23 300年石化していた悪役令嬢の幸福論
『セヴリーヌへ
辛い時に傍にいてやれなくてすまない。
同封した小瓶の中身は石化剤で、ゼヴァンが開発したものだ。
何年経っても必ず助けに行くから、これを飲みなさい。
そして、石化が解けた時は、お前の人生を好きに生きなさい。
きっとお前は、お前をこんな目に合わせた私を、酷く憎んでいることだろう。
お前を石化するしか手立てがなかった無能な私を、恨んでいることだろう。
いや、責任感の強いお前のことだ、もしかしたら自分の行いを悔いているのかもしれない。
もしそうなら、お前に落ち度がないとはっきりと伝えておかねばならない。
お前はいつも私の期待に応えようと、一生懸命に生きてきた。
その気持ちだけで十分だったのに、私が妻の願いを叶えたいと欲をかいたせいで、こんな結果を招いてしまった。
全ては私の傲慢が招いた結果で、お前には大変な思いをさせてしまったことを本当に後悔している。
私がお前を王太子妃にさせようとしたきっかけは、お前のお母さんの、カトリーヌの言葉だった。
お前がまだ幼かったとき、誰にでも優しく接することができるお前を見て、「こんな子が王妃になれば、きっと国のみんなが幸せになるでしょうね」と、カトリーヌが笑って言ったことがある。
そのあと直ぐにカトリーヌがこの世を去ることになって、私にはそれが、彼女の遺言のように思えてしまった。
愛するカトリーヌの最期の願いは、お前が王妃になることだと思い込んでしまったんだ。
母親がいなくても立派な淑女に育ったと、お前が馬鹿にされることのないよう私は必要以上に厳しく育ててきた。
カトリーヌから、子どもにとって教育よりも大事なものがあると言われていたのに、母親を亡くしたお前とどう接していいのかわからないまま、誰から見ても手本となる淑女であるお前に、ただ満足し自分は間違えていなかったと思い込んでいた。
しかし、揺らぐはずがないと思っていた公爵家という家門が危うくなり、お前を失いそうになって初めて、こんな結末がカトリーヌの願いなどであるはずがないことに気づいた。
カトリーヌの願いは、お前が幸せに生きることだった。
私がお前に教育ではなく、愛情を注ぐことだった。
人を幸せにする能力のあるお前が、幸せな者たちに囲まれて、幸せに生きることだったんだ。
だから、石化が解けたなら、自由に、好きに生きなさい。
国民のためでなく、公爵家のためでもなく、自分のために。
自分の心の向くまま、正しいと思う方向へ進みなさい。
私もカトリーヌも、そして君の兄たちも、それを望んでいる。
どんな道を選ぼうとも、私たちはずっと、お前を愛している。
――父より』
つぅ、とセヴリーヌの頬に、涙が一筋流れた。
セヴリーヌは両手で手紙を持ったまま、微動もせずに涙を流し続ける。
「セヴリーヌ様」
ロジェはそんなセヴリーヌの顔を自分に向かせると、次から次へと溢れる涙をハンカチでそっと拭った。
「……普段はこんなに、泣き虫ではないのよ? 年をとったから、涙もろくなったのかしら」
役に立たないどころか家門の危機を招いてしまったセヴリーヌは、家族に愛されているなんて微塵も思っていなかった。
自慢だっただろう兄たちとは違って、自分は父の汚点だっただろうと。
「ロジェ」
「はい、セヴリーヌ様」
「私、お父様に愛されていたみたい」
目元を赤くしながら、それでもセヴリーヌはすっきりとした顔に笑みを浮かべた。
どうかセヴリーヌを頼む、と何度も繰り返すハルガリン公爵の最期を思い出しながら、ロジェは頷く。
「ええ、そうですね」
そして、随分と時間はかかってしまいましたが確かに約束は守りましたよ、と心の中で呟いた。
「その手紙は、セヴリーヌのものですから、差し上げますね」
セヴリーヌが落ち着いたところを見計らって、エリオットが声を掛けた。
「いいのですか?」
恐縮するセヴリーヌに、「むしろ受け取って欲しいんです。僕のご先祖様たちは、ずっとこの瞬間を夢見て、手紙をバトンし続けたんですから」とわざと首を竦めて軽く言う。
「どうもありがとう」
セヴリーヌは丁寧に頭を下げながら、この手紙に巡り合えた幸運と、その幸運を与えてくれたエリオットやハルガリン家の代々の当主たちに感謝した。
手紙を読んだのが、今で良かった、とセヴリーヌは心から思う。
もしこの手紙を読んでしまっていたら、セヴリーヌはずっと期待してしまっただろう。
セヴリーヌが諦めを覚えず、ずっと期待してしまっていたのなら、早々に狂ってしまっていたかもしれない。
きっと、相手の事情も考えず、自分の不幸ばかり注目して、父を恨んで、なぜ助けに来てくれないのかと、ずっと待っているのにと慟哭するばかりの日々を過ごしていた。
