22.進路
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
僕たちは高校2年生になった。
サッカー部に入っている僕は相変わらず補欠のままだ。体格負けしない二郎はサイドバックでレギュラーになった。中学の頃とは違い全部で70人もいる部だ。高校サッカーでは中学のときほど簡単にペナルティを取ってくれない。僕がレギュラーになる日は来ないだろう。それでも部活は楽しかった。勝つ気力もないチームより補欠であっても勝とうとするチームのほうが張り合いがある。
そんな補欠の僕でも彼女ちゃんは差し入れを持って応援に来てくれたりする。そのせいで1年のときは先輩の当たりが強かったけど、彼女ちゃんがD美先輩と仲良くなると風当たりも止んだ。同情すらされた。まじ、D美先輩やべぇ。
D美先輩が卒業してからABCが部活に参加するようになり彼女ちゃんは楽しそうに過ごしている。入学前は悩んでいたこともあったけど、D美先輩に吹っ飛ばされたようだ。それでいいと思う。
でも、僕は先輩の宿題をこなせていない。嫌いなら食べなければいいと言われても、食べなきゃいけないというお母さんのプレッシャーから逃げ続けている。食べたふりして後で吐くより始めから食べないほうが自然だろう。でも、それができない。楽なほうに逃げてしまう。椎茸を食べなければいけない。そう思い込んでいるのは僕だ。
*
「それで相談て何? 彼から避けられているってこと? それなら私たちに力になれることはないわ」
料理部の部活の最中、わたしが持ち掛けた相談にB子ちゃんはズバッと切り込んできた。胸が痛いけどそのほうが気は楽だ。Bちゃんには嫌な役ばかりしてもらってる。
「うん……まあ、それに関係することなんだけど。僕君とのことはわたしが何とかする。でも、そのためにできることを相談に乗ってほしいの」
Bちゃんは黙って頷いた。AちゃんもCちゃんも一緒だ。
わたしは全部話した。D美先輩の手紙のこと。わたしは救われたこと。食べなければいい、逃げてもいいと言われて僕君の闇が深くなったこと。全部話した。
「あのいかれた先輩、まともなことも言うじゃん」
生徒会庶務としてE美先輩から料理部担当を引き継いだA子ちゃん(一応料理部員でもある。)が言う。なんで料理部担当!? もうD美先輩はいないのに?
「D美先輩の直弟子のあんたがいるからよ」
直弟子って何!? 一子相伝なの? 北斗神拳なの?
「去年の文化祭やらなんやらで二人で散々やらかしたでしょう。共犯と思われてるわよ」
何も言い返せない。どうやらわたしは学校のやばいやつ指定を受けてしまったみたい。
「それにしても、あの変態(D美先輩)どういう思考回路しているのかしらね。途中をすっ飛ばして核心だけ突けるっていうのは」
Bちゃんが言うことは相変わらず厳しいけど、正しいと認めているのだろう。
「でも、どんなに悩んでても他人のせいにしないのは僕君らしいな」
Cちゃんの言う通りだ。僕君は自分が椎茸嫌いでも椎茸を食べる人のことを悪く言ったりはしない。椎茸を食べられないことを自分だけの悩みだと理解しているからだ。
「でもそれは、結局はあいつが自分でどうにかしなければいけないってことだ」
突き放すA子ちゃんにB子ちゃんが言い返す。
「それは正しいけど、彼女ちゃんへのアドバイスにはならないわ。要は彼女ちゃんが僕君にしてあげられることは何かってことでしょう?」
ありがとうみんな。私ひとりじゃわからないの。
「それは置いといて、彼女ちゃんの悩みは解決したのか? 本物じゃなきゃダメだとかなんとか」
A子ちゃんはわたしのことを心配してくれる。小学校の頃からいつもそうだ。
「それはもういいの。今の気持ちが本物かどうかは育ててみなければわからないから。結果が出るまでわからないなら、今、手放しちゃダメだと思ったの」
「そうね。その通りだと思うわ。本物に育つのか、時間をかけて本物だと証明するのかわからないけど。諦めたらどちらにもならないわ」
「うん。だから今は考えるのはやめる。わたしも僕君ももっと経験を積んで気持ちが固まったら自然にわかることだと思うようにする」
B子ちゃんはいつも冷静でわたしのふわふわと曖昧な気持ちを言葉に直してくれる。だから、Bちゃんに納得してもらうとわたしはすごく安心する。
「彼女ちゃんがそうなら僕君だって同じじゃないかな?」
「どういうこと?」
「だからね。彼女ちゃんが今、結論を出さなくてもいいのなら、僕君だって我慢して椎茸を食べるのか、我慢をやめて椎茸を食べるのをやめるのか、今、結論を出さなくてもいいんじゃないかな……?」
