11 再始動、あるいは欲望渦巻く黄金の都
「――待ちなさいと言っているでしょう、この不純物が!」
青い空、白い雲。そして背後から迫る紅い斬撃。あれから数日、俺たちの日常は一ミリも変わっていなかった。
「アイリス、もう首輪はないんだからさ、そんなに必死に追いかけて来なくてもいいだろ!」
「黙りなさい! あなたが聖杯の前であんな……あんな破廉恥な評価を口にしたせいで、私の騎士としての名誉は修復不可能なほど粉砕されたのです。責任を取りなさい。今すぐ足を止めて私の魔剣の錆となって名誉を返上しなさい!」
「マスター、逃げても無駄ですわ。私の補助魔法『追跡の導き』からは逃れられません。さあ、大人しく捕まって私との『事後処理』の相談をしましょう?」
俺は必死に足を動かし新たに到着した街――『黄金都ルクス』の大通りを駆け抜けていた。
ここは世界中の富が集まると言われるギャンブルの聖地。至る所にポーカーテーブルが並び、人々が欲望に目をぎらつかせている。
立ち並ぶ高層建築はすべて金箔で装飾され、街を流れる運河には酒と香油が混ざり合ったような甘い香りが漂っている。通りには一攫千金を夢見て破滅した者と、その死体から金を毟り取る者が共存し、絶え間なくスロットの回転音と歓声が響き渡っていた。
「目と鼻が腐りそうですわ」
アイリスが真っ赤な絨毯が敷かれた大通りで、これ以上ないほど不快そうに顔を歪めた。彼女は銀髪に付着した都会の煤を払うように何度も首筋をなぞる。
「欲望という名の汚物が金色のメッキを塗られて街中を闊歩している。なぜ私はあの清々しいほどに不潔だった地下迷宮の次に、このような高級な掃き溜めに足を踏み入れねばならないのですか?」
「いや、俺に言われても困るよ。でもほら、ここに来れば世界を救う鍵があるって女神も言ってただろ?」
「ふん。世界を救う前に貴方の他力本願で出来ている脳髄を一度取り出して、この運河で洗浄して差し上げたいところですが――」
アイリスが腰の魔剣に手をかける。
数日前、迷宮の最深部で俺が叫んだ「格好いい背中」という言葉。それを思い出す度に彼女の周囲には物理的な熱気と冷気が交互に吹き荒れ近寄る通行人を片っ端から気絶させていた。
「マスター。アイリスさんの感情指数は現在臨界点に達しています。接触は極めて危険です。さあ、こちらへ」
エナが当然のように俺の腕を強引に引き寄せ胸元に抱え込んだ。
「この街の熱気とアイリスさんの毒舌により、マスターの胃の粘膜はあと3時間で消失します。私の魔法障壁で精神的な保護を行う必要があります。具体的には私と常に密着し、私の愛の囁きを耳から直接入力することで――」
「それは保護じゃなくて侵食だろ!」
『はいはーい! 逃亡劇を実況中のルナちゃんだよ! 皆さん、第二弾へようこそ!』
上空でポップコーンを食べながら並走する女神ルナ。もはや隠す気もない。
「ルナ! 冗談じゃないぞ、いきなり世界が終了するなんてどういうことだ!」
『言葉通りの意味だよー。この世界を管理してる神に魔王っていう名前のバグが発生しちゃってさ。このままじゃ世界ごとデリートされちゃうんだよ。それを止められるのは全ステータスを運に全振りしたカイト君のラストガチャだけなの!』
「またガチャかよ!」
「ふん、バグだか魔王だか知りませんが私の行く手を阻むものはすべて切り伏せるのみです」
追いついてきたアイリスが、ようやく剣を収めて不機嫌そうに鼻を鳴らした。エナも俺の隣にぴたりと寄り添い眼鏡をくいっと直す。
「マスター、この街の奥にその始原の筐体へと続く鍵があるという演算結果が出ました。ただしその鍵を手に入れるには、この街の支配者が開催する最高難易度のギャンブルに勝利する必要があります」
「ギャンブル……俺の得意分野だな」
「笑わせないでください。貴方の幸運など私への無礼な発言で使い果たしているはずです。ですが、まあいいでしょう。その鍵とやら私が力尽くで奪い取ってあげても構いませんわよ?」
「駄目だよアイリス! ここは平和的に――」
俺の視線の先、豪華絢爛なカジノの入り口に一人の少女が立っていた。漆黒のゴスロリ衣装に身を包み手には不吉な大鎌を持っている。そしてその頭上には――
【UR:死神の聖女ノエル】
『あ、見つけちゃった? 彼女、今回のイベントの門番だよ。仲間にできれば超強いけど、排出率は0.0001%! カイト君、引けるかなー?』
「いきなりウルトラレアかよ! しかも死神って……なんだよ一体」
「不愉快ですね。私以外の女をそんな熱心に見つめるなんて。その眼球、一度取り出して洗浄して差し上げましょうか?」
アイリスの殺気が黄金の都の熱気を一瞬で凍りつかせた。世界を救うための旅は史上最強の引きと、史上最凶の修羅場と共に幕を開ける。