のんびり泳ぐ魚にも、風にそよぐ木々にも、どこまでも広がる青い空も、視界に入れずに辛い三百年を見送った。
「お父様のお墓はあるのかしら?」
セヴリーヌの問いに、エリオットはこくりと頷いた。
「ええ、ハルガリン家の専用墓地にありますよ」
「そう。ロジェ、あのね」
セヴリーヌの言葉を最後まで待たず、今度はロジェがこくりと頷く。
「そうですね、お墓参りに行きましょうか」
「ええ、そうしたいわ」
「では、これからご案内しますね」
「エリオット、色々本当にありがとう」
セヴリーヌは、人生の中で一番、すっきりとした爽やかな笑顔をふたりに向けたのだった。
***
――それから一年後。
「ああ、この寂れた感じ、懐かしいわ」
「セヴリーヌ、危ないのであまり離れないで下さい。こちらですよ」
歴史博物館とは名ばかりのほぼ廃墟に、セヴリーヌたち三人は足を踏み入れていた。
正確には、三人プラス他の歴史学の研究者十名ほども一緒である。
セヴリーヌとロジェは、旧ロドヴェーヌ王国の最北にあたる古びた歴史博物館の片隅に当時の資料が残されているので見に行きませんかとエリオットをはじめとする学者や研究者に誘われ、一緒に付いてきたのだ。
石化が解けたセヴリーヌはハルガリン家を後見人として身分証明書を発行して貰い、研究塔にあるロジェの家で一緒に暮らしている。
ロジェとエリオットの協力もあり、一年で帝国語を完璧にマスターし、すっかり今の時代の生活にも馴染むことができた。
今まで石像にしか興味を示さなかったロジェが急に女性と一緒に住むようになり野次馬が押し寄せたが、ロジェを気に入っているアカデミーの権威ある名誉教授の圧力という名の協力もあり、直ぐにそれらは姿を見せなくなった。
石像だったセヴリーヌの存在は公にはされていないものの一部の学者には知れ渡っており、三百年前の文化を文字通り生きてきたセヴリーヌは歴史学を筆頭に言語学や文化人類学、音楽学や食物学の研究者達から引っ張りだこである。
また、ロジェの恋人だと周知されているものの、その美しさからかなりの数の男性から言い寄られることもあり、セヴリーヌはロジェから早く入籍したいと毎日のようにせがまれ、つい先日プロポーズを受け入れたところだ。
「あら……無造作に置かれているけれども、あれは四百年前の名将の、所持していた名剣だと思うわ。家紋も柄の部分に入っているし」
「ええっ!?本当ですか?あとで調べます!」
「それにこの絵画、帝国では有名な彫刻家の昔の作品よ。彫刻は国宝として展示されているのに、絵画だとこんなところに捨て置かれるのね」
「直ぐに持ち帰って鑑定に回しましょう!凄い発見です!」
「あとそれ、大事そうに抱えているけれども高価な物でもなんでもないわ。よく出来た汎用品で、貴族に憧れた市民がよく使っていたらしいの。裏を見れば一目瞭然よ」
セヴリーヌのわかる範囲で展示品の説明を一通り終わらせると、興奮しながらその場で熱い談義を交わす研究者達から少し離れた。
経験上、こうなると長いのだ。
「セヴリーヌ、大丈夫ですか、疲れましたか?」
「ええ、大丈夫よ。だけど、少し足場が悪いわね」
セヴリーヌがそう言えば、この一年の間に恋人となった愛し子はセヴリーヌをひょいと抱き上げた。
ロジェの怪力も健在である。
「あら、あの石像は……」
展示品とは少し離れたところにある石像に目を止めたセヴリーヌは、少し近寄るようにロジェにお願いした。
「……やっぱり。だいぶ歳をとっているけれども、ケイトリンに似ているわ」
恐怖に顔を歪ませながら俯くような年老いた女性の石像は名無しの人の彫刻作品らしく、なんの説明もついていない。
ただ、貯水池から引き揚げられたという情報だけが記載されていた。
セヴリーヌは笑いながらロジェに言う。
「一瞬、ケイトリンが石化したのかと思ったわ」
「……はは、そうですか」
「ケイトリンは、イレドシウスと別れたあと、どうしたのかしら。予言の力でまた、国の役に立ってくれたのならいいけれど」
セヴリーヌの呟きを聞いて、十年という間ほとんど光のない場所に閉じ込められ、自慢の美貌が見る影もなくなったケイトリンがケイドシウスに懺悔したことを思い出した。
「その女に、予言の力なんてなかったらしいですよ」
イレドシウスを殺したあと、ケイドシウスはケイトリンに二つの小瓶を渡した。
ひとつはじわじわと一カ月ほどかけて死にゆく猛毒で、もうひとつは石化剤だ。
そして、どちらでも好きなほうを飲むように選択させた。
結局ケイトリンは石化剤を選び、しかし足元から徐々に石化していくのを目の当たりにして、恐怖で悲鳴をあげたまま固まったのだ。
