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オッキーニ男爵領から乗り合い馬車を何度か乗り継ぐ。揺れに身を任せながら、外の景色をのんびりと眺めた。
森を抜け、途中の村では風に揺れる麦畑を横目に通り過ぎる。
遠くから子どもたちの声や水車の音がかすかに聞こえ、夕方になったので安宿を見つけて泊まった。
(日本での記憶がなかったら、とても一人でオッキーニ男爵領を出よう、なんてできなかったわね)
今の私は男装をしている。地味な容姿とは言っても、一応年頃の女性だ。男のふりをした方が領地をまたいで移動するには絶対的に安全な気がしたし、金銭目的で襲われないようにかなりくたびれた丈夫な布で仕立てられたつなぎ風の作業着を着ていた。これはオッキーニ男爵領を出る時に、古着屋に寄って買ったものだ。
夜が明けて、また馬車に乗って何回かその日も乗り継ぐうちに、やっとサンテリオ侯爵領の領境の門が見えてきた。
門の手前で、役人たちが馬車に近づき、乗客の荷物を軽く確認していく。私の荷物も調べられたが、 特に何の問題もなくすんなり通してもらえた。
門をくぐると、この先はサンテリオ侯爵領!
街は思わず息を呑むほどの賑わいを見せていた。石畳の大通りには色とりどりの商店が軒を連ね、魔導馬車が滑るように行き交う。人々の服装も華やかで、軽やかな音楽が通りに設置された魔導スピーカーから聞こえてきた。
路地のあちらこちらで、露店の呼び声や子どもたちの笑い声が響き、洗練された建物とにぎやかな人々の動きが、街全体に活気をもたらしていた。オッキーニ男爵領の小さな街とは違い、ここは都会でなにもかもが革新的だった。
(すごい ! さすがは、サンテリオ侯爵領よね。前の人生で住んでいた日本と比べても、全然見劣りしないわ)
早速、サンテリオ服飾工房のある、一番華やかな店が並ぶ一角へ向かう。
その中でも、ひときわ大きな建物――サンテリオ服飾工房が目に入った。
『服飾デザイナー 随時募集!』
看板が堂々と掲げられている。
迷わず中に入り、受付に声をかけようとしたその瞬間、受付嬢の背後にある鏡に自分の姿を見て、思わず息を呑む。
(うっかり……着替えるのを忘れてた! 私、男装したままだわ。作業着みたいによれよれで、あまりにも場違いな格好……)
案の定、服飾デザイナーに応募したとは思われず、受付嬢に言われた言葉がこれだった。
「最上階のボスの部屋に行ってください。魔導クーラーの修理屋さんでしょう? あ、そっちの階段で行くつもりですか? 足が棒になっちゃいますよ。魔導エレベーターはあちらです」
(領地によって、同じ国でも文明の進み具合が全然違うわ……オッキーニ男爵領では、魔導エレベーターなんて見たこともなかったもの)
修理屋だと誤解されたのを否定しそびれて、私はそのまま魔導エレベーターに乗り込み、最上階へと上がっていった。
エレベーターの扉が静かに開くと、目の前には広々とした廊下が広がっていた。廊下なのに、ふかふかの深紅の絨毯が敷かれ、壁には金糸や銀糸を織り込んだ豪華な壁紙が貼られている。
廊下の奥、扉が開け放たれた先に広がる部屋も、まさに豪華絢爛な貴族の部屋そのものだった。床はピカピカに磨かれた大理石で、高級な革張りのソファが数脚並ぶ。ソファの向こうには、洗練されたデザインの執務机と椅子が置かれていた。
一面はめ込みのガラスで作られた窓からは、サンテリオ侯爵領の街並みが眼下に広がり、赤い屋根や石畳の大通りを滑るように進む魔導馬車の様子まで見渡せた。
執務机の前に座るのは、眩しいほどに整った容姿の男性だ。ブロンドの髪が窓から差し込む陽光を受けて輝き、青い瞳は氷のように冷たくも深く澄んでいた。この領地の頂点に立つにふさわしい、絶世の美男子ーー多分この方がサンテリオ侯爵様だわ。
「ずいぶん若くて華奢な修理屋が来たな。ちゃんと修理はできるんだろうね? 暑くてたまらないから、すぐに作業を始めてくれ」
「えぇっと……私は修理屋さんじゃないんです。服飾デザイナーを希望していて――」
「え? 君が? だとしたら、1階の受付カウンターで手続きを受けてくれないかな。その後、適正試験を受けてもらうことになるよ。あぁ、その前に学歴証明書も見せる必要がある。学園で服飾デザイン科を卒業した証明書を提出してくれ」
「学園には行っていません。証明書もありません」
「……申し訳ないが、うちではその証明書がないと雇えないんだ。ここには国を超えてやってくるデザイナーも多いし、希望者の数も半端じゃない。だからまずは学歴で足切りしてしまうんだよ。悪いね」
「でも、人によって学園に通うチャンスを奪われる場合だってあります。その中にも才能ある人は少なくありません。私は修理屋に間違われて、直接ボスに会えたんです。これも何かの縁だと思って、どうか、直々にテストを受けさせていただけませんか?」
私はここが勝負と思いながら、まっすぐサンテリオ侯爵の瞳を見つめた。深く息を吸い込み、力の限り声を張り上げるように話す。自然と背筋が伸び、かつての一流デザイナーだった時の誇りが 蘇った。
「私をここで 門前払いするとすれば、サンテリオ服飾工房は大きな利益を出すチャンスを逃すことになると思います!」
深く頭を下げながらも、私は きっぱりと言い切った。