4 そして輝く日々の中へ
「……待って。約束は守るけれども、もう少し……心の準備をしたいの」
「はい、セヴリーヌ様。僕、焦ってしまって……すみません」
「何処にもいかないから」
ロジェが望まない限り、と心の中で続けながら自分からロジェの頬にキスを落とす。
ぴく、と眉を顰めた様子に、そうだった、私の心の声が聞こえるんだっけ、と自分の失敗に気付く。
いつからロジェは、私を家族ではなく異性だという目で見ていたのだろうか?
「……では、お茶でも如何ですか?解石剤を作るために各地を回った際、ロドヴェーヌ王国の時代から作り方を変えていない茶葉が売りだという茶屋で入手した品を揃えておきました。セヴリーヌ様が気に入っていたお茶もありましたよ」
「ありがとう、頂くわ」
ロジェが今の空気を変えるために出してくれた提案に飛び付く。
私達は交互に着替えて、寝室から主室へと移動しロジェの淹れてくれたお気に入りの紅茶を啜った。
香りを楽しみ、液体を口に含み、ゆっくりとそれを流し込む。
紅茶という液体が、身体に染み渡っていくようだった。
「食事も用意しましょう。最初は胃に負担が掛からないものに致しますね」
「ええ、ありがとう」
ふと、お茶の話なんてロジェにしたことあったかしら?と私が思った時だった。
「ロジェ、هل أنت هنا؟!!سوف تغضب لأنك لا تحيي الأستاذ.!!」
急な来訪にきょとんとする私を庇うようにロジェはすぐさま立ち塞がったが、その一瞬前にばっちりと私の姿を確認したらしいその来客も、目をぱちくりと瞬かせたのが見えた。
「لا تكن صاخبا、مفاجآت آلهتي」
ロジェの何語かわからない声は酷く低音で、背中だけ見ても不機嫌な様子だった。
ロジェに何かを言われた客人は慌てて回れ右をして、入って来たドアから逃げるように出て行く。
「ロジェ、お客様だった?お邪魔だったら、寝室の方にいるけれども」
「いいえ、セヴリーヌ様のお茶の時間に邪魔が入りまして、すみません」
「今のことはあの方が一方的に悪い訳ではないわ。鍵を掛けなかったという点ではこちらが悪いのだし、ノックもせずに入室したという点ではあちらが悪いでしょう」
「それは、そうですが……」
恐らくロジェとは気の置けない関係なのだろう。大事な友人とこんなことで喧嘩をして欲しくはなかった。
「これから食事にするなら、一緒にどうかしら?」
公爵令嬢だった時では考えられなかった言葉を、ロジェに投げる。
今の自分は、身分もなければ知り合いもいないのだ。
これからこの時代に生きていくには、味方が一人でも多い方がいい。
そう思いながら私が意気込んでいると、ロジェは髪を掻き上げて苦笑した。
「……そうですね。すみません、本当は……僕がセヴリーヌ様の姿を他の男に見られたことが嫌だっただけです。謝罪してきます」
先程の客人は、ロジェと同じ職場の同僚ということだった。
「石像、あなたが、そうでしたか、ロジェの」
ロジェが見事なロドヴェーヌ語を話すので全く気付かなかったが、ロドヴェーヌでも百年前から帝国語が公用語になったらしい。
帝国は帝国語を公用語として広めるために教育機関では徹底してロドヴェーヌ語を禁止し、帝国語で統一して今ではそれがすっかり定着した。
しかし、スラムや素行の悪い者達は隠語として変わらずロドヴェーヌ語を使うことが多く、ロジェのような孤児は必然的にロドヴェーヌ語に触れる機会が多かったらしい。
ロジェの同僚はまともな一般家庭に生まれたらしく、アカデミーに入った後独学でロドヴェーヌ語を学んだという。
たまたまロジェがロドヴェーヌ語で石像の私に話し掛けているのを見かけて、ロジェにロドヴェーヌ語の教えを乞うようになったところから二人の仲は急速に縮まったというのがその同僚の話だった。
「全く急速に縮まってはいませんが、彼の専攻である書誌学が今回の薬の精製にかなり役に立ったのは事実です」
「つれない、奴でした、ロジェ」
ロジェが友人と話すところを見るのは初めてで、二人のやり取りを微笑ましく眺めながら私はロドヴェーヌの作法で茶を淹れた。
「セヴリヌ、さん、綺麗、石とは、ですね、思えない」
