21.卒業
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
変態の朝は早い。朝5時に起きると身支度を整えて台所に向かう。
タイマーをセットしていたご飯が炊けていることを確認し、ついでに天地返しする。炊きあがってからそのまま放っておくとご飯が固まりふっくらしなくなるのだ。
冷蔵庫の中を確認する。朝食用にアジの開きがある。なら、お弁当には肉がいいかな。鶏肉があるし唐揚げにしよう。ビニール袋に唐揚げ用の鶏肉を入れ、醤油、酒、チューブのおろし生姜を入れて軽くもむ。そのまま30分放置プレイ。
鍋をコンロにかけてからほうれん草を1把取り出し、水で洗う。根っこには土が残っていることがあるのですすぎながら丁寧に。水を切って束を半分に分ける。片方は朝食用のお浸しにして、もう半分はお弁当用に油揚げと炒めよう。ざく切りにしてササっと炒める。油揚げを入れているので油は少し薄めに。出汁醤油で軽く味付け。出来上がったところで、ちょうどお湯が沸いた。お湯に大匙1杯のお塩を加える。ほうれん草の茎の中ほどを輪ゴムでまとめ、束ねた状態でまず根元を茹でる。30秒経ったら全体を落としてさらに30秒。熱で色あせないうちに取り出し、ボウルに張った冷水で冷やす。冷ましている間にフライパンを洗ってしまう。ほうれん草を水から出して軽く絞り輪ゴムを外す。輪ゴムを使うとほうれん草がばらけないので後の処理が楽になるのでお勧め。サクサクと切りそろえる。小鉢に移して鰹節をパラパラ。
お弁当箱にご飯を詰めて真ん中に梅干を乗せる。粗熱を取るまでそのまま放置。あまり冷ましすぎるとご飯が固くなってしまうのでここからは手際よく。
フライヤーの油が中温(180℃)に温まったところで、下味をつけた鶏肉に片栗粉をまぶして揚げる。薄力粉でもよいのだけどでんぷんの多い片栗粉を使ったほうがからっと揚がるのでテンションも上がる。一度に入れすぎると油の温度が下がってしまうので様子を見ながら一つずつ入れていく。1分半から2分。色が薄いかなと思ううちに一度取り出す。バットの上で少し放置。フライヤーのダイヤルを高温(200℃)にセットし直す。丁度、お弁当のご飯が冷めた頃なので蓋をする。休ませた鶏肉を二度揚げする。揚がった唐揚げはキッチンペーパーで余分な油を吸わせておく。
ここまでで6時30分。そろそろいいころあいだ。鍋とお玉をもって2階に上がる。
バーン!
「朝だーっ! 起きろーっ!」
油断すると奴は二度寝するので十分に目が覚めるように鍋をガンガン叩いてやる。
「起きた起きた。起きたからーっ!」
布団から這い出したのを確認して台所に戻る。
そろそろ味噌汁を作ろう。その前にグリルにアジの開きを放り込む。うちの電気グリルは両面焼きなのでタイマーをセットしておけばほっといても焼けるので超楽。
鍋に水を張り煮干しを3匹放り込んで火にかける。頭とワタを取らないと出汁にエグ味が出るので手間だけど欠かせない。沸騰する前に煮干しは取り出す。乾燥わかめを放り込んで蓋をする。冷蔵庫から豆腐を取り出し、手のひらの上でさいの目に。丁度沸騰してきたので鍋に入れる。お味噌を溶いてひと煮立ち。これで朝食は完成。
奴が起きてくるまでにお弁当を詰めてしまおう。100均で売っているシリコンカップはおかずの仕切りに超便利。色とりどりでかわいいしお気に入り。ほうれん草炒めに作り置きのきんぴらごぼう。唐揚げを詰めてもまだ残る隙間をプチトマトで埋める。赤(梅干、人参、プチトマト)、緑(ほうれん草)、茶色(唐揚げ、油揚げ、ごぼう)と色のバランスも良し。
鍋とグリルを洗い、朝食を並べているうちに制服に着替えた奴が下りてきた。
「姉さん、おはよー」
「朝ご飯できてるぞ。早く食べろ。片付かないから」
「うん。いただきまーす」
ダメだ。まだ寝ぼけてやがる。まあ、味噌汁飲めば目が覚めるだろう。毎朝のことだ。
「はぁーっ、おいしいー」
「お粗末さま」
だが、奴は本当に寝ぼけているみたいだった。普段そんなこと言うやつじゃないのに
「姉さんの朝ごはん食べられるのもあと少しね」
「はぁ?」
「だって、受験が終わったらもう卒業じゃない」
「大学に行っても朝ご飯は食べるだろう」
「うーん、私1限目は絶対履修しないから。朝起きたくないし……」
はぁっ!?
