17 理解ではなく誤解
こうしてロジェとセヴリーヌがリーヌアカデミーへ来てから、四年の歳月が過ぎた。
十二歳だったロジェは十六歳になり、セヴリーヌの身長をとうに抜かしている。
台座がなくなった時も降ろされた時の目線の低さに驚いたものだが、ロジェに見下ろされる日が来るとは思わず、どうにも落ち着かない。
ハグされる時も、昔は抱き着かれる感覚だったのに、今では抱き締められる感覚に変化していた。
「セヴリーヌ様、次の長期休暇はどこに行きたいですか?」
『そうね、どこがいいかしら』
セヴリーヌはロジェの差し出す二つの地図をじっと見つめた。
ひとつはとても価値の高いロドヴェーヌ王国時代の地図で、リーヌアカデミーの図書館から持ち出せないものをロジェが丁寧に模写したものだ。
もうひとつは今の地図で、デリスタモア帝国のロドヴェーヌ地方が記載されているものである。
三百年という年月は旧ロドヴェーヌ王国地方の地形も変化させていた。
川の流れがコントロールされ、海が埋め立てられ、火山が噴火して湖と滝が形成され、人口の増加で山だったところにまで住居が密集して建てられている。
『港に行ってみたいわ』
ゼヴァンやケイドシウスが帝国に向けて出立した船が寄港する港はどの辺だろうかと、セヴリーヌは地図の湾岸沿いに視線を走らせる。
「わかりました。では、デリスタモア帝国への便が出ているところへ、お連れしますね」
リーヌアカデミーの学生は基本的に勉学が優先なので、ほかの場所で働いてお金を稼ぐという行為を禁止されている。
しかし、例外はあった。
すなわち、実験や材料集めなどの手伝いを募集する教授から手伝った対価を受け取るか、学年ごとに設定されている研究発表会にて発表を行い、優秀な成績を修めて研究補助機関から生徒へのご褒美として設定されている賞金を得るかだ。
第二の人生で影の力を上手く活用しなかったことを後悔しているロジェは、教授の手伝い募集の貼り紙を見つけては積極的に申し込んで小遣いを稼ぎ、またエリオットと手を組んで研究発表を行い、好成績を修めては常連生徒となって、少なくはない金額を手にしていた。
普通の学生はそれを次の研究費用に回すのだが、ロジェは基本的にセヴリーヌとの旅行を優先的に確保しているようだった。
最近ではそのお金で手に入れたセヴリーヌ専用の豪華な入れ物に入れ、ロジェはそれをひょいと担いでぶつぶつと「独り言」を言いながら観光名所や、時には名所だった場所へ赴く。
年を追うごとにロジェが有名になったのは、ひとえに「変人」だからというだけではない。
特待生として入学するほどに優秀で、教授たちからも目を掛けられ、最近ではアカデミーを運営するハルガリン家からも、とある集まりに参加するよう内密に招待されたという噂が飛び交っている。
元々人当たりもよく周りを気遣う優しさも持ち合わせた、性別年齢問わず人の目を惹くような美男子に成長したロジェの人気はうなぎのぼりだった。
言葉はわからなくともそのことだけは、回廊を毎日観察しているセヴリーヌには理解できた。
『ねえ、ロジェ』
「なんでしょうか。セヴリーヌ様」
セヴリーヌが声を掛けると、ロジェは研究レポートを纏める手を止め、わざわざセヴリーヌに向き合った。
顔は嬉しそうで、ふんわり微笑んでいる。
作業を止めてしまったことを申し訳なく思いながらも、この優しさをなぜほかの女生徒には発揮しないのだろうかとセヴリーヌは心の中で首を傾げた。
『アカデミー内では恋愛が自由なのよね?ロジェと同じ学年の子たちも、誰かに恋をしている人が多くいるみたいだけれど』
生徒同士が口付けをしているところを思い出しながら、セヴリーヌは続ける。
廃墟で行われていたいかがわしい行為を目撃したよりもよっぽど、打つはずのない胸がドキドキした気がした。
「ああ、まあ禁止はしていませんね」
不純異性交遊は禁止ですが、とロジェは心の中で付け加える。
『ロジェは、好きな人はいないの?』
「僕の好きな人は、昔からずっと、セヴリーヌ様ただおひとりです」
『ええと、ありがとう』
とり合えずお礼を返しながら、セヴリーヌはふと思った。
もしかして、ロジェの理想はとんでもなく高いのだろうか。
「理想が高いのは事実だと思います。なんせ、僕の目の前には僕が理想とする完璧な女性がいますからね」
『ありがとう。でも、そうではなくて……!』
セヴリーヌは、もうそろそろロジェ本人の恋愛話を聞きたかった。
