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2 石化が解ける時

その日以来、ロジェは毎日私に会いに廃墟まで来てくれるようになった。

彼は孤児とは思えない程に博識でとても賢く、会う度に初見の臆病で繊細な印象はすっかりなりを潜め、とても大人びた表情を浮かべるようになった。


「セヴリーヌ様、移動しましょう。個室を与えられたので、僕の部屋にいらして下さい」

『言っておくけれど、私は大の大人三人の力でやっと運べるくらいの重たさなのよ……おおお???』

「ああ、これくらいなら自分一人で大丈夫です」

『怪力って……本当に凄いのね』

小さくひょろりとした外見とのギャップに私は恐れ戦く。


私の愛し子は八歳になると、町でちょっとした人助けをした結果その能力が認められ、とある後見人を捕まえたことで大きな屋敷の一室に居住を許され、更にアカデミーに通わせて貰えることになったらしい。

住まいが遠くなるのでロジェともお別れかと思えば、一緒に連れて行って貰えた。

一人きりになる私を心配してくれたのだろう、本当に心の優しい子だ。


「セヴリーヌ様、研究塔に僕の部屋が与えられたので、もう一度引っ越しです」

『あら、凄いわね。アカデミーの最短記録ではなくて?流石私のロジェだわ』

そして六年間首席を維持したままアカデミーに通い続けて十六歳の卒業を迎えたが、そのまま薬学の研究者としてアカデミーに残ることとなった。

その時後見人の屋敷を出て宿舎に部屋を持つようになったのだが、十八歳になった時優秀な研究者に与えられるという研究塔の個室が与えられたのだ。


私専用の豪華な入れ物に入れられ、ロジェはそれをひょいと担ぐ。

彼は長い休みの度に私を色々なところへ連れ出し、デリスタモア帝国の景観の良い様々な名所に連れて行ってくれた。

石像と行動を共にするロジェの呼び名がアカデミーで「変人」になってしまったことを多少心苦しく思うが、本人が気にしていないのだから私が気にする必要はないだろう。


研究塔にはアカデミーの主力な人員が揃っているため、その作りは豪奢だった。

公爵家程ではないものの多少は立派な個室の玄関口に、一度よいしょと降ろされる。



「セヴリーヌ様、これからはここが僕達の新居ですよ」

『まあまあね。明るくていい感じだわ』

「セヴリーヌ様のお好きな色調で揃えましたので」

十二年前の廃墟とは比べ物にならない好待遇である。

『もしかして、私の定位置はあそこかしら?』

私は、玄関の中心を熱のこもった視線で見た。

立派な台座があり、いかにもここに何かを置いてくれ!とその台座が叫んでいるかのようだ。


とてもいい場所で最適だと思う。

玄関から入って来た全てのものを私がチェックできるし、侵入者が訪れた時にはロジェに注意を促せる。


私の声はロジェにしか聞こえないのだが、驚く程遠くの方まで意思疎通が出来るのだ。

この研究塔の中であれば十分カバー出来る。


実際、過去に夜這いを仕掛けようとした女や、研究成果を纏めたレポートを盗もうとしたロジェのライバルが部屋に入り込んだ時も、私がロジェに報告したことで事なきを得たこともあるのだ。


