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僕は椎茸が食べられない  作者: 灰色シオ
第3章 僕と彼女の未来
36/43

35.彼女が食べられないもの

 僕は椎茸が食べられない。

 好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。


 このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。

「ごめんなさい。その日は約束があるの」

 会社で同期ちゃんからおしゃれなビストロの話を聞いていってみたいなと思い今週の金曜日にと彼女ちゃんを(さそ)ってみたのだけど、先約(せんやく)があったようだ。

「謝ることじゃないよ。職場の飲み会?」

「そうじゃないの。D美先輩から頼まれて……」

 D美先輩とは彼女ちゃんの高校時代の部活の先輩だ。1年生だった彼女ちゃんが料理部に入ったとき、部長をしていたのがD美先輩だ。外見(がいけん)はギャルで、おとなしい彼女ちゃんは気に入られたのかよく引っ張りまわされていた(何回かは僕も付き合わされた)。だけど料理の腕は確かで卒業後は女子大の家政科に進み(大学でも彼女ちゃんの先輩だ)、都内の外食チェーンに社員として就職していた。今でも金髪ツインテールのままらしい。

 よく会社も採用したな……


「先輩の会社が経営しているジューススタンドでハニーフェアをやるんだって。メニューはコンペで決めることになって、それで社員さんもレシピを考えなければならないんだって」

「それで彼女ちゃんが手伝わされるんだ……」

 先輩は都内に数十店舗あるジューススタンドの運営として働いているらしい。店舗には社員の店長さんがいるが、店員さんのほとんどはアルバイトだ。フェアのメニューは社内公募で決まり、採用されれば金一封(きんいっぷう)がもらえるそうだ。店舗からの応募がほとんどだけど料理のプロとして採用された運営スタッフのD美先輩も期待されているとのこと。彼女ちゃん曰く『売られた喧嘩(けんか)は買うが上等。女子大家政科なめんなよーっ!』と盛り上がっているのだそうだ。


 頑張ってね


     *


「というわけで第1回ハニーハニーハニー会議を始めまーす! パチパチパチ」

「はい! 隊長殿」

「なんだね。E美君?」

「自分は何故(なぜ)ここに呼ばれたのでありますか?」

 新型ハニージュース開発プロジェクトのメンバーから質問があった。リーダーのD美先輩にわたしを含めて3人しかいないけど。

 それはD美先輩の双子の妹、E美先輩だった。E美先輩は双子といっても全く似てなくて真面目で品行方正な人だ。料理部には入っていなくて生徒会役員だったのにD美先輩のフォローで(フォローしないと後でもっと大変な目に合うらしい)行事(ぎょうじ)の度に料理部につきっきりになっていた。今日も務めている市役所を定時で上がると速攻で駆け付けてきた。わたし以上にD美先輩の最大の被害者だ(わたしにも被害者だという自覚はある)。


「ぶわっかもーん! 歯を喰いしばれ! 姉の頼みを聞くのが妹だろーがっ!」

「頼んですらいないじゃない……」

 いつもの会話なのでわたしももう慣れてしまった。


「それではブリーフィングを始める。今回のミッションでは諸君らには今までにないはちみつ入りジュースを開発してもらう。条件ははちみつが入っていること。それだけだ」

「材料に条件はありませんか?」

「うむ。ない!」

「食品であればなんでもいいのね……」

「でもE美先輩、ジューススタンドで出すものですからコストは考えなきゃいけませんよ。あまり高価なものは……」

「そうだな。ベースになるものは(しゅん)のものから選ぼうか」

「秋だから梨、ブドウ、栗……迷っちゃいますね」

「それらをベースにしたら高くなるだろう。彼女ちゃんこそコストを考えなきゃ」

「そうですね。ベースはケールやキャベツにして、旬の果物をフレーバーとして使うのではどうでしょう?」

「それが堅実(けんじつ)だな」

「おーい、君たち。指揮官の意見を聞かなくていいのか?」

「姉さん、邪魔(じゃま)(だま)ってて」

「今、まじめな話、してますから」

 打ち合わせは順調です。


     *


 さて問題です。皆さんは、ジュースと聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

 コーラ? サイダー? メロンソーダ?

