただけだ。咎められる筋合いはない。
アネットは彼女の顔に見覚えがあった。文官登用試験の会場で、やたらと盛り上げた髪型と、ドレスの過剰な装飾で目だっていたからだ。
女性はアネットの話を聞くと、
「まあ、では、来年また試験を受けるのね。無駄じゃないかしら。高望みするより、分相応なところに落ち着く方が幸せよ」
などと言うものだから、アネットは思わず相手が貴族だということも忘れ、
「自分の幸せは自分で決めます」
と言ってしまった。
これがまずかった。彼女は一瞬険しい表情を浮かべたが、すぐに笑顔を取り繕って言った。
「そういえば先ほど私、この奥のバラ園に行く途中で、エメラルドの指輪を落としてしまったようなの。探してきてくださる?」
「私がですか?」
「ええ、お願いね」
そう言い捨てて、高飛車な女性はアネットの返事も聞かずに行ってしまった。
「なに、あれ。嘘でしょう? 名前も知らないんだけど。貴族って、怖っ!」
エメラルドが何色の宝石かも知らないアネットは、それでも一応探したという実績を作るために、奥のバラ園に向かった。
そうして小一時間、適当に探す振りを続け、そろそろいいかと身体を起こした時である。
ガッ
頭が固いものにぶつかった。
「痛っ!?」
思わず頭を抱えてしゃがみこんだ。
「悪い、大丈夫か」
頭上で男性の声がしたと思ったら、バサササッ、と紙の落ちる音がした。
「わ、わわ」
焦ったような声がした。
薄暗がりの中、芝生の上に書類が散らばった。
「申し訳ありません」
アネットは急いで紙を拾い集めた。ずっと暗がりにいたので目が慣れていて、書類の文字が読めた。
「R国との、あ・・・すみません」
うっかり声に出してしまって、アネットは焦った。国の重要文書を読んで良いわけがない。急いで残りの紙も拾って、男に手渡した。
受け取った男は渡された紙をパラパラと見て、
「なぜこれだけでR国に関するものだと分かった」
と、アネットに訊ねた。
「あー、何となくですかね。今一番ホットな話題ですし」
とりあえず、とぼけることにした。実は二ヶ月前の二次試験の最後に、R国との関係についてツラツラと思うことを書いたのだ。なにしろ問題文をR国語で出題するくらいだから、そちら方面の意見を求めていると思ったのだ。見事に空振りだったが。
「ホットな話題?」
男は怪訝な顔をした。
「君は誰なんだ。身の回りに、国政や外交について語り合う人間がいるのか?」
「いや、あの、文官試験を受けようかなと思いまして、学んでいる最中なのです」
アネットは何も知りませんで通そうとしたが、この男も王宮で働く文官ならば、アネットが合格した暁には、いずれ顔を合わせるかもしれない。変に誤魔化して間諜か何かと疑われても困るので、正直に答えた。
「それにしても、ほんの一瞬目にしただけだろう。どの文言からそう思った」
やけに喰いついてくる。これが三次試験の面接なら張り切るのに、と思いながらも、
「『最恵国待遇』ですとか、『ワインの関税』という文字が見えたような気がしたのと、R国語のメモが挟まっているのも見てしまいました。すみません、忘れます。決して他言しませんのでお見逃しください」
と、頭を下げた。
アネットはさっさと帰りたかった。高飛車貴族令嬢のおかげで、すっかり時間をくってしまった。寮の食事が終わってしまったらどうしてくれるのだ。
「君はR国語が読めるのか?」
まだ解放はされないようだ。
「もちろん読めます。だいいち、今年の文官登用の二次試験では、R国語で出題されたんですよ。受験者は最低限、大陸公用語とR国語の読み書きができないといけないんですよね。私は試験会場で初めてそれを知りました。そのせいにしたくはないのですが、私は二次試験で落ちました。やはり情報に疎い者は要らないということなんでしょうかね」
つい恨みがましい口調になってしまった。自分で思っていた以上にわだかまりを抱いていたようだ。
「ちょっと待て。何を言っているんだ。二次試験がR国語で出題されたなんて聞いていないぞ」
「ええ? だって現に私に渡されたのはR国語の問題用紙でしたよ」
「それなら募集要項にその旨記されているはずじゃないのか」
「あれ、そういえば私、ちゃんと読んだ気がします。二次試験は大陸公用語だって・・・、あれ?」
アネットの頭の上に???がたくさん浮かんだ。
「悪いがちょっと来てくれ」
男は先に立って歩き出した。アネットの都合などお構いなしだ。
「困ります。すぐに帰らないと夕食を食べ損ねます。外食するお金もないんです。一食抜くのは辛いです。貧乏人舐めないでください! 私は行きません」
男の後に続かずその場にとどまって宣言すると、男は振り返って言った。
「私は宰相室に勤務するギルバート・カミングスだ。夕食はこちらで準備する。寮の食事より豪華なものを約束しよう。だからついて来てほしい」
「宰相室ですか?」
「そうだ。来い」
アネットは興味が湧いた。自分の受けた試験のことだけでなく、宰相室に入れる機会なんてめったにないからだ。しかも豪華な夕食付き。これは行くしかあるまい!
