28.決別宣言
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
「ええーっ! ひ、飛行機に乗るの? わたし、パスポート持ってないよ!」
二人でお泊りということに舞い上がって、彼女ちゃんに行先を伝えるのを忘れていた。彼女ちゃんもそれどころじゃなかったようだし。
「大丈夫、パスポートなくても行けるところだから。はい、チケット」
「ち、ちなみに行先は?」
「別府温泉」
そうなのだ。僕たちは敵の本拠地に攻め入ろうとしているのだ。
*
先月、僕は20歳になった。誕生日のお祝いに彼女ちゃんがご馳走を作ってくれた。なぜ誕生日だというのに彼女ちゃんの家に来ているかというと、家にいるとお母さんが椎茸ケーキとか焼いてくれたりしちゃうから……
20歳の誕生日を祝ってもらい楽しく食事を済ませた後、おじさんとビール(初めてのお酒)を飲んでいると彼女ちゃんがふてくされた。
「ふーん。そんなにお酒美味しいんだ。大人っていいね。彼女のことほっとくくらい飲みたいんだ……」
娘の発する不穏な空気を察しておじさんは僕を開放してくれた。
「お部屋に行こう……」
彼女ちゃんに引っ張られて僕は彼女ちゃんの部屋に向かった。
これはもしかして……男の夢というやつではないだろうか。彼女ちゃんが自分にリボンを結んで「プレゼントは、わ・た・し」ってやつが……
そんなことあるわけなかった。
当たり前だ。階下にはご両親がいるのだ。
「でも、本当にあれだけでよかったの?」
僕は誕生日プレゼントに彼女ちゃんの手料理を所望した。いつも食べさせてもらってはいるんだけど、それが僕の20歳の誕生日にはふさわしいと思ったんだ。期待に応えて彼女ちゃんは豪勢な誕生日料理を作ってくれた。ローストチキンなんて丸のままオーブンで焼いたやつが出てきた。下手なプレゼントより高くついたんじゃないのか?
それでも彼女ちゃんは不満だったらしい。
「僕君、ほかに何か欲しいものとかないの?」
「それじゃあ、一つだけお願いしていい?」
僕は彼女ちゃんの好意に甘えることにした。
「いいよ。なんでも言って」
「来月の彼女ちゃんの誕生日に……温泉に行かない?」
「はい?」
唐突だったろうか。僕の誘いに彼女ちゃんは驚いていた。
「温泉ランド? あのときは楽しかったね」
彼女ちゃんは高校の卒業旅行にみんなで行ったレジャー施設のことだと思ったらしい。
「そうじゃなくてちゃんとした温泉。泊りで……」
僕と彼女ちゃんが恋人になったのは中学の卒業式の後だからもう4年になる。だけど、彼女ちゃんとの付き合いは生まれてからだから20年だ。あまりにも長く一緒にいすぎたせいで一向に恋人らしくならない。今度こそ、その停滞を打ち破るのだ。
「やりたいことがあるんだ」
「……やりたい……の? ぽっ……」
顔を赤らめる彼女ちゃん。
勘違いされたようだ。
「そ、そうじゃなくって。それももちろんあるんだけど。やってみたいことがあるんだ。一緒に来てくれないかな。だから、誕生日に温泉旅行をプレゼントさせてほしい」
僕は今の生活にうんざりしていた。この前、ドクターと話してはっきりわかった。努力するフリはもうやめようと思った。そのためのけじめをつけたいと考えたのだ。でも、一人では不安で、彼女ちゃんに一緒にいてほしいと思ったのだ。
「う、うん……いいよ」
僕の気持ちを彼女ちゃんが理解してくれたかはわからない。でも、OKしてくれた。
「そうだよね。わたしたちももう大人になるんだから……」
*
「やってきたぜ、敵地に」
飛行機を降りるとアウェーの空気に僕君がいきがっている。そのサングラスも似合ってないから。
さすがはシータケ王国大分。気のせいか空港の空気まで椎茸の香りがする。お土産物コーナーには椎茸専門店が3軒も並んでいて干椎茸や椎茸ジャム、椎茸の甘露煮、椎茸の佃煮などさまざまな椎茸製品が所狭しとならんでいる。ゆるキャラなのだろうか椎茸をモチーフにしたタケシー君人形はちょっとかわいい。僕君は臭いを嗅いだだけで気持ち悪くなったみたい。
