27.解放者(マッドサイエンティスト)
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
カチャ
ドアに鍵が掛けられた音に僕は振り向いた。
「なんで鍵をかけるんです?」
「決まっているじゃないか。飛んで火にいる夏の虫を逃がさないためさ。ヒヒヒっ」
来て3秒で僕は後悔していた。
*
僕は『好き嫌い』が専門の准教授先生の紹介で心療内科のドクターのところに来ていた。ドクターは医大の先生であったが、正確には医大病院の勤務医で大学の医学部の所属ではないそうだ。あまりないことだけど、特殊な専門の場合、病院として外部招聘することがあるらしい。だからドクターは医者ではあっても先生ではないのだそうだ。
「馬鹿な学生の面倒を見なくて済むしね。ぼくにとっても都合がいいのさ。ヒヒっ」
奇妙な笑い方をするドクターに僕の後ろに隠れて彼女ちゃんが怯えている。
「准教授先生の紹介で来ました。ドクターは『好き嫌い』を治せると伺いました」
「ん? ああ、准教授ちゃんね。どう? 彼女元気にしている?」
「ヒっ……」
「はい。お元気です。ドクターは准教授先生と共同研究をしていたと伺いました。親しいのですか?」
怯え切ってドクターと似たような悲鳴を上げる彼女ちゃんに代わって僕が答える。一応、説明しておくと大学病院の医者だけあってドクターの外見は普通だ。細身の体に白衣をまとい、清潔感ある格好をしている。七三に撫でつけられた髪型も普通だ。だけど、顔がヤバい。銀縁の眼鏡の奥の目は大きくはないのだが、眼球がやたらと動く。グリグリ動いてどこを見ているのかわからない。グリグリっと全てを見逃さないようにしているのか、それとも何も見ていないのかだ。
はっきり言って気持ち悪い。
「ん? ああ、そうだったね。共同研究! 確かにしていたよ」
准教授先生は話を振っておきながら、紹介を躊躇っていたけれど、なるほど。理由はわかった。
「あれは面白かったなぁ。彼女との議論も面白かったけど、ぼくは彼女と1回しか会ったことがないんだ。ディスカッションはいつもメールかチャットでね。呼んでも来ないし、電話にも出てくれないんだ」
その理由はもっとわかる。
「まあ、とにかく彼女から話は聞いているよ。治せるかは話を聞いてみないとね。君はいったい何が食べられないんだい?」
「はぁ、椎茸ですけど」
「椎茸!! いいね! 最高だよ!」
椎茸と聞いて興奮しているドクターが怖い。後ろで彼女ちゃんはほとんど失神している。
「では、問おう。君は何故、あんなものを食べたいのかね」
!?
「その前に、ドクターは椎茸食べるんですよね?」
「食べないよ。だって臭いじゃん。准教授ちゃんは大好きだったけどね」
「あんたは、自分が嫌いなもの他人に食べさせるんかーい!」
思わず全力で突っ込んでしまった……
「嫌だな~ 食べたいって言ったのは君じゃないか。イヒヒっ」
その通りなので何も言い返せない。
「別に食べる必要ないと思うけどね。彼女からも治せとは言われてないし」
「えっ?」
*
「話が食い違っているみたいだから、まずはぼくたちの共同研究について話そう。ぼくたちが研究していたのは『好き嫌い』を治す方法じゃない。なぜ、『好き嫌い』が起こるのかだ。これは生き物としての存在にかかわる重要な問題なんだよ。今でこそ、食べ物を捨てても罪悪感を抱かないほどの飽食の時代だけど、世界の別の文化圏ではいまだに餓死者が出ることは知っているかい。この国においてだってほんの数十年前には普通に餓死者が出ていた。それが当たり前だった時代があるんだ。君たちが生まれる前だから実感ないのは仕方ないけどね。失礼な! ぼくだってそんな時代知らないよ!