アネットは、はい、と大きな声で返事をして、カミングスの背中を追った。
◇ ◇
アネットは、宰相と補佐のギルバート・カミングス、ほか数人に囲まれて、聞き取り調査をされていた。
「受験番号153番か、一次試験は満点だな。それで落ちたのか」
宰相が試験結果の資料を見ながら、呆れたように言った。
「解答用紙も回収した問題用紙もすべて押収してきました。上司には言うなと宰相の名前で念を押してきましたから、上層部のやつらはこれがここにあると知らないはずです」
「ついでに、当日試験の監督官を務めた者を連れてきました。彼は151~200番の会場を受け持っていました。ん? どうした、顔色が悪いぞ。冷や汗か脂汗か、どちらだろうな。知っていることはすべて話せよ。誰かを庇っても、その誰かはお前を守ってくれないと思うぞ」
試験監督もアネットと一緒に聞き取り調査を受けた。気の毒なくらい震えていたが、アネットは同情する気になれなかった。こいつが不正に加担していたことで、絶望を味わい、あるべき未来を閉ざされた者がいるのだ。許せない。
それから宰相室に調査委員会が置かれ、アネットはそこで雑用を仰せつかった。正規の職員ではないので給与は支払われないが、宰相のポケットマネーでお小遣いがもらえることになった。寮のおじさんに話をすると喜んでくれて、寮内のお手伝いも免除してくれることになった。
◇ ◇
証拠の品と証人を揃え、今回の王宮文官登用試験における大規模な不正について、国王の前で詳らかにされることになった。
「どういうことだ、聞いてないぞ。試験を統括するのは私のはずだ。なぜ私に報告がないのだ。誰の仕業だ」
何も聞かされずここに呼ばれた男は、不安を隠そうと居丈高に怒鳴った。
「陛下の御前であるぞ。控えよ」
それから淡々と調査結果が報告された。酷い内容だった。
有力な貴族の子供たちは試験の点数に関わらず合格。付け届けをしてきた者のうち、金額の上の方から数名が合格。残りの席を、成績上位者に与えるというものだった。ただし、平民は除く。
「まったくクソみたいなヤツしか配属されてこないから、仕事が進まんのだ」
「言葉にお気を付けください。宰相閣下」
カミングスが横で注意したが、宰相はどこ吹く風だ。
さらにこのような不正は、現在の統括者がその任に就いてから、すなわち三年前から行われていたことが明らかになった。残念ながら昨年以前の試験については単純な成績表しか残っておらず、担当者たちの証言に頼るほかなかった。
しかし、多数の人間の証言に齟齬がないこと、実際にとんでもないボンクラたちが三年前から大量に入省してきたことからも、それは事実だろうということになった。
アネットは壁際にひっそりと立って、これらの様子を眺めていた。報告と質疑はまだ続いてる。
『ついて来いと言われたから来たけど、私ここにいていいのかな。存在を忘れられてる気がするけど』
そう思ったが、これも滅多にない機会だし、陛下のご尊顔をこの距離で無遠慮に眺められるチャンスは二度とないかもしれない。ちゃんと見ておいて里帰りした時の土産話にしよう、などとのんびり考えていた。
「アネット、こちらへ」
急にカミングスに呼ばれて小さく飛び跳ねてしまった。
気を取り直してカミングスのところに行く。なぜ呼ばれたのだろう。直前の話を聞いていなかったのでアネットは焦った。
「アネット、平民の君は今回不合格だった。君に与えられた二次試験はどんなものだった?」
カミングスが聞いた。
「はい、私の問題用紙はすべてR国語で書かれていました」
ザワリと空気が揺れた。今回の不正についてまるで知らなかった者たちの反応だ。
「それを見て君はどう思った」
「周りの受験生が動揺している様子はなかったので、今回はR国との友好条約が結ばれることもあり、今後の関係においてR国語に堪能であることも採用の条件になるのかと考えました」
「募集要項は読まなかったのか」
「二次試験は外国語で出されることは知っていました。例年ですと大陸公用語で出題されるので、今年もそうだろうと思い込んでいて、熟読しなかったように思います」
〈ふん、それでは問題が読み取れず何もできなかったというのだな。落ちて当たり前だろう〉
どこかからそんな声が聞こえた。
「今喋ったのは誰だ」
周りの皆がその男を見たので、喋った男は特定された。
