10 悪役令嬢のその後
「酷いお話ですね……」
ロジェは暗い顔をしながら、セヴリーヌの話を聞いていた。
『あら、今日の話は少し暗くなってしまったわね。ごめんなさい』
「いいえ。……その、セヴリーヌ様のご家族はその後、どうされたのですか?」
『ああ、公爵家はね、頑張って私の無実を証明しようとしてくれたらしいのだけれど、間に合わなかったの』
ロジェの視線の先で、微笑む石像の顔に影が落ちた気がした。
『当然よね。相手は王太子殿下と手を組んでいるのだもの。しかも、捏造を平気でするような人たちだったし』
あっという間に一方的な、そして形式的なだけの裁判が行われ、断罪されることが確定したセヴリーヌに、父は伝手を使い手紙と小瓶を渡した。
『父は、誰よりも私が王太子妃となることを切望していたの。だから、王太子妃どころか犯罪者という烙印を押された娘なんて必要なくなったのだと思ったわ』
死にゆくセヴリーヌに、父の恨み言を受け止める心の余裕はなかった。
国のために、そして王太子殿下のために全てを捧げ、そして諦めてきたセヴリーヌにとって、国と王太子殿下と家族に見放されたという落胆は本人が想像していた以上に大きいものだった。
『手紙は読まずにろうそくの火で燃やして、小瓶の中身を苦しまずに死ねる毒だと思った私は一気にその中身を煽ったの』
その時の情景がロジェの瞼の裏にありありと想像されて、暑くもないのに汗が伝った。
強く握った拳の中で爪が食い込む。
死ぬための液体を飲むことは、どれだけの覚悟と深い絶望が必要だったことだろうか。
『けれど、小瓶の中身は、毒ではなかったわ。今の私を見ればわかると思うのだけど、毒ではなく、石化する液体だったみたいなの。多分、帝国にいたゼヴァンお兄様が開発した薬だったのではないかしら』
石化したセヴリーヌは、早とちりをせずに手紙を読むべきだったと後悔したが、次の瞬間、ご機嫌な様子のケイトリンといかつい体格の五人の男たちが鍵を勝手に開けて入室してきた。
もし手紙を読んでいたら、セヴリーヌが薬を飲む前に手紙も薬も両方取り上げられていたかもしれない。
石化したセヴリーヌを見て激高したケイトリンを眺めながら、自分の判断は間違えていなかったと確信した。
***
「な、なんであの女の石像だけがこんなところにあるのよ……!本人はどこへ行ったの!!」
「おい、まだ遠くへは行っていないはずだ!探せ!」
イライラしたケイトリンが周りの男たちに怒鳴り散らし、屈強な男たちは慌ててセヴリーヌを追い掛けようとする。
しかし、彼らは結局思いとどまるように立ち止まった。
「いや、しかしここまでは一方通行で、もし逃げようとしたら絶対にどこかですれ違ったはずだぞ」
「廊下のどこかに隠れていたんじゃないか?」
「そういうことができないように、この廊下はなんの障害もなく作られているんだって聞いただろ」
「じゃあ、どこへ消えたんだよ。窓も格子も壊れていないし」
「俺たちの知らない抜け道でもあって、それを使ったんじゃないか?」
「いいや、罪人を置く場所に抜け道なんて作るはずがないだろう」
ああだこうだと言葉を交わす男たちの中で、ケイトリンだけはじっとその石像を睨みつけていた。
「……この女の周りに、石化する薬を作れそうな人間はいるかしら?」
ケイトリンの質問に、ひとりの男が反応する。
「そういえば、ハルガリン公爵家の次男がその能力を見込まれて帝国のアカデミーで助教授か何かをしながら研究をしていたな」
「ああ、確かに。確か透明薬も完成させたとかいう天才だったよな。……そうか、わかった!透明薬を飲んで、逃げ出したんじゃないか?」
ならばと慌てて部屋から出ようとする男たちを、ケイトリンは止める。
「待って。もし透明薬でこの部屋から出るなら、こんな石像をここに置いておく必要はないわ。部屋には誰もいないと思わせて、この部屋から全員が出て行ったあとにこっそり逃げればいいだけよ。それよりもセヴリーヌの石像を、この短期間でここまで精巧に作ることは不可能だわ。着ているものも、ここに入れられてから支給された物。つまり、これはあの女なのよ」
セヴリーヌは、心の中で目を少し見開く。
頭が悪いと思っていたのだが、そういうわけではなかったようだ。
「しかし、透明薬ではなく石化させる意味がわかりません」
男のひとりに、ケイトリンは鼻で嗤う。
「腐ってもさすがハルガリン公爵家ということよ。私たちが今日、この女をお前たちや浮浪者たちに与えて犯そうとさせた情報を入手したんだわ。透明薬であれば、万が一見つかった時には輪姦される。だから、そうさせないための石化なのよ」
薄暗い瞳で皮肉っぽく言うケイトリンに、セヴリーヌはぞっとした。
犯す?輪姦?