この外面野郎の将来が本当に心配になってくる。
「さみしい?」
「心配するな。授業があろうとなかろうと毎朝きっちり叩き起こしてやる」
*
「というのが、変態の毎朝よ」
「どこも変態じゃないじゃないですか!? その完璧超人ってD美先輩のことなんですよね?」
わたしはE美先輩から普段の家でのD美先輩の話を聞いて驚いた。来週、卒業式を迎えるD美先輩にお祝いをしようと思い参考までに普段の先輩の様子をE美先輩に聞いていたのだ。
それにしても毎朝起きて身支度してから1時間で朝食とお弁当を作り、洗いものまでして妹を優しく(?)起こしてあげてなんて超人業だ。わたしにはまねできない。
「それはね。アレの頭の90%が食べ物のことで占められているからよ」
「残りの10%しか使わずに合格しちゃうんだからすごいです」
「何言ってるの。女子大の家政科なんだから食い意地のために決まってるでしょう」
なるほど
「それより寝坊助のダメっ娘てE美先輩のことですよね」
「あまりにも完璧すぎたら親しみがないでしょう」
「なるほど、D美先輩の変態は魅力なんですね!」
「……」
*
明日の卒業式の後、D美先輩には料理部の部室に来てもらう約束をしている。わたしは部屋で一人、先輩に渡すお祝いの包みを確認していた。
この1年、いろいろなことがあった。最初は驚いたけど、お近づきになってみたら先輩は優しくて頼りがいがある人だった。僕君(無理やり入部届を書かされた)とA子ちゃん、B子ちゃんは料理部に入部してくれたけど部活には一度も参加していない。完全に幽霊部員だ。そのうちにA子ちゃんはE美先輩と意気投合して生徒会に入ってしまった。料理部を取り締まる側だ。代わりにC子ちゃんが料理部に入ってくれた。けど、やっぱりD美先輩に恐れをなしてたまにしか部活に来なかった。わたしたちはこの1年の部活を二人っきりで過ごしたのだ。
文化祭の押しかけデリバリーサービスは大変だった。初めは嫌がられたけど、美味しさがわかると注文がひっきりなしでてんてこ舞いだった。あのときのメイド服姿の先輩、かわいかった。
D美先輩の別荘で行った夏合宿では「ジビエ料理を作ろう!」って言いだして、害獣駆除の情報を集めてはイノシシやシカの肉を分けてもらいに行った。18歳になっており免許を取っていたD美先輩が車を出してくれたのだけど、危なくて任せられないと結局E美先輩が運転してたっけ。
秋は先輩の家の山(なんと山を持っているのだ。別荘付き)で栗拾いやキノコ狩り。帰ってきてから料理して食べた。E美先輩や僕君にも食べさせてあげた。
ずっと二人でいたから料理以外の相談にも乗ってもらった。わたしの『好き』が本物かわからないと言ったら笑われた。
「偽物だっていいじゃん。好きなら」
「だって本当に好きか自分でもわからないから……」
「本当かどうかはわからなくても『好き』なんでしょ? なら『好き』なんじゃん」
「それはそうですけど……」
煮え切らないわたしを見る先輩の目が怪しく光る。
あっ、これ絶対いけないこと考えてる……
「彼女ちゃんの言う本物の『好き』ってどんなもの? イヤらしいことしたくなるのが本物?」
「えっ!? いえ……そんなエッチなこと考えてなんか……」
「そんなのお母さんが許しませーん!」
D美先輩はお母さんじゃないでしょ!
