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僕は椎茸が食べられない  作者: 灰色シオ
第1章 僕と彼女の日常
6/43

5.カレーさん

 僕は椎茸が食べられない。

 好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。

 このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。

「でね、お隣のアパート、外人が住んでるじゃない。全くイヤよね。日本語通じないって困るわ。日本に住むなら日本語覚えなさいって話よ。大家も何を考えているのかしら」

「あらあら~、でも、いい子たちですよ。真面目に学校に通っていますし」

「何考えてるのかわからないじゃない。危ないわよ。インドの娘もいるそうじゃない。イヤだわ。なんかカレー臭くて」


 会社からわたしが帰ったとき、家の前で母が近所の奥さんと立ち話をしていた。話が長いことで有名なおばさんだ。

 母は買い物帰りだったのだろう。重そうな買い物袋マイバッグを持ったままだ。

「こんにちは」

 わたしは母を助けるつもりでおばさんに声をかけた。

「あら、娘ちゃん、こんにちわ」

「おかえりなさい」

「ただいま。荷物持っていこうか?」

 食材が詰まって重そうな荷物を預かろうとした。そんなわたしにおばさんは話しかけてきた。

 わたしまで立ち話に巻き込まないで!


「娘ちゃんも気を付けなさいね。この辺り外人が多くて物騒なんだから」

「大丈夫です。遅くならないうちに帰りますから」

 わたしの皮肉にもう6時過ぎだということはわかったみたいだ。

「あら、もうこんな時間。大変、早く帰ってお夕飯の支度しなくちゃ」

 そう言いながらおばさんは帰っていった。


「助かったわ」

「ママもあんな人の話に付き合わなくてもいいのに」

 お友達のカレーさんの悪口を言われてわたしは頬を膨らませて言った。

「ご近所さんだから、そうもいかないのよ。それにね。あれだけカレー臭いだのなんだのカレーさんの悪口を言っておきながら、今日の夕飯はカレーライスなのですって」

 ママはウインクして答えた。

「もう、おかしくって、笑いをこらえるのが大変だったわ」


     *


 うちの隣に学生向けのアパートが建っている。わたしが生まれる前からあるそうなので結構古い。交通の便が良い場所なのに家賃が安いらしくて、学生が多い。留学生もいる。カレーさんもそこの住人だ。


 カレーさんと出会ったのは去年の春の頃だった。

 その日、わたしは僕君とスーパーに買い物にきていた。今日はうちとお隣の両親と妹ちゃんは5人で温泉旅行に行っている。わたしは実習の準備があったので残ったのだ。僕君はわたしに付き合って残ってくれたのだと思う(妹ちゃんは私たちに気を使って親に付き合って行ったのだと思う。よくできた妹だよ)。付き合ってくれた僕君にはお礼に晩御飯を作ってあげることにした。メニューはカレーだ。


「スミマセン……」

 二人で買い物をしていたところでたどたどしい言葉使いで話しかけられた。

「コレ、ウシハイッテマスカ?」

 話しかけてきたのは褐色の肌をした女の子だった。青みがかった灰色の瞳がきれいな娘だった。言葉遣いや顔立ちから外国人のようだ。たどたどしいながらも言葉は話せるけど読むのは難しいようだ。その娘が手に持っていたのは鶏ガラスープの素だった。

「これは鶏だよ。鶏、チキン。牛は……ブイヨンかな?」

「違うよ、僕君。たぶん反対」

 女の子に答えてあげようとする僕君をわたしは止めた。

「えっ? 反対ってなに?」

 わかっていない僕君には答えず、わたしは女の子に話しかけた。

「ねえ、あなた、どこの国の人?」

「ドコ……クニ……クニ、インドデス」

「インド……なら豚もダメよね」

「ハイ。ブタダメ」


 ようやく僕君にもわかったようだ。アジアの国の人は宗教による制限で食べられない食材が多い。

「他にダメなものはある?」

「オニクダメ。ゼンブダメ」

「ベジタリアンなのね」

「ハイ、ソウデス。ワタシベジタリアン」

 なるほど。

「ミルクは? 卵もダメかな?」

「ミルク、ノミマス。タマゴダメ」

「お魚は?」

「サカナ……フィッシュダメ」

「何でそんなこと聞くの?」

「ベジタリアンにも種類があるのよ。宗教もあるから食べていいものは人によって違うの」


 カレーさんはインドのバンガロール出身で日本の大学院に電子工学を学びにきた。大学院では英語で授業を行うカリキュラムもあるそうだ。カレーさんは英語が話せるので、たどたどしい日本語とわたしたちの片言の英語でお話をした。

