余命70年
「あなたの余命は七十年です」
医者の淡々とした口調。
「回復が極めて困難な病気です」
「不治の病というわけではないんですよね」
「完治はありません」
医者は眼鏡を押さえた。私は再び問う。
「寛解にどれくらい時間がかかりますか」
「人それぞれです。半年で改善に向かう方もいれば、十年経ってもよくならない方もいます。毎年八千人近くの方がこの病気がもとに亡くなられています」
「難病なんですね」
「いいえ、国の指定難病には含まれません」
「そんな。医療費助成の対象にならないんですか」
「はい、なりません。なにぶん、我が国では生涯のうちに約十五人に一人が経験すると言われている病気ですから」
「どうすれば回復しますか」
「十分な休養を取ることです。必要ならば薬物療法もあります」
私はいくつかの錠剤をもらって帰宅した。一人暮らしなので「ただいま」を言う必要もない。テレビを観ながらクリームシチューの残りを食べる。チャンネルは食や音楽、クイズ、バス旅、衝撃映像など当たり障りのないものばかりで、回していくうちに選ぶのが疲れてきた。どうせ何を観てもつまらない。ここ最近、面白いと思ったことがない。それこそが私の罹患している病気の症状なのだと、今日病院で告げられたばかりだった。
余命七十年。なんとも長い。長過ぎる。私はどうやら九十五まで生きるらしい、と、机上の皿を眺める。これほど質素な食事ならば、むべなるかな、といったとこか。
食べ終わったあと、もらった錠剤を喉奥へとコップの水で流し込んだ。
半年が経った。余命六十九年と半年。まだ回復に向かう気配はない。日々が苦しく、いつこの病気が治ってくれるのだろうと思う。この頃日記をつけ始めたが、一ヶ月もせずに放り投げた。というか、破って捨てた。変わり映えのしない毎日を客観視はしたくなかった。早く治るように祈りながら薬を飲む。
余命を告げられてから一年が経っている。久々に日記をつけた。相変わらずこの病がよくなる兆しが見えない。先日、一年前に受診した病院へ再び足を運んでみた。医者の言葉は一年前とさほど変わらなかった。十分な休養を取ること、生活リズムを整えること、日光を浴びる、ちゃんと寝る、適度に運動する。そんな当たり前のことを聞くために診察費を払っているのではない。四回目だかの受診のとき、やんわりとしたニュアンスでそんな感じのことを言ってみたら、医者が「それでしたら」と、資料を差し出してきた。グループセラピー。行ってみたが、結局医者とのカウンセリングと大して変わらなかった。収穫がなかった。勝手に吐露して勝手にスッキリしていた人ならいたが、私はそうではないようだ。人に話してスッキリするわけがない。そもそも、他人に自分の話などしないし、自らを開示するなど人生においてしたことがないからまったくわからない。適当にその場で繕って、それらしくする。認知行動療法だの対人関係療法だの、所詮は机上の空論だ。少なくとも私の苦痛が軽減される見込みはないので、今日も薬だけ飲んで寝た。寝るのはなんとかできている。たまに一晩中目が覚めるときもあるが。
二年が経った。治る気配がしない。というのを一年半前にも書いていたことを、この日記を読んで知った。なんにも前進していない。どころか後退している。仕事に集中はできないし、最近笑うことも難しくなってきた。笑顔を作るのがすこぶる難しい。顔中の筋肉が麻痺したみたいに、まったく動かない。写真で「はいチーズ」とか今はできない。笑って、などと言われた日にはふざけんなと思う。怒りすら顔に出ないのだが。いつだったか、こないだのお盆に帰省したときか、家族に「能面みたいだね」と言われた。そのときは頑張ってにこやかに笑って「そんなことないよー」的にやり過ごしたが、いかんせん引きつっているのは自分でもわかった。顔が自分のものではないみたいだ。口角を上げることすら非常につらい。職場の雰囲気を壊していないだろうか。社会に迷惑をかけている。疲れた。
余命六十七年と七ヶ月。なんでこんな中途半端な時期にこれを書こうと思ったか、それは、今日、ついさっき、結婚式があったから。友だちの。友だちというかあれは大学のときの同じサークルの人。きれいだった。お色直しにピンク色のドレスを着ていて、あの子はたしか黄色が好きとか言っていたから意外だった。会場に流れている曲が最近流行りの曲らしかったが、私は知らなかった。最近の流行を知らない。観るテレビは天気予報だけだし、SNSも前ほどやらなくなった。何もかもがつまらないから。集合写真もなんとか笑おうとしたけど、どうだろう。笑えてたかな。あとで写真が送られてくるらしい。イヤだなあ。私の無表情なんて映さないでほしい。結婚式行かなきゃよかったかな。あれって本人たち以外そんな楽しくないでしょうに。慣習なんだろう。疲れた。もう嫌だ。なんで休日にこんなこと。祝福しなきゃ。おめでとう。誰が? 何が?