ケイトリンが屈強な男たちを連れてここまで来た理由は、それが目当てだったのか。
セヴリーヌをただ断罪するだけでは気が済まなかったのか。
純潔を、尊厳を踏みにじらなければならないほど、憎んでいるのか。
「けれど、これで天下のハルガリン公爵家ももう終わりだわ。この石像がセヴリーヌであれば、処刑予定の犯罪者を勝手に石化させたのだから。それならば、お望み通り公爵の前で、この石像を粉々にして差し上げて、最期の引導を渡してあげましょう」
ケイトリンはニヤリと口角を上げて笑った。
***
『それで私は石化したまま処刑台に運ばれたのだけれど、結論から言えば、石化した私以上に強度のある素材が見つからなかったらしいの』
ゼヴァンお兄様なら知っていたかもしれないけど、とセヴリーヌは笑いながら言う。
帝国の首都からロドヴェーヌ王国の首都までは、片道でも二カ月かかる。
そのうち一カ月は、船の上だ。
セヴリーヌが軟禁されてから裁判が行われ処刑されるまでの期間がたったの二週間だったから、ケイトリンがゼヴァン本人を捕まえて問いただしたくても、間に合うわけがない。
ゼヴァンからの手紙や荷物は転移箱で簡単に届くが、人間は簡単に転移なんてできないのだ。
石像に傷一つつけることができないと知ったケイトリンはわざわざ処刑台の上にまで上って、自ら用意されていたハンマーで殴ったり、その辺の家から奪った包丁を突き立ててみたりなど色々試した。
その時のケイトリンは「鬼の形相」という言葉がお似合いで、民衆が引くほどの怒り狂う様子を間近で見ることが出来たのは、今思い出しても胸がスッとする出来事だ。
『私の件で、ハルガリン公爵家は一家全員が帝国へ亡命したわ。そして、石化した私の扱いに困った国は、罪人が送られる流刑地へと私を送ることにしたの』
荷物と一緒に船の一番奥に積まれたセヴリーヌには、その船に何があったのかは知る由もない。
ただわかることは、気付けば海の中に沈んでいったことだけだ。
『何年か、何十年か、何百年かはわからないけれど、私は海の中で過ごしたわ』
セヴリーヌの沈んだ場所が、魚の宝庫のような場所だったことは幸いだった。
気の狂うような時間、セヴリーヌは魚を見て癒され、歌を歌って気を紛らわせていた。
「そこでサメと海亀の攻防を見たのですね」
『ええそうよ、あれはとっても印象深かったわ。しかもね、海亀が勝利したのよ』
ロジェの言葉に、セヴリーヌは喜びの滲む声色で返事をする。
『ものすごく長い時間が経過して、ある日私は海から引き上げられたの。そして、宝石や骨董品と一緒に競売に掛けられたわ』
セヴリーヌはそう話しながら、ふと思い出す。
そういえば、その時競売にかけられていた時の言葉はセヴリーヌには理解が出来なかった。
つまり、その時には既に王国が帝国に統治されていたのだ。
『美しいものを集めることが趣味らしい貴族に、私は買われたの』
それからしばらく狭い部屋で、芸術品に囲まれる生活をした。
その後、その貴族が代々セヴリーヌを美しい家宝と一緒に愛でてくれていたが、そのうち寄贈されたらしく、博物館に飾られることとなった。
そしてその博物館の置かれた場所は戦場となり、誰にも見向きもされない土地となり、そのまま瓦礫の中で、今度は森の動物たちを見て過ごすことになったのだ。
***
『……という感じの流れで今はここにいるの。そう、私が石化してからもう三百年近く経ったのね……ってなぜ泣いているの、ロジェ!』
ロジェがポロポロと大きな涙の粒を流していることに気づいたセヴリーヌは慌てる。
どこにロジェの泣きポイントがあったのかわからず、戸惑った。
彼の涙を拭うこともできなければ、抱き締めることもできない我が身を改めて不便に感じる。
「ずっと一人で……寂しくはなかったですか?」
『ああ、そんなこと』
セヴリーヌがふんと鼻で嗤えば、ロジェはきょとんとする。
少しだけ涙を引っ込めたロジェの様子に、セヴリーヌはホッとした。
『人間、いつだって一人なのよ。いつかは一人。自分を貶めるような奴らと一生一緒にいるくらいなら、一人の方がいいわ』
「……セヴリーヌ様は、強いですね」
セヴリーヌは心の中で首を傾げる。
決して強いわけではない。
例えばケイドシウスがセヴリーヌの傍にいる予定だったのならば、もっと嘆き悲しんだのかもしれない。
しかし、セヴリーヌにはそんな明るい未来が待っていたわけではないのだ。
『ただ、時間が解決してくれただけよ』
諦める時間なら、たっぷりと準備されていた。
期待しそうになる心を、何度戒めたことだろう。
何十回も何百回も何千回も繰り返して、ただ虚無になった抜け殻がここにいるだけなのかもしれない。
『今日の話は、ここでおしまい。暗くなる前に、帰りなさい』
つい話し込んでしまい、もう時刻は夕方になろうとしている。
更に暗くなったらロジェには危ないだろうし、お腹も空くだろう。