石像の私でも役に立つことはあるのだとやる気満々の私に、ロジェが優しく言った。

「まさか。あそこには花瓶でも置いておきます。セヴリーヌ様は、私の私室ですよ。何重にも保護装置を仕掛けておきますので、安心して過ごして下さいね」

『ええ……?』

「セヴリーヌ様は僕の宝物ですから」

にこにことしながら私を運ぶロジェは相変わらず、育ての母である私にべったりだ。

会話が減ったり部屋に戻って来る時間が遅くて心配掛けさせたりといった反抗期も若干あったが、それもすっかりなくなっていた。


私はロジェの私室に連れて行かれ、場所を確認しながら降ろされる。

『まあ、この高さだと外の景色がよく見えるわ。とても素敵ね』

街並みを一望できる窓の景色に私は感動する。

三百年前はこんなに高い建物を建てる技術はなく、精々三階建ての建物が精一杯だった。

しかし今となってはデリスタモア帝国の大通りは三階建てが当たり前であり、この塔に至っては十三階建てらしい。


「よく見えるようにもう少し前に出しますか?」

『ええと、あまり近いと少し怖いから、この辺でいいわ』

「はい」


邪魔であろう私を主室の真ん中に降ろすと、ロジェは少ない私物の荷解きにかかる。

『あら?ロジェ、私の台座は?』

たった十二年しか経ってないのにロジェの身長はすっかり私を追い越してしまっていたが、私の台座がロジェから見下ろされることを辛うじて食い止めていた。


「今回は設置しません。台座があるとセヴリーヌ様のお顔を近くで拝見出来ないので」

そう言われ、ずっと高かった視界が低くなったことに違和感を覚えながらもロジェに文句を言う。

『私を見下ろすなんて、まだ早くてよ』

「ふふ、そうですね」

笑って言いながらも、ロジェはマイペースに本を本棚に詰めていく。

つまり、台座を用意するつもりはないらしい。


『昔は小さくて何でも言うこと聞いてくれて、可愛かったのに』

「僕はもう、セヴリーヌ様と同い年ですから」

『……何を言っているの?私はこの国の誰よりも長寿ですわ』

私がそう胸を張ったつもりで言うと、ロジェは小さく笑う。

「セヴリーヌ様が石化したのは、十八の時でしょう?」

『まあ、そうだけれども』

「待っていて下さいね、後少しですから」

『うん?……んん???』

ロジェの顔が近付き、私の頬に口付けた。


『ロジェ?』

「はい」

『貴方が私のことをとっても気に入ってくれているのはわかるけれども、流石に石像にキスをするのはどうかと思うの』

もしや、キスをするために私を台座から降ろしたのではないかという疑惑すら湧く。

「親愛の情ですよ」

『そうね。いい子に育ってくれて嬉しいけれど、そろそろ恋人でも作りなさい』

「……はい、セヴリーヌ様」

その後のロジェは黙々と作業を続け、私は眼下に広がる景色に浸った。



私の育て方が良かったのだろう、ロジェは私の最高傑作と言ってよい程の男前に育っていた。

元来の優しさもあり女性に対して紳士的に振る舞えるし身嗜みも整えられるが、そんなイケメンにも短所はあるもので。

怒ると手が付けられないらしいことと、女性に興味を示さないことだ。


研究塔に来る前宿舎時代。ロジェにこっぴどく振られたらしい一人の女性が、とある日ロジェの部屋に侵入した。そして、何故か私に八つ当たりしてきたのだ。

私が壊せないということがわかるや今度はペンキを私にぶちまけようとし、流石に驚いてロジェに助けを求めてしまった。

普段は温厚で声を荒げることすらないロジェだったので、上手く仲裁してくれるだろうと思っていたけれども、それは完全に間違いだったということを私は後で知った。


女性は心神喪失の状態で保護されたらしいのである。

ロジェにも調査が入ったが証拠不十分で捜査はうやむやになった。

しかし、部屋の外で友人らしい男にロジェがやり過ぎだと言われていたのを私は耳にした。


『ロジェ、怒らないから本当のことを話して。貴方がやったの?』

私が聞くと、ロジェは頷いた。

『どうして?』

「……セヴリーヌ様に危害を加えたからです」

『そう。貴方をそんなに怒らせるなんて、自業自得だわ』

私は心からそう思って言った。俯いていたロジェが顔を上げる。

『でも、ロジェも知っている通り、私を壊せるものなんてあまりないのよ。だから、私の為に犯罪者にはならないで欲しいわ』

そう伝えると、ロジェは唇を噛む。

返事はくれなかった。


まあ、他人の心の中が読めるのだからある程度は人間不信になっても仕方ないとは思う。

育ての親として想像以上にロジェに対し情が移ってしまった私は、端的に言うと彼に幸せになって欲しいのだ。

もしや女性じゃなくて男性に興味があるのかと思い、そうであっても私は気にしないと軽く伝えた時は唖然とした顔で頭を抱えられてしまった。

理解のある育ての親アピールは失敗した。


『おやすみなさい、私の可愛いロジェ』

「おやすみなさい、僕の愛しいセヴリーヌ様」

