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3 別々の道

ケイドシウスが帝国に渡る前、セヴリーヌは別宮に呼び出された。

最近王太子妃教育で忙しくなり、ケイドシウスの別宮を訪れる回数はぐんと減ってしまったものの、通い慣れた回廊を迷うことなく進む。

相変わらず人気(ひとけ)のない回廊が逆に心地好く感じる。

いつからだろうか、この静寂とケイドシウスに会うことが、消耗していくような日々の中でどれだけの癒しとなったのは。


「セヴリーヌ。どうか私と一緒に、来て頂けませんか?」

「……!」

ケイドシウスに跪かれ、セヴリーヌの好きな宝石が施された指輪を見せられながらそう言われれば、流石のセヴリーヌもそれが友情の範囲でないことに気付いた。


思わせぶりな態度はいつものことで、気付かないフリをして冗談を言ってもいい。

そうすれば、セヴリーヌが愚痴を言える唯一の友人を失わなくて済むかもしれない。

どんな対応をしようともセヴリーヌの自由ではあるが、他国へ向かうケイドシウスに余計な未練など持って欲しくなくて、こちらも真摯に応えることを決心した。

真剣なケイドシウスの差し出した指輪に手を当て、そのまま相手の方へ押し返す。

敏いケイドシウスであれば、それだけで十分伝わるはずだった。


「私はイレドシウス王太子殿下の婚約者です。貴方の想いには応えられません」

しかし、いつもはここで肩を竦めて諦めるケイドシウスは、今日はそのつもりはないようだった。

「セヴリーヌが兄上の婚約者だということはわかっています。しかし、兄上の隣で貴女が幸せに笑って過ごせるとは思えません」

「……ケイドシウス殿下。私は、幸せに笑って過ごすことを目的に、イレドシウス王太子殿下の隣にいる訳ではないのです」

「しかし、兄上は今、他の女に現を抜かして……っっ!」

ケイドシウスは顔を歪め、唇を嚙みしめる。


「……その件に関しては、私も悪いのです。イレドシウス王太子殿下の希望に応えられませんでしたから」

イレドシウスは、自分が十八となり成人すると、婚約者であるセヴリーヌに夜伽を命じた。

下位貴族であれば多少の融通はきかない訳ではないが、セヴリーヌは公爵令嬢である。そして当時、まだ十三歳。

当然婚前交渉などもっての外で、貴族令嬢としてのプライドがそれを許せなかった。

ひとりで抱え込めない問題に、セヴリーヌは母親に相談した。それは当然の如く公爵家から王太子へ、つまり王家への抗議文を送るところまで進展し、陛下からイレドシウスへ厳重注意が言い渡されたのだ。


イレドシウスは、反省するどころか逆に腹を立て、「婚約者の癖に相手をする気がないということは、婚約破棄をするつもりである」だの「自分は道義を通したのだから、他の者を相手にしたとしても文句を言う筋合いはない」だの言い出し、好みの女性とあらば直ぐに手を出すようになった。


そんな状況にセヴリーヌは何とも思わなかったが、父親とケイドシウスは大層憤慨した。

しかし国王は「最終的にセヴリーヌ嬢と結婚するということには、なんら変わりはないのだから」とイレドシウスがどんなに女性関係を持ったとしても、セヴリーヌの立場が揺らぐことはないと宣言するだけだった。


代々ずっと王家を崇拝してきた家門であり、忠臣である父親が王家と娘との間で板挟みになっているのを知ってその怒りを収めるのはセヴリーヌだった。

今までどんな理不尽な処遇を与えられようとも文句ひとつ言わずに粛々と過ごしていたケイドシウスが初めて怒りを露わにし、イレドシウスに殴り込みに行こうとするのを止めるのも、セヴリーヌだった。


「イレドシウス王太子殿下がどれだけ女性と関係を持とうと、それで私が傷付くことも怒ることもございませんわ。むしろ、結婚するまで私がお相手をしなくて良くなったので、とても気が楽です」

セヴリーヌが建前ではなく本心からそう言っているとわかる二人は、それで溜飲を下げるしかない。本人が構わないと、むしろ事を荒立てないでくれと言っているのに、これ以上望まないことをしたくなかった。


「今は……ええと、何という名前だったかしら……ともかくピンク頭さんが頑張ってイレドシウス王太子殿下の相手をして下さっているけれども、あの平民あがりの女が私の代わりを務められる訳がないことは、誰もが知っておりますもの」

セヴリーヌはそう言って苦笑した。


一瞬、もしピンク頭がイレドシウスのことを支え、国のことを一番に考えられる人格者であれば、ケイドシウスの手を取れていたかもしれないと思ってしまったからだ。

けれども、それはあり得ない。

残念ながら、ピンク頭はイレドシウスと同じく享楽主義の楽観的な人間で、物事を数字や分析で捉えるのではなく感覚で捉える性格だった。

しかし彼女は「予言」という能力を自分が持っていると周りに吹聴しており、それが当たるということでイレドシウスは彼女を重宝し、ハルガリン公爵家を目の敵にしているボンデ侯爵は彼女を養子にして予言者として持ち上げていた。


