32.駆け引き
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
あれからイケメン君とは飲みに行くようになった。別に進展するような仲ではない。仕事が遅くなった日、互いに予定がないときに「行くか?」「行こう!」って、その場のノリで飲みに行く。二人ばかりではない。TLさんが一緒だったり、たまにはPMさんが来ておごってくれたりする。
その日は、小局さん(若いほうのお局さん。とはいってもまだ29歳だ。)が、一緒だった。定時を2時間ほど過ぎた頃だった。小局さんに話しかけられたのだ。
「ねえ、B子さん。今日もイケメン君と飲みに行くの?」
「さあ、約束はしていませんけど」
イケメン君狙いの小局さんは私とイケメン君の仲が気になるみたいだ。
「誘ってみます?」
「えっ? いいよー、そんなー」
本当は行きたいくせに。女社会は本当に面倒くさい。
「イケメン君、まだかかるの?」
時刻は午後8時を回っている。
「このメール打ったら終わり。B子は?」
「呼び捨てにするな。私も、もう終わる」
「じゃあ、軽くいくか?」
「いいけど。小局さんが手伝ってくれたんだ。一緒でもいい?」
嘘だけど、こうでも言わないと同行させる理由がない。本当はネットサーフィンしていただけだけど。繁忙期だろうが閑散期だろうがいつも定時で上がる小局さんが8時まで残っているのをイケメン君も不審に思っていたようだ。さすがに飲みに行くためだけに無駄な残業している人とは仲良くできないだろう。
「わかった。じゃあ、TLさんも誘うよ。10分後にロビーで」
「りょ!」
どうやらイケメン君は小局さんを一人で相手するつもりはないようだ。
「カシスオレンジ1つと生5つ!」
「えっ?」
私のオーダーに小局さんが戸惑っている。簡単な鶴亀算です。乾杯で1杯飲む人と2杯飲む人それぞれ何人いるでしょう?(1)
「言ったじゃないですか。割り勘ですから、かわいらしく飲んでたら損しますよ」
小局さんには私たち(主に私だ。イケメン君には10戦して10連勝中である。)のペースのことは伝えてある。完全割り勘(さすがに100円以下の端数くらいはイケメン君が出してくれる。今日はTLさんもいるのでもう少し多く出してくれるかも)で驕りはなしだとも話した。「ご馳走もしてくれないなんて」と私に対する警戒は解けたようなのでそれはよかった。けど、いつもこの先輩は人の話を聞いていないのだ。
「「「「乾杯―っ!」」」」
ごくごくごく
「ぷはーっ! うめーっ!」
「仕事の後の一杯はたまりませんな」
乾杯直後に一息でジョッキを空け、2杯目に取り掛かる私たちに小局さんは軽く引いていた。ちゃんと働いていたらビールもおいしいのですよ、先輩。
かわいらしくカクテルをちびちび飲む小局さんをよそに私たちは杯を重ねた。TLさんも今日は1杯差くらいで頑張ってついてくる。
「いやーん、私、ホヤたべられな~い」
「じゃあ、俺もらいます」
イケメン君が小局さんの突き出しの小鉢を掻っ攫っていく。
「ありがと~」
「ホヤ、美味いっすね!」
「日本酒が欲しくなりますね」
「ここチェーン店だけど獺祭(2)ありますよ」
「じゃあ、大徳利2本、お猪口は3つでいいかな?」
シナを作る小局さんを誰も相手にしない。それでも私が一番年下なのでお猪口は4つ頼んでおいた。仲間外れにするわけにはいかない。
「わたし~、日本酒飲んだら酔っぱらっちゃう~」
「まあ、酒ですからね」
「無理して飲まなくていいですよ。すいませーん、お銚子2本追加で!」
ここまで相手にされないのもかわいそうになる。
「はい、お冷です。お酒強くないのでしたら、水飲みながら飲めばだいぶ違いますよ」
小局さんにチェイサーを手渡してあげる。先輩の面倒を見るのはガラじゃないのに
「ありがとう、B子ちゃん」