Cちゃんはわたしの至らないところに気付いてくれる。だからすごく頼りになる。
「一時保留ってことか」
「いいんじゃない。16年もそれでやってきたんだし、今すぐ決めなくてもいいと思うわ」
「それじゃあ、わたしは何をすればいいの?」
「決まってるよ。彼女ちゃんは側にいてあげればいいんだよ」
わたしは友達に恵まれた。
Cちゃんの言う通りだ。子供の頃、私が泣かされたとき、僕君は側にいてくれた。何も話さなくても僕君が側にいてくれただけでわたしは元気になれた。勇気をもらった。頑張れた。
なら、今度はわたしが力になる番だ。
*
「今日は夕飯うちで食べて行って。ママがそう言ってるの」
彼女ちゃんにそう言われると僕は逆らえない。ママではなく彼女ちゃんが言っているのだとわかっている。でも、中学の頃、僕がつらかったとき彼女ちゃんに何度となく助けられた。いまさら、もういりませんとは言えない。
彼女ちゃんは強い。悩むこともあったけど、結局は自分で解決した。友達や先輩など近しい人にアドバイスをもらって飲み込んだ。いいアドバイスをくれる人と仲良くなるのも本人の力だ。彼女ちゃんはすごい。
それに比べて僕は全然だ。とりあえず椎茸を丸呑みしておけば、後で吐こうがお母さんには知られない。やり過ごすことができる。本気で克服しようなんて気はさらさらない。なのに、食べたくないから出さないでくれと言う勇気もない。僕は逃げているだけだ。
わかっているのにやっぱり僕は逃げた。彼女ちゃんの家でご馳走になれば椎茸を食べなくて済む。食べたくないと言わなくても済む。だから、僕は彼女ちゃんの誘いに頷いた。
夕飯をご馳走になった後、僕は彼女ちゃんの部屋に誘われた。宿題を一緒にやろうと言われたら断れなかった。悩みを自分で克服した彼女ちゃんは眩しすぎる。一緒にいたくない。一人にしてほしい。でも断れなかった。ここでも僕は逃げている。
「僕君、問1の答え違ってるよ」
「えっ!? あっ……うーん……本当だ」
考えがまとまらないまま宿題をしても一向に進まなかった。
「ねえ、僕君は間違えていると思う」
「えっ、どこの問題?」
わかっている。宿題じゃなく僕自身にダメだしされていることを
彼女ちゃんは素敵だ。悩みだって自分で克服できる。それに比べて僕はダメダメだ。逃げてばかりで自分では何もできない。いつも彼女ちゃんに助けてもらってばかりだ。
こんな僕は彼女ちゃんにふさわしくない。彼女ちゃんにはもっとお似合い奴がいるはずだ。だから、僕は身を引いたほうがいい。いつまでも彼女ちゃんの好意に甘えていてはいけない。僕は彼女ちゃんの側にいないほうがいい。いなくなればいい……そうか。死ねばいいのか……
な~んて思うわけがないだろ!!
中学の頃ならわからなかった。でも、今の僕には彼女ちゃんがいる。悩みは解決できていないのだけれど、そんな僕を彼女ちゃんは見守ってくれている。いつか乗り越えると信じてくれている。だから僕はまだ大丈夫だ。いつか解決できるその日まで。まだ耐えられる。彼女ちゃんもきっと同じ気持ちのはずだ。そう思っていた。だけど先延ばしにしている姿勢を不安に思っていたのは僕だけじゃなかった。
どさっ
気が付くと僕は彼女ちゃんに押し倒されていた。馬乗りになった彼女ちゃんの手が僕の首に添えられていた。
「ねえ、僕君、もうやめよう……そんなにつらいのなら逃げちゃおう。椎茸なんて食べなくたっていいんだから」
「……どうやって?」
「おばさまにはわたしが言う。僕君に椎茸食べさせないでって……」
「無理だよ……」
「だったら駆け落ちしよう。わたしが僕君を養ってあげる。僕君は私の作ったものだけ食べて。それなら僕君が悩まなくてすむでしょ。僕君を一人にはさせないよ。死ぬまでずっと一緒だから。何があっても離れない。決めたの。それがわたしの本物だから……」
ハッとした。
僕は彼女ちゃんをどこまで追い詰めていたのだろう。僕の願いは彼女ちゃんの幸せだ。
彼女ちゃんも前に言っていたじゃないか。『好き』という気持ちは自分勝手なものだって。それが正しいって。なら、しっかりしろ、自分! 彼女ちゃんは自分の気持ちで一緒にいる(僕を見捨てない)と言ったんだ。それが自分の『好き』の証明だと。でもそれは僕の気持ちじゃない。僕たちの気持ちはすれ違う。
だけど、それがどうした。そんな状況なら2年前に経験したじゃないか。頑張れ、僕。僕ならできる。二人の気持ちをぶつけて折り合いをつけるんだ。すれ違っているだけで気持ちは一緒なんだ。見定めれば、ぶつけられるはずだ。
僕は馬乗りになっている彼女ちゃんの頭に両手を伸ばし……引き寄せた。
チューっ!