それも、時間が経てば解決するだろうと思っていた。

飢饉が起こるだとか感染症が広がるだとか洪水で被害が出るだとか色々言い当てたらしいが、そう何度もあてずっぽうの予言が当たる筈もない。


「……私だったら、貴女にそんな顔をさせないのに」

「ありがとうございます。でも、これは私とイレドシウス王太子殿下の問題ですので」

セヴリーヌは、わざと冷たく突き放す。

帝国へ向かうケイドシウスならば、そこできっと素敵な令嬢との出会いもあることだろう。

お互いに、希望や未練なんて残すべきではないのだ。

「……私は、もうこの国に戻って来るつもりはありません」

「……っ」


一瞬の狼狽を気取られないように、「そうですか」とセヴリーヌは答えた。

「微力ですが、陰ながら……今後はセヴリーヌの力になれるよう、帝国でそれなりの地位を得たいと思います」

「……期待しております、ケイドシウス殿下」

ケイドシウスは無言です、とセヴリーヌの片手を掬う。

最初で最後、これくらいの思い出なら許されるだろうと、セヴリーヌはその手を引かずにされるがまま、その甲に口付けられる。


ケイドシウスの吐息が、唇が、熱が、離れて行く。

ずっとこのまま時間が止まればいいのに、なんて願う資格なんてない。

セヴリーヌは溢れそうになる涙を閉じ込めようと、瞳を閉じた。



そして、ケイドシウスは帝国の外交官と一緒に旅立った。

国王はケイドシウスを激励し、帝国の手前イレドシウスもにこやかに「帝国で鍛えて貰って、一人前になって戻って来てくれる日を楽しみにしているよ」と握手を交わした。

セヴリーヌはその横で、人形のような笑みを浮かべたままケイドシウスを見送った。



***



「セヴリーヌ様は、ケイドシウス殿下が好きだったのですか?」

ロジェはセヴリーヌに言葉を飾らずに直球で尋ねる。

セヴリーヌは、貴族令嬢達との言葉の裏読み合戦のような会話よりずっと好ましいと思いながら、心の中で首を傾げた。

『どうかしら……?イレドシウス王太子殿下よりも相性が良くて、彼を好きだったことには間違いないけれども……恋をしているというより、同士のような気持ちでいたのかもしれないわ。国を良くしていく仲間のような』


「もし、イレドシウス王太子殿下の婚約者じゃなければ、告白を受けていたのではないですか?」

『ええ、それはそうかもしれないけれど。……ただ、私はやっぱり、自分より年下の異性と上手くいく気はしないのよね。ほら、この気質でしょう?強気な私を優しく見守って下さるような、十歳くらい年上の方が良いかもしれないと何度も思ったことがあるの。まぁ、イレドシウス王太子殿下はあれでも五歳上だから、結局年齢よりお人柄なのかもしれないけれど』

どのみち、セヴリーヌは年上が好みということらしい。

それに気付いたロジェは、何故かがっかりした。


『さてと、ロジェ。今日はもうこの辺でお終いよ』

「あっ……はい」

ロジェは話に夢中で、昨日同様辺りが暗くなっていることに気付かなかった。

以前は「潰していた」時間が、セヴリーヌと話しているだけであっという間に「過ぎてしまう」。

「セヴリーヌ様、続きはまた明日、聞きに来てもよろしいでしょうか?」

『明日?そうね……』

セヴリーヌは少し悩んだ後、『いいえ、明日は止めておきましょう。雨が降る気がするの』と言って断った。


「セヴリーヌ様は、天気がわかるのですか?」

ロジェは驚いてそう尋ねる。

『いいえ、何となくそう思うだけ。ほら、私はこの姿になって暇を持て余しているでしょう?だから、唯一出来ることと言えば周りを観察することくらいなの。雲の位置や動物の動き、風の強さや向きとかで、そうかなと思うだけなのよ』

「そうですか……セヴリーヌ様がそうおっしゃるのなら、わかりました」

『そんなにがっかりしないで。貴方に風邪をひいて欲しくないの。また雨が止んだら、来てくれるかしら?』

セヴリーヌが申し訳なさそうに言うと、しゅんと肩を落としていたロジェはにっこり笑って顔を上げる。

「はい、勿論です!ではまた」

セヴリーヌが見守る中、ロジェはよいしょと籠を背負うと、何度も振り返って手を振りつつ元気に帰って行った。


「今日はきちんと係の仕事をやったのね。じゃあ、食堂に行ってご飯を食べて来なさい」

「はい」

今日は無事に籠を渡せたロジェは、そのまま食堂へ向かう。

しかし、席に着いたところでジョン達に絡まれてしまった。


「おい、ロジェ。今日は随分と帰りが遅かったじゃねぇか。何処に行ってたんだよ?」

「森の方に、何か楽しいもんでもあんのか?」

ジョン達はロジェの目の前にある皿から主菜を奪って、自分の皿へと投げ入れた。

「いや、何もないよ」

「ふーん。ならいいけど、お前の籠いっぱいだったよな?今度は一緒に拾いに行こうぜ!」

「うん」


ロジェが無視をすればジョン達はますます酷く絡んでくる。だから、こうして当たり障りなく相手をし、否定の言葉を使わなければ早々に開放されることをロジェは経験から学んでいた。


