25.チャレンジ
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
今日、僕は彼女ちゃんの大学に来ている。僕たちは大学2年生になった。
いくら僕がなよっちくても男子学生が女子大に入るのには抵抗があった。それで彼女ちゃんに正門まで迎えに来てもらったのだが
「だから、気にしすぎだって」
確かに受付で住所氏名に行先と来訪の目的を書かされたけど、それほど不審がられなかった。思ってた以上に学内に男性の姿が見える。
「先生や事務の人たちの半数以上は男の人だもの」
「でも、ほら。あそこにいる連中はどう見ても学生だろ」
「ああ、他学との合同サークルの人たちね。ちゃんとした目的と理由があれば入場できるよ。うちの子たちは周りの大学から人気が高いから。サークルの勧誘もよく来るし」
そうなのだ。彼女ちゃんが通う女子大はかわいい娘が多いと僕の大学でも有名だった。女子大に彼女がいると知られると僕は合コンを開くよう頼まれることも多かった。あの一度きりで以降すべて断っているけど。
彼女ちゃんに連れられて僕は家政学部棟に向かった。4階建ての3階、手前から実習室、資料室、講義室が並ぶ。真ん中ぐらいまで進んだところで彼女ちゃんが部屋のドアをノックした。
「どうぞ」
「失礼します」
彼女ちゃんについて僕も研究室のドアをくぐる。
出迎えてくれたのは背が高く髪の短い40歳くらいの女の人だ。家政科の先生としてイメージしていたのとはだいぶ違う。エネルギッシュで威圧感のある人だった。
「いらっしゃい。話は聞いているよ」
准教授先生はそう言って出迎えてくれた。
栄養学教室の准教授である先生の専門は『好き嫌い』なのだそうだ。
「『好き嫌い』とは奥が深いんだ。今のように食べ物に恵まれていなかった時代にも『好き嫌い』は存在した。場合によっては命に係わる重大な問題だ。『好き嫌い』はアレルギーとも違う。同じ環境で育っても必ず個体差が生まれる。私は未来に起こるかもしれない環境の変化に対応するため、嗜好を多様化させる種の本能によるものではないかと考えている。だから、『好き嫌い』はある意味、自然なんだ」
そんな専門の准教授先生だから、彼女ちゃんは未だ結論を出せないでいる僕の参考にならないか相談しようと連れてきてくれたのだ。
「君は椎茸が食べられないと聞いたが、食べたとき体が痒くなったり、蕁麻疹が出たりしたことは?」
僕らに椅子を勧めた先生はお茶を一口飲むと質問を始めた。
「ありません」
「アレルギーではないようだね」
「椎茸にもアレルギーがあるのですか?」
彼女ちゃんが驚いた。
「あるとも、原因はわかっていないけどね。むしろ生物由来の物質でアレルギーにならないものなどそうはないよ。それじゃ嫌いな理由は?」
アレルギーを確認した先生は質問を続けた。
「嫌いというか、食べられないんです。吐き気がして。実際に吐いちゃいますけど」
「味や見た目とかではないんだね」
「味は嫌いというほどではないです。食べるとどうしても吐き気がするので嫌な気にはなりますけど。見た目はそれほど気にならないです。まあ、ナメクジみたいだなとは思いますけど」
「身の入っていない椎茸出汁のお吸い物は?」
「無理です。吐いちゃいます」
「食べられないのは子供のころから?」
「そうです。物心ついた頃から受け付けなくって吐いていました」
「少しずつでも慣れてきたとかは?」
「ないです」
「子供の頃に嫌いだと思うと体が覚えてしまって思い込みから吐き気を感じることはあるけど、食わず嫌いになっていることは?」
「それもないです。母が大分人なので毎日食卓に出てますから。今でも毎日吐いてます」
「大分人か~。やつら非常識なまでの椎茸中毒だからな……」
先生は頭を掻いた。
「結論から言おう。私では君の力になれない。どうしても克服したいのなら心療内科の医者にでもかかることだね」
『好き嫌い』の専門家にもさじを投げられてしまった。