ケイドシウスはそれを、人工的に作った貯水池の暗く冷たい底に沈めた。
「そう。きっとケイドシウス殿下が、私の名誉を守るためにそういうことにしてくれたのね」
ハルガリン公爵家の力をもってしても、ケイトリンやボンデ侯爵のインチキの証拠を握ることが出来なかったのだから、きっとケイドシウスも無理だっただろう。
それでもロジェがそう言うなら、ケイドシウスが残した史実ではそうなっているのだとセヴリーヌは察した。
「まあ、ケイトリンが石化をするなら、こんなに年をとる前にしているわよね」
実際には十年ほどのところ、二十年も三十年も年老いて見える石像を前に、セヴリーヌはうんうんと頷いた。
「どういう意味ですか?」
「ケイトリンは石化した私に、『貴女はこれ以上年を取ることがなくていいわね』と言ったのよ。……いずれ消えてなくなるから、全てのものは美しいのに」
花も、国も、命も。
終わりあるからこそ、その瞬間輝くのだ。
「年を取るって、素晴らしいことなのにね」
置いて行かれることも、忘れ去られることもなく、同じ時を刻んでいくことがどれだけ尊いことなのか、石化していたセヴリーヌは知っている。
これからずっと、時を刻んでいきたいと改めて感じたセヴリーヌは、ロジェの首に回した自分の腕にそっと力を込めた。
セヴリーヌに抱き締められたロジェは、嬉しそうに微笑み、抱き上げていた腕にほんの少しだけ力をいれて、抱き締め返した。
「ええ、そうですよね。セヴリーヌの言う通りです。……ところでこの石像、もし本当にその女が石化したものだったとしたら、セヴリーヌはどうしたいですか?」
「え?」
「私の力であれば、粉々に砕くことも出来ます。解石剤で石化を解くことも出来ますし、放置することも出来ますが」
「もしこれがケイトリンだったら?」
ロジェに問われて、セヴリーヌはその彫刻をもう一度見る。
取り乱した女が何かを後悔し慟哭する様子がよくわかる石像で、本当によく出来ていると思う。
知らずに石化を選択したセヴリーヌとは違い、ケイトリンが石化を選んだならば、このままでいいだろう。
ケイトリンはセヴリーヌの美貌をいつもやっかんでいたから、十八歳の若さで石化したセヴリーヌをいつまでも美しいままだと筋違いの嫉妬を拗らせていたとしても、おかしくはない。
これ以上年老いることに恐怖したケイトリンが安易に下しそうな選択である気もする。
もしこれが本物であるならば、石化するとわかった時、セヴリーヌは公爵令嬢という気品を忘れぬよう微笑んだまま石化したが、ケイトリンにはそんな余裕はなかったようだ。
そしてケイトリンのそういうところが、ハリボテの令嬢だと思わせるところである。
「粉々にしたり、石化を解いたりなんて親切なことはしないわ。死を与えるなんて優しいことはせずに、このまま放置して忘れることにする。だってケイトリン曰く、私は悪役令嬢だそうだから」
セヴリーヌの回答に、はは、とロジェは声を出して笑った。
「そうですね、それがいいですね。……さあ、僕達はもう宿に戻りましょうか。この旅行から戻ったら、セヴリーヌ様とやっと結婚ですよ、本当に待ち遠しいです」
「ええ、そうね。これからもよろしく、私の愛しいロジェ」
「愛しています、セヴリーヌ」
ロジェは不自然なくらい、自分たちの幸せを誰かに見せつけるかのように言って、セヴリーヌに熱い口付けを落とす。
『……て』
「あら? ロジェ、何か聞こえなかった?」
人の声がした気がして、セヴリーヌは辺りを見回す。
「気のせいですよ、私には何も聞こえませんでした」
「そう?」
人の心の声が聞こえるロジェがそう言うのだから間違いないだろうと、セヴリーヌは納得した。
そしてふたりは、有限という美しいものに囲まれる幸せを噛みしめながら、一度も振り返ることなくその場を後にしたのだった――。
この章にて、連載版も完結となります。
短編を執筆中も、もう少し話が膨らみそうだなと思いつつ二万字という制限の中で書いたのですが、まともに書いたらまさかの十万字越えて笑ってしまいました。
連載中も追っていただいた読者様のお陰で、途中に長期の未更新期間がありつつもなんとか完結まで書くことができました。
ありがとうございました。
なんとか一年以内に完結させるぞ!と頑張った結果、滑り込みセーフで良かったです。
また、数ある作品の中から発掘し、最後までお読みいただいた読者様にも感謝申し上げます。
ありがとうございました。
そしてブクマ、ご評価、ご感想、大変励みになっております。
少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。




