そう言ってくれれば。
――それから、1週間ほど経た1月上旬。
「――ありがとうございました、また来てくださいね!」
柔らかな陽が射し込む小昼の頃。
そう、明るい声音で告げる女性スタッフ。彼女は藤巻知里さん――大学3回生で、声音に違わずいつも明るいムードメーカー的存在だ。普段からシフトの貢献度も高く、一般的に帰省シーズンの今日のような日にも勤務してくれている大変ありがたい存在で。
なので……うん、分かってる。感謝こそすれ、文句を言う筋合いなどどこにもない。ないの、だけども――
「……ねえ、戸波くん。もう少し、気を引き締めたらどうかしら」
「…………へっ? あれ、もしかしてサボってるように見えました!? すみません、そんなつもりじゃ――」
「……ああ、ごめんなさい。そういうことではないの。貴方の仕事ぶりに文句をつけるところなんて一つもないわ」
「……ま、マジっすか。……ありがとう、ございます」
それから、しばらくして。
黄昏色の帰り道、私の忠告に慌てて謝意を述べる戸波くん。……いや、忠告というのもおかしいけど。悪いことなど何もしていないし……そもそも、彼に言っても仕方のないことなのだし。
『――おはようございます、小夜さん!』
『――ねえ小夜さん! ここ教えてもらって良いですか?』
『ほら、どうですか小夜さん! 今のは上手く出来たと思うんですけど!』
本日、『TAKATSUKI』にて戸波くんに度々声を掛けていた藤巻さん。まあ、本日に限らずいつもなのだけど。
そして、もちろんこれ自体には何の問題もない。むしろ、同じ職場の仲間なのだし積極的に話し掛けることは素晴らしいことと言えよう。なので、称賛ことすれど不満を述べる理由は本来どこにもないはずなのだけど……だけども、問題は……その際、彼女は必ずと言ってよいほど彼にボディータッチをすること。まあ、それも例えば友好の証などと言われてしまえばそれまで……少なくとも、当の彼自身が抵抗を感じていないのなら私がとやかく介入すべきことじゃないのだろうし。なので――
「……それで、本題に戻るのだけど――貴方、事あるごとに藤巻さんから身体を触れられているけれど、そこのところ本当はどう思っているの? 貴方は優しいから何も言わないけれど、本当は嫌だと思っているなら遠慮せず言ってくれて良いのよ? 私の方から、そういうことは今後一切控えるよう彼女にきちんと注意をしておくから」
そう、彼を見上げ尋ねる。彼自身が抵抗を感じていないのなら、私がとやかく介入すべきことじゃないのだろう。だけど、実際には感じているのに何も言えないでいるなら話は別。その場合、私はむしろ介入しなければならない。何故なら、私は全スタッフを管理する立場――なので、必然スタッフ間に問題が生じていればそれを解消すべく尽力するのが当然の責務なわけで。……うん、我ながら完璧な論理。公私混同の要素など微塵も――
「……お気遣い、ありがとうございます。ですが、俺は気にしてないので先輩もお気になさ――」
「そんな答えは求めてないの!!」
「ええっ!?」
そんなある種の達成感を覚えていた最中、優しい微笑で答える戸波くんに思わず慣れないツッコミを入れてしまう。……おっといけない。これでは店主としての威厳が……いや、まあ今更な気もするけれど。
「ですが、いずれにせよ嫌なら俺自身がちゃんと言います。だから、そんな嫌な役回りを先輩が背負う必要なんてないっす」
「……いや、別にそんなつもりでは」
その後、やはり優しく微笑みそう告げてくれる戸波くん。……いや、ほんとにそんなつもりじゃないんだけどね。そもそも、嫌な役回りであれば尚のこと私が担当した方が良い。私の場合、元より嫌われているのだから今更なわけだし。それよりも、万が一にも彼が嫌われようものならそっちの方がお店としても相当な痛手……誇張でなく『TAKATSUKI』の存続に大いに関わってくるわけで。……ただ、それはそれとして――
「…………先輩?」
「……あっ、いえ、何でもないわ」
ふと、どこか心配そうに尋ねる戸波くん。まあ、その表情の理由は察しているけれど。きっと深刻そうな表情をしていたのが自分でも分かるから。
そっと、左胸に手を添える。……ほんと、どうかしている。自分で求めて、自分で突き放して……なのに、そんな身勝手な私に彼は変わらず従ってくれている。いつもと変わらない、人懐っこい柔らかな笑顔で忠実に従ってくれている。なのに……なのに、ぎゅっと詰まるようなこの痛みは何なのだろう。