ぞわっとした。ちゃん付けされるなんて初めてだ。これはやっぱりアシストしろということだろうな。
「小局さん、今日の口紅、ハイブランドの新作ですよね」
「いやだ~、わかっちゃった?」
「イケメン君、あのブランドに商材売り込んでなかったっけ?」
うちの会社は輸入原料を化粧品メーカーに納めている。
小局先輩、アシストできるのはここまでですよ。
「ああ、原料だから入っているかもな」
「ええーっ、すごい!」
「小局さん、箱あります?」
「うん、あるけど……」
私は箱を受け取ると箱書きの成分表を示してあげた。
「化粧品は全成分表示が義務付けられているんです。この中ではこれがうちの卸した原料です」
「そうなんだ! すっごーい!」
「でも、あのブランド、ダメですよ。トップブランドですけど原料に金掛けないから」
「イケメン君はそれで苦労したもんな」
サポートしてくれたTLさんがイケメン君を労う。けれど小局さんには通じなかった。
「ええっ? でも、ハイブランドだよ。イケメン君すごいじゃない」
「ブランドにプライド持つのはよいことだと思いますよ。でも、肝心なのは商品です。金使うのはCMばっかりで商品にはさっぱりですからね。担当者は乗り気になってたのに上が新材料使うのに尻込みしちゃって。結局、セカンドティアが先にヒット出して、それでようやっと採用ですから」
「老舗に胡坐掻いているところは保守的だからしょうがないよ。俺たち新興は本国のネットワークを生かしてスピードで勝負しなくちゃ」
「でも、あのハイブランドじゃないですか~?」
有名ブランドであっても内情を知っていればありがたみもない。小局さんにはその辺の感情が共有できないようだ。
「次に狙いたいのは異業種参入のあのブランドですね」
「あそこはスキンケアだろ」
「それがメイクアップに手を出すらしいんです。新規参入だから目玉になる新材料が欲しいんじゃないですかね」
「新規参入で規模はどうなんだい?」
「本体がでかいですからね。しょぼいことはやらないと思いますよ」
「B子さんはどう思う?」
「あの会社、新株発行するという噂です。まだ発表されていませんけど、それが新事業の投資のためだったら期待してよいのでは?」
「むーっ……」
やってしまった……聞かれたからつい答えてしまったけど、会話に一人取り残された小局さんが機嫌損ねてしまった。
「運転手さん、これでお願いね」
帰りがけTLさんは運転手さんにチケットを渡すと小局さんをタクシーに押し込んだ。2軒目以降に付き合うつもりはないようだ。
「それじゃ、気をつけて帰って」
もっと騒ぐかと思ったけれど、小局先輩は何かに納得したようにおとなしく帰っていった。
*
翌日、階段の踊り場でイケメン君とお局さんが話しているのを見かけた。意外な組み合わせ。珍しいこともあるものだ。
*
「B子さん、ちょっといいかしら?」
ある日、出社したところを待ち構えていたお姉さま方につかまった。小局さんはいない。だが、話を聞いていたのだろう。面倒くさいことになるだろうなと覚悟した。
「なんでしょう?」
「B子さん、あなた、本当はイケメン君のこと狙っているのでしょう?」
「小局さんがイケメン君のこと好きなこと知っているでしょう? それなのにひどいわ」
ここは小学校か? あまりに幼稚な会話にため息が出た。
「知ってますよ。だから、飲み会にはお誘いしましたし、会話のアシストもして差し上げましたが私の力不足でした」
それでだめなら私の手には負えない。本人の問題だ。ところが、お姉さま方もそう思っていたようだ。
「あなた、小局さんのこと、イケメン君に脈がないと知っていたでしょう?」
「…………」
答えられないわたしの態度は肯定と受け取られたようだ。
「言いにくいことはわかるわ。でも、ダメなものを後押ししても意味がないでしょう。はっきり教えてあげることも優しさよ」
「そうよ。イケメン君はB子さん狙いだから無駄ですって」
!?