回廊だけでもロジェが告白されているシーンを何度も見ているのだから、セヴリーヌから見えないところをカウントすればいくらでも誰かとお付き合いをはじめることはできるだろう。
ロジェにとって孤児ということが全く足かせにすらなっていないことが、セヴリーヌは誇らしい。
そして、そんな誇らしいロジェが、ほかの生徒たちがしているみたいに、誰かと幸せそうに笑っているところを見たかったのだ。
もしかして、ロジェは生身の人間より無機物が好きなのだろうか、とセヴリーヌは今度こそ閃いた。
「セヴリーヌ様、僕は無機物より人間が好きですよ」
ロジェは苦笑しながらセヴリーヌの考えを律儀に訂正する。
人間のほうが好き。
ロジェが嘘などつくはずないから、それは真実なのだろう。
『そうなのね。だったらロジェにも、心を通わせる相手がこれから見つかるかもしれないわね』
しかし、普段からロジェが話すのはエリオットだけで、ほかの「人間の女性」には見向きもしないのだ。
なぜだろう、と思いながら、セヴリーヌはようやくひとつの結論に至ったのだった。
『……あら?』
セヴリーヌは心の中で目を瞬きながら、ロジェの部屋の鍵を開けて現れた女生徒をじっと見た。
ロジェの部屋は、男子生徒用の寄宿舎にある。
女生徒は男子生徒用の寄宿舎内には立入り禁止だと聞いたことがあるのだが、なぜこの女生徒はロジェの部屋に堂々と入って来るのだろうか。
以前部屋の鍵を無理矢理こじ開けられて研究レポートを盗まれそうになったロジェだったが、それ以来大事なレポートを常時持ち歩くことにした。
孤児のロジェは高級品を所持していないし、財布も当然ロジェが持ち歩いている。
「هذه هي الغرفة(ここが、ロジェ様の部屋)……」
女生徒は感極まったように瞳を潤ませながら、恐らくほかの生徒の部屋と大して代わり映えしないであろうロジェの部屋をきょろきょろと見回した。
ほかの部屋との一番の違いは間違いなく、セヴリーヌの存在だ。
セヴリーヌは心の中で首を傾げながら、それでも興味深く女生徒を観察する。
ロジェはこの部屋に誰も通したことがない。
親友のエリオットですらも、入室を許さないのだ。
アカデミーに入るまで孤児院では大部屋で暮らしていたから、自分の部屋というものに憧れが大きく、その領域内に誰も入れたくないんだとエリオットには説明をしていたのだが、彼女は別なのだろうか。
髪も瞳も透け感のある綺麗な薄い茶色をした女生徒で、手入れの行き届いたツヤツヤのおかっぱ頭にヘアバンドをつけている。
どこかで見たような……とセヴリーヌは記憶を辿り、以前回廊でロジェに一番最初に手紙を渡そうとした女生徒だ、ということを思い出した。
そのタイミングで、その女生徒がセヴリーヌをじっと見る。
『こんにちは』
セヴリーヌは一応挨拶をしてみたが、当然その女生徒からの返事はない。
先ほどまで潤ませていた瞳を薄く開くくらいに瞼を閉じて、すぅと顔の表情を無くす。
「هذا التمثال مثالي(これが理想?)……は、لا يمكنك ممارسة الجنس مع التماثيل الحجرية(石像とは気持ちイイことなんてできないのに)」
その女生徒はツカツカとセヴリーヌの目の前まで歩き、セヴリーヌの胸の辺りに片手を添えて、思い切り突き飛ばそうとした。
「مؤلم(痛ったあああ)!!」
『え?』
どうやら手首を痛めたらしい女生徒に、セヴリーヌは心配になり声を掛ける。
「ثقيل جداً(な、なにこれとんでもなく重たい)!」
『だ、大丈夫?』
手首をぶらぶらと振りながらキッと睨みつける女生徒に、大丈夫そうだとセヴリーヌは心の中でほっと安堵のため息をつく。
それにしても、なぜ女生徒はセヴリーヌを倒そうとしたのだろうか。
いくつもの疑問はあるが、ロジェがいなければ女生徒に尋ねることも出来ない。
それはともかく、ロジェ以外の人間と触れ合うのも久しぶりで、セヴリーヌは自然と心の中で笑みを浮かべる。
相手はロジェの鍵を使って入って来たのだ。
ロジェから許可を得た、特別な女生徒ということではないか。
もしかしたら自分の考えが間違えていて、ロジェは今日、自分に彼女を紹介しようと思ってくれたのではないだろうか。
『もうすぐでロジェは帰って来ると思うから、一緒に待ちましょう』
「……はぁ、دعونا نستعد في وقت مبكر(いいからさっさと準備しよう」
女生徒はセヴリーヌの目の前で、急に制服を脱ぎはじめた。
『え?』
ポカンとしながら、セヴリーヌは女生徒を見る。
なぜこの女の子は制服を脱ぐのだろうか?
