33.源兵衛
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
「本当にいいお湯だったねぇ。住んじゃってもいいくらい」
彼女ちゃんこと、かげろうおカノが昨夜泊まった温泉のことを話している。よっぽど気に入ったのだろう。
「おカノ、ふざけるでない。われらの目的を忘れたか?」
「そうだぞ。われら世直しの道中なのだ」
はしゃぐおカノを助二郎と格三太が諫める。
「わかってるよ~ でも、もうちょっと長居してもよかったんじゃない? 僕君も気持ちよかったよね、温泉」
おカノは分かっていない。確かに温泉は気持ちよかった。だが、温泉を満喫するおカノを覗きに行こうとする助二郎と格三太を引き留めるのに僕は大変だったのだ。サービスシーンなど知ったことか。僕は彼女の入浴姿を他のやつに見せるつもりはない。
それでも主として威厳を持って答えた。
「助さんも格さんもそのくらいに。温泉を楽しんだのはわれらも一緒じゃ。カッカッカ……」
*
「じ~んせい……はあはあ……楽ありゃ……はあはあ……る~るるるる~ はあはあ」
運動不足のおカノは峠道に息を切らしていた。運動不足のくのいちってどうよ? 護衛が務まるのか? まあ、何かあっても僕が守るけどね。
次の目的地、豊後の国佐伯を我々は目指していた。
江戸開闢から90年がたち世の中から戦が忘れられていた。御世も五代様(徳川綱吉)の代となり天下泰平である。だが、どんな世の中でも悪いことをする奴らはいる。ひどい目に合うのはいつも庶民である。
水戸徳川家でもようやく代替わりが許され僕は隠居の身となった。自由になった時間を僕は世直しのために使おうと思ったのだ。
何度目かの旅で僕は初めての九州を旅していた。
「ご隠居様、あの峠を越えれば千怒の浦は目の前ですじゃ」
源兵衛が指をさす。
源兵衛は地元の炭焼きの翁だった。峠道で霧に捲かれ立往生していた我々を助けてくれたのだ。源兵衛の案内で古木の洞に身を寄せ雨露をしのいだ。おかげで火を起こすこともできた。あのままでは死ぬことはなくても風邪くらいは引いたかもしれない。
我々は火を囲み退屈しのぎに話をした。夜は長い。夜露を凌ぎ夜が明けるのを待つしかない身では猶更である。
「そうでしたか。越後のちりめん問屋さまでしたか」
「ただの隠居の爺でござるよ。こちらこそ源兵衛殿には世話になった」
いつものフレーズで名乗ると源兵衛は甚く恐縮した。
「それにしてもこんな何もない田舎にどのようなご用向きで?」
「なにが商売の役に立つかわかりませんからな。と言いつつ当てもない旅でござるよ」
源兵衛はわかったようなわからないような曖昧な表情で頷いた。
大丈夫。僕もわかっていない。
「それより源兵衛、佐伯とはそんなに何もないのか?」
助二郎が話に割り込んだ。
「へえ、山しかないところですじゃ。わずかばかりの平地に人が集まり田もようおこせん。佐伯藩は2万石とのことですが、実際にはその半分もござらん。山の幸を頼みにかろうじて生きていられるだけです。近頃は大風(台風)や地揺れ(地震)が多くて頼みの山も荒れ放題ですじゃ……」
源兵衛の言う通りであった。街道こそ整備されていたが、山には倒木が目立ち、山崩れの痕もそこかしこに見られた。
「お代官様がご禁制にされたからですじゃ」
山林とは手つかずの自然ではない。下草を刈り、倒木は取り除き空気を流してやらねば木々は根腐れを起こしてしまう。山は自然と民の共生なのだ。佐伯藩でもそんなことは分かっていように……
「へえ、藩主様は荒れた山に民が入り山崩れに巻き込まれるのを止めたかったそうです。ですが、落ち着いてからもご禁制は解かれず、いつしか民が山に入るためには税を納めなければならなくなりました。薪や山菜、木の実に茸、取れ高の半分を納めねばなりません。それを嫌って山に入るものは減りました。吾のような炭焼きは仕方なく山に入りますが他は誰も来ません。おかげでますます山は荒れ、民は飢えております」
僕には何も言えなかった。幕府があるとはいえ各藩が治める土地は自治領のようなものだ。幕府も口を出せない。治政があまりにもひどければ国替えやお取り潰しで左遷することができるだけだ。
「ですが、山に入らなくても山の幸を得る方法を見つけたのです。これできっと……」
源兵衛は手拭いでくるんだ包みを大事そうに抱え、そう呟いた。
*
昨日の霧が嘘のように晴れた。
「うわぁ、きれい……」
峠からの眺めはおカノの言う通り絶景であった。朝日を受けて佐伯湾がキラキラ光っている。吹き上げてくる風が体の湿気を洗い流してくれるようだ。