「秘密だった? でも、無駄よ。お局ネットワークを舐めないことね」
完全に見誤っていた。マークは外したと思ったのに……
「それでB子さんはどうするの?」
「悪くは思っていないのでしょ?」
「その話ならお断りしました」
「保留にしているだけでしょ?」
「今でもあんなに仲良くしているじゃない。そんなのフったとは言わないわよ」
ぐうの音も出ない。私だって嫌いなら一緒に飲みに行ったりしない。
「で、でも、こんな女子力低い私がイケメン君なんかと……」
言い訳をする私にお姉さま方はこれ以上なく優しく微笑んでくれた。
「B子さん、ここにお座りなさい」
姿見の前の椅子に座らされると結っていた髪をほどかれた。
「いつもひっつめ髪ばかりなんだから。たまには遊ばせてあげないと」
「メイクも無個性だものね。素材はいいんだから、ちょっと足せば印象変わるわよ」
「お化粧なんて私が頑張っても笑われるだけですから……」
「大丈夫、あなたに似合うように仕上げてあげるから」
「で、でも、せっかくしてもらっても自分でできませんし……」
「ワンポイント足すだけよ。教えてあげるから。簡単だからすぐに覚えられるわ」
「B子ちゃんはクールなイメージだから、目元にアイライン引けばだいぶ違うわよ」
「つけまつげはやりすぎかな? マスカラぐらいでちょうどいいか」
「瞼にハイライト入れたら……」
「チークは薄めに……」
お姉さま方にもてあそばれた。
「小局もね。わかっているのよ。イケメン君とは合わないって。だから、気にせずぶつかっていきなさい」
「いつもB子ちゃんには相談に乗ってもらうばかりだったから、たまには先輩らしいところも見せてあげないとね」
正直、嫌われていると思っていた。自分のことは話さず、社内恋愛にも興味を示さない。本当に興味がなかったからだけど、先輩方からすれば付き合いにくい後輩だっただろう。それが同じ土俵に降りてきたのだ。私はみんなのおもちゃB子ちゃんにされてしまった。まあ、いじめられるよりましだけど。
*
ようやく解放され、よろよろと更衣室から出たところで出社してきたイケメン君と鉢合わせてしまった。タイミング最悪。
「よ、よう……髪型変えたんだ……なんか印象変わるな……」
今の私は髪を降ろし、毛先をふわっと遊ばせている。目元にアイラインを引かれマスカラも付けた。鏡で見たけど自分でも驚くくらい目元が色っぽい。自分じゃないみたい。身体が熱くなる。はずかしい……
驚いているイケメン君のネクタイを掴むと給湯室に引きずり込んだ。
「……あんたがこんな策士だとは思わなかったわ」
「……ナンノコトデショウ?」
バレバレだ。先日の小局さんも今朝のお姉さま方も違和感だらけだ。誰かが裏で糸引いていたに決まっている。犯人はお前だ!
「その髪型も似合うぞ」
「ほどいただけだよ」
「メイクも」
「私は興味ない」
「俺は興味あるぞ」
「うるさい! 笑えばいいじゃなっ……」
減らず口を叩く私の唇がイケメン君に塞がれた。
どのくらいたっただろう。イケメン君の唇が離れた。
「お前がそんなに取り乱すとはな。すまない……」
イケメン君の言う通りだ。人の話なら冷静に面白がっていられるのに、自分のことだと全く平静じゃいられない。心臓がバクバクして言うことを聞かない。まるで自分の体じゃないみたいだ。
わかっている。昔から私は一歩引いて物事を見ていた。自分は主人公ではないのだと、そう思い込んでいた。だから自分のことは本気になれない。本気じゃないふりをしている。本当は自分だってヒロインにあこがれているくせに……
「お前って言うな。イケメン君にセクハラされたって訴えてやる」
「セクハラじゃないぞ。嫌がられていなかったからな」
「ファーストキスだったのに……」
「ごちそうさま。大切にする」
「あなたのじゃないでしょ! それに約束破った」
「約束?」
「飲み負かせたら考えてあげるって言ったのに……」
*
「それで堕とされたんだ」
「堕とされてない。はめられたのよ」
「はめられたって……もうしちゃったんだ」
「Aちゃん、Cちゃん、そういうことじゃないと思うよ」
B子ちゃんに呼び出されて久々に集まったわたしたちだけど驚いた。髪を降ろしてウェーブかけて、メイクもばっちり。いつもの義務でしてますっておざなりなお化粧じゃなくて、クールなBちゃんの魅力を引き出すメイクだ。外見もそうだけど目立つのが嫌いで自分のことより人の話ばかりだったB子ちゃんから自分の恋の話を聞かされるなんて。思わず涙ぐむ。
「彼女ちゃんもお願いだから、ちゃんと話をきいて!」
「でもさ。それだけイケメン君も本気だったんだろ? 普通に口説いてもB子は堕ちないから」
「ちょっとうらやましいかも」
「Bちゃんにもそういう気持ちあったんでしょ? そんな約束していたのに何度も飲みに付き合うって」
ああ、ああそうですよ。私、B子はイケメン君に食べられました。
まあ、イヤじゃなかったけど……
(1)の解答
6杯のグラスを4人で飲みます。6-4=2 なので、残り2杯分、2杯飲む人がいます。なので乾杯で2杯飲む人は2人。全員で4人ですから2杯飲む2人を引いた4-2=2 で2人が乾杯で1杯飲む人です。
答:2杯飲む人が2人、1杯飲む人が2人。
(2)山口県の酒造メーカー旭酒造株式会社が作る日本酒のブランド。従来の日本酒醸造の概念を覆して匠頼りの製造現場の旧弊を改め、杜氏を置かずIT(情報技術)で匠の技術を極めて作られる人気の一品。
第32話では彼女ちゃんのお友達のB子ちゃんが同僚のイケメン君に口説かれるお話でした。いつもクールなB子ちゃんの意外な一面が見られます。
今話ではシータケはお休みです。32話も続けていれば椎茸嫌いエピソードも尽きようというものです。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