大分空港から高速バスで別府市内へ。朝一で出てきたのでチェックインにはまだ時間がある。別府地獄めぐりをして時間をつぶすことにした。路線バスのフリーきっぷを購入し、いざ、地獄めぐりへ。
地獄めぐりというくらいなので別府温泉には地獄と呼ばれる源泉がいっぱいある。具体的には7つくらい。地獄は海地獄エリア(海地獄・鬼石坊主地獄・かまど地獄・鬼山地獄・白池地獄)と血の池地獄エリア(血の池地獄・龍巻地獄)二つのエリアに分かれている。共通観覧券を買ってまずは海地獄エリアに向かう。
見るだけなら2時間余りで回れるのだけど、急ぐ必要もない。共通観覧券は2日間有効なので残りは明日回ればよいのだ。わたしたちは観光したり足湯に浸かったりのんびり過ごしていた。名物地獄蒸しプリンはおいしかった。
そんなことをしているうちに日が傾いてきた。バスに乗ってホテルに向かう。予約したホテルは普通の観光ホテルだけどお風呂がすごい。大浴場、展望露天風呂だけでなく内湯まである。すべて温泉だ。
夕食までお風呂に入ることにした。これからのことを考えるとドキドキが止まらない。下着はちゃんと新しいのを持ってきた。今日のために買いそろえたかわいいやつだ。よろこんでくれるといいな。
念入りに体を洗う。気持ちを抑えながらゆっくり温泉を楽しんだ。
部屋に戻ると、僕君は先に戻っていた。浴衣姿の僕君にドキドキしてしまう。格好いい。
「いいお湯だった。ありがとう、僕君」
ベッドに掛ける僕君の隣にわたしも並んで座った。
ふにふに
僕君がわたしのほっぺに手を伸ばす。僕君は緊張しているときわたしのほっぺに触りたがる。僕君も緊張しているのだろうか。恥ずかしくなって立ち上がった。
「あっ……」
大丈夫。逃げないから……でも、まだ早いから。もうちょっとだけ待ってね。
わたしは誤魔化すように言った。
「ねえ僕君、お腹空かない? ごはん食べに行こ?」
*
大分のホテルのディナーには2つのコースがあるのだそうだ。一つは外からきた人向けの地元食材をふんだんに使ったポピュラーなコース。関アジ関サバ、大分地鶏など大分の美味しいものがふんだんに使われているものだ。もう一つは地元料理コース。もう説明の必要もないと思うけど、大分といったらこれ、椎茸三昧コースだ。予約した僕君はもちろんポピュラーコースを頼んでいた。それだけでなく電話してWITHOUT椎茸でと念押ししていた。わたしたちは麦焼酎のカボスソーダ割りで乾杯した(カボスは大分の特産品だ)。初めてのお酒を楽しみながら食べるそれらの料理はとてもおいしかった。
大分にもおいしいものはたくさんある。わざわざ無謀なチャレンジをしなければみんな楽しめるはずなのに
別府温泉は世界的にも有名で海外からの観光客も多い。このホテルのお客さんも3割ほどは外国の人だ。わたしたちの隣のテーブルで食事をしていた外国人カップルは何を勘違いしたか大分椎茸三昧コースを頼んでいた。
「コノ地鶏チキンはトッテモジューシー。スバラシイワ!」
「コノ関サバのマリネもサイコーだ。ショーチュースピリッツがススムゾ!」
旺盛な食欲で出てくる料理を片っ端から平らげてゆく。
「デリシャス。オイシカッタワ」
「コレデオワリジャナイゾ」
「ホワット? ワタシモウオナカイッパイヨ」
「ココデ、コノ、シータケマッシュルームをタベルンダ」
「タベルト、ドーナルノ?」
「タベレバワカル」
ぱくっ
「Ugh!! OH, my GOD!」
「ワハハ、スゴイハキケダロウ!」
カップルは席を立つとトイレに駆け込んでいった。
やがて戻ってきた二人はすっきりとした顔で言った。
「オナカスイチャッタワ」
「ソウダロウ。ブンゴビーフノステーキを1ポンドツイカシヨウ」
「アラ、ソレモオイシソウ」
「ソウダロウ。シータケをタベレバ、フトルシンパイナシにイクラデモディナーをタノシメルノだ」
「スバラシイワ。オミヤゲニシータケをタクサンカッテイキマショウ」
……
それ、ぜったい椎茸の使い方、間違ってるから
