39. ナス嫌い克服ストーカー事件
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
「やっと終わった……」
徹夜明けでの仕事はきつかった。眠気覚ましにコーヒーをがぶ飲みしながらの一日だった。コーヒーを飲むと背が伸びなくなる(迷信だと知っているけど)ので僕は普段コーヒーを飲まない。そのおかげかなんとか居眠りせずに過ごすことができた。
先輩の夜のお誘いを振り切って僕は家に帰ってきた。限界だった。
昨夜は無断外泊してしまったので恐るおそるドアを開けたのだけれど家にいたのはお母さんだけだった。彼女ちゃんはまだ帰っていないようだ。
僕が椎茸を食べなくなってからお母さんは意地になったかのように椎茸料理しか作らなくなった。つまりは彼女ちゃんに食べさせてもらえということらしい。婚約してからは特にひどくなった。彼女ちゃんの家に行くこともあるけど、基本的に彼女ちゃんが家に来て僕用にご飯を作ってくれる。最近は僕の帰りが遅いのでそれもご無沙汰だったけど。
彼女ちゃんがいなくて僕は少しだけほっとした。お姉さんのいる店で飲むとなぜか彼女ちゃんにはバレるのだ。特に今回は少々気まずいことをやらかしてしまったのだからなおさらだ。別にやましいことをしたわけじゃないんだけど
*
部屋に戻る気力もなくソファーに倒れ込んだ。そのままうとうとしていたようだ。玄関が開く音で目が覚めた。妹が帰ってきたのだろう。時計を見ると10時近い。既にリビングには両親の姿はない。晩酌を終えたお父さんはもちろんお母さんも片づけを終えて部屋に戻ったのだろう。
リビングの窓からお隣の2階を見上げる。彼女ちゃんの部屋の電気はついていない。彼女ちゃんはまだ帰ってきていないようだ。
「妹ちゃん! 彼女ちゃん知らない?」
入ってきたお帰りも言わずに妹に尋ねる。
「知ってるよ。かわいくって料理がうまくっておっぱいの大きいお姉ちゃんでしょ」
「そういうことじゃなくって……彼女ちゃん、まだ帰っていないんだ……」
「お兄ちゃんが飲み歩いて帰ってこないからじゃない?」
妹は僕を責めるように返してきた。妹の言う通りだ。
「ぐっ……お前も少しは心配しろよ……」
「大丈夫だよ。今、帰ってきたから」
「妹ちゃんと一緒だったんだ……よかった」
ほっとする間もなく妹が嵩にかかって非難してくる。
「心配するくらいならお兄ちゃんこそちゃんとしなよ。会社でどんな失敗したんだか知らないけどさ。婚約者に八つ当たりしたり逃げ回ったり、情けないったらありゃしない。まったくそのせいでお姉ちゃんが闇落ちしちゃってこっちだっていい迷惑よ。ストーカーが二人に増えるなんて……」
「ストーカーだって!? 大丈夫なのか?」
妹はあきれたように言った。
「私は大丈夫だから……でも、今、お兄ちゃんが心配するところはそこじゃないでしょ!! 私のことよりお姉ちゃんのことを心配しなさい!!」
妹の言う通りだ。
*
僕君の家にはリビングに家族の連絡用のホワイトボードがかけられている。主におばさま(そろそろお義母さまと呼んだほうがいいかしら?)が夕飯の人数を把握するために作られたと聞いた。婚約してからはわたしの欄も作ってくれた。でもこれは書くわけにいかない。息子の婚約者が娘を付け回しているなんて理解してくれるわけがない。だからわたしは当たり障りなく『仕事、夕食不要』とだけ書いておいた。
もっとも僕君のほうが酷い。『仕事、夕食不要』と書かれた文字は先月のものだ。週末ですら書き直さない。まあ、僕君はおばさまの椎茸料理は食べないんだけど。
