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僕は椎茸が食べられない  作者: 灰色シオ
第1章 僕と彼女の日常
3/43

2.ハンバーグ

 僕は椎茸が食べられない。

 好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。

 このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。

 シイタケ(椎茸、香蕈、学名:Lentinula edodes、英語:Shiitake, Shiitake mushroom)は、ハラタケ目キシメジ科に分類されるキノコである。異説では、ヒラタケ科やホウライタケ科、ツキヨタケ科ともされる。(ウィキペディアより抜粋)


 なんと椎茸の英語名はShiitakeなのだ。つまりあれは日本でしか食べないマイナーなキノコなのだ。なのになぜ英語にまでしてしまったのだろうか。Fujiyamaみたいに日本人でもテンション上がるような存在でもない。Samurai、Ninja、Geishaのようにエキゾチックを感じさせるようなものでもないだろう。MangaやAnimeのようにクールジャパンの代表でもない。Sushi、Sukiyaki、Tenpuraのように万人に好まれる和食という訳でもあるまい。Wasabiを舐めてWao! ツーンと来た。ウケる! みたいな感じで、Shiitake! Ugh! この吐き気がたまらねえぜ! みたいなノリなのだろう。まったく……あれを日本の代表的な味付けと勘違いされては堪らない。椎茸の英語名をShiitakeと名付けた人は鰹節(かつおぶし)や昆布に謝ってほしい。


     *


「椎茸にはレンチオニンっていう有機硫黄(いおう)化合物が含まれていて、それがシイタケ独特の香りの成分なんだよ。有機硫黄成分だから身体が受け付けない人も多いんだって」

 いつも通りの通勤の道すがら、彼女ちゃんが言った。

 もちろん僕は知っていた。敵の研究は(おこた)らない。生きていく(サバイバルの)ために僕は必死なのだ。

「レンチオニンには血小板凝集能を阻害する効果があるから、私の仕事的には血栓症になりやすい中高年の人には可能なら食べてほしいところだけど」

 彼女ちゃんが恐ろしいことを言い出した。

「でも、まあ嫌いなものを無理やり食べても身にならないからね」

 それを聞いて安心する。

「それでね。レンチオニンは芳香(ほうこう)成分だから、細かく刻んだりすると余計に出やすいんだよ。だから、嫌いな人に細かく刻んで食べさせようとしてよくやるけど逆効果なんだ」

「そういえば、お母さんはハンバーグに刻んで入れたことがあったなあ」

 遠い目をする。朝の日差しが(まぶ)しい。

「ミートソーススパゲティとか」

「麻婆豆腐にも……」

「逆効果だったけどね」

 彼女ちゃんの言う通りだ。


 大抵の子供はハンバーグが大好きだろう。僕もそうだった。そんな子供の純情を踏みにじるような真似を当時のお母さんはしたのだった。

 嫌いじゃない人には言ってもわからないだろう。あの自己主張が強く、何とあわせても椎茸味に汚染してしまう協調性のなさを。99%美味しいもので構成された料理でも、あれが1%混ざるだけで台無しになってしまうあの残念感を。

 お母さんは同じ茶色の食材だから細かく刻んで混ぜちゃえばわからないでしょうと気軽にやらかしたようだけど、やられたほうは堪らない。当然吐いた。

 大好きだったハンバーグに裏切られたようなものだ。あれ以来、僕はハンバーグも食べられなくなった。給食で出たときは喜ぶ同級生を尻目に恐るおそる隅っこを齧り大丈夫だということを確認して、ようやっと食べられるのだ。何の心配もなく喜んで食べたあの頃にはもう戻れない。僕の子供時代はこうして終わったのだ。


     *


 学生の寄り道の代表的な場所はバーガーショップだろう。僕はそこでも頑なにハンバーガーを拒み続けた。頭ではわかっている。チェーン店のハンバーガーのパティに椎茸など入っていないことを。でも、ハンバーグだというだけで安心してかぶりつくことができないのだ。かぶりつけないハンバーガーに存在価値などない。