「椎茸はどの世代においても嫌いな食べ物ワースト3に入る食材だが、『椎茸嫌い』の理由は科学的に解明されている。見た目と臭いだ。見た目は誤魔化すことができるが、臭いはそうはいかない。椎茸は他の菌類が吸収しない硫黄を吸収するという特徴がある。硫黄はそのままなら臭わないが、椎茸の体内でレンチオニンという有機硫黄化合物に変わる。レンチオニンが椎茸臭の原因物質だ。たいていの原因物質はほかの食物で慣れるものだが、レンチオニンは椎茸にしか含まれないので椎茸以外で慣れることができない」
「でも、僕君は20年毎日のように椎茸を食べ続けて慣れてません。どうしてですか?」
先生の言葉に彼女ちゃんが質問した。
「だから、私の手に負えないと言ったんだ。味覚が発達するまでに慣らしてしまうのが手っ取り早いのだが、大分人に育てられても定着しなかったんだ。僕君の体はレンチオニンに慣れられるものなら既に慣れているくらいには摂取していると思う。それなのに20年も食べ続けて吐き気が止まらない。それは肉体より心因的な問題が大きいと診るね」
「心因的って?」
「トラウマとかPTSD(心的外傷後ストレス障害)とかいうやつだよ」
心当たりはある。ありすぎる。
「たいていの母親は子どもの『好き嫌い』をなくそうと無駄な努力をするものだけど、大分人の母上はどんな椎茸料理を作ってくれたんだい?」
「ハンバーグとか……」
「細かく刻んで姿がわからないようにしてタネに入れたんだね? それから?」
「ミートソースとか……」
「刻んで挽き肉と一緒に炒めたのか。なるほどなるほど。それから?」
「麻婆豆腐とか……」
「あっはっはっは……」
ついに先生は笑い出した。こっちは忘れたい過去を無理やりほじくり返しているというのに……
「先生、笑い事じゃありません!」
「いや、失敬失敬。でも、これで確信が持てたよ。今、君が挙げたメニューは椎茸をより嫌いにさせるメニューベスト3だ。君も大変だったね」
先生に同情されてしまった。
「素人が考える苦手克服メニューのほとんどは効果がないか、悪化させるものばかりだ。ネットで公開されている栄養士ではない料理研究家と名乗る連中の考案するレシピも同様だ。彼女らは本当に嫌いな人の気持ちがわからないんだ。そのうえ不勉強と来ている。一流のシェフや板前なら絶対にそんなことしない」
「理由があるんですか?」
「もちろん、あるとも。科学的根拠がね」
怒る彼女ちゃんに笑いを治めた先生は真面目な顔で答えてくれた。
「椎茸の臭いの素であるレンチオニンは細かく刻むほど外に出てくる。香味を出すのににんにくを刻んだり潰したりするのと同じことだ。表面積を大きくしたり細胞をつぶしたりするほど成分が放出されやすいのはわかるだろう? そのうえレンチオニンは水には溶けないが、油には溶ける性質がある。ただでさえ嫌いな臭いをたっぷり抽出しておいて油に乗せて口いっぱいに広めるんだ。嫌いな子には堪らないだろう。トラウマにもなるはずだよ」
「納得しました。そのときのことを思い出すので今でもハンバーグが好きじゃありません。ハンバーガーショップに行ってもハンバーガーを頼みませんから」
僕の言葉に先生は深くうなずいた。
「うん。大変だったね。ただ、さっきも言った通り君の体はレンチオニンにも慣れていてもおかしくないと思う。だから、僕君が椎茸を食べられないのは心因性である可能性が高い。本気で椎茸嫌いに悩む現状を変えたいと考えるならいい心療内科の先生を紹介するよ。以前、『好き嫌い』について共同研究をした医者がいるんだ。彼なら心因性『好き嫌い』について理解があるし悪くはしないはずだ」
考えますとだけ僕は答えた。
「そうしたほうがいい。それが必要かどうか親御さんともよく相談しなさい」
無理押しせず先生も頷いてくれた。
「私にできることはないでしょうか?」
出番がなかった彼女ちゃんが質問した。もともと彼女ちゃんは先生の知恵を借りれば僕の椎茸嫌いを克服できるのではないかと考えた。先生に本人の話を聞かないと何とも言えないと言われて僕を連れてきた。ところが解決にならなかった上、出番もなかったのだ。彼女ちゃんはしょげていた。