セヴリーヌに見られていることも知らず、女生徒は制服を全て脱いで下着姿になると、制服をロジェの布団の中に隠し、自らもベッドの中に潜り込む。
『何がしたいのかしら、この子……?』
セヴリーヌは心の中で目を瞬きながら、それでもこの時代の下着は三百年前とは随分違うなと新たな発見にひとり興奮する。
そのタイミングで、丁度この部屋の主人が帰宅した。
「……あれ」
普段であればすぐにセヴリーヌのところまで一目散に駆け寄り、ハグしながらただいまと言うロジェがドアのところで立ち止まっている。
『ロジェ、お帰りなさい。そんなところで、どうしたの?』
「セヴリーヌ様、ただいま帰りました。確かに鍵を閉めて出たのに、今、開いていた気がするんです。おかしいな」
『え?ロジェ、今日は鍵を女の子に預けたわよね?』
きょとんとするセヴリーヌに、ロジェは尋ねる。
「どういうことですか?」
『ええと、少し前にあなたの部屋の鍵を使って女の子が入って来て、制服を脱いで今、ベッドの中にいるけれども……』
説明している最中、ロジェの表情が険しくなっていくところを見て、セヴリーヌは察した。
女生徒はロジェに無断で鍵を複製し、勝手に部屋に入り下着姿になってベッドに潜り込んでいるのだ。
『夜這いという文化は本当にあったのね。しかも、女性がそんなことをするなんて……!』
夜でなくても夜這いをするのね、三百年という月日は女性を奔放にさせたのね、とセヴリーヌが驚愕していると、ロジェが「セヴリーヌ様はご無事ですか?」と尋ねて来て、セヴリーヌは心の中で頷く。
『ええ。私は大丈夫よ。ただ、私を倒そうとして、その子が手首を怪我してしまったみたいなのだけれど』
「わかりました。セヴリーヌ様、ちょっと待っていてくださいね」
『ええ、わかったわ』
医務室に校医でも呼びにいったのかと思えば、ロジェが連れて来たのは寮母と寮長と警備員だった。
そしてそのままロジェのベッドに潜り込んでいた女生徒は捕らえられ、服を着させられた。
廊下には野次馬が集まり、女生徒は真っ赤な顔をしてその中を通りどこかへ連行されて行く。
「セヴリーヌ様、ありがとうございました。僕も聞き取り調査があるみたいなので、ちょっと行ってきますね」
『ああ、やっぱり、ロジェの相手は女の子ではないのね』
「……どういう意味ですか?」
セヴリーヌの言葉に引っ掛かりを覚えたロジェは、開けた扉を一度閉めた。
セヴリーヌは鳴らない喉をごくりと鳴らしながら、すこし緊張しつつ尋ねる。
『だってロジェは、男性が好きなのでしょう?』
例えばエリオットのような。
セヴリーヌの見る限り、女性に見向きもしないロジェが関心を示した相手は、このアカデミー内においては教授たちとエリオットだけだった。
驚愕したような顔のロジェを見て、セヴリーヌは言葉足らずだったと慌てて付け加えた。
『だ、大丈夫よ、ロジェ。私は理解があるつもりだから』
「理解ではなく誤解があるようです」
ロジェは自分を落ち着けようと一度軽く頭を振ると、今度こそ扉を開ける。
「僕が女性に興味があるかどうかは、そのうち身をもって知ると思いますよ」
そうセヴリーヌに言って、部屋を出た。
そしてその日、セヴリーヌはエリオットが本当はハルガリン家……ゼヴァンの子孫であることを知った。
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