 ブッブー 不正解です。ジュースとは果物や野菜の(しる)を意味します。日本の食品表示では100%果汁を指します。「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」(JAS法)という法律で定められています。100%果汁といっても糖類や食塩などの添加は許されているので、当スタンドではその場で野菜や果実をミキサーにかけ、はちみつやお塩で味を調えて飲みやすく調整してお出ししております。他社では果肉を残してスムージーと名乗っているお店もあるようですね。

 現場では、主となる材料をベース、味や風味を整えるための材料をフレーバーと呼んでいます。


「キャベツがベースだと甘みが強くて蜂蜜を入れると甘すぎてしまうな」

「減らすと蜂蜜の香りが感じられませんね。これではダメですね」

「ケールに蜂蜜だとそのまま青〇になってしまうし」

「さすがに〇汁では目新しくないですね」

「他にベースとなりそうなものといったら。バナナ……当たり前すぎるか」

 わたしたちの新型ハニージュース開発は行き詰っていました。

「お前らに期待した私がバカだったーっ!」

「馬鹿は姉さんでしょ」

「今、まじめな話、してますから」

「そうじゃなーい! 馬鹿にするな。貴様ら頭が固すぎる。お前らジュースのプロか? 毎日ジュースのことばかり考えているのか? 違うだろ。ジュースのプロにない、素人なりの柔軟(じゅうなん)発想(はっそう)が欲しいんだ!」


 D美先輩の言葉に衝撃(しょうげき)を受けました。

「姉さんがそんなまともなこと言うなんて……」

 E美先輩も同意見のようです。ですが、そんなこといまさら言われても、人選(じんせん)の時点で間違っています。

「もういい。頭は私が使う。貴様らは手を動かせーっ!」

「姉さんにこき使われるなんて……屈辱(くつじょく)だわ」

 E美先輩、気持ちはわかりますが、落ち着いて。わたしたち凡人(ぼんじん)にはそんなアバンギャルドな新メニュー作れませんから。普通のものを普通に美味しく食べたいだけですから。


「まさか……ありえない……」

「奇跡ですね……」

 あんなものを入れたジュースが美味しくなるなんて。僕君には教えられないな。あれ、何だろう。僕君のことを考えたからかな? なんだか……胸が……苦し……

「彼女ちゃん!?」


     *


 なんだか胸騒(むなさわ)ぎがする。

 彼女ちゃんに(ことわ)られたので、金曜日の夜の予定はなかった。先輩に誘われてご飯に行ったけど、どうしても落ち着かず、2次会は断った。

 たしか、この近くにD美先輩の会社の基幹店があったはず。彼女ちゃんたちはそこで試作をしていると聞いた。基幹店といってもジューススタンドだ。そんなに大きな店じゃない。ただ、試作や試飲会などで使うため普通の店より厨房(ちゅうぼう)が大きい。僕も一度巻き込まれたことがあるので場所はわかる。

「ごめんください……先輩、いらっしゃいますか?」

 ショップの窓にはシャッターが下ろされていたので裏口に回る。恐る恐るドアを開ける。幸い鍵は掛かっていなかった。泥棒(どろぼう)と間違われないように声をかけた。

そのとき


「彼女ちゃん!? 大丈夫? しっかりして……」

 声が聞こえた。思わず飛び出した。

「どうしたんですか!?」

「あっ、僕君……彼女ちゃんが、彼女ちゃんが……」

 彼女ちゃんを抱きかかえているE美先輩に声をかけるが、E美先輩はパニックを起こしていて話にならない。D美先輩はまだ話になるようだ。

「ショック症状(しょうじょう)だな。まだ出たばかりだ。落ち着けば大丈夫だろう」

「彼女ちゃん、先月、蜂に刺されたんです。(まれ)に蜂蜜に蜂毒が入ることもあるって聞いて心配になって……」

「何!? じゃあ、アナフィラキシーショックか?」

「おそらく」

「E美、救急車だ!」

「は、はいっ」

 彼女ちゃんは青い顔をしてビクビク痙攣(けいれん)していた。まずい。チアノーゼを起こしている。

「まずは気道(きどう)確保(かくほ)だ。舌を()むとまずい。タオルを噛ませて……」

 頭を下げて喉元(のどもと)()ける。唇を重ねて人工呼吸をする。だが、彼女ちゃんは歯をガチガチ言わせるばかりで口を開けてくれない。舌が巻き上がって気道を圧迫(あっぱく)している。救急車を待っている余裕はなさそうだ。僕は彼女ちゃんの口をこじ開け右手を突っ込んだ。

