プロローグ
公爵家であるリーベ家の当主と、その愛人との間に産まれた女の子。
とても美しい顔立ちをした赤子に、誰もが見惚れてしまいます。彼女を初めて見た時、母親が思わず呟いた言葉は──
リーベに生まれし黒
屋敷中に響く大きな泣き声。
小さな赤子から、どうしてこのような大きな声がでるのだろうかと、リーリエは思った。
艶やかな長い銀髪。サファイアを埋め込まれたかのように美しい瞳。陶器のように白い肌。シャンと伸びた背筋。
正に生きた彫刻に例えられることの多いリーリエ。農民の出でありながらも、貴族に愛され、愛人として、大切に囲われているのは、その容姿のお陰だろうと、リーリエは思っていた。
(なんて、そんなこと言えば、怒られてしまうわね)
リーリエは、産声を上げている、産まれたばかりの我が子を愛でながら、クスリと笑みを溢す。
それにしても………と、リーリエは思案した。
リーリエ譲りの銀髪に、既に開かれている瞳はサファイアブルー。はっきりとした顔立ちに、リーリエは思わず自分ではない誰かが生んだのではないのかという錯覚に見舞われた。
他人から見れば、どう見てもリーリエと赤子は、とてもよく似た親子だというのに。
「小さなアリス………」
リーリエはポツリと呟く。
この国、アーデント王国では、アリスというのは、美しい女性、淑女という意味がある。リーリエもアリスと言われることは多かったが、子供が生まれた今は、自身の子供の方が、アリスという言葉がピッタリだと思っている。
リーリエは、愛しき我が子の額に口づけを落とした。
と、部屋の外から、何か騒々しい音が聞こえ、リーリエは扉に目を向けた。バンッと大きな音を立てて開かれる扉。それを開けたのは、リーリエの夫であり、公爵家である、リーベ家当主、レオンハイル・リーベだ。
亜麻色の髪はあちこち乱れていて、薄紅色の瞳は、僅に潤んでいる。いつもは凛としているレオンハイルの顔は、くしゃくしゃに歪んでいた。
「リーリエ! う、うまれ、産まれたって………」
レオンハイルは、肩を喘がせながらも、リーリエの元へ、ヨロヨロと歩いていく。
リーリエは、レオンハイルに、我が子を差し出した。
「え? だ、抱っこ? 無理だ! 無理だ、俺には! 壊してしまうよ………。リアムですら、ふにゃふきゃだったんだぞ? 無理に決まっている」
歴代当主のなかでも、過去最高と呼ばれている、あのリーベ家当主とは別人なのでは? と思うほど弱気な発言に、リーリエは笑みを洩らした。
「赤子なんだから、そんなものよ。リアムの時と大差ないわ」
リーリエがほら、と我が子を差し出せば、お産を手伝ったものたちも、赤子を抱くように迫る。
普通であれば、そのような不敬は許されないが、使用人たちはレオンハイルがどれ程寛容かをよく知っている。業務さえこなしていれば、多少のことには目くじらを立てない。故に使用人に好かれている。
レオンハイルは、恐る恐る、我が子に手を伸ばし、優しく抱き上げた。長男であるリアムのときに馴れているのか、抱く手付きは完璧だ。
「小さい ………。リアムの時よりもずっと」
レオンハイルは、震えた声で、呟いた。愛人との間に産まれた子供への態度としては、あまりによすぎる。
それもその筈。レオンハイルは由緒正しきリーベ家の跡取り。結婚の自由など存在しない。正妻であるモルガーヌは、家の取り決めによって宛がわれただけの存在にすぎなかった。
レオンハイルが愛しているのは、他でもないリーリエだけだ。そして、その間に産まれた子供は、レオンハイルにとって、何よりも待ち望んだ存在だった。
部屋の外から、また何やら騒々しい音が聞こえ、二人は首をかしげる。先ほどのレオンハイルよろしく開け放たれた扉の向こうには、レオンハイル譲りの亜麻色の髪に、薄紅色の瞳を持った少年がいた。頬は興奮のせいか、赤く色付いている。
「り、リーリエ様! あの、産まれたって!」
言いながら、レオンハイルの腕に抱かれてすやすやと眠る赤子を目に止めると、両の目を輝かせた。
