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1 石像と少年の出会い

短編をお読み頂いた読者様より、ロジェ視点も見たいとのご感想を多数頂いたので、三人称にて連載版スタートさせました。

お楽しみ頂けましたら幸いです!

その石像は、いつからかそこにいた。

塀が崩れ、埃にまみれ、蜘蛛の巣が張った古びた廃墟の中である。


どれだけそこにいたのかはもう誰にもわからない。

しかし、誰からも忘れられてしまうほど、長い時間だけが過ぎていたのは事実だ。


元々その場所は、戦時中に戦火を被った土地の、唯一の観光地である博物館だった。

戦争は終わったが、町の人間はその多くが亡くなり、残された者達は身を寄せ合うようにしてもっと大きな隣町へと移動して戻ってこなかった。

燃えて朽ちた家屋しかないそこは、時代の流れとともに緑豊かな木々の勢いに負け、博物館は森の中にポツンと佇む廃墟と化した。


廃墟はいつの間にか、森に住む動物達が雨風をしのぐ場所になっていた。

偶に人間もやってきては、その薄ぼやけ苔むした博物館の中で肝試しを始めるか、睦み始めた。

その石像は、暇潰しにそれをのんびり眺めていた。



その石像は、他の石像と違い、一向に崩れる様子もなく風化する様子もなく、元の姿を保ったまま凛とただ佇んでいる。

簡素なドレスを身に纏ったその女性の像は、幼さが消え、これから花開くような女性の美しさが表現されており、笑顔を浮かべながらもしっかりと前を向いて何かに挑むかのような表情をしている。

