仮初めの百合
3歳になった『アリス』。彼女に舞い込んできたのは、兄の身代わりだった。
『アリス』は『リアム』として、王立騎士学校に通う。そこで彼女が出会ったのは──
あれから三年。アリスは、すくすくと育っていた。アリス三歳、リアム十歳の年。
アーデント王国では、十歳から、学校に通うことが義務付けられている。リアムも例外ではない。
公爵家であるリーベ家の嫡男となっては、王立学校に通うことが権利であり、また当然の義務でもあった。
だが、リアムは生まれながら病弱であり、あまり外には出られない。かといって、リーベ家唯一の後取りが病弱だと世間に知れ渡れば、他貴族が調子にのりかねない。
特にリーベ家は、王家に贔屓されていると、他貴族から嫌われている。どんな嫌がらせがあるか、分かったものではない。
そこで、三歳になったばかりのアリスに、白羽の矢が立った。
アリスは言葉を覚えるより先に魔法を覚え、字を覚えるより先に魔方陣を覚えた、魔法の才に恵まれた少女だったのだ。実際、過去一年間で、何度かリアムに化け、社交会などに顔を出したことがあった。
「なるほど、なるほど。私が兄上の代わりに、学校に通うということか、実に面白い」
腰に手をあてて、高らかに笑うのは、あのアリス・リーベである。背中まで伸びた銀髪。強い意思を宿すサファイアブルーの瞳。
そう、アリスはおよそ三歳とは思えないほど、達観した子供に育っていた。
100cmにも満たない小さな体で豪快に笑う姿は、なんとも珍妙だ。
「ごめんよ、アリス。僕が病弱なばかりに………」
頭を下げるリアムに、アリスはよいよい、と手を振る。
「兄上は療養に専念してくれ。それに、“存在しない”私にとっては、寧ろ有難い申し出だ」
「アリス………」
リアムは哀しげに眉を寄せた。
父である、レオンハイルの意向により、アリスは、出生届を出されていないのだ。
「兄上が気にすることではない。私は、裏方の方が向いている。それに、私がいては、余計な争いを生みかねない。私は、影でよいのだよ」
アリスは、リアムの手をとり、そっと笑って見せる。だが、リアムの不安は他所にあった。
アリス、それから、正妻モルガーヌだけ知らされていない、アリスの秘密。リアムは、兄として、次期当主として、アリスの秘密が公になることを恐れていたのだ。
「アリス………。ああ、ありがとう」
リアムは、アリスの小さな体を抱きしめ、たった一人の妹を守ると誓った。
王立騎士学校入学式。
貴族の男児ばかりが集う体育館。後ろには、新入生の親が集っている。みな着飾っていて、親と子、どちらが主役か分かったものではない。
「新入生代表、リーナ・アーデント様」
新入生代表で壇上に上がったのは、首席で入学したアリスではなかった。
アーデント王国第一王女、リーナ・アーデント。新入生代表挨拶は、彼女のための壇上に過ぎない。
(ままならぬものだな)
アリスは、他の者にバレないように、そっとため息をこぼした。
どれ程努力しようと、権力の前では何もかも無駄だと、そういわれている気がしたのだ。
だが、それはほんの一瞬。すぐに、何事もなかったように、アリスは視線を壇上に戻した。
「っ!」
壇上に立つ人物を見て、アリスは息を止めた。
緩いウェーブのかかった黑紫の髪。アメジストのように煌々と輝く紫の瞳。左目の下にあるなきぼくろ。白すぎる肌。守りたくなるような線の細いからだ。
どれをとっても、リーナ・アーデントは、人並み外れた美しさを持っていた。
リーナは、堂々と挨拶をし、言葉を並べる。
退屈な筈の挨拶に、誰もが釘付けになった。
(いやはや、これほど素晴らしいお方とは。王権争い最有力候補と言われているだけある)