レオンハイルと、正妻、モルガーヌの息子、リアムだ。彼はリーリエを嫌う母親とは違い、リーリエを第二の母として、慕っていた。妹の誕生も、レオンハイルと共に、とても楽しみにしていたのだ。
リーリエとレオンハイル、顔を見合せ、微笑を浮かべた。レオンハイルと酷似した行動がおかしかったのだろう、二人でクスクスと笑う。
ふと、「リアム様~」という可愛らしい声が聞こえ、二人は再び扉へ目を向けた。
リアム専属のメイド、ミーナだ。リアムと同い年で、今年で7歳になる。
捨て子である彼女をリアムが見つけ、屋敷につれてきたのがはじまりだった。
ピンクベージュの髪をまとめ、メイド服に身を包んだ少女は、少し怒った様子で、自分より背の低いリアムを見下ろす。ピンクの瞳は、キッと細められていて、その瞳で見つめられたリアムは、居心地悪そうに、視線を彷徨わせた。
「リアム様! 走られてはまた体調を崩されますよ?」
「す、すまない………だが!」
「言い訳は結構です」
ミーナは、ピシャリとリアムの言葉を遮っては、窘めるような口調で、いいですか? とリアムに言い聞かせる。
「リーリエ様もお子様も無事であるのは分かっていたのですから、ゆっくりこれば良かったでしょう?」
「…………ごめんなさい」
リアムは肩を落として、項垂れる。上目遣いでミーナを見上げては、捨てられた子犬のような目で、ミーナを見ていた。
「…………次からは、走ったりしないでくださいね」
ミーナは小さくため息を吐いて、それから、リアムに笑いかける。リアムは自分が許されたと分かり、直ぐに満面の笑みを浮かべた。
ミーナは生まれながらに病弱なリアムの世話を一番側でしていた。そのせいか、大人びた考えで、リアムを叱り、時には慰め、母親の真似事をしていた。
リアムにとっては、特別な存在だ。
リアムは、走らないように、と自身に言い聞かせながら、ゆっくりとリーリエの元まで歩き、そして、レオンハイルの腕に抱かれている義妹の顔を覗き込む。
「小さなアリス…………」
リアムは放心したように、それだけ呟くと、義妹を見つめる。と、リーリエは、何がおかしいのか、一人クスクスと笑い始めた。
「リーリエ?」
レオンハイルは、不思議そうに、リーリエに目を向けた。他のものたちも、同様の反応をする。
リーリエはレオンハイルから赤子を受け取り、あやすように揺らしながら、歌うように言った。
「私もね、この子を始めてみたとき、リアムと同じことを言ったの」
「え?」
リーリエは、我が子に向けているのと同じ瞳をリアムにも向ける。リアムは、驚いたように、リーリエの顔だけを見つめていた。
「だって、こんなにかわいいんだもの。だから、思わず、私も同じことを言ったのよ」
リーリエの話を聞いたレオンハイルは、暫く腕を組んで考え込み、そして、そうしよう、と呟いた。
誰もが、なんのことを言っているのか分からずに、首をかしげる。レオンハイルは、ひとりで納得したように頷き、それから、部屋にいるもの全員の顔を見渡すと、静かに口を開いた。
「アリスにしよう」
一瞬、なんのことを言っているのか、理解できなかった。ただ一人、リーリエだけは、合点が言ったように、「いいわね」と笑った。
「この子の名前は、今日からアリスよ」
リーリエがそう告げたことで、ようやくみなが気づいた。『アリス』とは、二人の子供の名の事だったのだ。
「アリス………いいですね、賛成です」
リアムも、兄の顔つきで、アリスの頬を撫でる。小さな口をむにゃむにゃと動かす姿に、リアムはフッと笑う。
ミーナや、他の使用人も、口こそ開かないものの、小さく微笑んでいた。
これが、アリス・リーベの誕生である。
リーベ家に産まれた、新しい命。
『アリス』は成長し、3歳になる。そんな、まだ幼い彼女に、ある話が舞い込んでくる。
『アリス』は一体、どのように成長するのか。そして、どのような人生を送るのか。




