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8 宝物を守るための牙

「アン」

「……っっ」

後ろから声が掛かり、名前を呼ばれたアンはその場で硬直する。

金槌を振り上げた手をそっと下ろし恐る恐る振り返ると、そこには同じくランタンを持ったロジェがじっとアンを見詰めている。


「こんな夜中に孤児院を抜けて、何をしようとしてたの?」

「……なんで……」

アンはいつもロジェのベッドの横を陣取っていた。

確かにすぅすぅと寝息をたてていた筈なのに。


「ジョン達がここに残していったペンキを三つ、夕方倉庫に戻したんだけど。金槌が一本ないなって気になってたんだよね」

夕食を食べていた時から、アンはずっとセヴリーヌを壊さないと気が済まない、夜中に破壊してやると殺気立っていたから、それを追わないという選択肢はロジェにはなかった。


「……ごめんなさい。ロジェが大事にしてるってジョンから聞いて、嫉妬してしまったの」

アンは、台座からそろりと降りて、潤んだ瞳で上目遣いにロジェを見る。

「だって全然、ロジェが私に振り向いてくれなかったから……」

そのままロジェの前までとことこ、と歩いた。恋する少女と少年が月夜に照らされる。


セヴリーヌはその様子をどきどきしながら見ていた。

この廃墟を告白の場として相応しいと思わない者が多く、人間の求愛行動を目の前で見るのは実に久しぶり過ぎて、セヴリーヌの心情的には若いって良いわねと若者の青春を眺めるおばあちゃんである。


「君がどう思っていようが、ジョン達をけしかけようが、別に僕があそこで過ごす上で何の支障もなかったから放っておいたけど……セヴリーヌ様に危害を加えようとするなら、別だよ」

