3 祝祭、あるいは掃き溜めの品評会
石造りの大きな建物から喧騒と安酒の匂い、そして言いようのない熱気が漏れ出していた。 ランタナの中央広場に面した一等地に構えるのは、冒険者ギルド兼酒場『黄金の蹄亭』である。荒くれ者たちが夢と金を求めて集まる場所だ。
「ふん……信じられませんわ」
入り口で足を止めたアイリスが扇子があれば間違いなく口元を覆っていただろうという仕草で忌々しげに鼻を鳴らした。
「排泄物と劣等感が煮凝ったような空間に、なぜ私は踏み込まねばならないのでしょう? 貴方の脳細胞は街の門を潜る際に関所に置いてきたのですか?」
「酷い言い草だな。ここに来なきゃ仕事も探せないし、今夜以降の宿代も稼げないだろ?」
「仕事? ああ、あそこに群がっているハエ共と同じ真似をせよと? 泥の中に落ちた硬貨を拾い集めるような作業を私にさせようというのですね。あなたの無神経さは、もはや一種の芸術です」
アイリスはそう言いながらも、俺の背中を押すようにして中へ入った。扉を開けた瞬間、視線が突き刺さる。酒を煽っていた冒険者たちが一斉に動きを止めた。その視線の九割九分は俺の後ろに立つ銀髪の美少女――アイリスに向けられたものだ。
「おい、見ろよ。とんでもねえ上玉だぞ」
「あんな最高級の女がなんであんな貧相な奴と一緒にいるんだ?」
ヒソヒソと呟きが聞こえてくる。アイリスの眉間が見る間に険しくなっていく。
「今すぐあの男たちの眼球を摘出して、酒の肴に供して差し上げましょうか? 私を好奇の対象として眺めるなど豚が星空を評価するような無礼ですわ」
「やめてくれ! 街を出る前に指名手配犯になりたくないんだ!」
俺は慌ててアイリスを宥めながら奥にある巨大な掲示板へと向かった。そこには羊皮紙の依頼書が所狭しと貼られている。討伐、採取、護衛、まさにファンタジーの賑やかさだ。
「さて、なにがいいかな。俺は簡単な採取や手伝い系しか無理だけど、アイリスなら竜退治とかでもいけるんだろ?」
「竜? あんなものを相手にするのは自宅で洗濯しているのと同じくらい情熱の欠片も湧かない作業です。もっとまともなものはありませんか? 例えば私の視界から全人類を消去するといった――やりがいのある依頼とか?」
「それは俺が死ぬから却下。お、これは?」
俺の目に留まったのは、掲示板の端に追いやられた、少し変わった依頼書だった。
【緊急・特殊依頼:迷宮の『開かずの宝箱』開封調査】
内容:古代遺跡より発掘された魔力封印された宝箱の開封。備考:物理・魔力による破壊不可。開封には極めて高い幸運値が必要と推測される。報酬:成功報酬プラス箱の中身の二十パーセント。
「幸運値が必要……これってさ、俺のための依頼じゃないか?」
「幸運……実力のない者が縋る最後にして最悪の幻想ですね。それを頼りに仕事を選ぼうとする貴方の浅ましさには感動すら覚えます。まるで宝くじの当選発表を全裸で待つ変質者のようですわ」
「言い方! でもさ、アイリスが戦わなくて済むならそれが一番だろ?」
俺がそう言うとアイリスはふんと顔を背けた。
「私の手を汚さずに済むという一点においてのみ……その提案を承認します。ただし失敗して恥をかくようなことになれば、貴方の存在を歴史から修正しますので――」
次の瞬間、俺たちの会話を遮るように一人の大男が割り込んできた。見るからに高そうな鎧を纏い、腰には立派な大剣を携えている。このギルドでも顔が利きそうなベテラン風の冒険者だ。
「おいおい、兄ちゃん。その依頼はやめとけ。この街の腕利きの鍵師も、高名な魔導師も、全員が匙を投げた代物だ。運だけでどうにかなるもんじゃねえよ」
男は俺を無視してアイリスに視線を移した。下卑たニヤけ顔。
「それより、姉ちゃん。そんな弱そうな奴の連れをやるより俺のパーティーに来ないか? Bランクの『鋼の牙』だ。美味い酒と最高の夜を約束してやるぜ」
酒場の空気が凍りついた。酒場の連中がどう考えていたのかは知らない。ただ俺だけは察した。ああ、この男――終わったな。
アイリスはゆっくりと男の方を向いた。その表情は先ほどまで俺に向けていた呆れですらなく、道端に落ちている石ころを見るような無機質なものに変わっていた。
「今……私に話しかけましたか? そのドブ川の底で発酵したような悪臭を放つ口を動かして」
「あ……ああん?」
「驚きました。言語を解する能力があるのですね。その外見からして直立歩行を覚えたばかりのオークかなにかだと思っていました。失礼。オークに謝罪しなければなりませんね、貴方のような不純物と比較してしまったことを」
「て、てめえ! 女だと思って調子に乗りやがって!」
男が怒りに任せてアイリスの肩を掴もうと手を伸ばした。しかしその手が彼女の肌に触れることはなかった。
アイリスが指先で男の喉元を軽く突く。ただそれだけ――それだけで大男の巨体は、まるで糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
「ぎ、がはっ! 息が……でき……ない」
「騒がないでください。汚らわしい。貴方の肺胞に酸素を供給する価値はないと判断し、一時的に機能を停止させただけです。死にたくなければ胎児のように丸まって己の無価値さを噛み締めていなさい」
アイリスは冷たく言い捨てると受付の方へ歩き出した。周囲の冒険者たちは今や恐怖に震え道を開ける。
「なにをしているのですか? その紙を剥ぎ取って、さっさと受付を済ませなさい。この場所の不浄な空気に私の髪が一秒ごとに損傷を受けています」
「あ、ああ、わかったよ」
俺は床でのたうち回る男を不憫に思いつつ依頼書を手に取った。
どうやら異世界での初仕事は、力尽くでは開かない、運の箱を開けることになりそうだ。
「楽しみだな、アイリス」
「その能天気な脳内に、いつか絶望の雨を降らせてあげたいものです。さあ、行きましょう」
アイリスの毒舌をBGMに俺たちの最初のクエストが始まった。