アリスはうんうんと頷きながら、リーナの話に耳を傾ける。
王族らしい堂々とした姿は勿論、思わず聞き惚れてしまうような、澄んだ声。要点だけを纏めた、簡潔な文章。どれもが完璧と言わざる負えない。
(それなのに何故、私よりも成績が低いというのか? 正直理解できない)
アリスは、リーナが自分よりも優秀であるにも関わらず、自分より入学試験の結果が下であることに疑問を抱き、ひとり考え込んだ。
(女性故に、体力面がよくなかったのだろうか? いや、だとすれば、王女が騎士学校などには来ないか)
アリスが考え込んでいる間にも、入学式は進み、いつの間にか、お開きになっていた。
教室に続く渡り廊下をノロノロと歩く。と、後ろから肩を叩かれ、アリスは後ろを振り返った。
「リアム・リーベ様ですよね?」
声をかけてきたのは、王家直属騎士団団長の息子、アラバン・ラナウェイだ。
長い白金髪の髪を一つに縛り、横に流した青年。藍色の瞳は、好奇心を孕んでいる。
「アラバン・ラナウェイ様」
アラバンの瞳を見つめ、静かに名前を呼べば、アラバンは、驚いたように目を見開いた。
どうしたのだろうか、とアリスが首をかしげれば、アラバンは、いや………と口ごもる。
「リアム様のような公爵のご子息様に、名前を知っていただけているとは、思わず…………」
アラバンは、言いにくそうに、けれども、貴族への軽蔑を隠すことなく、皮肉な笑みを浮かべた。
「俺は、入学生の名簿には一通り目を通しているからな」
アリスは、リーベ家のリアムの演技を崩すことなく、言葉を返す。アラバンは、苦虫を噛み潰したような表情で、アリスを見つめる。
「君はたしか、剣術の試験では満点を叩き出した期待の星だろう?」
「満点ばかりの君に言われても、皮肉にしか聞こえないよ」
アラバンは、敵わないな、と肩を竦めて見せた。
どうやら、アラバンはアリスを試していたらしい。気に入らない相手だったら、試合を申し込むつもりだったようだ。
「君とは、いい友達になれそうだ」
「友達、ね………。まあ、これから暫くよろしく」
アリスはアラバンが差し出した手をとり、握手をした。
アリスは学校で親しい友人を作る気は更々なかったが、差し出された手を無下にも出来ず、まあ、いいかと内心溜息を吐いた。
入学式から二ヶ月。
廊下には、先日行われた、定期考査の結果が張り出されていた。一位の欄には、リアム・リーベの名。総合得点は、987点。
「流石だな、リーベ」
「リアムは安定の一位かあ。俺、補習なんだよなあ」
「別に、凄くはないよ」
聞きあきた社交辞令を軽く交わし、アリスは親友の元へ急ぐ。
凄いと思うどころか、憎いとさえ思っているくせに、それを出さずに笑っているのが気持ち悪い。アリスは内心そう毒吐きながらも、笑顔を崩さない。
(私のせいで、兄上の名を汚すわけには、いかないからな)
「よ、リアム」
「アラバン………」
壁に身体を預け溜息を吐いたところで、同じクラスで親友の、アラバンに声をかけられた。
二ヶ月たって、二人は親友になっていた。アリスが唯一本音で話せる相手、それがアラバンだったのだ。
(差詰、もうひとりのお兄ちゃんと言ったところか)
「リアムは相変わらずの一位かあ。ムカつくほど頭いいよな、お前って」
「父上に叩き込まれるだけ叩き込まれたからな! それに、この学校で習うことはどれも実に面白い」
豪快に笑う様は、姿形こそリアムだが、口調はもはや、アリスそのもの。貴族らしさの欠片もない豪快さをアラバンは気に入ったようだが、他の生徒は本性を見たとたん、毛嫌いするだろう。
「全く、俺は毎日必死こいて勉強してるってのに………お前ってやつは…………」