「!?」
彼女ちゃんがジタバタしていたけど僕は逃さなかった。
「手を放してくれるかな?」
「はあはあはあ……それはわたしの台詞なんですけど!」
長い拘束からようやっと逃れた彼女ちゃんは真っ赤になって怒っている。
「ごめん……でも、大丈夫。そんな心配はないから。椎茸のせいで彼女ちゃんとお母さん(嫁姑)の仲を拗らせたくないよ」
「本当に大丈夫……?」
「うん。もう大丈夫。ありがとう」
彼女ちゃんは本当に強い。とても素敵だ。だから僕はそれに見合う男になろうと思う。どうすればいいのかはこれから考えるのだけど。
彼女ちゃんともう一度キスができるのなら、僕はなんだってできると思う。
これが僕と彼女ちゃんのファーストキスだった。
*
「僕君は逃げてもいいんだと思う。わたしも逃げちゃったから」
「そうなの?」
「そうなの」
僕は寝転がったまま彼女ちゃんを抱き締めていた。腕の中の暖かな存在が僕を癒してくれる。言葉を尽くして引き留めてくれる。
「わたしは本当に僕君が『好き』なのかわからないって言ったでしょう。今でもその気持ちが本物なのかわからない。でも、言われたの。育てたら本物になるのか、磨いたらメッキが剥げる偽物なのか、確かめられるのは持ち続けていた人だけ。だから、わたしも持っていることにしたの。どうか本物であってほしいと願いながら」
彼女ちゃんは祈りを捧げるように目をつむった。
「だからね。僕君にもあせって決めてほしくないの。生まれてから16年そうやって生きてきたんだから、簡単には変えられないわ。おばさまを納得させるの大変そうだし。僕君自身決めあぐねているのでしょう? だったらそれは悪いことじゃない。逃げたっていいじゃない。今決める必要はないんだし。どうしようもなくなったら本当にわたしと一緒に駆け落ちしよ?」
「それは魅力的だ。一緒に駆け落ちしたらご褒美にキスしてくれる?」
「もっと優しくロマンチックにしてくれるなら……」
彼女ちゃんは悪戯っぽく微笑む。
「あんな無理やりで暴力的なものはファーストキスとして認められません。やり直しを要求します」
心の中で思う。君はますますD美先輩に似てきたね。
でも、それは口にはしない。君はきっと喜ぶから。
僕だってわかっている。おちょくってくる先輩は本気でうざかったけど、でも、彼女ちゃんをこんなに素敵にしてくれてありがとう。
僕も先輩のことが好きでしたよ。
心に折り合いをつけてしまえば身体も軽くなった。相変わらず僕は控えのままだったけど、交代要員として試合に出してもらえるようになった。後半の短い時間なら当たられる前にスピードで出し抜ける。3年になってもレギュラーにはなれなかったけど2年生エースのスーパーサブとして試合に出るようになった。最期の大会では3回戦負けだった。しかし僕はチーム一の得点を挙げていた。
*
「わたしは女子大の家政学部を受けようと思うの」
3年生になった初夏のある日、彼女ちゃんが言った。それは予想していた進路だった。かの金髪ツインテール先輩(大学生になった今でも金髪ツインテールらしい)の進学先だ。彼女ちゃんは随分慕っていたし、今でも連絡とっているようだし、向いている進路だと思う。
僕としては嫌いじゃないけどあまり係わりたくはない。本当は彼女ちゃんにも係わってほしくない。これ以上変態が移ると僕の手に余る。
「僕は経済か商学部で入れるところを探すよ」
特別やりたいことも得意なこともない僕は無難な選択をした。
「じゃあ、受験勉強頑張らないとね」
「受験勉強もするけど、夏休みどこかに遊びに行かない? 1日くらいいいでしょ? 逃げたって……」
「もう、しょうがないなあ」
そう言いながらも彼女ちゃんは了解してくれた。
高校最後の夏がやってくる。
僕にも一つだけわかっていることがある。僕が椎茸を食べられないのは『本物』だ。
第22話では僕君と彼女ちゃんがうだうだ悩んだ挙句、進路を決めるお話でした。3年生になった僕君の活躍は二郎君視点で書きました(20話参照)が、僕君視点になるとどうもあっさりしてしまいます。椎茸の悩みに比べるとたいしたことないようです。
次回、僕君は彼女ちゃんと海に行くようです。高校生らしい青春の一ページをご期待ください。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