「ねえ、彼女ちゃん……私、本気で彼女ちゃんのこと好きなの。だから、いいでしょ……」
……あのときはヤバかった。貞操の危機だった。別荘に二人っきりで泊まっていた夜だったから逃げ場所はないし、本当に全部脱がされそうになったし。
冗談だったと思いたい。
受験を控えた3年生は皆、秋には引退する。一応、文化祭以降はわたしが部長になったのだけど、D美先輩は最後まで部活に参加してくれた。「料理部には大会みたいな区切りがないからね」そう言っていたけどそれは嘘。わたしを一人にしないために顔を出してくれていたんだ。
「さみしいな……」
明日、先輩は卒業する。
*
「「D美先輩、E美先輩、ご卒業おめでとうございます!」」
今日は幽霊部員の僕君もきてくれた。贈り物のお買い物にも付き合ってもらっていた。
「アリガトゥース!」
「私にもくれるのかい? 部員でもないのに……」
D美先輩は変わらない。卒業式だというのにいつもの金髪ツインテールだ。
E美先輩もいつも通りだ。外見は完璧優等生だ。
「E美先輩にもお世話になりましたから。お寝坊の先輩には目覚まし時計です」
「それは助かる。こいつは寝起きが悪くて時計に八つ当たりするから。毎年10個は買い替えているんだ」
「姉さん! それは言わなくていいでしょ」
「それからD美先輩にはエプロンです」
「おおーっ! これは手作りじゃないか!」
包みを開けた先輩はすぐに気付いてくれた。喜んでくれればいいな。
「今度、彼女ちゃんがうちに来るときはこれつけて裸エプロンで待ってるからね」
「やめなさい変態!」
E美先輩の突っ込みが入る。
「下手ですみません。でも、先輩には……先輩……には、ぐしゅ……」
ダメ……せっかく先輩が笑って受け取ってくれたのに……
「先輩には……本当に……ひっく、感しゃひていまふ……らから……しぇんぱい……だいしゅきれひた……」
D美先輩に抱きしめられたら、もう我慢ができなかった。この1年の思い出が走馬灯のようによみがえる。明日からそこに先輩はいない。
「うわーーーーーーーん……しぇんぱい、しぇんぱひ……」
「よしよし、私も大好きだよ」
「ごめんなさい……」
先輩のおめでたい日を涙で汚しちゃった。申し訳なくて顔が見られない。
「大丈夫だよ。こんなに熱烈に愛を訴えられて悪い気はしないから」
先輩は最後まで優しかった。けど、そうは受け取らなかった人がいた。
「D美先輩は耳が悪いんですか。彼女ちゃんは愛してるなんて一言も言ってません。あくまでも先輩に対して感謝を伝えただけです。勘違いしないでください」
「おや? 僕君、妬いているのかい? 勘違いじゃないさ。何せ、私と彼女ちゃんは一夜を共にした仲なんだから」
なんてこと言うんですか先輩!
「嘘だよ、僕君。お泊りしただけだから」
「一つのベッドに寝た仲じゃないか」
「ふんっ、その程度、僕だって何百回とありますが?」
僕君もやめてーっ!
そんな混乱を治めてくれたのはE美先輩だった。
「冗談だから……たぶん。でも、最後に送ってくれたのが君たちでよかった。姉さんも喜んでいる」
「気にするな。彼女ちゃんの体は君のものでも、心さえもらえれば私は十分だから」
だから、先輩言葉を選んでください!
「最後に私からもサプライズ」
D美先輩はわたしに封筒を手渡した。
「私たちが帰ってから読んでくれ。それじゃ! 愛してるよ!」
最後まで先輩は先輩だった。
先輩たちを見送った後、私たちは手紙を開けた。そこにはたった2行
『好きなら死んでも離すな!
嫌いなら食わなきゃいいだろ。バーーーーーカ!!』
と達筆な字で書いてあった。
いつものようにふざけているようで、でも、真剣なわたしたちへの回答だった。
僕君は椎茸が食べられない。なら、食べなければいいの?
第21話では彼女ちゃんの大好きなD美先輩が卒業するお話でした。個性的な先輩たちに囲まれ彼女ちゃんも刺激的な存在に成長しました(20話参照)。そんな彼女ちゃんはどのように変わっていったのでしょうか?
椎茸が食べられない僕君にD美先輩はエールを送ります。その通りです椎茸なんて食べなくても生きていけます。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