「ワタシノウチ、ヒンドゥーダケドキビシクナイ。デモ、オトーサンニクタベルダメ」

 戒律が厳しくない宗派でも肉食はダメなのか。厳しいように思ったけど、実はそうではなかった。

「ダッテ、オトーサンデブダカラ」

「「ソウナンダ」」

 健康上の理由だった。


 話しているうちにカレーさんはお隣のアパートに住んでいることがわかった。僕君がわたしを見る。わたしも嫌はなかった。

「カレーさん、よければうちに来ない? 今日はカレーにしようと思っていたの」

 わたしはカレーさんを夕飯に誘った。カレーさんは喜んで承諾した。

「イイデスカ!? カレースキデス。マイニチタベマス」

「だとすると、これはちょっと使えないかな」

 籠に入れていたいつものカレールウの箱をわたしは棚に戻した。

「何でダメなの?」

 僕君が聞く。普通の人はあまり知らないかもしれない。

「市販のカレールウはラードを使っているものが多いから」

「書いてないよ」

「アレルギー物質じゃなければ微量だと箱書きに載ってないことも多いの。でも、宗教上の理由なら気を遣ってあげなきゃ。以前、製品には含まれていなくても工場設備の清掃にステアリン酸(牛脂)を使っていた会社が訴えられたこともあるの。ハラール認証がついてなければ使わないほうがいいと思う」

 ハラール認証マークとは、豚やアルコールなどイスラム教で禁止されている成分が一切含まれていないだけではなく、その製品の製造全てにおいてイスラム法の基準をクリアしているとことを保証するマークだ。イスラムだけでなく宗教上の理由で食材に制限がある場合の目安として重宝する。宗教では材料だけでなく、製造装置の清掃に使うのもダメなので、食品表示だけではわからない。

「じゃあ、どうやってカレー作るの?」

「そんなに難しくないよ。ガラムマサラから作りましょう」

 わたしはスパイスの棚からシナモン、クローブ、ナツメグをかごに入れた。カレーさんと相談しながら、ほかにカルダモン、胡椒、クミン、ベイリーフなどを加えた。

 ガラムマサラとはカレーの素になるミックススパイスでインド料理の味付けに使う。カレールウが売っているのは日本だけでインドでは家庭でガラムマサラを調合する。インドの家庭の味ね。カレーさんは家から持ってきたものがあるのだけれど、日本の調味料で作ろうとしてもなかなか同じ味にならないのだそうだ。


 買ってきたスパイスをフライパンで乾煎りする。さらに唐辛子、ターメリック、胡椒を加えてさらに炒める。炒めたスパイスに火が通り、色が変わり始めたところで火を止めた。冷ましてからミキサーにかけて粉にする。これでガラムマサラの完成だ。見た目はそのまんまカレー粉だ。

 出来上がったばかりのガラムマサラを僕君に味見してもらった。

「うわっ、辛っ」

「ソンナコトナイヨ、コレ、アンマリカラクナイ。トテモオイシイ」

 一緒に味見したカレーさんの口には合ったようだ。


 ひよこ豆がなかったので大豆の水煮で代用。塩を加え灰汁をとりながら茹でる。

 僕君に鍋を見てもらっている間にカレーのベースを作る。フライパンに油を入れてみじん切りにした生姜、ニンニクを入れ中火でじっくり焦がさないように炒める。香りが立ってきたら、玉ねぎを入れあめ色になるまで炒める。クミンシード、マスタード、シナモンパウダー、チリパウダーで香りを足す。トマトは湯剥きにして種を取りだし、細かく叩く。トマトとガラムマサラを加えてさらに炒める。味が馴染んだら下ゆでした豆を移してトロミがでるまでさらに煮込む。15分ほど煮込めば完成だ。丁度、ご飯も炊きあがった。