「あら、ありがとう。三百年前は公爵令嬢だったのよ」
私がにっこり笑いながらご機嫌でそう言うと、彼は興奮したように帝国語で何かを捲し立てた。
「هذا صحيح ، أليس كذلك؟!قبل 300 عام كان عهد الملك كايدوسيوس!!」
「そうなんですね、今はロドヴェーヌ時代の貴族は残っていないのですが、三百年前でしたらケイドシウス国王時代ですかね?……と、言っています」
「ありがとう、ロジェ。ええと……ケイドシウス?」
第二王子殿下の名前がぽんと出て、私は首を傾げた。
「イレドシウス国王ではなく?」
「イレドシウスكان الملك إيريدوسيوس حاكما لمدة ثمانين يوما فقط.ケイドシウス」
「イレドシウス国王が覇者だった期間は、たった八十日です。その後即位したのがケイドシウス国王です、だそうです」
「ええ!?八十日……!!」
私はお茶を吹き出しそうになりながら、ティーカップをテーブルに戻す。
「そ、その頃の歴史をご存知でしたら、教えて頂けませんか?」
私が尋ねると、彼は帝国語で流暢に語り出し、ロジェが全て通訳してくれた。
イレドシウス皇太子殿下が即位したのは、五十代になってから。
ケイドシウス殿下の派閥の反対を押し切り無理矢理即位に漕ぎ着けたというのが実情で、あっという間にケイドシウス殿下の派閥にクーデターを起こされ、イレドシウス皇太子殿下は即位して八十日後、ケイドシウス殿下の部下に殺されたらしい。
「あの……イレドシウス皇太子殿下の子供や妃はどうなりましたか?」
「イレドシウス国王には子供はいなかったそうです。皇太子の時に一度結婚したそうですが、直ぐに離縁したのだとか。以来、愛人は何人も囲っていたそうですがやはり子供はおらず、国王になってからもう一度正式に妃を娶ろうとしていたらしいですよ」
「……そうなんですね……」
私を断罪しようとした人達がどうなろうと心は痛まないが、あの平民ピンク頭女……じゃない、ケイトリンの予言は何故当たらなくなったのだろうと不思議に思った。
裏があるかもしれないけれども、ケイトリンの予言は確かに当たっていたのに。
あの力さえあれば、イレドシウス皇太子殿下との離縁も、クーデターも、防げたはずだ。
「それでは、ケイドシウス国王の時代はどれくらい続いたの?子供は?」
「ケイドシウスأنا أعزب طوال حياتي、イレドシウスاختيار خليفة」
「ケイドシウスは生涯独身です。イレドシウスを葬った家門から後継者を選びました」
「そう……」
彼ならきっと、よい治世を行ったに違いない。
「هناك مواد في متحف التاريخ、هل ترغب في الذهاب معنا؟」
「帝国の最北の方にある古びた歴史博物館の片隅に当時の資料が残されているので、今度、一緒に見に行きませんか?と言っています。断りますね」
「ロジェ、待って。私、行ってみたいわ」
ロジェが断ろうとするのを、私は食い止める。
恐らく私の古傷を抉らないようにしてくれているのだろうけれども、当時のことはもう三百年も前の話なのだ。今更何とも思わないし、誰のものがどれ程今の時代に残されているのかとても興味があった。
「わかりました。けれども、連れて行くのは僕です。おまけでこいつも連れて行ってもいいですが」
むすっとする息子に、笑いが漏れる。
――ああ、息子、ではない。恋人候補だった。
私が心の中で訂正すると、ロジェはそれに気付き、赤い目を細めて嬉しそうに笑った。
それから一年後。
「ああ、この寂れた感じ、懐かしいわ」
「セヴリヌ様、こちら、でした」
歴史博物館とは名ばかりのほぼ廃墟に、私達三人は足を踏み入れていた。
正確には、三人プラス他の歴史学の研究者十名ほども一緒だが。
「あら……無造作に置かれているけれども、あれは当時名将だった将軍の所持していた名剣だと思うわ。家紋も柄の部分に入っているし」
「ええっ!?本当です??調べました、あとで」
「それにこの絵画、帝国では国宝として展示されている彫刻で有名な彫刻家の昔の作品よ」
「ええええ!!凄い、発見でした!」