我々は気分よく峠道を下っていった。おカノがどこで覚えたのか歌を口ずさんでいる。相変わらず2フレーズ目からはるるるる~(スキャット)だったけど。
楽しい気分も街に入るまでだった。
「源兵衛、遅かったな」
「へ、へい、お代官様。昨夜は霧が出ましたもので……」
我々を出迎えたのは侍だった。佐伯藩士らしい。嫌な顔つきをしている。こいつらだったらこの前懲らしめた山賊たちのほうがまだましだ。
ごろつき……もとい、藩士の一人が口を開いた。
「源兵衛、そうすると昨日から二日山に入っていたということだな」
「で、ですが今日は山を下りてきただけで」
「言い訳をするな。税は二日分だ!」
「そんな……ご無体な。それでは炭が焼けません」
源兵衛は背負子に積んでいた薪の束を奪われた。
「薪などまた取りに行けばよいではないか。ちゃんと税を払ってな」
どう見てもまっとうな治政とは思えない。
「ところでお前さん方は源兵衛の連れか?」
「はい、お代官様。わたくし越後のちりめん問屋の隠居でございます。昨夜は山で霧に捲かれ往生していたところを源兵衛殿に助けられたところでございます」
僕の返答にごろつきの目が光る。金をとれると踏んだのだろう。
「ならば税を払ってもらおう」
「はいはい、お払いいたしますとも。いかほどで?」
よそ者が領地に入るのに税をとることは珍しくはない。佐伯のような小領地には貴重な収入源なのだ。また治安のためでもある。だが、こいつらはそんなまっとうな理由ではないだろう。
「荷の半分だ」
「ご無体な。それでは追剥ではありませんか!?」
「お待ちください。お代官様、この方々は怪しい者ではございません。なにとぞ、なにとぞ……」
「うるさい……むっ貴様、懐に何を隠している?」
すがりよってとりなそうとする源兵衛の懐のものにごろつきが気付いた。
「こいつ、懐にこんなもの隠し持ってやがった」
「それだけは……」
「なんだ……ただの薪ではないか。まあよい。これも没収だ」
「ああっ……お慈悲です。それだけは……」
「ええい、うるさい。これでも食らえ!」
奪われまいと包みにしがみつく源兵衛にしびれを切らした藩士の一人が鞭を振り上げた。だが、その鞭が振り下ろされることはなかった。
助さんが藩士の右腕をつかんでいた。
「貴様、何をしている。ええい、この不埒ものどもを切り捨てよ! 何をしておるか。早くしろ!」
部下らしい藩士たちがおずおずと刀を抜く。
戦国の世が去って100年。武士とて刀を握ることなどない世の中だ。ましてや人を切るなど経験したこともないだろう。
「刀を抜きましたな。いいでしょう。助さん格さん、やっておしまいなさい!」
僕の側近の佐々木助二郎と渥美格三太は猛者だ。素手でもこの程度のへっぽこ侍に後れを取らない。僕もおカノを背にしてかかってくる数人を杖でたたき伏せた。
「この騒ぎはなにごとだ!」
騒ぎを聞きつけたのだろう。騎馬の侍が飛び込んできた。
「殿……」
その侍こそ佐伯藩主毛利駿河守高久殿であった。
「助さん格さん、もういいでしょう」
「はっ」
「静まれ! 静まれ静まれーっ!」
格三太が逆らっている者どもを叩き潰す。前に立った助二郎が印籠を掲げる。
「ここにおわすお方をどなたと心得る。畏れ多くも先の副将軍僕公であらせられるぞ。この紋所が目に入らぬか。皆の者、頭が高い。控えおろう!」
「「「ははーーーーーっ」」」
毛利殿を含めた全員がひれ伏した。
*
「ご老公にはお恥ずかしいところをお見せしました」
領主屋敷に場所を移し人払いをした座敷で僕は毛利高久殿の謝罪を受けた。
「よい。駿河守(高久)殿が治政に努めていることを知っておるからな。だが、ちと不勉強じゃ。荒れた山は人の手を入れねば回復すまい。ますます荒れるだけじゃ。人の心も同様じゃ」
毛利殿は畳に擦り付けるように頭を下げた。
「ご老公にお願いがございます」
「なんじゃ」
「隠居をお許し賜りたく」
毛利駿河守高久殿は名君とは言えないながらも実直な君主であった。そこを好ましく覚えていたのだが、真面目すぎるようだ。
「此度のことは隠密じゃ。責任を感じることではないぞ」
「ご厚情感謝いたします。ですが、今日このことだけではございません。私は体も弱く知恵もありません。行き届かないのです。決して思い付きではなく。以前よりの考えにございます」
「後はどのようにするつもりじゃ?」
「高慶」
高久殿は障子に向かい声をかけた。開けられた廊下にひれ伏す若侍の姿があった。
「実弟にて養嗣子の高慶にございます」
大名の継嗣は幕府に届けが必要である。人質と教育を兼ねて江戸に住まわされる。在所にいるということはまだ、届けが済んでいないのだろう。