豊かに波打つ髪は一本一本までが精巧に作られているようで、その石像に色彩を加えたならば今にも歩き出しそうな程に繊細で緻密だった。


それもその筈である。

石像は……いや、彼女は元々生きた人間だったからだ。



その廃墟を訪れる人間を含む動物達を眺めることは、彼女に許された唯一の娯楽と言って良かった。

ただ、肝試しならまだしも、廃墟にまで来て交わる人間なんかはたかが知れている。

浮気や不倫、中には相手の同意もなく犯す人間もいた。

彼女は獲物として連れられてきた女性に同情もしくは呆れの気持ちを抱きながらも逃げて、という言葉は届かず、苦々しい気持ちでその時間を過ごすこととなる。

見たくなくても動けない彼女はその光景が嫌でも視界に入ってきてしまうし、聞きたくなくても女性達の悲鳴は彼女の耳に入って来る。

何度も彼女は己の無力さに打ちのめされ、そしていつの間にかその心は自分自身を守るために、何も感じなくなっていた。



――そんなある日、一人の幼い少年が彼女のいる廃墟にやってきた。

崩れた瓦礫の上に座り、声を押し殺すようにして、しくしくと泣き出す。

彼女の経験した長い時間の中では、珍しくもない光景だ。

『迷子かしら?』

その割には騒がしくないわ、と彼女が心の中で思っていると、少年はふと顔を上げ、きょろきょろと辺りを見回す。

周りに人がいないかどうか警戒しているようだ。


しかし、その少年には警戒というよりも、怯えに近い様子が伺えた。

『助けを求めない……なら迷子ではなさそうね。そうであれば、苛めかしら?けれども、珍しい魔色を纏っているからそれはないかしら……』

がりがりに痩せた少年の瞳の色は、真っ赤だった。髪の色は白。

彼女の生きていた頃、その時代では彼女のよく知る、けれども高貴な人がその色を纏っていたのである。

そのまま彼女がぼんやりとその少年を見定めていると、少年はわかりやすく「誰?」と誰もいない空間に向かって尋ねた。


『この子には妖精でも見えているのかしら?』

彼女の瞳には、少年以外何も見えないし、誰の気配もしない。

人々から尊敬されるべき珍しい魔色を纏った少年だからこそ、珍しい加護を受けているのかと、彼女は心の中で首を捻る。


——いいわね、妖精。私にも妖精が見えたら、ぐんと暇潰しの時間が増えるのに。少なくとも、人間よりは綺麗なものを見せてくれそう。


少年を少し羨ましく思いながら眺めていると、その少年はパッと彼女の方に視線を寄越した。


――あら、珍しい。私の方を人間が見るなんて。


石像である彼女に好んで寄って来るのは鳥くらいなもので、普通の人間はそこにいる彼女を感知しない。景色の一部である。

「石像……?」

しかしながら、少年は尚も、じっと彼女の方を見てそう呟いた。


あら?と彼女はあることに気付く。

『もしかして、この子……私の声が、聞こえているのかしら?』

まさかね、と思いながらぼんやりそう思った。


石で出来た口は、開くことがない。

だから彼女の声は、人間に届かない。

今迄ずっとそうであったし、これからもずっとそうだと思っていたのに。


「はい、聞こえています」

少年はおっかなびっくり、彼女の方へ近づいた。


『……え?』

「ええと、石像の……お姉さん?」

『えええええっっ!?』

彼女が石化してから、恐らくウン百年。

人生初、いや石像生初、彼女の声を聞く人間が現れた。



少年の顔からは涙が消え、嬉々として石像である彼女に話し掛ける。

彼女の最初の想像通り、この廃墟の近くの町で生まれ育った少年はその珍しい色彩のため、昔から酷い苛めに合っていたらしい。

ただ彼女に懐くその様子は、苛めにあったからというより、愛情に飢えているからであるように見えた。


『私が生きていた頃……いえ、動けていた頃は、貴方の纏う色はむしろ崇拝されたものだけど』

彼女がそう彼に教えてあげると、彼はひとしきり驚いた後、目をキラキラ輝かせて彼女に昔話をせがむ。

石像になった彼女が、初めて鳥以外の役に立った瞬間だった。


それと同時に、彼女は久しぶりの、それこそウン百年ぶりの会話に本人も興奮していることを自覚した。

ああ、人と会話することはこんなに楽しいものだったのか、と彼女は思う。


――昔はあんなに煩わしいものだったのに。


「では、お姉さんは元々人間だったのですか?」

『ええ、そうよ。これでも結構、有名な貴族だったのよ』

そう言ってから彼女は気付いた。今の時代では大罪人として有名かもしれないと。

「お姉さんのお名前を聞いてもいいですか?」

『私? 私はセヴリーヌよ。貴方は?』

「僕は、ロジェと言います。……その、お姉さんは何故こんなところに、その姿で……?」

『気になるの?』

「はい、とても」

話し出すと長くなるけれど、と前置きをして彼女は自分自身ですら殆ど思い出すことのない遠い過去の記憶を辿り、事の経緯を少年に語った。



***



石像の彼女……セヴリーヌはロドヴェーヌ王国、ハルガリン公爵家の令嬢として生を受けた。

幼少期からずっと王太子妃になるための教育を施され、当然のようにその道の上を真っ直ぐに歩いていた。


セヴリーヌの相手である王太子は、五歳年上の第一王子。

とても気が強く、プライドも高かった。

セヴリーヌも似たような性格だったので衝突することも多かったが、年齢という問題がなんとかその衝突の激化を防いでいた。

「お前みたいな小娘に言われたくない」というのが、口で言い返せない王太子の、最後の捨て台詞である。


「また、イレドシウス王太子殿下が怒ってどこかに行ってしまわれたわ……」

はぁ、と溜息をつきつつ、王太子が怒りに任せて逃げ込んでいそうな場所をセヴリーヌは探す。

セヴリーヌが謝るまで、王太子の機嫌は戻らない。一度機嫌を戻してから、再び討論に挑まなければならないのだ。


ああ、もう嫌ですわ……全て投げ出してしまいたいけれど、私がやらないと。

幼くして、セヴリーヌは自分の存在意義を良く理解していた。


「セヴリーヌ、王太子殿下が王となられた暁には、素晴らしい治世者であると後世にも語られるような善政をされるよう、お前が上手くリードしなさい」

「苦労をかけるかもしれないが、うちの息子はセヴリーヌ嬢にしか任せられない。申し訳ないが、これからもよろしく頼むぞ」

父や国王陛下にそう言われ続ければ、自然と背筋も伸びてくるというもの。


この世に生まれてきた者には、誰にでも役目がある。

商人には商人にしかできない役割があり、医師には医師にしかできない役割があり、王には王にしかできない役割があり、セヴリーヌにはセヴリーヌにしかできない役割があるのだ。