ロジェはうっすらと冷笑を浮かべる。

「ロジェ……?」

そんな表情を見たことのないアンは、背筋が何故か冷たくなったように感じた。

目の前にいるのは、いつも穏やかで優しく微笑む少年の筈なのに、夜中だからか別人のように見える。

けれども、目の前の白い髪は月明かりに照らされて美しく発光し、そんな色彩を持ち得るのは自分の心を一目で奪ったロジェしかいない、と勇気づけられる。


「こんな石像に名前を付けてしまうくらい、辛くて寂しかったの……?でも、私ならロジェを」

アンがそう言いながらその神々しい髪の毛に触れようと手を伸ばすと、パン!と乾いた音が森の中に響いた。

「痛っ!」

「触るな。そしてもう二度と、僕に関わるな」

「ロジェ?お、怒ってるの?ごめんなさい……」


アンがしおらしく謝罪をすると、ロジェはその姿を見て笑い出した。珍しく、はは、と声を上げながら。

「悪いけど、今この瞬間にもセヴリーヌ様を破壊したいという殺意まみれで謝られても……全然、響かないんだよね」

「そんな!そんなこと、考えてないわ」

「僕が好きなら、僕のお願い聞いてよ。もう二度と関わらないって、今ここで誓って」

「……」


一度俯いたアンは、次の瞬間には眉を吊り上げ、無言でジロ、とロジェを睨んだ。

「私の言うことを聞かないなら、どうなっても知らないわよ……」

「へえ。じゃあ僕も、君がどうなっても放っておいていいよね」

飄々とそう返されたアンは、カッとなって怒鳴る。

「はぁ?誰に何をされても、自分ひとりの力じゃ何も出来なかった癖に!今までどれだけ私が助けてきたと思ってるの!」

「うーん、君が余計な手を回さなければ、十分平和に過ごせたと思っているんだけど」

ロジェはそう言いながらランタンを足元に置いて、その場に座った。

同時にグル、と何か変な音がする。

「うるさいっ!ロジェなんて……っ」

グルル、ともう一度音がした。


「ねぇ、アン。逃げなくていいの?」

「……は?」

ロジェはそっと片手を持ち上げて、アンの後ろを指差す。そこには瓦礫しかない筈だったが、月の灯りは明らかに異質な真っ黒い物体を照らし出していた。

「ひっ……!」

アンはそれを認識すると、後退る。

「な、なんで……こんなところに……っ!」

アンは恐怖で身体が震え、腰を抜かす。

「金槌も持ってるしさ、動けなくても運が良ければ助かるんじゃない?」


アンは振り向き、ロジェに助けを求めた。

「ロ、ロジェ、何とかしてよ……っ!」

「ははは、僕の力じゃ何も出来ないってさっきアンが言ったんじゃないか」

ほら、頑張って、とロジェはにっこりと笑って言う。

アンにとって、それは死刑宣告のようだった。

「熊ってさ、その個体がどんな経験を積んだかによって、対処法が変わるんだって。だから、こうすれば良いって言う正解はないらしいよ」

「そ、そんなことどうでもいいから……っっ!お願い、何でもするから、置いて行かないで……っっ、た、助けて……」

「だから、さっきから言ってるじゃないか。二度と僕に関わるなって」

「わ、わかったから……っ」

「じゃあ、交渉成立だ」


それは、一瞬のことだった。

アンの目の前で、熊が地面から生えた幾つもの槍のような「何か」に串刺しにされた。

「……っっ!!」

「命を無駄にするのも可哀想だし、日頃の感謝も込めて院長にプレゼントしよう。明日は熊肉だ。ね?アン」

「……」

アンは、自分の横をすたすたと通り過ぎて大きな熊を片手でひょいと持ち上げるロジェを見て、これは誰だ、と思った。


「セヴリーヌ様、夜中にお騒がせ致しました。また明日……今日かもしれませんが、来ますね。……ええ、大丈夫です。はい、気を付けます。おやすみなさい、セヴリーヌ様」

熊を担いだまま、ロジェはいつもの……いや、いつも以上に優しく愛情に満ちた瞳で石像に一礼した。

その様子を見たアンは、ロジェは確かに石像に対して変な執着心を持っている――狂っているかもしれない、と思う。

いつから?いつからロジェは、こんな危険な子になった?――いや、恐らく彼は変わっていないんだ。見せていなかっただけで。ずっと牙を、隠していただけで。


ぞわり、と先程熊に気付いた時のような寒気がアンに走る。

……怖い。この子、普通じゃない。怖い……!!

石像に挨拶を終えたロジェは、アンの横を通り過ぎながら言った。

「じゃあ、僕はもう帰るね。ああ、金槌はきちんと倉庫に戻しておいて。セヴリーヌ様に何かしたら、次串刺しにされるのは君だから」

「……」


大の大人でも一人では持てないだろう熊を重たいという様子も見せずに片手で担いで、ロジェはその場を後にする。

漸く動けるようになったアンは、再び熊に襲われては堪らないと、必死でロジェを追い掛け、付かず離れずの距離を保ったまま孤児院へ戻った。


裏門を通り抜けて、おやすみ、の挨拶も交わさず二人は分かれる。

ロジェは熊を台所横の扉の前に置くと院長室へ、アンは倉庫に寄って金槌を戻すと大部屋へと戻って行った。

アンは自分のベッドに潜り込む。ロジェが戻って来て隣のベッドを使うと思うだけで、以前とは違い逆の意味で、とてもじゃないが、寝られない。

喉が緊張でカラカラに乾いて辛かった。

アンは毛布を頭まで被り、ぎゅうと瞳を瞑る。

もしかして、今夜のことはたった今自分が見ていた夢だったのかもしれない。

そう、願いながら。



「院長、ロジェです」

コンコン、とロジェは遠慮なく院長室の扉を叩いた。やがて衣擦れの音がして、不機嫌な様子を隠そうともせずドアはギィ、と薄く開いた。

「……まぁ、ロジェ。こんな夜中にどうしたの?余程のことがない限り、この時間に他人を起こすなんて許されないことよ?」

「熊が出たので、殺しておきました」

「何ですって!?熊が……?」

「はい」


院長は燭台を手に取ると、慌てて廊下に出ながら矢継ぎ早に尋ねた。

「殺したってどういうこと?どこに熊が出たの?他の子は?」

「庭です。窓の外にいたので、僕が殺して台所横の扉の横に置いています。皆は寝ています」

「そう……怪我はない?」

「はい」

二人で台所に向かう。昼間には子供達の声にかき消されて聞こえない、ペタペタというスリッパの音がやけに響いた。

院長は台所につくとドアの鍵を開けてそっと外を伺い見る。そこにはロジェの言う通り、確かに熊が横たわっている。


「……よくやったわ、ロジェ。しばらく皆で熊肉が食べられそうよ」

いつも予算の厳しい孤児院の食事の足しになると、院長はロジェに笑顔を向ける。幸か不幸か、熊の肉に気を取られた院長は気付かなかった。どうやって一人で熊を殺したのか。どうやって一人で大きな熊を運んだのか。


「それは良かったです。ところで院長、お願いがあるのですが」

「なぁに?ご褒美に、木の実係を一週間免除するとかかしら?」

何か頑張った子供に与えるご褒美として、役割の免除という手は院長がよく使う手だった。

それくらいなら元々してあげようと思っていた院長は、ご機嫌でロジェに尋ねる。

「いいえ、違います。アンを、先日いらしていたサーカス団に引き渡して貰えませんか?」

「……ロジェ、なぜそれを……」


ロジェのお願いに、院長は警戒を露わにして眉を顰める。

先日、孤児院から見目の良い女の子を一人、アシスタントとして引き取りたいとサーカス団から申し出があった。申し出があると、子供達にはボランティアの方々が来たと説明して、子供達の普段の様子を引き取り手の者達に見て貰うこととなっている。