とはいえ、明日はもしかすると雨だ。

明日はセヴリーヌと話せないと思うだけで、ロジェの気分は沈んでいった。



***



『ケイドシウス殿下は、とても覚えが早いですわね』

『そう……?セヴリーヌ……の、教え方がとても上手だからだと思います』

『ケイドシウス殿下』

『あ……教え方が、とても上手だから、だよ』

ケイドシウスが言い直すと、セヴリーヌは、ふふ、と笑いながら教科書がわりの書物をパタンと閉じた。

そこに、細くも芯のある、女性の声がかかる。

『ケイドシウス、そこにいるの?』

『はい、母上』

セヴリーヌから視点が逸れて、温室の入り口の方へと向く。

ケイドシウスは立ち上がるとその入り口の方へ駆けて行った。


『母上、出歩いて大丈夫ですか?』

『ええ、今日は普段より調子が良くて……』

駆け寄って来た息子をその母親は大事そうに抱き止めた。

自分の方へ深く礼をしている小さな令嬢に気付くと、ケイドシウスそっくりの色彩を持った側室は嬉しそうに微笑んだ。


『まぁ、セヴリーヌさん。ケイドシウスから話は聞いているわ。いつもこの子を気に掛けてくれて、ありがとう。何回か来てくれたのになかなか挨拶が出来なくて、ごめんなさいね』

『とんでもございません、ラミア様。初めてご挨拶をさせて頂きます、ハルガリン公爵家のセヴリーヌと申します』

セヴリーヌは、初めて対面を果たしたケイドシウスの母親に綺麗なお辞儀をし、そのまま姿勢を保つ。


『お顔を上げて頂戴。会えて良かったわ』

声掛けに応じて顔をあげ、目の前の女性に不躾にならない程度の視線を送った。

とても華奢で、今にも倒れてしまいそうな青白い顔。

しかし、物腰は柔らかで優雅で、本当に人間かと疑いたくなるほどに美しい。

今年で三十歳になる筈だが、二十代前半と言われても信じてしまうような年齢を感じさせない年齢不詳の容貌。


それもその筈、ラミアはロドヴェーヌ王国出身ではなく、他国の王女だ。

女神の加護を受け、王族に至ってはその女神の血を引いていると言われている、謎の多い氷に閉ざされた国の王女。


現国王陛下に望まれてこの国へ嫁いできたが、環境の変化に馴染めずずっと別宮で療養をしており、人前には顔を出すことはない。

『こちらこそお会いできて光栄です、ラミア様。もしよろしければお茶でもご一緒に如何ですか?街で人気のクッキーを持って参りました』

『まぁ、お誘いありがとう』

『母上、無理はなさらないで下さいね』

『ええ、わかっているわ』

小さな客人からの誘いに、ラミアは目を細めて喜ぶ。

滞在時間は三十分程だったが、ラミアの故郷の話題で会話は弾み、あっという間に時間が過ぎていく。


『それでは、そろそろ私はお暇するわね。セヴリーヌさん、これからもケイドシウスをよろしくお願いします。この子ったら、最近は貴女の話ばかりで……』

『母上。体調が崩れる前にお戻りください』

『ふふ、そうね、二人の邪魔をしてごめんなさい。ではまた』

温室を訪ねてきた時と同じく、ラミアはふらりと去って行く。


『……お噂は聞いていたけれど、国王陛下が一目惚れしたというお話が出回るのが理解出来ましたわ。お人柄の溢れた美しさに、本当に同じ人間かと思いますわね』

セヴリーヌがほぅ、と感嘆の声を上げるとケイドシウスは首を横に振る。

『そう言うセヴリーヌだってとても可愛いではないですか』

『えっ……あ、ありがとうございます、ケイドシウス殿下』


公爵令嬢かつ王太子殿下の婚約者というセヴリーヌに、同年代の令息は安易に「可愛い」などと直接声を掛けることなど出来ない。イレドシウスは口を開けばセヴリーヌを「生意気」としか評価せず、そんな言葉は上流貴族の親の世代からしか言われたことがなかった彼女は頬を染めてお礼を言う。


『ほら、やっぱり可愛いです』

その様子ににっこり笑って言うケイドシウスに、セヴリーヌは『……揶揄ってます?』と尋ね、『いいえ、本心ですが』と素で返されて再び赤面したのであった。


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