だから、セヴリーヌはそれをまっとうするだけだと自分を常に奮い立たせ、責務を背負って毎日生きて来た。


「セヴリーヌ、こんなところでどうしたのですか?」

セヴリーヌが剣の稽古場を覗けば、そこには二歳年下の第二王子であるケイドシウスがその顔を嬉しそうにほころばせながら、駆け寄ってきた。

「ごきげんいかがですか、ケイドシウス殿下」

「ふふ、僕にそんな丁寧な挨拶をするのはセヴリーヌだけだよ。気楽にしてよ」

「そういう訳にも参りません。ところで……ケイドシウス殿下、イレドシウス王太子殿下はこちらへいらっしゃいませんでしたか?」

「来てないよ。……今度はどんな話で、兄上が怒ってしまったの?」


ケイドシウスは、宝石のように煌めく真っ赤な瞳でセヴリーヌを見上げる。

その髪は本来光を吸収して放つような白髪で神々しい色をしているが、兄より目立つことのないようにと、真っ黒に染められていた。

イレドシウスとケイドシウスの母親は違い、ケイドシウスの方の母親は側室だ。

イレドシウスは昔からちやほやとされて育てられたため、七つ歳の離れた大人しい弟は歯牙にもかけず、唯一の王子であるように振る舞っている。


国王陛下は人格者であるが、息子を育てることは正妃とその周りの者達に任せっきりだったため、そのことを酷く悔やんでいるらしい。

それでも、国王陛下はイレドシウスもケイドシウスも等しく可愛がった。

ただし、ケイドシウスの為にもイレドシウスを王太子として認め、あらゆる優先権を与える事でケイドシウスに怒りの矛先が向かうことのないよう、その身の安全も守ったのだ。


「今回は、水路の拡充の話ですわ。今は痩せた土地という評価の地方があるのですけれども、土壌検査の結果、その土地に水を引き込めばもしかすると農地として利用出来るかもしれないという調査報告があがりましたの。しかし、イレドシウス王太子殿下はそんな痩せた土地に送る予算があるなら、舞踏会の予算を増やせと激昂なさいまして……」


セヴリーヌはその状況を思い出して、はぁ、と溜息をつく。


「農地になった場合の冬場と戦時の備蓄確保予想計画は出してみた?」

「ええ、勿論ですわ。それに伴う雇用市場の増加と他産業や他業種への好影響についても添えておいたのですが」

ケイドシウスに問われ、セヴリーヌは即答する。

「うーん、そっかぁ……まぁ、兄上は舞踏会や見世物なんかの娯楽が大好きだからねぇ……」


芸術にお金を掛けることは、国が潤っていることの目安となる。

国庫が厳しい時、一番に削られることの多い予算だからだ。

イレドシウスはそれを知っているからこそ、その予算が削られることを嫌がる。


「国を潤すことこそが先なのだと思うのですけれど……」

国が潤えば、人の浪費は必然的に増える。先が見えない生活が続けば、人はどうしたって浪費よりも貯蓄して自分の身を守ろうとするのだ。


「僕もそう思う。そもそも水を引くという公共事業そのもので民衆は喜ぶし、洪水防止計画も同時に進められるからね」

「そうなのよ。でも、私が言うとどうしてもイレドシウス王太子殿下が反対なさるのよね……今度は真逆の意見でも言ってみようかしら」

セヴリーヌは頬に手を当ててうーん、と最近の悩みを吐露した。


「セヴリーヌは誰よりも民のことを考えていて、未来の王太子妃としてとても頼りになる、素晴らしい人だと思うよ。なのに何故、兄上はそんな反応をなさるのだろう?」

ケイドシウスは心底わからない、というように首を傾げる。

セヴリーヌは真面目であるが、物おじせずに相手へ逃げ道を与えず正論を正面から突き付けてしまうような欠点があった。

そしてその欠点は、ちやほやと煽てられ育てられたイレドシウスにとってみれば、到底受け入れられるものではなく、極論から言えば二人の相性はそんなに良いとは言えなかった。