 高校の頃、彼女ちゃんや友人たちとバーガーショップに行ったとき、僕の定番はポテトとコーラだった。

 しかし、それも安心できる選択ではなかった。

「ご注文はポテトのLとコーラのL、以上でよろしかったでしょうか」

 その日、いつも通りの注文をした僕に顔なじみとなっていたバイトのお姉さんがオプションを薦めてきた。

「ただいま期間限定キャンペーンでポテトにチリ、BBQ、和風からお好きな味のシーズニングをお付けしておりますが、どれにいたしましょう?」

 まさかそんなことはあるまいと思いつつ好奇心と警戒心から僕は質問した。

「ちなみに和風味って?」

 お姉さんはにっこり嬉しそうに満面の笑顔で答えてくれた。

「はい。今が旬の大分日田産干椎茸(ほししいたけ)をふんだんに使ったお勧めのいっぴ……」

「プレーンで!」

 最後まで言わせなかった。


 こういう店のキャンペーンでは必ずハズレがある。むしろ、ハズレを食べさせることで、普段の味がよりおいしく感じられる。そんなことを狙っているのではなかろうか。だが、それにしてもひどすぎる。なんだか店内が椎茸臭く感じられる。

 それからキャンペーンが終了するまで僕はバーガーショップに寄りつかなかった。


     *


「今朝もお残しをしちゃったなら今晩はどうするの?」

 椎茸を残すとお母さんは機嫌を損ねる。それを取り返すかのように夕飯に反動がくる。具体的には夕食のメニューが大分メニュー、全てが椎茸入り、椎茸オンパレード、椎茸満漢全席、椎茸フルコース、椎茸酒池肉林となるのだ。つまり、僕が食べられるものは出てこない。僕は生き残るためにも勝てない勝負はしない主義だ。

「先輩に付き合ってもらって外で済ませて来るよ」

 僕は指導係でもある会社の先輩を思い浮かべた。営業2課のエースでもある先輩は肉食だ。比喩ではなく言葉そのままだ。ご飯は食べるけど野菜は食べない。蕎麦に入っているネギですら残す。先輩なら「焼き肉行きましょう」と言えば付き合ってくれるはずだ。


「おばさんに連絡しなくていいの?」

「連絡したら明日の夕飯に順延されるだけだよ」

 それに僕がいなかったら妹がおいしくいただいてくれるはずだ。

「妹ちゃんがいれば大丈夫か……ところで先輩さんと約束してないなら今晩うち来る?」

 彼女ちゃんが誘ってくれた。

「そうさせてもらおうかな」

 僕はリスクを避けることにした。もちろん彼女ちゃんと一緒にいられるのがうれしいからだ。他意はない。

「パパも喜ぶよ」

 パパこと彼女ちゃんのお父さん、お隣のおじさんも椎茸が嫌いだ。僕の気持ちをわかってくれる同志だ。僕が行くと喜んでくれる。僕もおじさんが好きだ。

「僕君は何が食べたい?」

「ハンバーグ!」

 僕は彼女ちゃんが作るハンバーグが大好きなのだ。


     *


 幸い、今日は定時で上がることができた。彼女ちゃんとの約束があるので駅からの足取りも軽い。ウキウキしながら僕は彼女ちゃん家のインターフォンを鳴らした。

「おじゃましまーす」

 いつものようにリビング向かったところでおじさんに捕まった。

「僕君……謝って!」

「へっ……? なにがですか?」

「娘ちゃんがね。ハンバーグ作ってくれているんだけど……だけどなんか笑顔が怖いんだ……」

 慌てて僕は台所に向かった。


     *


 まず、()き肉を用意します。バーガーショップで使うパティはビーフ100%を売りにしているところも多いけど、あれはソースをたっぷりかけるハンバーガーだから。ハンバーグならかぶりついたときの肉汁じゅわ~が僕君の好みなので今日は合い挽き肉を使います。スーパーで売っている合い挽き肉は牛:豚の割合が7:3か6:4くらいが一般的。肉汁感を出したいときは6:4を使うか、豚挽き肉を足すとよいでしょう。

 みじん切りにした玉ねぎをフライパンで炒めます。お塩で下味をつけ、飴色(あめいろ)になってきたところで火を止め、バットに移して冷まします。

 玉ねぎを冷ましている間にパン粉を牛乳に浸しておきましょう。

 手を流水で洗い、そのまま30秒さらします。手がよく冷えたところでタネを作ります。ここからは時間との勝負。冷凍庫で凍る寸前まで冷やしておいた挽き肉をボウルに移してお塩を少々。体温でタネが(ぬく)むと肉の(あぶら)が溶け出してしまうので冷やしながら手早く混ぜることがコツ。お塩がお肉のたんぱく質を分解して粘りが出るまでよくこねます。粘りが足りないと焼いているときに表面が割れて肉汁が漏れてしまうのでそこはしっかりと。十分に粘りが出たら、冷めた玉ねぎ、ふやかしたパン粉と卵を加えてさらに練ります。