 ガラムマサラから作った豆カレーはちょっと辛かったけど美味しかった。インドカレーに合わせて買ってきたインディカ米がとても良く合う。粘り気が少なくて薫り高いインディカ米はさらっとしたカレーによくなじむ。

「……コレオイシイデス……トテモオイシイ……オウチオモイダシマス」

 カレーさんの郷土の味に仕上がったようだ。

「よかった……ガラムマサラはお母さんの味だものね」

「ノー……チガウノ……ウチデハミンナイッショニゴハンタベマス……」

 カレーさんは涙ぐんでいた。故郷を思い出してしまったみたい。

「ワタシ、ニクタベナイ。オサケノマナイ。トモダチ、イッショニゴハンタベナイ。ガッコウデモ、ワタシヒトリ……」

 日本人にベジタリアンは少ない。同級生たちも悪気があったわけじゃないだろう。でも、付き合い難さを感じているはずだ。留学生に慣れている大学の学食ならベジタリアン向けのメニューもあるだろうけど、みんなでご飯を食べに行くとき、いつもカレーさんに合わせるわけにもいくまい。

「カノジョチャンモボククンモ、ゴハンサソッテクレタ。ミンナデタベルゴハン、オイシイ……」

 カレーさんは寂しかったのだ。異国の地にきて、ただでさえ心細いというのに、一緒にご飯を食べる友達もいなければ、その寂しさはいかほどであろうか。


「カレーさん、メアド交換しない?」

 わたしはスマートフォンを取りだした。

「寂しかったらメールして。また、ご飯食べにきてくれたらうれしい。連絡してくれれば私ご飯作って待ってるよ」

「イイデスカ? マタキテモ……」

 戸惑いながらもカレーさんはスマートフォンを取りだした。この娘も喜んでいる。

「もちろん!」

 わたしは決して社交的ではない。でも、僕君が勇気をくれた。スーパーでは困っているカレーさんに手を差し伸べる勇気をくれた。僕君の奥底にあるのは優しさなんだと思う。

 でも、僕君が優しいからだけじゃない。カレーさん自身が魅力的だからだ。慣れない土地で異なる文化に戸惑いながらも頑張って勉強している。だから、わたしも仲良くなりたいと思ったのだ。

「僕もいいかな?」

 わたしたちは3人でアドレス交換をした。友達になった。


     *


 それから、カレーさんはちょくちょく遊びに来るようになった。僕君も喜んでいる。大学でも友達ができたようだ。インドネシアから来た留学生の友達ネシアちゃんを連れてくることもあった。

 

 ママたちとも仲良くなった。最近のカレーさんの趣味は新しい和風カレーを作ることだ。

「カノジョチャン、ボククン、新作のカレーツクリマシタ。自信作デス。食べてクダサイ」

 カレーさんの日本語もかなり上達した。

「ユアマムに教わりました。シータケカレーデス!」

 あっ、ダメ…… 僕君、それ食べられない……



 カレーさんは肉が食べられない。

 僕君は椎茸が食べられない。例え、それがカレーであっても……

 第5話は彼女ちゃんの主役回でした。いつも僕君を助けてくれる彼女ちゃんですが偏見のないところも素敵な女の子です。私事ではありますが、作者は外国人が多く住む地域に住んでおります。そんな土地でも偏見を持つ人は少なくありません。冒頭のおばさんのセリフは実際に聞いたことがあります。カレー臭くっていやだなんてどんな気持ちで言えるのか作者にはわかりません。いい人悪い人は出身によるものではなく個人の問題だと思います。完全になくすことは難しいでしょうが偏見の少ない世の中になればよいと思います。

 このお話にはところどころで料理に関する記述が含まれます。全部とは言いませんがほとんどの料理は作者の体験済みです。彼女ちゃん手作りのガラムマサラで作ったカレーおいしかったです。でも、椎茸カレーは許しません。椎茸に関する内容の90%は作者本人が体験した実話をもとに書いています。私怨が込められているのでお見苦しい部分があろうかと思います。特定の地方の方には不快な思いをさせてしまうかもしれません。お詫びを申し上げます。温かい心でお目こぼし頂ければと思います。

 本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。

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