それでも、イレドシウスの王妃になれる人は、セヴリーヌ以外にはいない。

セヴリーヌは、代々王家の忠臣であり続けたハルガリン公爵家の娘らしく、権力に靡かず、また傅きもせず、恐れることなく、ただ王族と国のために尽力し発言する娘だったからだ。

イレドシウスに正面から意見の出来る女性はセヴリーヌただ一人であり、彼の不機嫌な様子もどこ吹く風で常に堂々とした振る舞いをする。


セヴリーヌはまだ十五歳であったが、二十歳のイレドシウスと十分に討論出来る頭脳を持ち、また私情と国政を分けて考える能力にも長けていた。

そしてまたそのことが、何でも一番でないと気が済まないイレドシウスの気に障るのだ。


生意気と捉えてしまうからだ、とは大きな声では言えず、セヴリーヌはケイドシウスに苦笑する。自分がイレドシウスより年上か、せめて同い年であればと何度願ったことだろう。

けれども生まれた時には決まっていた年齢差を埋めることは叶わず、セヴリーヌはイレドシウスから見ればいつまで経っても面倒なことを言い出す小娘なのだ。


「僕ならセヴリーヌを誰よりも大切にするのに……ねぇセヴリーヌ、もし兄上が嫌になったら、僕のところにきてくれない?」

十三歳になったケイドシウスは、最近セヴリーヌがイレドシウスに悩まされる度、そんなことを口にするようになった。

そんなケイドシウスを、セヴリーヌは大きく育ったな、と目を細めて姉のような気持ちで眺める。


「ふふ、それは無理なお話ですね」

背が抜かされたのはいつだろう、と思いながらセヴリーヌはケイドシウスを見上げる。

成長途中のケイドシウスは、体格もどんどん良くなっていて、その辺の騎士よりずっと剣技に長けていた。


セヴリーヌに振られ慣れているケイドシウスは肩を竦める。

セヴリーヌは昔から、人の役割についてケイドシウスに説いていた。

自分の役目は、イレドシウスを支えて国を豊かにすることだと。

それこそが、人より良い家系や環境に恵まれた自分の存在意義であり、それをまっとうすることこそが自分の人生だと。

だから、この先どれだけイレドシウスと意見が食い違おうとも、すれ違うことがあろうとも、自分は常にイレドシウスに寄り添う姿勢を貫き通さなければならないし、自分の信じる道も示し続けるべきだ。

そして、そこに好きや嫌いといった感情は生じない。生じるべきではない。


正妃と兄王子の目を避けるように別宮で母親と共にひっそりと過ごしていたケイドシウスは、そもそも自分の存在意義を見失っていた。


イレドシウスのように王になる訳でもない、かといって貴族の土地を奪って自分がそこを治めるつもりもない。何を期待される訳でもなく、自分の知識も能力も、どう今後活かしていけばいいのかわからない。イレドシウスよりも目立つ訳にもいかず、常に控えていなければならない。


そんな不安がずっと胸に巣食っていたが、それをはっきりと認識して楽になれたのはセヴリーヌと出会えたからだ。


「それはとても残念だな。けど、気が変わったらいつでも歓迎するからね」

「ケイドシウス殿下は、この国と他国の架け橋となって頂く、これからの国にとって、とても貴重で大事な方ですわ。私なんかに固執なさらず、早く素敵な婚約者を見つけて下さいませ」


セヴリーヌは、ケイドシウスが本心からそう言っているとは思っていないようだった。ただ、イレドシウスの態度に困り、人にはわからない程度には傷付いている自分を慰めようとしているのだと。

そして、その慰めが欲しくて、セヴリーヌはつい、不満や愚痴をケイドシウスにだけは零してしまうのだ。他人に弱みなど見せることなど出来ないセヴリーヌが唯一心を明かせるのは、親でも兄弟でも友達でもなく、ケイドシウスだけだ。


しかしそんな二人が決定的に、その関係性にヒビが入ったのは、その後直ぐだった。


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