つかれたつかれたつかれたつかれたつかれたつかれたつかれたつかれたつかれている。疲れた。なんでこんなに疲れてるんだ。余命、あと六十七年と三ヶ月もある。考える、もし私の余命が一年だったら。今はもうとっくに死んでいることになるけど、つまり一年九ヶ月前。私が余命宣告を受けて一年経ったとき、私は床に臥せていたことになる。横になって、血の咳とか吐いちゃったりして、「ごめんね私もう無理みたい」。一筋の涙が流れる。誰に? 誰のための涙? 誰に向かってそのセリフを言うの? もう何も感じなくなってきている。顔が動かない。鏡を見たくもない。いつこの病気は治るのか。狂いそうだ。いつまでも続いている。永遠に終わりはない。三ヶ月後に話題の映画がやるらしいどうでもいい。薬をいっぱい飲もう。そしたらなんとか今日も寝られる。つかれた。
余命一年、という映画が流行っているらしい。劇場から吐き出されたカップルが腕を組みながら感想を言い合っている。
「感動した?」
「すげえした」
「ね。私も泣いちゃったぁ」
みたいなやり取りを身体をくっつけながら永遠にしている。私はポケットの薬を水筒で流し込んでそいつらに近寄った。
「なぁにが泣いちゃったーだこの野郎」
「え? 何コイツ」
「あー、俺らになんか用すか?(笑)」
「何が余命一年だ馬鹿野郎。死ぬのはてめえとは関係ないやつだろ、それもフィクションだ。脚本もよくないし、あんなんで泣くとか民度低過ぎ」
「……んだてめえ」
「ちょっとやめなよターくん。行こ」
男の舌打ちを合図にカップルは遠ざかった。私はその背中へと吠える。
「早めに死ぬやつがきれいなのかよ!? 儚く散る花が美しいのかよ!? 曽根崎心中か? 人間失格か? ロミオとジュリエットってか!?」
街中に声が響く。久々に大声を出した所為か、喉が一気に渇いた。
「やっべー、あいつラリってんの」
「キ○ガイなうww」
周囲からスマホカメラのシャッター音がパシャパシャと聞こえる。構わない。
「いいかおまいら、私は不治の病だ! そんなに感動したいのなら私がお涙頂戴してやる! 見てろ! 私の余命はあと二秒だ!」
言って、私は交差点へ飛び出した。信号は青だった。車の信号は。
頭ん中がクルクルする。クルクルでケロケロ。余命七十年。そんなにいらないや。
心が疲れても 体は疲れないらしい
心が壊れても 体は壊れない
腕をもがれ 喉を掻っ切られた人間と
今この瞬間 目に見えぬ苦しみにあえぐ者の
救急車に運ばれるは 言わずもがな
自分は傷ついていないのだと
怪我人ではないと
切腹でもするか?
誰が気づくわけでもない
2025/12/03 20:55