「貴殿か。確か君の次男は昨年合格して、今年から我が宰相室に配属替えとなった。無能すぎて前の職場を一年で放り出されたのだ」
「な、何を言う。息子をバカにするのか」
「馬鹿に育てたのは貴殿だろう。いまだに単純な綴りのミスが直らない。補佐のカミングスは、本来の業務の傍ら、綴り方教室の先生もやることになるとは思わなかっただろうよ」
侮辱された男は、何も言い返せなかった。
「ちなみに、アネットの一次試験は満点だ。もう一人の平民男子と共にトップを取った。そして彼も二次試験で落ちている。どういうことだろうな」
「そんなの二次試験ができなかったに決まっている」
「R国語というハンデを与えたからか。残念だったな、調査の結果、二人とも間違いなく九割以上の出来だ」
「ではなぜ不合格なのだ」
「採点もされずに放置されたからだ」
今度こそざわめきが収まらなくなった。
―あり得ない
―優秀な人材をみすみす逃すとか
―いくらなんでも
―門戸を開いておきながら
―だから新人はハズレばかりなのか
アネットの耳の奥で、羽虫の大群が舞っているようだ。うるさいのに音がしない。
採点すらされなかった。
その現実がすぐには受け入れられなかった。自分の努力は、村のみんなの応援は、領主様の支援は、どれもこれも無駄なものとして踏みつけられた。血が逆流してアネットは試験を統括していた男の元に走った。
「アネット!」
カミングスが制止したが間に合わず、アネットは男の顔を殴った。暴力で解決できる問題ではなかったが我慢できなかった。だが、いくら許せなくてもアネットは平民、相手は貴族だ。平民が貴族に手を出せば死罪もあり得る。場が静まりかえった。
殴られてよろけた男は激高し、
「死ね! 平民のお前など死刑だ!」
と叫んだ。周りもかばい立てする理屈を思いつけなかった。
それでも宰相が情状酌量を求めようと、陛下、と呼びかけた時、
「よく聞け、トーマス・ブレンドベント」
国王が口を開いた。常ならブレンドベント卿、もしくはブレンドベント伯爵と呼びかけるのに、今は呼び捨てた。それに気付いた者がどれだけいただろう。国王は続けた。
「カミングス卿がアネットを呼び出す前に遡って、その方の伯爵位を剥奪する。つまり、今のお前はアネットと同じ平民だ。平民が平民を殴った。殴った理由もあまりにも納得がいくものだ。よってアネットは罪に問われない。安心していい」
最後の言葉はアネットを見て微笑みながら言った。
「そんな。軽い収賄など世の中にあふれているではありませんか。陛下、どうぞお考え直しください」
男は必死に言い募った。
「これは軽い金銭の授受には収まらない。優秀な人材を故意に逃し、ボンクラどもを王宮に跋扈させる。お前のしたことは国力を低下させ、他国に付け入られる隙を与えかねない危険な行為だ。国家反逆の罪に該当すると思うが、どうだ」
平民となったブレンドベントはその場で膝をついた。
アネットはまだ呆然としていたが、横に来たカミングスに促されて国王に深く深く頭を下げた。
「良かったな」
というカミングスの小さな声が温かかった。
それからしばらくは王宮を挙げての大騒ぎとなった。
今年の試験については問題用紙や解答をはじめ、成績表やら全て残っていたので、真実を詳らかにするのは簡単だった。
「よくこんなバレたら大変なものをそのままにしておきましたよね」
宰相室でカミングスが言うと、宰相は言った。
「いつか公になればいいと、敢えて残そうとした者がいたのだと思いたい」
「権力の前には無力でしたけどね。昨年の解答用紙はかなり早く裁断処分されたそうですよ」
「だから、見つかりづらいところに隠していたんだろう」
欠片ほどの良心が残っていたのは幸いだった。
今年に関しては、アネットや平民男子、その他優秀な下級貴族の子供が改めて合格となり、不正をしたり成績が著しくふるわなかった者は合格取り消しとなった。その事実は公となったため、次の働き口を見つけるのは難しいだろう。
ただ一人扱いに困ったのが、いつかアネットに難癖をつけてきた貴族令嬢だった。
彼女はそこそこ成績もよく、学園でも品行方正な令嬢とされていた。今回も二次試験の解答が群を抜いて素晴らしく、首席で合格していたのだが、過保護な父親が結構な金額をブレンドベントに渡し、何度か屋敷に招いて饗応していた。
