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「まずは女子寮を案内しよう。そうだ、まだ君の名前を聞いていなかったね?」
「マリア・ピナです」
「私はキース・サンテリオ。この領地の領主だ。君も知っての通り、ここサンテリオは街全体がファッションの中心地になっている。サンテリオ服飾工房は、侯爵家の名誉にかけて運営している事業だ。だから、ただ部下に任せるだけではなく、私自身がここで統括して目を配っている。で、工房のすぐ隣、ここが君が住むことになる女子寮だ」
サンテリオ侯爵様は、白い石造りの三階建ての建物を指差した。大きなアーチ型の窓が規則正しく並び、窓枠には小さな装飾が施されている。ちょうど花の鉢を置けるような小さな台座も作られていて、ピンクや白、赤の花々が色鮮やかに並んでいた。風にそよぐたび、建物全体に柔らかく華やかな印象が広がる。
「すごく立派な寮ですね……とても綺麗です。こんなところに住めるなんて、夢みたいです」
「そうかい? 気に入ってもらえて嬉しいよ。いい環境を用意して、優秀な人材を育て上げることが私の務めだと思っているからね」
正面の門扉には、魔導施錠装置が埋め込まれていた。サンテリオ侯爵様によると『登録された者以外は、中に入れない仕組み』だという。
「ちょっと失礼。君の手を貸してもらえるかな」
そっと私の手を取り、施錠装置に触れさせると、カチャカチャと何やらボタンを操作した。
「よし、これで君の指紋が登録されたよ」
(すごい……日本で言うところの指紋認証だわね)
門をくぐり寮の中に入る。建物の内部は明るく、開放感にあふれていた。談話室や図書室、作業室など、共用施設が充実しており、どの部屋も清潔で整っている。
「この寮では、毎日の食事を作ってくれる人がいる。今、寮母さんに紹介するよ」
サンテリオ侯爵様が大きな食堂を案内しながら、厨房の方角に向かって「フランさん!」と声を張った。
すると、そこから柔らかな笑みを浮かべた年配の女性が出てきた。優しい目元と落ち着いた佇まいから、初めて会う私でも安心感が伝わってくる。
「こちらは新しく寮に入る マリアさんだ。 隣の領地からこちらにやってきたばかりらしい。優しくしてやってくれ」
「かしこまりました、侯爵様」
フランさんは サンテリオ 公爵様に深く頭を下げて、次は私に向き直り、穏やかな笑みを浮かべた。
「マリアさん。初めまして、寮母のフランです。食事は朝と夜、ちゃんと栄養たっぷりのものを出しますよ。 好き嫌いがないといいんですがね。 おかわりも自由ですから、たくさん召し上がってくださいね」
「はい、 よろしくお願いします。 好き嫌いはないですし、 食事の時間が楽しみです」
「寮の生活で、なにかわからないことがあったら、フランさんに聞くといい。さて、案内を続けよう。二階と三階は従業員たちのプライベートルームだ。プライバシーが守れるよう、すべて個室になっている。安心して、くつろいでほしい」
サンテリオ侯爵様に促されて奥の階段を上がると、個室がずらりと並んでいた。ブロック服飾工房の部屋とは違い、扉と扉の間隔がゆったりとしている。その分、部屋も広々としているに違いない。
案内された私の部屋の扉を開けると、大きな窓から柔らかな陽光が差し込み、部屋全体を温かく包んでいた。室内には清潔な寝具が揃ったベッド、書き物用の洒落たデスク、座り心地が良さそうな椅子、整然と並ぶ収納棚があり、どこを見ても清潔で整った印象だ。
部屋の広さは想像以上で、一人用の小さなソファーまで置かれており、隣には小さなローテーブルもある。従業員の寮としては十分すぎる贅沢さだった。
さらに、サンテリオ侯爵様によると、廊下や階段に設置された魔導防犯ランプは、異常を感知すると瞬時に、侯爵家お抱えの騎士たちに知らせが届く仕組みになっているという。夜間であっても、どんな小さな異変も見逃さないとのことだ。
「初めて来た土地で不安だと思うが、食事と安全な住居はきちんと保証するよ。安心して、仕事に励んでほしい」
サンテリオ侯爵様は微笑み、私の頭を子供のように軽く撫でた。そのさりげない仕草に、なぜか心の奥まで温かさが広がる。
(道理でここが、ファッションの中心地として栄えるわけだわ。これだけ従業員が大切にされ、いい上司にも恵まれるのだから、多くの人がサンテリオ服飾工房で働きたいと思うのも当然よね)
私は深呼吸をして、目の前に広がる新しい生活に胸を高鳴らせた。ここでの暮らしは、ただ安全であるというだけでなく、自分の才能を存分に発揮できる環境でもある。
「今日のところは、ここでゆっくり過ごすといい。明日から出勤してくれ。ではまた明日会おう」
サンテリオ侯爵様はにこやかに微笑みながら、颯爽と去っていった。
自分の部屋で荷物をほどき、窓辺に近寄る。大きな窓からは、向かいの街並みが一望できた。石畳の通りに並ぶ香水やバッグの高級店に、行き交う着飾った人々の姿が見える。
。゜☆: *.☽ .* :☆゜
日が沈むころ、他の女性従業員たちが、ちらほらと帰宅してきた。夕食の時間になり、簡素なワンピースに着替えてから大食堂に行くと、大きなテーブルには見た目も豪華で美味しそうな料理が並んでいた。
「皆さん、今日から新しく入ったマリアさんですよ」
フランさんから紹介されると、一斉に視線が私に集まる。私は少し緊張しながら頭を下げて自己紹介した。
「オッキーニ男爵領から来ました、マリアと言います。どうぞ、よろしくお願いします」
みんなはにこやかな笑顔で、拍手をして歓迎してくれた。
(よかった。いい人たちそうだわ。仲良くなれたらいいな)
そう思っていると、一人の従業員が好奇心たっぷりに声をかけてきた。
「私はカエリン・メリージよ。よろしくね! ところで、オッキーニ男爵領の学園って、どんな感じなの? 私が通っていたデザイン科は、マールカ伯爵領のマールカ学園よ。生徒は60人以上もいたけど、ここに採用されたのは私だけ。みんなから羨ましがられちゃったの」
一番最初に答えにくい質問が出てきてしまった。でも、正直に答えるしかない。
「私、学園には通っていません」
一瞬、周囲が静まり返る。
「え?」と、驚いた表情が次々と浮かんだ。
「嘘でしょ? だって、それって必須条件だって聞いたけど?」
「そうよね。私も学歴証明書を出したもの。そうしないと採用テストすら受けられないはずよ」
さっきまで温かい眼差しを向けてくれていた彼女たちは、途端に嘲るような目つきや怪訝そうな表情に変わった。その後の会話は弾まず、私に話しかけてくる人は一人もいなかった。
(気にすることなんてないわ。私は自分の道を進むだけよ!)