幼かった頃のロジェは一人で寝るのが寂しくて寝室にも私を運んだものだが、今はもうそんなことは必要としない。

実際に子供が巣立てば一抹の寂しさを感じるのだろうと思いながら、私は美しい夜景を眺め続けた。



***



てっきり出不精なロジェは研究塔に籠るものだと思ったのだが、私を置いて出掛けることがここ最近多くなった。

それも、一泊二泊というレベルではなく、一ヶ月二ヵ月という単位だ。

先に私に言ってくれるからそこまで心配することはないけれども、いよいよ親離れしたのかもしれないと、大きな喜びと少しの寂しさを噛みしめる。


もうすぐでロジェが十九歳になろうかという頃、連泊から帰宅したロジェは真っ直ぐに私の元へ駆けて来た。

何日も寝ていなかったのか、髪はぼさぼさで目は充血して隈が出来、髭も伸びてイケメンが酷い有様である。


「セヴリーヌ様、ようやく完成致しました……!」

『あら、おめでとうロジェ。でもその報告は、お風呂に入って身嗜みを整えてからしてくれるかしら?』

心の中で鼻をつまむ。石化したあとは鼻が利くことはないけれども、気持ちの問題だ。

育ての親らしく、ここはびしっと注意した。女性の前で清潔さは大事である。


「失礼致しました、直ぐにまた参ります」

ロジェはハッとして自分の匂いを嗅いだ後、小瓶を置くと慌てて風呂場へと向かう。

まだ私に従順だわ、と確認して心の中でにんまりと笑った。


「お待たせ致しました」

『……』

ごく僅かな時間しか経過していないが、ロジェはガウンだけ羽織った姿で、タオルでゴシゴシと濡れた髪を拭きながら再び私の前に姿を現す。

よっぽど気持ちが急いているらしい。


『それで、私に何を見せたいのかしら?』

「これです。私が作った、解石剤です」

『……はい?』

げせきざい?初めて聞く言葉に、内心首を傾げた。

「三百年前の資料を片っ端から漁らなくてはならず、しかもロドヴェーヌ王国時代の書物はその多くが帝国に支配された時に廃棄されたので、遅くなりましたが……」

『ええと、申し訳ないのだけど、ロジェ。それは何かしら?』

「ああ、失礼致しました。これは石化を解く薬です」

『まあ……』


彼の手に握られた小瓶をじっと見つめる。

涙の出ない私の瞳が潤んで視界が滲んだ気がした。

私の愛し子は、本当に最高だ。私の一番の望みを、こんなに早く叶えてくれるなんて。


『嬉しい……これでやっと、私も死ねるのね』

「は?」

『え?』

私が視線をロジェに戻すと、彼は初めて私に対して怒りの感情を向けていた。


『あら?これを振りかけて貰えば、私の身体は石化から戻るのでしょう?』

「はい、そうです」

『それなら、私の身体は一気に風化するのではないの?』

「いいえ。その恐れもあったので、何回も何回も色んな場所に赴いて実際にこの薬を試してみましたが、どれも石化する直前の状態に戻りました」

『あら、そうなの』

「万が一セヴリーヌ様に何かあれば、その時は僕も一緒に死にますから」

『やだ、怖いこと言わないで』

ふふ、と笑う。


つまり、それくらい自信がある薬ということなのだろう。

でも、ロジェの話を断るつもりは全くなかった。

石化が解けたとすれば私はいつか死ねるのだし、万が一身体がボロボロになったとしても死ねるのだ。

別に死にたい願望がある訳ではないけれども、時代に取り残されていくのは、忘れ去られていくのは、もう嫌だった。


『ロジェ、私のために……本当にありがとう。流石私の愛し子だわ』

感謝の気持ちを込めてそう言えば、ロジェは首を振る。

「僕の全ては、セヴリーヌ様に捧げます。ですからセヴリーヌ様も、僕に全てを下さい」

ロジェに全てを任せろという意味だろう。

『そうね。もし本当に石化が解けたとしたら、今の時代に私の身分証はないから、申し訳ないけれどもロジェに保証人になって貰うしかないわ』

努めて明るくそう言う。

とは言え、人間だった頃の感覚が遠い過去すぎて実感が湧かなかった。

石化した時はあんなに戻りたいと思っていたのに、実際に戻れるかもしれないと思うと不安が渦巻く。


公爵家という後ろ盾を失った私を気に掛けてくれる人なんていなかった。

石像という手間のかからない私しか知らないロジェは、衣食住を必要とし、風邪をひいたり排泄をしたり寝たりする私でも家族だと思い慕ってくれるだろうか?


「ええ、僕は今のセヴリーヌ様もお慕いしていますが、貴方の柔らかさを、香りを、声を、鼓動を、体温を、この五感で感じたいのです」

私の心の声は当然ロジェに筒抜けであり、不安を聞いた彼は自分より背が低く冷たい石像をぎゅうと抱き締める。

昔は腰のあたりに回っていた細い腕が、太くがっしりとした男らしい腕となり私の身体を覆った。


『……何があろうとも、貴方は私の可愛い子。大好きよ、ロジェ』

だから、私がどうなったとしても貴方は生きなさい。

そう無言で圧を掛けて、ロジェに解石剤の使用を許可した。


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