彼女の優秀さと、父親の暴走をどう見るかということで対処に困ったが、資料を見たアネットの言葉ですぐに決着がついた。
アネットは彼女の二次試験の記述に興味を持ち、カミングスに頼んで見せてもらったところ、アネットが書いたそのままだった。おまけに国に対する提言も、覚えがありすぎる内容だった。
「これ、私の解答そのままです。ここの言い回しで、いつも間違って使う単語もそのままです」
アネットはもう何度目か分からない呆れのため息をついた。そんなことがまかり通っていたのだ。
すぐにその令嬢が呼ばれ、彼女は意気揚々と宰相室を訪れた。自分が宰相に呼ばれるほどになったのだと勘違いをして。
失礼します、と淑やかに一礼して足を踏み入れた彼女は、室内に平民の娘がいるのに気付いた。
「なぜ、あなたが?」
怪訝な顔をしたが、
「ようこそ、首席さん」
と、宰相補佐のカミングスに『首席さん』と呼びかけられ、彼女は微笑んだ。
「今日は、首席で入学したという君の提言について、さらなる意見を聞きたいと思って招いたのだ。知っての通り、今年の試験では不正が横行し、合格者の解答用紙は見るに堪えないものばかりだった。そんな中、君の解答は完璧だった。特に最後の独自の見解は続きを聞きたくなる出来栄えだった」
「お褒めに預かり光栄です」
令嬢は優雅に礼をしたが、頭の中で慌てていた。解答用紙に書いた続きを聞きたいですって?
「君は最初に国への提言は三つだと書いてある。だが、用紙のスペースのせいか時間制限のせいか、二つまでしか書いてない。ぜひその三つ目を聞かせてもらいたいのだ。いや、先の二つが素晴らしいものだから期待しても仕方がないだろう?」
令嬢はアネットを見た。無表情だ。バレている。全部バレた上で、宰相室に呼ばれたのだ。唐突に気付いた彼女は、体をこわばらせ、俯いて、分かりませんと答えた。悔しくて涙がにじんだ。不正をしなくても合格できたのに欲が出た。平民に上をいかれるのが耐えられなかった。できることなら全部やり直したい。だけどそれは許されないだろうことは分かった。彼女は無駄に賢かった。
その後、彼女も免職となった。そのやり口は詳しく知られることはなかったが、一人だけ遅く退職したことから、何か分かりづらい手を使っていたのだろうと、親の爵位と絡めて想像されたのだった。彼女の父親は侯爵だった。
昨年と一昨年については、合格者に改めて試験問題が作られ、実力に応じた決定がなされた。入った時は実力不足でも、真面目に努力して今はなくてはならない存在になっている者もいたし、最初から今まで全く成長せず、足手まといな者は辞めさせられた。
優秀なのに不合格となった者の救済は難しかったが、今年から募集年齢の上限を引き上げ、再挑戦の機会を与えることにした。今さら遅いかもしれないが、道は残してやりたかった。
こうして事態は一応の収束を見せ、アネットは四ヶ月遅れで文官となった。すぐにカミングスからスカウトされ、そのまま宰相室で働くことになった。
寮のおじさんも喜んでくれたし、故郷の皆には手紙で知らせると、『いつまでたっても合格の知らせが来ないから、何かあったのかと心配してた。もっと早く事情を知らせろ』と叱られてしまった。その通りだとアネットは反省した。あの時は何が何だか分からずに、そんな配慮はできなかった。視野が狭かったなあと思う。
「そういえば、エメラルドって何色の宝石ですか」
アネットは当時を思い出しているうちに、バラ園の近くでエメラルドの指輪を探したことを思い出した。あの時の出会いが、入試の不正発覚に繋がったのだ。そう思うと、理不尽な命令をした令嬢のおかげだということになって、アネットは不思議な因縁を感じた。
「突然どうした? エメラルドならグリーンだが」
おしゃれに興味のなさそうなアネットがそんなことを言いだしたので、カミングスは意外に思った。
「そうなんですね」
アネットはあの時、指輪を落としたなんてどうせ嘘だろうと思いつつ、探す振りだけでもしようと思った自分に、何かご褒美をあげたくなった。もちろん宝石なんていらないけれど。
「なんだ、聞いておいてそれだけか。まあ、しばらくは仕事に専念して俺を楽にしてくれ。期待しているぞ」
上司に期待していると言われ、アネットは全力で、はい、と返事をしたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