今日は金曜日、この一週間の張り込みでいろいろ分かった。妹子ちゃんを家までつけてきたストーカーを逆尾行したのだ。うちの路線をさらに郊外に向かって3駅。閑静な住宅街で彼は降りた。そこから歩いて20分ほど、住宅街の片隅にある農地にストーカーさんはやってきた。どうやらそこは農地の貸し出しを行っているようだ。かろうじて届く街灯の光を頼りに彼は菜園に踏み込んだ。慣れた足取りで菜園の一角に向かうと手入れの行き届いた野菜に向き合う。葉を手に取って生育状態を確認する。虫がついていないか、病気にかかっていないか。その気持ちはよくわかる。彼はこの野菜を自ら育てているのだろう。自ら育てた野菜は自分の子供のようなものだ。心配で、いとおしくていつまでも見ていられる。ストーカーさんもそんな優しそうな表情をしていた。
やがて満足したのか彼は菜園を出るともと来た道を引き返す。駅までの道を半分くらい来たところで曲がって、角の家に入った。どうやらそこが彼の家らしい。
家に帰る道すがら、私は考えていた。ストーカーと言ったら女の子をつけまわす卑劣な犯罪者というイメージを持っていた。でも、今日見た彼からはそんな凶悪な雰囲気はみじんも感じられなかった。
翌日、土曜日の早朝、わたしは自転車で昨夜の菜園に向かった。
彼が妹子ちゃんをストーキングしていることは間違いない。それはわたしがこの目で見たことだ。昨日は空手道場から家まで妹子ちゃんをつけているのを見た。さらに彼が家庭菜園を経由して自宅まで帰るのを確認した。彼は一度も振り返らなかった。ストーカーがストーキングされているなんて思いもしないのだろう。でも、それだけとは思えない。下半分をマスクで隠した顔から彼は熱を帯びた視線を妹子ちゃんにだけ送り続けていた。
菜園に着いたとき、時刻はまだ6時前だった。駅3つとはいえ直線距離で5kmちょっと。自転車を飛ばせば20分くらいの距離だ。お日様はまだ出てないけど、空はすっかり明るくなっていた。
さすがにまだ来てないか……そう思ったところに声を掛けられた。
「おはようございます」
「ひゃあ……」
びっくりして変な声が出てしまった。
「すみません。驚かせてしまって」
ストーカーさんは申し訳なさそうに謝ってくれた。
「菜園の利用者の方ですか?」
「えっ……あの……わたしは違くて……通りがかりの者です!」
何を言ってるんだろう。これではわたしのほうが不審者だ。まあ、ストーカーさんのストーカーなのだけど
「はあ……」
「散歩……そうです。散歩してたのです。夏の朝は気持ちいいですから」
今日のわたしはTシャツにショートパンツのラフな格好だ。闇夜ではないのでいつもの闇の眷属の衣装ではない。ストーカーさんもそれはおんなじだ。マスクを外して素顔をさらしている。長身の少し気の弱そうな青年だった。とてもストーカーをするような人には見えない。
長袖のシャツにジーンズ姿。麦わら帽子をかぶり、首にはタオルをかけている。いかにも農作業という格好が馴染んでいる。昨日今日始めたのではないだろう。
「そうですね。朝は気持ちいいです」
彼は怪しげなわたしの言い訳を追求することなく同意してくれた。
「あなたはここの菜園の人ですか?」
このまま立ち去っては目的が果たせない。わたしは彼に話しかけた。
「ええ、といってもここと隣の二畝借りているだけですけど」
「素敵な菜園ですね。ナスとトマトですか?」
「ええ、あと奥のほうにパプリカも。来週には収穫できると思います」
うれしそうに笑う。
「お土産にお渡しできればよかったのですが……」
「いいえ、とんでもない」
「初めての収穫はある人にあげようと決めているんです」
……
それは妹子ちゃんなのだろう。
「きっと喜ぶと思います」
「そう思いますか?」
「ええ」
力強く頷いた。
「僕はナスが嫌いでした。トマトもダメです。パプリカも食べられません」
「なら何で……」
「とてもおいしそうにごはんを食べる人でした。あるとき、その人がお弁当を作ってきてくれたんです。でも僕は彼女の作った料理が食べられませんでした。それで怒らせてしまって……」
「それで菜園を?」
「はい。自分で育てた野菜なら食べられるようになるんじゃないかって。すみません。初めて会った人にいきなりこんなことを言って……」