でもね。そんな食べられなければ死ぬかもしれない状況でも『好き嫌い』はあったんだ。生存本能を凌駕する食への嗜好。これが何を意味するか。ぼくには疑問だった。このテーマを彼女から投げかけられたとき、思わず「エウレカ!」と叫びたくなったよ。研究者に最も必要な資質は知識や情熱なんかじゃない。努力なんてくそ喰らえだ! 研究者に最も必要なのは『何がわかっていないか』を把握するセンスだ。テーマを見つける能力こそが最も必要なものなんだ。知識など提起された問題を解く道具に過ぎない。情熱なんて解決するためのただの燃料だ。給料でも名誉でも代わりになる。努力など、ただの工数だ。実験なら別に自分でやらなくてもいいだろう。金と暇を持った凡人がやればいいことだ。そんな作業に過ぎないものは研究じゃない。世界を変える不思議を見つけ、解明することが研究なんだ。そしてそのセンスが彼女にはある。だから、ぼくは共同研究を受けたんだ。
少々、脱線したね。そう、共同研究のテーマは『好き嫌い』が何故起こるかだ。最初のアプローチは『好き嫌い』がもたらす不利益についてだった。場合によっては利益すらあるかもしれない。『好き嫌い』が生命の本質にかかわる問題ならその個体に必ず影響が出るはずだ。ぼくたちはそう考えた。だが、それは全くの期待外れだった。もちろん、『好き嫌い』のために親に怒られた、だの、『好き嫌い』する奴は人格が歪んでいると揶揄される、だの社会的なデメリットは除いてだ。栄養学的、医学的見地からのデメリットについてだ。これが、あきれるくらい全くなかった。あったかな、と思っても実はアレルギーだったりして、疾患によるエラーを除くと全くデメリットが存在しなかった。もちろん、メリットもなかった。つまり、『好き嫌い』で偏った要素は別のどこかで補完されてしまうんだ。
えっ? ああ、違う違う。怠惰による飽食や偏食は対象外だ。3食きちんと整えた上での『好き嫌い』の影響の話だよ。引きこもって主食がポテチとコーラの生活では実験にならないだろう。まあ、ぼくもそんな生活に近いけどね。論文の〆切り間際は、睡眠は2日で4時間、食事はカロリーメ〇トとユン〇ルのみ。そんな生活を1か月ぐらいは続けるからなあ。
次に考えたのは『好き嫌い』のバックボーンだ。血液型、遺伝、思想全てを調べた。だが、これも外れだ。地域性や文化圏には期待したんだけどね。見事、かすりもしなかった。その他とも試行錯誤したよ。これといって引っかかるものはなかった。
でもね、ぼくたちはいい線いっていたんだ。間違っていたのは質問の相手だ。幼児期に何を食べたかなんて本人に聞いてもわかるものじゃないさ。当たり前の話だね。
だけどね。これは単純な話じゃない。母親が人参好きだからって子供が人参好きになるとは限らない。そんな単純なことだったら、世の中から『好き嫌い』をなくすことなど簡単だ。量じゃないんだ。この要素をぼくたちはアフィリエイトファクターと名付けた。要はいかに食べたいと思わせるかだ。
結論から言えば『好き嫌い』を生む素地として母親(場合によっては父親だったり祖父母だったりする)の料理にかける意欲が関与していた。料理上手なら『好き嫌い』が出ないかといえばそうではない。料理嫌いでジャンクフードばかり与えているのも『好き嫌い』を増やしてしまう。適当に料理をこなして、適当に気を遣う。こういう母親が最も『好き嫌い』を出さなかった。500人のサンプルを2,000人まで増やしてもその傾向は変わらなかった。確信したよ。何事もほどほどが一番良いのだと。
思い当たることはあるかい? 君の母親は? そうか。料理上手だったようだね。そういう母親は料理に自信があるから意地でも食べさせようとする。当の子供のことより結果を気にしてしまうんだ。君はどうだった? 椎茸を食べさせようといろいろな工夫をしなかったかい? それらは無駄な努力……いや、悪くするための最悪を引き起こすだけなんだけどね。もちろん慣れもある。無理やり食べさせられているうちに抵抗が薄れることもあるだろう。結果からすると5%は改善した。癖の少ない野菜が多いね。人参、トマト、キュウリなどは改善した例として多く見られる。だけど、臭いの強いもの、滋味つまり苦味の強いものはダメだね。味覚の育ち切っていない幼児ですらそうなんだよ。味覚が完成した大人が治るわけないだろう。
つまり、ぼくが癒すのは嫌いなものを無理やり食べさせられたというトラウマや嫌いだけど食べなければいけないんだという思い込みだよ」
*
ドクターの話は腑に落ちるものだった。物心ついた頃から僕は椎茸がダメだった。『好き嫌い』以前に吐き気がしてしまう。なのにお母さんが食べさせようとするから食べなくてはいけないんだと思い込んでいた。小学校に上がるころには吐き気を堪えることはあきらめていた。とりあえず飲み込めればそれでいい。後で吐けばいいのだと開き直っていた。今だってそうだ。別に椎茸を好きになろうだなんてこれっぽっちも思っていない。一人前になるためには椎茸くらいこなせなくてどうする。そういった義務感、思い込みで何とかしたいと思っていた。
『何とか』ってなんだ?
