13
翌日、サンテリオ服飾工房のアトリエで、サンテリオ侯爵様が今日取り掛かるべきドレスについて説明してくださった。
「注文された方はポリー・マッケニット様。マッケニット大商会の会長夫人だ。髪は淡い金色で瞳はグレー。半年後に開催される パーティーで着るドレスを仕立てて欲しいとのことだ。色やデザインはお任せとおっしゃっていたが、上品ながらも人目を引くものをご所望だ」
私は紙を前に置き、スケッチを始める前にしばらく考え込んだ。
「いやだ。やっぱり学園も卒業しないで、ズルだか縁故で採用された人だから、全然筆が動かないじゃない」
昨夜話しかけてきたカエリンさんが、私にからかうように声をかける。周囲の子たちもクスクスと笑い声をあげていた。
「そこ、無駄口を叩かないで、手を動かすように!」
サンテリオ侯爵様の声が、控えめながらも確かな威厳でアトリエに響く。
カエリンさんたちは即座にデザイン画を描き始めた。けれど、私の頭の中は違うことでいっぱいだった――注文主、ポリー様が出席するパーティーのことだ。
大商人の奥様が出席するパーティーといえば、どんなものがあるだろう?
慈善寄付パーティー、最新商品の披露会、芸術家支援や文化イベント、あるいは家族や親戚関係の結婚祝賀会……。目的によって求められるドレスのデザインはまったく異なる。
情報はまだ不十分だ。でも、私ならひとつのドレスで、どんな場面にも対応できるよう工夫できる!
胸元は鎖骨がかすかに覗く程度。 袖は取り外しが可能で、必要に応じて華やかなオーバースリーブに替えることもできる。
ウエストには柔らかな調節リボンを通し、結び方次第でシルエットを自在に変えられる。
刺繍や小さなビーズなどの装飾類はあえてつけない。裕福な奥様方は手持ちの宝石が豊富だから、ネックレスを引き立てるように、シンプルなままで十分よ。
このドレス一着で、控えめな慈善パーティーでも、華やかな祝賀会でも、印象を自由に変えられる。
私は紙の上にそんなドレスを思い描き、スケッチを重ねていく。あっという間に20枚近くのデザインができあがった。
使う生地の色や素材ひとつで、ドレスの印象はまったく違ったものになる。森の緑に溶け込む妖精のようにも、深いコバルトブルーの海に遊ぶ人魚のようにも、思い描くイメージに合わせて自由に変えられる。私の頭の中には、無数の色と質感が次々と浮かんだ。
どの組み合わせに寄せるか考えるだけで、心が躍る。
それぞれのドレスに軽く色をつけたり、素材感を変えたり……楽しくてたまらない!
「どれも素晴らしいわ! あなたがデザインした全てのドレスを仕立ててもらいたいわ!」
背後からの声に、私は思わず手を止めた。夢中でスケッチしていたため、アトリエに新たに入ってきた人物に、まるで気づいていなかった。
「急に話しかけてごめんなさい。私がドレスを注文したポリーよ。素晴らしい才能ね! あなたのお名前を教えてくれる?」
「マリアと申します。お褒めいただき光栄です」
慌てて席を立つ。相手は貴族ではないので、カーテシーは必要ないだろう。けれど、心からの賛辞には深く頭を下げて、お礼だけはきちんと伝えたい。
ポリー様はゆっくりと、みんなのスケッチを順に確認していった。
「どれもなかなか素敵ですけれど、やはり一番魅力的だったのはマリアさんのデザインね。サンテリオ侯爵様、こんな斬新なドレス、初めてご覧になったのではありませんか?」
「確かに初めてですね。取り外し可能な袖に、シルエットを自在に変えられるウエストリボン。素材や色の組み合わせ次第で、ドレスの印象がさまざまに変わる。多分、彼女は天才なのでしょう」
「本当に、まさにその通り! このスケッチの一枚一枚、どれも見とれてしまうわ。実際に仕立て上げたら、どれほど素敵になることか……。たちまち周囲の注目をさらい、賞賛の声も独り占めですわね! ふふっ、嬉しいこと」
サンテリオ侯爵様とポリー様が楽しそうに会話を弾ませている傍ら、控えめな声でカエリンさんが話しかけてきた。
「天才……ね。なぁんだ、すごい才能があるから採用されたんだね。……意地悪なこと、言っちゃってごめん」
目を輝かせながら、カエリンさんは私のデッサンに見入っていた。小さく「すごい、すごい」と呟く声に、心から感動している様子が滲む。
「私、この仕事には誇りを持ってるの。すごいデザインを作れる人って、本当に尊敬しちゃう。こんなに素敵な発想を次々思いつく人と、仲間になれるなんて……嬉しいな」
カエリンさんは、キラキラした瞳でじっと私を見つめた。先ほどまでのからかうような態度はどこへやら、そこには純粋な憧れと尊敬の気持ちだけが表れていた。
そんな中、ポリー様が私に手を差し出した。
「私のドレスのデザインは全部、あなたにお任せするわ! まずはあなたが作ったドレスの中で、森の妖精みたいな色使いのこちらと、コバルトブルーを使ったそちら。他のスケッチも私専用にファイルしておいて! サンテリオ侯爵様! 彼女を私の専属にします!」
「やっぱり一発で決まったか……こうなると思っていましたよ。ではポリー様、私の執務室で契約書にサインをしてください。もちろん、マリアは工房所属のまま、あなた専用のデザイナーとして担当します。マリアも一緒に来るように。君はたった1日目で、マッケニット大商会の夫人を顧客にしたんだ。早く独立されそうで、正直少し怖いなぁ」
サンテリオ侯爵様は「怖い」と口にしながらも、どこか嬉しそうな顔をしていた。
『優秀な人材を育て上げることが、私の務めだと思っているからね』
先日、聞いた彼の言葉を思い出す。
(私は本当に、恵まれた職場に出会えたみたい……)
最上階のサンテリオ侯爵様の執務室に向かおうとした時、カエリンさんが笑顔で声をかけてきた。
「私たち、いつも昼食は『リーベン洋食店』で食べてるの。工房の前を通る大通りの角にある洋食屋さんよ。まだお昼には少し時間があるけど、契約や手続きで話が盛り上がると、きっとあっという間にお昼に差し掛かっちゃうと思うわ。私が席を取っておくから、後からおいでよ!」
「……うん、ありがとう」
ニコニコと手を振るカエリンさん。心がほっと温かくなるその笑顔に、私は自然と微笑み返した。彼女が、ここサンテリオ服飾工房で、私の“お友達第一号”になった瞬間だった。