「ああ、君は僕君の恋人だったっけ。そうだなぁ、干椎茸じゃなくて生椎茸を食べさせてやれば? 干椎茸は生椎茸の5倍臭いが出るという報告がある。生椎茸なら少しはましなんじゃないかな?」
「生椎茸ですね」
「“どんこ”といわれる傘の巻きが強く肉厚でぷっくり丸いものがいい椎茸だ。軸が太くて短いほうがいい」
「試してみます」
「そうしなさい。『好き嫌い』の大きな理由の一つとして本当に美味しいものを食べたことがないということもあるんだよ。本物を食べて美味しいと思ったら『好き嫌い』なんて一発で治るよ」
先生の話を聞いていてある疑念が僕の胸の中に浮かんできた。
「先生は椎茸や大分人の食生活にお詳しいですけど、どちらのご出身ですか?」
先生はにやりと笑った。
「大分だよ。私の生まれは大分は竹田だ」
やっぱり……
「いい先生だね」
帰り道、感謝の気持ちを込めて彼女ちゃんに言った。解決にはならなかったけど、何か納得できた。すっきりした気分だ。
「そうでしょう。授業もとっても面白いの。学部に上がったら先生のゼミに入りたい」
大好きな先生を褒められて彼女ちゃんは嬉しそうだった。
*
その日の晩御飯は彼女ちゃんの家でご馳走になることにした。学校からの帰りにデパ地下の青果物コーナーで新鮮な椎茸を買ってきた。彼女ちゃんは目を皿のようにして一番いい椎茸を選んでくれた。僕は10mほど離れた隣のブロックからそんな彼女ちゃんを見守っていただけだったけど。
「娘ちゃんの手料理だからな。いけるはずだ。愛があれば大丈夫……なはずだ」
さっきからおじさんがぶつぶつ呟いている。自分に言い聞かせているようだ。
夕飯時、僕は帰ってきたおじさん巻き添えにして夕飯ができるのを待っていた。椎茸が嫌いなおじさんだが、娘(彼女ちゃん)に
「『好き嫌い』って本当に美味しいものを食べたことがないのが原因なんだって。今日先生に聞いてきたの。だから、今日は期待してて。スーパーのじゃなくてデパ地下で買ってきた1本千円の椎茸だから」
と言われてしぶしぶ付き合うことになった。
それにしても1本千円って高すぎないか? 松茸じゃないんだから。
「さあ、召し上がれ」
彼女ちゃんに勧められて僕は箸を取った。ホカホカと湯気を立てている椎茸のバター焼きを見つめる。バター醤油の香りが食欲をそそる。
「あら、美味しいわ。やっぱりデパートのものは違うわね」
「そうでしょう」
おばさんと彼女ちゃんが喜ぶ会話を聞きながら僕はおじさんと顔を見合わせた。
「おじさん、食べないんですか? 娘さんの手料理ですよ」
「僕君のために作ってくれたんだろう。君からどうぞ」
僕たちは覚悟を決めた。す~は~ がぶっ
「「…………」」
ガタッ
椅子を蹴倒すと僕とおじさんはトイレに向かってダッシュした。上座に座っていたおじさんより一瞬早く僕はトイレに駆け込んだ。おじさんがドアをドンドン叩くが構っていられない。僕だって限界なのだ。
「おぇぇぇぇっ……」
*
「ごめん。娘ちゃんの手料理が美味しくなかったわけじゃないんだ」
「そうだよ。とっても美味しそうだった」
僕とおじさんは渾身の手料理を吐かれて涙ぐむ彼女ちゃんの前に並んで土下座していた。
「でも……レンチオニンが……」
「レンチオニンが……悪いんだ……」
やっぱり僕らは椎茸が食べられない。
第25話はいよいよ僕君が椎茸に決着をつけるために動き出すお話でした。彼女ちゃんがそのために頑張ります。初登場の准教授先生ですがかっこいい大人の女性っていいですよね。憧れます。
このお話にはところどころで料理に関する記述が含まれます。生椎茸って干し椎茸より臭くないといわれますが、やっぱり椎茸です。
椎茸に関する内容の90%は作者本人が体験した実話をもとに書いています。私怨が込められているのでお見苦しい部分があろうかと思います。特定の地方の方には不快な思いをさせてしまうかもしれません。お詫びを申し上げます。温かい心でお目こぼし頂ければと思います。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