「准教授ちゃんはなんて言ってた? 思い出してごらん。『好き嫌い』を治すとは言わなかったはずだよ」
2か月前、心療内科を勧めてくれた准教授先生のことを思い返す。
「『本気で椎茸嫌いに悩む現状を変えたいと考えるならいい心療内科の先生を紹介するよ。』先生はそうおっしゃいました」
彼女ちゃんが答えた。
そうだ。先生は『好き嫌い』を治すとは言わなかった。現状を変えるって……
「そうだろうね。『好き嫌い』をなくす科学的必要性は皆無だから。嫌いなものを嫌々食べる必要なんてないのさ。そんなの百害あって一利なしだ。科学者の考えることじゃない」
「それじゃ、先生は何のためにドクターを紹介したんですか? 僕君に何をさせたいの?」
「それは当の本人が自分で決めることだよ。ヒヒっ」
彼女ちゃんの言葉にドクターは出会ってから一番の真剣な表情で答えた。
「僕君、君には2つの選択肢がある。一つは深層心理に『自分は椎茸が好きだ』と偽の情報を上書きすること。催眠療法の一種だ。平たく言えば洗脳だね。それでレンチオニンによる吐き気は8割方誤魔化せる。思い込みによって脳を騙すんだ」
「もう一つは?」
「もう一つはあきらめること」
「へっ!?」
間抜けな声が漏れた。
それでは何のためにここに来たのかわからない。何のために今まで頑張ってきたのか。何のために……
あれっ、僕は頑張ってきたのかな? その場をごまかせれば、後で吐き出せばいいと諦めていなかったか
「いいんじゃないの。無理して食べる意味なんてないんだから」
「ドクターは僕君がこのままでもいいと思うんですか?」
彼女ちゃんが怒ったような声でドクターをなじる。でも、ドクターは動じない。
「思うよ。ぼくだって椎茸なんか食べないし」
「いいんですか?」
「勤務医としての立場で言えばよくないね。諦めたら治療に通ってくれなくなるじゃん。催眠治療に1年くらい通ってもらって洗脳すれば治療費稼げるし、病院の実績にもなるしね。ヒヒっ」
ドクターは本気のかけらもない表情でそう言った。
「治療と称していろいろな実験できるチャンスだったかな。でも、そんなのは病院以外の誰の得にもならない。ぼくは貴重な時間を潰されるし、国はムダな保険料の負担をすることになる。君は貴重な時間とお金をドブに捨て、その結果、食べたくもない椎茸を食べるようになる。本当に君がやりたいのはそんなことかい?」
「ドクターは椎茸を食べることが悪いことだというんですか?」
「そんなことはない。君が本当に椎茸を好きになりたいのならね。でも、君は違うだろ? こんな不味いもの、本気で食べたいと思ってるの? こんなナメクジみたいなものを。ぐにゃっとしてぐじゅっとしてぐしゃっとした気持ち悪いものを。本当に食べたいと思うのかい?」
「ああーーーーーーーーーーーーっ!」
ドクターの煽りに乗せられてしまった。やっぱり僕は
「椎茸なんか大っ嫌いだーっ!!!!!」
「あっはっはっは!」
ドクターは大爆笑してくれた。それは最初に見せた引き笑いではなく。心からの大爆笑だった。彼女ちゃんはむくれていたけど。
「それでいい。君は自分の本心と向き合うことができた。これにて治療は終了だ」
お礼を言ってドクターの居室を後にした。ドクターは治療と言っていたけど会計に行ったら患者ではなく来客扱いになっているとのことで治療費は取られなかった。
見かけによらずドクターは名医なのかもしれない。結局、椎茸を食べられるようにはならなかったけれど。すっきりした。僕は椎茸を食べたくない。それが本心だ。それが自覚できただけでも来てよかった。
「先生の紹介だったけどバカみたい。気持ち悪かったし、キモかったし、マジキモかったし、生理的に受け付けなかったし……」
彼女ちゃんにはすこぶる不評だった。
僕は椎茸が大嫌いだ。
第27話は椎茸嫌いを克服しようと僕君が准教授先生に紹介された心療内科を訪問するお話でした。実際にこんな先生がいたらやだなぁ。まあ、いないでしょうが。でも、心に傷を負ってまで嫌いなものを食べなければいけないんでしょうか? 作者はそうは思いません。頑張れ僕君!
このお話にはところどころで料理に関する記述が含まれます。私怨が込められているのでお見苦しい部分があろうかと思います。特定の地方の方には不快な思いをさせてしまうかもしれません。お詫びを申し上げます。温かい心でお目こぼし頂ければと思います。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