「やめろ。噛まれるぞ。(あぶ)ない……」

 そんな場合じゃないんだよ!

「うぐっ……」

 手を噛まれた。硬直(こうちょく)した(ほほ)の筋肉が(あご)を閉じようとする。歯が右手の肉を食いちぎり血があふれ出す。痙攣するたびに歯が食い込んでくる。だがそんなこと言っている場合じゃない。噛まれた手をさらに押し込み口の中で指を伸ばす。

「彼女君、しっかりしろ。僕君だ。君のヒーロー、僕君が来てくれたぞ!」

 僕の顔を見たD美先輩はそれ以上止めなかった。代わりに彼女ちゃんに呼びかける。D美先輩の言葉が届いたのか彼女ちゃんの全身から力が抜けた。少しだけ口が(ゆる)む。僕は人差し指と中指で舌を(つか)み、気道を確保(かくほ)した。

「呼吸は?」

「浅いけどしっかりしてます」

炎症(えんしょう)を起こすと気道狭窄(きどうきょうさく)を起こすかもしれない。血圧の急激な低下も危険だ。寝かせて。そうだ。足を上げるぞ」

 D美先輩に言われた通り、僕は右手を彼女ちゃんの口に入れたまま、左手でゆっくり寝かせた。D美先輩が彼女ちゃんの(あし)の下にクッションを差し入れた。血圧低下の防止のためだ。僕の手から流れ出る血で彼女ちゃんの顔が真っ赤に染まっている。D美先輩が()れタオルで(ぬぐ)ってくれた。

「アナフィラキシーショックだと言ったらすぐ来てくれるって」

 さすがは優等生のE美先輩だ。パニックから立ち直るとそつがない。

「よし。E美は表に出て救急隊員の案内を頼む」

「わかったわ。でも、その前にこれを……」

 タオルとテーブルクロスをE美先輩が持ってきてくれた。ありったけを掛けてあげる。真っ青な顔をした彼女ちゃんはガタガタ震えている。寒いのだろうか。

「血圧低下で悪寒(おかん)がしているはずだ。抱きしめてやりな。連れていかれないよう。ちゃんと(つか)まえておけよ」

 D美先輩に言われるまま僕は彼女ちゃんを必死で抱きしめ、呼び続けた。だが、その後半の台詞は聞こえなかった。聞きたくなかった。そんな覚悟などできるものか。大丈夫。彼女ちゃんはどこにも連れて行かせない。


     *


 彼女ちゃんが目を覚ましたのは3日後、翌週の月曜日の昼だった。即座(そくざ)に僕は会社を早退(そうたい)すると病院に駆け付けた。ベッドの上に座っている彼女ちゃんを見て思わず抱き締めた。本当に良かった……

「彼女ちゃん……いなくなっちゃうんじゃないかと心配したんだから」

「うん、ごめんね……」

「結婚しよう」

「うん、ありがとう」


「ごめんね。痛かったでしょう……」

 落ち着いてから、僕の手を見て彼女ちゃんが申し訳なさそうな顔をしている。

「彼女ちゃんを助けるためならこれくらいどうってことないよ」

 確かに痛かったけどあのときは夢中だった。救急車に一緒に乗り込んだ僕も十分重傷だった。手のひらと甲で13針縫ったけど目の前の笑顔を守れたことに比べれば大したことじゃない。傷痕(きずあと)は残るらしいが気にならない。名誉の負傷だ。包帯(ほうたい)でぐるぐる巻きにされた右手はしばらく使えないけど、今はPCがある。左手一本で何とか提案書を書いている。