「後これ、高価な物でもなんでもないわ。よく出来た汎用品で、貴族に憧れた市民がよく持っていたらしいの。裏を見れば一目瞭然よ」
私のわかる範囲で展示品の説明を一通り終わらせると、興奮しながらその場で熱い談義を交わす研究者達から少し離れた。
経験上、こうなると長いのだ。
三百年前の文化を文字通り生きてきた私は歴史学を筆頭に言語学や文化人類学、音楽学や食物学の研究者達から引っ張りだこである。
「セヴリーヌ、疲れましたか?大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫……だけど、足場が少し悪いわね」
私がそう言えば、この一年の間で恋人になった私の愛し子は私をひょいと抱き上げた。
怪力は相変わらず健在だ。
「あら?この石像は……」
展示品とは少し離れたところにある石像に目を止めた私は、少し近寄るようにロジェにお願いする。
「……やっぱり。大分歳をとっているけれども、ケイトリンに似ているわ」
恐怖に顔を歪ませながら俯く年老いた女性の石像は『女の選択』と題されており、名無しの人の彫刻作品らしかった。
私は笑ってロジェに言う。
「一瞬、ケイトリンが石化したのかと思ったわ」
「……はは、セヴリーヌは何故そう思ったのですか?」
「ケイトリンは、石化した私にしょっちゅう『貴女は年を取ることがなくていいわね』って愚痴をこぼしていたのよ。いずれ消えてなくなるから、全てのものは美しいのに」
花も、国も、命も。
終わりあるからこそ、その瞬間輝くのだ。
「時間を刻むって素晴らしいことなのにね」
誰にも置いて行かれることも、忘れ去られることもなく、同じ時を刻んでいく。
私はロジェの首に回した腕に、そっと力を込めて抱き締めた。
「ええ、そうですよね。セヴリーヌの言う通りです。……ところでこれ、もしその女が石化したものだったとしたら、セヴリーヌはどうしたかったのですか?」
「え?」
「私の力であれば、粉々に砕くことも出来ます。解石剤で石化を解くことも出来ますし、放置することも出来ますが」
「もしこれがケイトリンだったら?」
私はその彫刻をもう一度見る。
知らずに石化を選択した私とは違い、ケイトリンがした選択が石化ならば、このままでいいだろう。ケイトリンは私の美貌をいつもやっかんでいたから、十八歳の若さで石化した私をいつまでも美しいままだと筋違いの嫉妬をしていたとしてもおかしくない。
これ以上年老いることに恐怖したケイトリンが安易に下しそうな選択である。
石化するとわかった時、公爵令嬢という気品を忘れぬよう私は微笑んだが、取り乱した女が自らの選択を後悔し慟哭する様子がよくわかる彫像で、本当によく出来ていると思う。
「そんな親切なことはしないわ。死を与えるなんて優しいことはせずに、このまま放置して忘れるわ。だってケイトリン曰く、私は悪役令嬢ですもの」
私の回答に、はは、とロジェは声を出して笑った。
「そうですね、それがいいですね。……さあ、僕達はもう宿に戻りましょうか。この旅行から戻ればセヴリーヌの身分証が手に入ってやっと結婚です」
「ええ、そうね。これからもよろしく、私の愛しい……ロジェ」
「愛しています、セヴリーヌ」
ロジェは不自然なくらい、私達の幸せを誰かに説明するかのようにそう言い、私に熱い口付けを落とす。
『……て』
「……ロジェ、何か聞こえなかった?」
人の声がした気がして、私は辺りを見回す。
「気のせいですよ、私には何も聞こえませんでした」
「そう?」
人の心の声が聞こえるロジェがそう言うのだから、間違いないだろう。
私は有限という美しいものに囲まれる幸せを噛みしめながら、一度も振り返ることなくその場を後にした――。
藍さくら様主催の個人企画「真冬の花火企画」参加作品
テーマ「美しいもの」
選択メインテーマ「毒」「石」
選択サブテーマ「ヤンデレ」「ファンタジー」「乙女ゲームのその後」
テーマ見たらこの話しか思い付きませんでした(笑)
お誘いありがとうございました!
以上が短編となります。
連載版はケイドシウスsideも細かく執筆させていただきましたので、もしよろしければ引き続きお楽しみください!