森の危険は、熊だけではないのだ。
視界が悪くなれば、不慮な怪我をするかもしれない。
「はい、セヴリーヌ様。また明日来ます」
「ええ。……楽しみに待っているわ、ロジェ」
普通の人にとっては、なんでもない返事だっただろう。
しかし、期待をすることをやめたセヴリーヌにとって、明日を約束する言葉はとても勇気のいる言葉だった。
石化したセヴリーヌにとって、自分と対話ができるロジェは奇跡のような存在だ。
今日久しぶりに過去の出来事を振り返ってみて、そんなロジェには少なくとも素直な気持ちで話してみてもいいのではないかと思い改めたのだ。
いつか、ロジェが自分に飽きて来なくなる日がくるのかもしれない。
もっと居心地の好い場所を見つけられるかもしれない。
それを恐ろしく感じたくなくて、極力ロジェとは距離を取るように心がけてきた。
自分があとになって、傷つかないように。
けれども、あとのことなんて、誰にもわからないのだ。
それは、王太子妃になって、国を良くしていくのだと信じていた自分が、今こうしていることからも、証明されている。
それならば、あとのことばかり心配して今の気持ちを取り繕うよりも、今、ロジェと一緒にいられる時間を大切にして、あとになって楽しかったと振り返るほうが、ずっといい。
子どもはいつか、親元を巣立つときが来るのだ。
ロジェもいつか、セヴリーヌの元を去る時が来るのと同じように。
それまでロジェをたくさんかわいがろうと、セヴリーヌは心に決めた。
***
「……セヴリーヌが?」
デリスタモア帝国に来て、早二年。
ようやく帝国内での足場を固め、これからロドヴェーヌのために、いやセヴリーヌのために本格的に動こうとした矢先にその知らせは届いた。
自分と相対しているのは、セヴリーヌにそっくりの真紅の髪色をした若い男性だ。
ロジェは彼がセヴリーヌの二番目の兄、ゼヴァンだろう、と直感する。
「はい。完成間際の石化剤を早急に転移箱で送れと、父から連絡が来ました。そして、セヴリーヌ宛の手紙をなぜか私にも送ってきたのです。セヴリーヌには直接渡すよう手配しているが、もしセヴリーヌに手紙が渡らなかった場合、こちらに来たら私から渡すようにと。物凄く嫌な予感がしたので公爵家の家令を問い詰めたところ、どうやら妹が策略により軟禁状態にされているそうで……ケイドシウス殿下!」
ゼヴァンがケイドシウスを訪ねて来た時、とうとうセヴリーヌがイレドシウスと結婚するという知らせが来たのだと思った。
胸が切り裂かれるような思いを抱えながらも笑顔で迎え、動揺を悟られないように必死で取り繕ったのだが、ゼヴァンから聞いた話は、想像もしなかったことだった。
「今すぐロドヴェーヌ行きの船便を手配してくれ。部屋はどんなものでもいい、最短で着くものだ」
応接室から飛び出し、追い掛けてくるゼヴァンを無視して部下に指示をする。
研究者として、帝国ならびに世界全土に名を馳せるセヴリーヌの兄、ゼヴァン。
ケイドシウスにとって、本来なら皇帝よりも丁重にもてなさなければならない人物なのだが、何よりも大切な存在が脅かされているという話を聞いた今のケイドシウスにとって、それすらも些細なことになってしまう。
「お待ちください、殿下。今はちょうど海が荒れる時期で、今から出発しても直行便の船は出ていません。ですから、裁判には間に合いません!」
「間に合わなくてもいい。裁判なんて、どうでもいい。どんな結果だろうと、セヴリーヌは私が帝国へ連れて帰ります」
「落ち着いてください、殿下!裁判までは通常なら一カ月以上は猶予があるはずです。そこから判決が下るまで、もうあと半年はかかるでしょう。しかし、父が石化剤を私に要求したということがどうにも気にかかるのです」
足早で厩屋に向かうケイドシウスに、普段から鍛錬などをせずに机にかじりついているゼヴァンは、ひぃひぃと追い掛けながら必死の形相で叫ぶように話した。
駆けないというところがケイドシウスの配慮だとはわかっているが、それでも追いつくことは不可能だ。
「石化剤……とは、なんでしょうか?」
ようやく足を止め、自分を待つ素振りを見せたケイドシウスに、ホッとした表情と大粒の汗を浮かべながら、ゼヴァンは近付く。
「私が他国に生息するガーゴイルという魔物を研究して最近開発した薬です。病気の患者に投与し患部を石化させ、今の医療では治らない病気も治せる時代になった時に解石させることで、延命が望めるという目的で研究しておりますが、まだ病巣のみの石化ではなく全身が石化するのです。それにしても妹が大変な時期に父はなぜそんな物を要求したのか、私には理解できません。ただ、状況から判断すると、父はセヴリーヌに飲ませようとしているのではないかと思うのです。石化した生物は、大抵の鉱物よりもずっと強靭になるので」
ゼヴァンが不安そうに話し、ケイドシウスは絶句した。