「私には実子がおりませぬ。そこで実家の森藩久留島家より末弟をもらい受けました。未熟者ではございますが、見どころはあろうかと。私が乱した佐伯を託したく思います」
「うむ、承知した。だが、僕も隠居の身だ。話を通しておくだけじゃ。あとは駿河守(高久)殿がなされよ」
「「ありがたき幸せ」」
毛利親子は揃って頭を下げた。
「ところで駿河守(高久)殿、代わりと言っては何だが、一つ頼まれてほしい」
「はっ、何なりと」
高久殿が二つ返事で請け負った。
「佐伯への道中で源兵衛なる炭焼きに世話になった。褒美を授けてほしいのじゃ」
僕は控えていたおカノから手拭いで包まれた薪を受け取る。
「これを授けてやってくれないだろうか」
高久殿も高慶殿もいつの間におカノが入ってきたか気づかなかったのだろう。びっくりした顔でおカノを見ている。僕も気づかなかったけどもう慣れた。彼女はくのいちなのだ。
「源兵衛を呼んでまいりました」
庭を回って助二郎と格三太が源兵衛を連れてきた。武家屋敷に平民を上げることなどない。面会は庭先で行う。時代劇で見るお白州のようなものだ。もっともここは裁きの場ではないのでただの庭だ。
源兵衛は庭先に通されるや否や平伏した。
「ご隠居様がそんなえらいお方だとはつゆ知らずご無礼を……」
「源兵衛、面を上げい」
「ご容赦を……なにとぞご容赦を……」
領主に呼ばれるなど初めての源兵衛は罰せられると思い込んでいるようで僕が声をかけても顔を上げようとしない。
「そうではないのだ」
「源兵衛、面を上げよ」
助二郎と格三太がなだめてようやっと顔を上げた。身分差はわかるけど正直面倒くさい。
「源兵衛、山中でそなたには世話になった。そこで毛利殿に頼んで褒美を取らせることにした。これは高慶殿から授けてはくれまいか?」
「はっ、源兵衛、これに」
汚い手拭いに包まれたそれを見て源兵衛は驚いた。縁側までにじり寄ると恐る恐る手を伸ばす。高慶殿も嫌がらず源兵衛にしっかりと手渡した。
「これは……」
「源兵衛、これからも励め」
「ははーーーーーっ。ありがとうございます。ありがとうございます。これで佐伯は救われます」
感涙にむせぶ源兵衛を見届け、僕は毛利親子に向き直る。
「高慶殿、これは其方への餞でもある。源兵衛を大事にしてくれ」
*
「ふーん、今度の夢シリーズは時代劇なんだ」
昨夜の僕の夢の話を聞き終えた彼女ちゃんの感想はそんな感じだった。
「ふーんってそれだけ?」
「源兵衛さんにあげた薪って榾木でしょ?」
彼女ちゃんの言う通りだった。僕はその男(源兵衛)を知っていた。会ったことはない。ただ、史実として知っていたのだ。
「わかった? 千怒の浦の源兵衛って人は椎茸の人工栽培を最初に始めた人だといわれている。炭焼きだった源兵衛は炭焼き用の薪に椎茸が生えていることを見て人工栽培を思いついたんだ。源兵衛が大事にしているのを見てこれはって思ったんだ」
「ご領主様も実在の人?」
「そうだよ。毛利高慶公は佐伯藩第6代藩主で有能な人材の登用や殖産興業政策の推進で藩政改革を行った名君だよ。椎茸栽培を奨励したかまでは記録に残っていないけど」
「本当に僕君は椎茸に関することはくわしいね」
「まあね。戦うためにはまず敵を知らないと」
「でも、よかったの?」
彼女ちゃんは何を不思議に思っているのだろう?
「だって、僕ご老公が褒美に榾木を返してあげたから大分が椎茸王国になっちゃったんでしょ? お金とか別のご褒美にしてあげればよかったのに」
「やだなぁ、これは夢の話だよ。僕が夢で源兵衛に榾木を取り返してあげなくたって大分が椎茸王国って事実は変わらないよ……何その顔は?」
彼女ちゃんは裏切られたような顔をして僕を見ている。
「それにね。苦しむ領民や頑張ろうとしている源兵衛たちを応援してあげたいって思ったんだよ」
「うん! 僕君、格好いい!!」
気を取り直した彼女ちゃんが飛びついてきた。
彼女ちゃんに褒められて僕もうれしい。
僕は椎茸が食べられない。
だが、大分が椎茸王国なのは僕のおかげだ。控えおろう!
参考資料:①姫野一郎商店HP
②「あゝ人生に涙あり」水戸黄門主題歌、作詞:山上路夫
第33話は僕君の夢シリーズです。あの大人気時代劇シリーズが僕君の世界とどのように結びつくのでしょうか。定番の肌色シーンの描写はありませんのであしからず。
作中の登場人物(レギュラー以外)は実在もしくは言い伝えに残されている人物です。こんなことがあって椎茸王国は築かれたのだろうなという作者の想像のお話です。温かい心でお目こぼし頂ければと思います。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