 彼女ちゃんは蜂毒によるアナフィラキシーショックを起こしていたのだ。彼女ちゃんが梅の実を採っていたときに蜂に刺されたことを覚えていてよかった。忘れていたら僕も気が付かなかっただろう。助けることもできなかった。

 本当に良かった。連絡をもらっていたとはいえ彼女ちゃんの姿を見るまで安心できなかった。夢中だった。そこにD美先輩とE美先輩がいることにすら気が付かないくらいに。

「アツいねぇ」

「うわっ! D美先輩いつからそこに……?」

「最初からだよ」

 全く気付かなかった。彼女ちゃんのことしか見えていなかった。顔が熱くなる。

「全く見直したよ、僕君のこと。彼女ちゃんも()れ直したんじゃないかい?」

 D美先輩に冷やかされて布団に(もぐ)り込んだ彼女ちゃんが答える。

「僕君が格好(かっこう)いいのは知ってるもん」

 僕のほうが恥ずかしいよ。


「あのとき作ったレシピ、評判いいんだ」

「意外性なだけでしょ。レシピ見てみんな引いていたもの」

「そうはいっても気になるよね。僕君も飲んでみる? E美、持ってきたんでしょ」

 彼女ちゃんたちの作品だ。僕としても気になる。E美先輩からボトルを受け取り一口飲んでみる。その深緑色(ふかみどりいろ)のジュースは意外なことに美味かった。100%果汁の重厚(じゅうこう)なのど越しに(さわ)やかな後味(あとあじ)と苦み……胃の中からこみあげてくるよく知っている熱いもの……

「いけるっしょ、椎茸カボスハニージュース!」

「椎茸はありえないと思っていたけど、こうしてみるとなかなか合うわね。カボスを皮ごと使うなんて姉さんしか考えつかないわ……あら?」

 E美先輩の解説を最後まで聞かずに僕はトイレにダッシュした。


     *


 2週間後の彼女ちゃんの退院の日、僕は有給休暇を取って迎えに来ていた。おばさんが会計している間に彼女ちゃんが照れ隠しのように言う。

「お休みまで取らなくても一人で帰れるのに……」

「僕も抜糸(ばっし)があったから、ついでだよ」

 そうなのだ。僕の名誉の負傷も本日をもって完治したのだ。だから

「入院中の荷物もあるでしょ。遠慮しないで。僕たち夫婦になるんだから」

 そうなのだ。彼女が目を覚ました日、連絡をもらって早退して駆け付けた僕は彼女ちゃんにプロポーズをしたのだ。こんなところ(病院)で言うつもりじゃなかった。指輪も用意していない。ムードもへったくれもない。ただの思い付きだ。

 でも、彼女を失いたくないと思ったのは本当だ。失わずに済んだのは彼女の信頼のおかげだ。あのときの約束通り彼女ちゃんは僕になんでも話してくれる。だから僕は彼女を失わずに済んだのだ。僕は彼女に感謝してもしきれない。だから、その気持ちが(あふ)れたのだ。

 恥ずかしそうにしながらも彼女は(うなず)いてくれた。


     *


「荷物重かったでしょう。僕君も上がって」

 おばさんの言葉に(したが)い彼女ちゃんの家に上がろうとしたとき

「僕兄ちゃん!?」

 隣の僕の家の玄関先から女の子の声が呼び止めた。

「やっぱり僕兄ちゃんだ! 約束通りお嫁さんになりに来たよ!」

 女の子は駆け寄ると抱き着いてきた。

「誰!?」



 椎茸カボスハニージュースはその意外性から採用されたものの売り上げは最低でした。意外過ぎて誰も頼まないよね。

 というか、誰!?

 第35話ではD美先輩に巻き込まれた彼女ちゃんがピンチに陥るお話でした。いつもクールなE美先輩の意外な一面が見られます。第31話でハチに刺された彼女ちゃんがこんなところに影響するとは……ハチ怖い。


 今話ではシータケはお休みですと思ったら、さすがD美先輩やらかしてくれました。

 そして、誰!?



 本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。

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