アラバンは、少し疲れたように肩を落とした。実力はあるが、教養に難があるアラバンは、父親からスパルタ指導を受けているらしい。
アリスが教えることもしばしばあるのだが、赤点を免れるので精一杯だ。元々、座学は向いていないのだろう。
「なあ、リアム。助けてくれよお」
「君の家にお邪魔していいなら」
すがり付いてくるアラバンに、アリスは仕方ないな、と微笑む。アラバンは「マジ神!」と、アリスを前に跪いていた。
アラバンが大声で喚き、更には跪くせいで、何かあったのかと、周りの視線が二人に集まる。アリスは小さく嘆息すると、アラバンの首根っこを掴み、ずるずると引き摺って、一目のない場所まで移動した。
「それにしても。お前ってさ、人を家に招かないよな」
アラバンは、引き摺られながら、思い出したようにアリスを見る。アリスは、曖昧に頷いた。
家には本物のリアムがいる。アリスは、下手に学友を招いて、兄に気を遣わせたくなかったのだ。
「私の秘密を知って、絶対零度の氷に閉じ込められたいのかい? それとも、地獄の業火で焼かれる方が好みかな?」
アリスは笑って、アラバンを脅して見せる。
本当にそんなことをするつもりは毛頭ないが、脅しは大袈裟なくらいがいい。
(私の失態で家に迷惑をかけるのは、本望ではないからな)
アリスは、怯えるアラバンにたいし、内心申し訳ないと思いながらも、仕方ないと、言い訳をしていた。
「お前が言うと、冗談に聞こえないから恐ろしいよ」
アラバンは項垂れながら、もうこの話はしないよ、と白旗を掲げた。アリスはそれがいい、と頷くと、騒がしい廊下に、冷めた瞳を向ける。
「リアム………?」
「いや、なに。家柄と成績を自慢するばかりの傲慢な人間が集まったこの学校は、少々息苦しいと思ってな」
首を傾げるアラバンに、視線を戻し、アリスは小さく肩を竦める。アラバンも、仕方ないさ、と眉を下げて笑った。
でも、と続けたアラバンに、アリスは小首を傾げる。
「今年はまだマシじゃないか? 争ったところで、意味はないからな」
アラバンは、多くの生徒に囲まれている女生徒を横目に、茶目っ気たっぷりに笑った。
「今年はリーナ王女がいるからな。どれだけ自慢しようと、一番にはなれないのさ」
なるほど、とアリスは頷く。
貴族であろうと、平民であろうと、王族の前では、みな頭を垂れなければならない。言い意味でも悪い意味でも、王族の前では平等なのだ。
アリスは屋敷に帰ると早々に、リアムの部屋にむかった。
「兄上」
アリスは、リアムの部屋の扉を三度ノックする。
「どうした? アリス」
リアムは、アリスの顔をみると、優しく笑いかけた。
「兄上、今日はテストを返されたのだが…………」
アリスは言い辛そうに、口を閉じる。リアムが先を促すように、頭を撫でて、やっとアリスは口を開いた。
「これ………」
アリスは答案用紙をリアムに渡す。リアムはそれを受けとると、なになに、と一枚ずつ確認していく。
「八教科も百点をとったのか………。頑張ったな、アリス」
リアムはアリスの頭を撫でてやると、もう一度、頑張ったな、と誉めた。
「だが、13点も失点してしまった」
悔しげに言うアリスに、リアムは困ったように笑う。
「僕なら、赤点だらけだっただろうね」
「それは! 兄上の身体が弱いからであって、兄上は、私なんかよりもよっぽど頭がいい!」
アリスはブンブンと首を横にふり、前のめりにリアムの言葉を否定する。リアムは少し仰け反りながらも、そうだとしても、とアリスを押し退けた。
「アリスはまだ三歳だぞ? それで七つも年上を相手に一位をとったんだ。凄いよ、アリス」