 タネができたら、ハンバーグの形にまとめましょう。手を洗いもう一度流水で冷やします。粘りが出たタネはくっつくのでサラダ油を塗った手でタネを一人前ごとに取り分けます。両手でキャッチボールするようにパンパンと投げて空気を抜きましょう。形を整え、表面を(なら)したら、火が均一に通るように真ん中を親指で押して軽く(へこ)ませます。これで仕込みはOK。後は焼くだけ。

 フライパンにサラダ油を熱し、ハンバーグを中火で3分。焼き色がついたら裏返してさらに2分焼きます。表面を焼き締めて肉汁が漏れないように。後は蓋をして弱火で5分。


 よし。いい感じ。

 ハンバーグをお皿に移し、電子レンジで蒸かした温野菜を付け合わせに盛り付ける。作っておいたコンソメスープをカップに移し、お茶碗にご飯をよそいましょう。

 あとはソースを作れば完成です。


 フライパンに残った肉汁に赤ワインを加え、ひと煮立ちさせてアルコールを飛ばします。バターを溶かしてケチャップを大匙一杯。マッシュルームを加えて……あら? マッシュルームがありませんね。うっかりしてました。しょうがない。別のキノコで代用しましょう……

「彼女ちゃん……何してるのかな?」

 代用品を刻もうとしたわたしは手を掴まれた。あら、僕君に見つかっちゃいました。

「もう、せっかちなんだから。パパが見てるじゃない。ぽっ」

「ぽっ、じゃないよ。そりゃ、おじさんも気になるだろうよ。今、何しようとしてた?」

「マッシュルームソースを作ろうとしていたのだけど?」


     *


 彼女ちゃんが手にしているのはどう見てもマッシュルームではない。その名を口に出すのもおぞましいあのキノコだ。

「そうそう、マッシュルームが切れていてね。それで代わりに椎茸を……」

「……」

「あっ……間違っちゃった。ごめんね」

 彼女ちゃんがうっかり間違えちゃった理由は先日のあれだろうな。


 先輩とご飯に行くとリスクが高い。ご飯だけで解散になればいいけど、二次会三次会に連れまわされる危険がある。僕もお酒は弱いほうではないから飲むだけならいいけど、お姉さんのいる店に連れていかれると大変だ。なぜか彼女ちゃんにはバレる。何故だかわからないけど必ずバレる。別にやましいことがあるわけではない。お酒を飲んでおしゃべりをするだけだ(小柄で童顔な僕は「きゃー、かわいーっ!」とか言われて膝の上に乗せられたり、頭をなでなでされたりするけど、それは僕のせいじゃない。たぶん……)。けど、そんな日の彼女ちゃんは機嫌が悪い。うっかり間違えて椎茸料理を出してしまう程度には機嫌が悪い。


「ごめんなさい。この間は先輩に無理やり連れていかれて……でも、僕が行きたいって言ったわけじゃないよ。それに、お酒飲んでただけだから……」

「なんのことかな? 僕君の言ってること、全然わからないよ」

 彼女ちゃんの笑顔がなぜか怖い。

 ギリギリで救出できた彼女ちゃんお手製のハンバーグだけど、僕は食べていて全然味がわからなかった。



 やっぱり僕は椎茸が食べられない。



 このお話にはところどころで料理に関する記述が含まれます。全部とは言いませんがほとんどの料理は作者の体験済みです。彼女ちゃん解説のハンバーグも作りました。手間を惜しまずよくこねることがコツです。おいしかったです。椎茸入りハンバーグは……もちろん幼いころのトラウマです。椎茸に関する内容の90%は作者本人が体験した実話をもとに書いています。私怨が込められているのでお見苦しい部分があろうかと思います。特定の地方の方には不快な思いをさせてしまうかもしれません。お詫びを申し上げます。温かい心でお目こぼし頂ければと思います。

 本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。

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