*
いろいろあったけど、わたしはその晩、僕君と一つのベッドで寝た。一緒に寝るのは小5のとき以来だ。剥き出しの背中に直に僕君の体温を感じる。今はそれがとても幸せ。恥ずかしいので背中を向けていると僕君は後ろ抱きにわたしのおっぱいをふにふにしてくる。ほっぺより気持ちいいみたい。でも人前ではだめだからね。
「人前じゃなければいいんだ!?」
興奮した僕君ががっついてくる。もう一回するの? まあ、いいけど♡
わたし何か間違えたかな……
やっぱり来てよかった。
温泉は気持ちよかったし、料理もおいしかった。それになんといっても僕君と本当の恋人になれた気がした。それでも内湯に二人で入るのはちょっと恥ずかしかった。夜景を見ながら入る露天の内湯は全部見られちゃう。前にも二人でお風呂に入ったことはあったけど、あれは子供のときだったし……あの頃と違って僕君のアレが立派な椎茸に育ってて……
*
二日目は昨日見られなかった血の池地獄エリアを見て回った。竜巻地獄での待ち時間にジェラートスタンドでわたしは椎茸ソフトを食べてみた。バニラソフトに椎茸ジャムが掛けられている。興味本位で頼んでみたけどやっぱり微妙な味だ。僕君は嫌そうな顔をしてカボスシャーベットを食べている。お口直しに一口もらった。こういうことするのは本当に恋人みたい。でも、僕君はわたしの椎茸ソフトには口を付けてくれなかった。
竜巻地獄の間欠泉はびっくりした。
ゴゴゴゴゴゴ……
地鳴りのような音がしたかと思うと爆発したようにブワーっと間欠泉が吹き上がるのだ。いきなり吹き上がるからびっくりして僕君に抱き着いてしまった。僕君も優しく抱きしめてくれた。
すごい迫力だった。滝のような水音に周りの音が聞こえなくなる。
突然、僕君が叫んだ。
「椎茸なんか大嫌いだーっ!」
えっ? なになに……
耳元で僕君が教えてくれた。大きな声じゃないと聞こえない。
「ここでは誰にも聞かれないから、心の声を叫ぶんだ!」
周りの人たちも何かを叫んでる。ナイアガラの滝みたいなそういうイベントなのだろう。
なるほど。これが僕君のやりたかったことか……まったく、子供なんだから
「お前なんか二度と食わないぞーっ!」
椎茸嫌いを克服しようと頑張ってきた僕君だったけど、もうそれを許して自分と折り合いをつけることにした。なら、わたしはそれを応援するだけだ。
「そんな僕君もだいすきーっ!」
*
「それで? 椎茸の本場に乗り込んでおきながら一口も食べずに、捨て台詞を吐いて逃げ帰ってきたんだ。ダメじゃん」
あれ? 何一つ間違っていないけど、なんか伝わっていない。
旅行の口裏合わせを頼んだA子ちゃんにお土産のタケシー君人形を渡すついでに報告に行ったら、そんな感想を言われた。
「もういいの。椎茸食べられなくたって生きていけるんだから」
「まあ好き嫌いなんてあるもんだろうけどさ」
A子ちゃんだってパセリ食べられないままじゃん。
「私はいいんだよ。でも、あいつん家、それで済むの?」
A子ちゃんは僕君のお母さんのことも知っている。その心配は当たっているけど
「大丈夫。わたしが食べさせてあげればいいだけだから」
「やることやっちゃうと違うね。もう嫁気取り?」
口裏合わせを頼んだからにはすっかりバレている。いつか、Aちゃんのときには仕返ししてあげるからね。
僕君はやっぱり椎茸が食べられない。でも、そんなところも好き。
第28話はついに僕君が彼女ちゃんと結ばれるお話でした。初心な二人も大人の階段を一つ上りました。ところで彼女ちゃん、僕君のアレが椎茸って……そこは松茸じゃないかな?
このお話にはところどころで料理に関する記述が含まれます。私怨が込められているのでお見苦しい部分があろうかと思います。特定の地方の方には不快な思いをさせてしまうかもしれません。お詫びを申し上げます。温かい心でお目こぼし頂ければと思います。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