アリスは納得がいかないようすで、リアムに撫でられている。リアムは困ったように笑い、アリスと目線を合わせるようにしゃがむ。
「アリスが凄くないというのは、君に負けた人たちに対する嫌味だよ? ちゃんと自分がどれほど凄いか認めて、次は今回と同じ悔しい想いをしないように精進する。それが、アリスのやるべきことじゃないのかい?」
リアムは、アリスの頬を掌で包むと、下から指を通すようにして、髪を乱した。
「わっ! 兄上! 髪が乱れる!」
「乱してるんだよ」
アリスは短い手でリアムの手を退かそうとするが、上手くいかず、大人しく髪を乱される。
(兄上の言う通り、私はもっと精進せねばな)
アリスは自身の髪を楽しげに乱しているリアムを見ながら、次は満点を目指すと、張り切っていたのだった。
「これ、父上やリーリエ様に見せに行くか?」
一通りアリスの髪を楽しみつくしたところで、リアムがヒラヒラと答案用紙をふる。
「そう、だな。二人とも、試験の結果を楽しみにしていた」
アリスは表情を曇らせながら、コクリと頷いた。リアムは行くか、とアリスの髪を整えてやると、手を引き、リーリエの部屋に向かう。
「失礼します」
リアムは一言断りをいれると、リーリエの部屋の扉をあける。
「あら、リアムにアリス? 二人揃ってどうしたんだ?」
手を繋ぐ二人を見て、首を傾げたのは、部屋の主であるリーリエではなく、父のレオンハイルだった。
「父上、いらっしゃったんですね。それに、ミーナも………」
リアムは驚いたように、目を見開く。レオンハイルは兎も角、リアムの専属メイドであるミーナがリーリエの部屋にいるなど珍しい。
アリスも、口には出さなかったが、驚いた。
「何かあったのですか?」
「いいえ。ただ、少しお話をしていただけよ」
三人が揃っているなど何かあると勘繰ったアリスは、眉間に皺をよせ、リーリエに目を向ける。リーリエはにこりと、悪戯っ子のように笑うだけだ。
大したことではないだろうと踏んだアリスは、リアムを振り返る。
「自分で渡すか?」
リアムに優しく問われ、アリスは小さく頷いた。リアムは笑って、アリスに試験の答案用紙を渡す。
アリスはそれを暫く見つめると、決心したように、レオンハイルに差し出した。
「ん? ああ、試験結果が帰ってきたのか」
レオンハイルは、答案用紙を一枚ずつ確認していく。レオンハイルの表情は、段々と険しくなっていき、溜息を一つ吐いたあと、リーリエにそれを手渡した。
「どうしたの? あら………頑張ったのね、アリス」
「お嬢様、凄いです! ねえ、旦那様」
リーリエとミーナは、アリスの試験結果を見て、満面の笑みで、アリスを誉める。
ミーナは、レオンハイルの顔を覗き込むようにして、同意を求めた。だが、レオンハイルは険しい表情のまま、何も言わない。
不安になったアリスは、「父上………?」と、消え入りそうな声でレオンハイルの顔色を窺う。
レオンハイルは、プルプルと身体を震わせると、アリスを──。
「ち、父上!?」
力強く抱き締めた。
「流石、リーリエの娘! 可愛い上に腕がたち、頭もいい! アリスは自慢の娘だあ!」
レオンハイルは、滝のように涙を流し、ひたすらに可愛いと天才を繰り返す。アリスは、慣れた様子で、よしよし、とレオンハイルの頭を撫でていた。
リーリエはその様子を楽しそうに眺めている。リアムとミーナは、苦笑を浮かべながらも、微笑ましく見守る側に徹した。
レオンハイルの可愛い攻撃は、暫く続けられたのだった。
二年生になったアリス。
学校の授業で、今まで雲の上のような存在だった相手と初めて接触する。二人は、どのような関係を気づくのか。




