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「嘘・・・・・・ 待って・・・・・・ 私、 泳げないのよ・・・・・・ 助けて!」


「そこは立てば腰くらいまでしか水がないわよ。お姉ちゃんっておおげさだわ。じゃあ、私は先に帰るわね」


 夕方になると肌寒く、水の中は驚くほど冷たい。深さが腰くらいまでしかない湖でも、濡れた衣服は重く、容赦なく体温を奪う。私は思わずバチャバチャと手足を動かした。口に水が入り、むせた瞬間、頭の奥で何かがよぎった。


 キラキラとした光を浴びながら颯爽と歩く女性たち。なぜか彼女たちは私を「先生」と呼んでいる。


(え?・・・・・・これ、なに?)


 湖からやっとの思いで抜け出すと、濡れた体のままブロック服飾工房の寮に戻った。乾いた服に着替え、布団にくるまって暖を取るものの、体の芯まで冷え切っている。心の痛みと疲れで、いつのまにか寝入ってしまった。夢と現実が入り混じるように、断片的に浮かぶ不思議な記憶に翻弄されながら・・・・・・


 翌日、高熱が出て、ソフィアの目論見どおり結婚式には行けなかった。うなされながらも、また不思議な夢を見る。夢の中で湖の水が揺れ、濡れた感覚と冷たさが再現されるたび、頭の奥で断片だった記憶が少しずつ繋がっていく。


 日本という国で生きてきた自分の努力――私は昼夜を問わずアイディアを練り、素材や色彩を追求し、スタッフと共に試行錯誤を重ねた。


 挑戦――私は常識や流行の壁に挑み、既成概念を覆すデザインで人々の心を掴み、ファッション界に新たな風を吹き込んだ。


 達成した仕事――私は世界中の舞台で称賛を浴び、数々のコレクションを成功に導き、一流の服飾デザイナーとして確固たる地位を築いた。


 さまざまな素材の生地を魔法のように操り、多くの流行を生み出してきた。観客のため息と賞賛、緊張と高揚、かつての人生の記憶――そのすべてが鮮明に蘇る。


 そして、やっと理解した――私は異世界に転生したのだと。


(あぁ………そうよ、私はかつて日本という国にいたし、偶然にも今と同じような服飾関係の仕事をしていたのよね………)


 ここにいるということは、多分前世で命を落としたのだろう。けれど、そこだけはまったく思い出せない。でも、終わった人生よりも、この異世界での自分の人生のほうが大事だから、気にしないことにした。


(まさか、こんなことが本当に起こるなんて……昔よく読んだ小説みたいな話だわ)


 翌々日。熱は下がったものの、体はまだふらつく。頭の中で整理しながら、前世の家族についても思い出していく。


 日本で生きた私は、共働きのサラリーマン家庭で育ち、今と同じように妹がいた。特別裕福ではなかったけれど、両親は私たち姉妹に差をつけることはなかった。


 私も妹も大学まで通わせてもらい、お小遣いは自分たちでバイトして賄ったし、妹だけ大学に行かせて私を働かせるなんてこともなかった。もし学費が足りなかったら、二人とも高卒で働かされていたはずだ――今の世界の家族と比べると、あまりにも違う。


(私と妹は平等に愛されていたし、同じだけ教育費もかけてもらえた。日本で生活していた頃は、それが当たり前だと思っていたけれど……本当はとてもありがたいことだったのかな。でも、それが家族というものよね……)



 階下の作業場にそっと向かうと、誰もいない。レオナード様の結婚を祝って、服飾工房も五日間ほど休みになったことを思い出す。道理で寝込んでいても、誰も仕事をするように注意しなかったわけだ。きっと、まとまった休みをもらった同僚たちは、それぞれ旅行に行ったり休暇を楽しんでいるのだろう。


 当然、作業場が休みの間は、まかないの食事も出してもらえない。どこかで食事を済ませようと考えていると、私の部屋の扉をノックする音が響いた。開けてみれば、両親が笑顔で廊下に立っていた。


(寮までこの人たちが来るなんて初めてだわ。いったい、なんの為に来たのかしら?)


 思わず身構えると、母さんはにっこりと笑いながら、パンの耳を私に差し出した。油で揚げて砂糖をまぶしたもので、子供の頃によく食べた安価なおやつだ。どうやら手土産のつもりらしい。


「ソフィアの結婚式は欠席したのね? いいのよ、気にしないで。 やっぱり自分が結婚するはずだったレオナード様と、ソフィアが一緒になるのを見るのは辛いものね。 ソフィアはとても綺麗だったわよ。大丈夫、あの子も怒っていないから」


「それはそうでしょうね。ソフィアは内心喜んでいたんじゃないですか?  風邪を引くように、湖へ私を突き飛ばしたのは、ソフィアなんですから」


 私はパンの耳を押し返しながら、ニコリともせずに答えた。


「は? なんでそんなでたらめを言うんだ?  ソフィアがそんなことするわけないだろう」

 父さんは びっくりしたような声で、私をたしなめた。


「そうよ。優しいあの子が、マリアにそんなことするわけないでしょ」

 母さんの声は柔らかいけれど、どこか私を責めるような口調が混じっていた。


「信じてくれなくても結構です。ところでいったい何の用ですか? 寮に来るなんて、今までなかったでしょう?」


「 もう4ヶ月ほどになるかしら?  レオナード様と挨拶に来て以来、お給料を家に入れてなかったでしょう?」


 母さんは 優しげな微笑みを浮かべ 、当然のように私からお金を渡されるのを待っている。


 ふと母さんの指を見た時、高価な宝石のついた指輪がキラリと光ったのを、私は見逃さなかった。パンを作っている時にはなかったものだ。仕立ての良いワンピースの生地も光沢があり、かなり高価なものだとわかる。


(なぜ、今までこの人たちに、自分のお給料を渡すのが当然だと思っていたのかしら……少しもお金に困っていなさそうなのに。……でも、日本での記憶が蘇る前だったら、きっと素直に渡していたでしょうね)


「カフェスペースを増築するほど、エピベーカリーは儲かってますよね? ソフィアも学園を卒業し、学費もかかりません。なのに、なぜ私がお金をあなたたちに渡さなければいけないんですか?」


 私は冷めた眼差しでそう尋ねたのだった。




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