ストーカーなんて思ってゴメンナサイ
彼の話にわたしは心当たりがあった。
去年の今頃のこと。妹子ちゃんに頼まれてお弁当作りを手伝ったことがあった。確かメニューはサンドイッチにナス餃子と辛味チキン。サンドイッチの具はトマトとハム。ハムサンドにはパプリカとキュウリのピクルスを入れたっけ。確かに彼には厳しいメニューだったかもしれない。でも、彼はその失敗を取り返そうとしている。好き嫌いを克服しようとしている。
好き嫌いなんてあっても構わないと思う。僕君だって椎茸食べられないままだし。でも、おいしいものを食べて幸せを分かち合うことができればもっと楽しいだろう。彼は誠実に向き合おうとしていた。
そんな彼をわたしは非難できない。
「来週には収穫できるんですね?」
「はい」
「その人に届けに行くと」
「はい……受け取ってくれるといいのですが……」
彼は自信なさそうに呟いた。それでもけじめをつけると決めたのだ。
「大丈夫です。きっと喜んでくれます。絶対です」
「あなたは……?」
不思議そうに問い返す彼にわたしは微笑んだ。
「通りすがりの魔法使いです♡」
*
「二郎君、お待たせ」
「ぜんぜん待ってないです。俺も今来たとこです」
嘘だ。約束の時間の30分以上も前から着いていた。落ち着きなく二郎は首を長くして待っていたのだ。
再会してからK子先輩と会うようになった。学生のころからきれいな人だった。少し気が強いけど面倒見がよく後輩たちから慕われていた。二郎もあこがれていた一人だった。体調を崩して勤めていた会社を辞めたと聞いた。そのせいか昔を知る二郎が驚くほど小食になっていた。それでも会うたびに元気になっている気がする。勘違いかもしれないけど、それが自分のせいだったらうれしい。そう二郎は思っていた。
そんな憧れの先輩と今日もこれから食事に行く約束だ。これはもうデートと言っていいのでは? 二郎は浮かれていた。
これであいつらに引け目を感じずにすむ。幼馴染と付き合っている親友を思い浮かべた。そのせいなのか、妙なものを見つけてしまった……
「二郎君?」
「すいません、K子先輩。ちょっとメールしてもいいですか?」
先輩に断りスマートフォンを取り出す。
まったく、なにやってんだよ……
*
今日で『プロジェクト守護者』は最後にする。そう決めていた。そうして今夜もわたしは闇に包まれ見守っている。
そう、わたしは彼を応援している。
だというのに肝心の彼が来ない。何やってるのよ。今日はあなたの育てた野菜の初収穫の日でしょ。道場の見える駅前の通りからやきもきしながら彼を待っていた。
大学4年生の夏ともなれば就職活動で忙しい時期だ。すでに夏休みに入っていることもあり、キャンパスでは彼は妹子ちゃんと会うタイミングがない。だから、道場の帰りに来るはず……なのだけど
「ねえねえカノジョ~ 何してるの?」
「コートなんて着ちゃって暑くない?」
「あっわかった。お姉さん痴女でしょ。コートの下、裸なの?」
代わりに変なのが釣れちゃった……
わたしは影、陰に潜み影を狩る者
でも、ストーカーは犯罪です。
第39話では妹子ちゃんを守る彼女ちゃんとストーカーさんのお話でした。ストーカーさんの素顔を知った彼女ちゃんはどう動くのでしょうか。
今話も椎茸は出てきませんが、嫌いな食べ物のお話でした。作者も経験がありますが、椎茸に限れば自分で育てた椎茸も食べられるようにはなりませんでした。このお話にはところどころで料理に関する記述が含まれます。全部とは言いませんがほとんどの料理は作者の体験済みです。私怨が込められているのでお見苦しい部分があろうかと思います。特定の地方の方には不快な思いをさせてしまうかもしれません。お詫びを申し上げます。温かい心でお目こぼし頂ければと思います。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