サーカス団は、アンを欲しがった。

しかし、アンは貴族に貰われる可能性もあると考えていた院長は、アンは既に引き取り手が決まっていると嘘をついて、二番目に可愛い子供を送るつもりだったのだ。


「院長はアンが可愛く見えるかもしれませんが、あのレベルでは貴族に引き取られることはありません。貴族からしてみれば単なる田舎娘にしか見えませんから」

「……!で、でもロジェ、貴方アンと一番仲が良かったでしょう?何故そんなことを言うの?」

院長にはロジェがそんなことを言い出す理由がわからず、首を傾げながら尋ねる。

サーカス団は、孤児院の子供達が貰われる場所としては最底辺と言っても良かった。

所謂奴隷のような扱いで、最低限の衣食住だけ整えられて、後は死ぬまで働かされ続ける。お金を所持させないから、余程面倒を見てくれるような親切な人と出会わない限り、そこから逃げ出すことも出来ない。そして、そんな親切な人と出会える機会も、ほぼない。


「ああ……今までは面倒だったので放置していましたが、ある意味人助けです。それと、僕の宝物を壊そうとしましたので」

ロジェは冷たく言い放つ。

アンは今までも、気に入った子供達をロジェのように孤立させ、飼い慣らしてきた。

その中には、ジョンも含まれている。

そうして尊敬、もしくは崇拝させて意のままに操る便利な道具をアンは量産してきたのだ。


「どういう意味?」

意味のわからない院長に、ロジェは冷めた視線を送る。

「……この孤児院からアンを追い出せれば、それでいいという意味です」

しかし、このロジェの発言に院長は腹が立った。

「何ですって?この孤児院の運営は、私が一任されているのよ?子供が口を挟んで良い問題ではないの!」

「……では、アンはここに残すと?」

「ええ、そうよ。アンではない子を送ることにもう決定しているの!」

院長は、どちらが優位であるかを示す為に、ロジェの目の前でテーブルをバン!とわざと大きな音で叩いた。


しかし、ロジェはびくりとも動かない。静かな目で院長を見たまま囁くように告げる。

「やめておいた方がいいですよ」

「……」

「院長がわかってくれないなら、僕は院長の大事にしている植物を、それなりの場所へ持っていかなければならないかもしれません」

「え?」

「院長の大事にしている植物、です。わかりませんか?」

「な、何のことよ!?」


院長の脳裏に、違法植物が思い浮かんだ。立ち入り禁止区域に入った時見たのか。しかし、それが違法植物であると、孤児院にいる子供がわかる訳ないだろう。

それに、その植物をこの町の自警団に持って行ったところで、院長に問題が起きる訳ではなかった。口角が上がった時、ロジェはその気持ちを汲み取ったのかのように言う。

「……それを持って、自警団なんかを訪ねる訳ではありませんよ?自警団は、領主の言う事には逆らえませんから」

「……な、なにを……」


ロジェの発言に、今度こそ院長は蒼白になった。

まさか、ロジェはあのことを知っている?いや、そんな訳がない。そもそも子供達がいないところで……!!

「貴女は随分と長い間、領主の愛人をしているじゃないですか。そういえばご存知ですか?今の領主って入り婿なんですよね」

ひゅ、と院長は息を飲んだ。目がきょろきょろと忙しなく動き、自分の二つの秘密を知っているこの目の前の少年をどうするべきか、頭がフル回転でその正解を導き出そうとする。


「僕を殺すことはやめた方がいいですよ。僕は、アンがいなくなるだけでいいのですから。殺人を犯して毎日その罪に苛まれ、罪を暴かれることに怯え続けるよりも、ただアンをサーカス団に引き渡すだけの方がずっと楽なことだと思いませんか?」

そもそも院長がロジェを殺すことが出来る訳ないのだが、それに関しては触れない。

「……ほ、本当に?それだけでいいの?」

そして、やっと院長はロジェの話を聞く気になったようだ。最初から頷いてくれれば、こんな二重で脅すようなことしなかったのに、とロジェは苦笑する。

「それだけです。ああ、いつも通り、係の免除一週間は下さい。それ以上余計なことは言いませんし、部屋も個室を望んだりなんてしません。院長も他の子供達に対する言い訳が大変でしょうしね」

「……わかった。アンはサーカス団に行かせるわ。それでいい?」

「十分です」

サーカス団は飽きられないように色々な国を巡る。その旅はとても過酷で、あと二十年は同じ場所に戻って来られないだろう。

院長の言葉に、ロジェはにっこり笑って頷いた。


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