20.兄
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
俺は二郎。高校でもサッカー部に入った。三歳年上の兄ちゃんが去年までキャプテンをしていたのでそのせいで俺も周りから期待されていた。でも、それがプレッシャーだった。兄貴と違って俺は中学では何の実績も残していない。
「二郎君……」
現キャプテンが呼びかけてきた理由はわかっている。でも、どうしろというのだ。
「なんすか?」
「アレ……なんとかならい?」
理由はわかっている。でも、あいつだけじゃないだろ。上級生でも彼女持ちくらい珍しくない。先輩たちの1/3は彼女持ちじゃないだろうか。実際、キャプテンにだって彼女はいる。まあ、そっちも女子バレー部のキャブテンで応援に来ることはほとんどないけど。
言わんとすることはわかる。中学からの付き合いだったとしても先輩たちの目を憚ってコソコソと付き合っていくのが下級生というものだ。でも
「無理っすね」
俺はキャプテンの頼みを拒絶した。
「そこを何とか」
キャプテンは土下座しそうな勢いだ。
「はぁ~ キャプテンなんだから1年生に頭下げるもんじゃないっすよ」
「そうはいっても、君は太郎キャプテンの弟なんだから」
「今は先輩がキャプテンっすよ」
はぁ~
ため息を隠す気にもなれない。これがもう一つの俺の悩みだ。
一つ目の悩みの元凶を見やる。
そこでは相棒(僕)が彼女ちゃんに差し入れのレモンのはちみつ漬けを食べさせてもらっているところだった。
ふざけんな!
*
「俺は、もう顔を出さないからな」
高校でもサッカー部に入部することを決めたと告げた俺に兄貴はそう言った。
「どうして? OBなんだからデカい面して来ればいいじゃん」
「そんな暇じゃねえよ」
大学でもサッカー部に入る太郎兄ちゃんは断った。
太郎兄ちゃんは高校でもサッカー部のキャプテンだった。弱小校には不釣り合いな実力と圧倒的なカリスマで平凡な都立校を都大会ベスト8まで導いた。兄貴は都大会の得点王だったのだ。その威光は後輩たちにも受け継がれ、つまり弟の俺が過剰な期待を受けるということにつながった。
キャプテンを始め先輩たちは俺のことを腫れ物に触るように接するし。俺は中学ではお情けでキャプテンになったに過ぎない。本当になるべき奴がならなかったせいでチームはばらばらだった。俺は中学ではサッカーごっこをやって遊んでいただけだ。事実、俺たちの代は一勝もしていない。
多分そんなことはどうでもいいのだろう。
あの、大先輩の弟なんだから……
無下に扱ったら後が怖い。
1年からレギュラー入りは決まってるし……
いい迷惑だ。
今更ながらに兄貴の言ったことが正しいと痛感させられる。
「3年かけてお前はお前のチームを作れ。中学でできなかったことをやり直すんだ。しばらくは大変だろうがな」
まったくだ。今年は無理だろう。自分自身に実力が足りない。来年でも難しいかもしれない。でも、3年になったときは別だ。重石だった、兄貴に洗脳された先輩たちがいなくなったら……
だから、俺はあいつにパスを送り続ける。俺たちの夢に向かって
*
「あいつらにもいろいろあったんすよ」
俺はキャプテンの「1年生なんだからわきまえるように諭してくれ」という懇願を一蹴した。いいじゃないか。すれ違ってばかりであんなに苦しい3年間を過ごしたんだ。今くらい幸せでいたって
だが、俺のフォローは必要なかったみたいだった。
「刮目せよーっ!! 汗と涙にまみれたアンモニア臭いサルたちよ。貴様らの無駄な努力を私たちが癒してやろ―っ!」
「皆さん、お疲れ様でした♡」
練習後のグラウンドミーティングに乱入してきたのは料理部だった。
「ほれ、飲め!」
「お疲れ様です。疲れが取れますよ。あっ、僕君、はい、あーん……」
ミーティング中だというのに大量の疲労回復スペシャルドリンクとレモンのはちみつ漬けを傍若無人に配りまくっていく。
「大会当日まできっちり癒しちゃる。結果が出なかったらどうなるかわかってるよな!」
無理やり押し付けてきたのにご無体な……
「バカヤローっ! あたしたちが作った特製ドリンクというものがありながら、なんでコーラなんか飲むかなぁ!?」
「先輩、先輩が後半バテやすいのは塩分の取りすぎです。スポーツドリンクは一時凌ぎにはいいですけど普段から飲み過ぎると取りすぎた塩分を排出しようとして汗が過剰に出てスタミナを奪います」
「スタミナって肉食えばいいもんじゃなーい! お前ら、摂取したタンパク質に見合うトレーニングしてんのかーっ!」
「お肉だけじゃなく野菜も食べなきゃだめですよ。タンパク質の吸収を助けてくれますから」
料理部の干渉は暴力的だった。理屈ではわかるんだけど、体作りまで意識していない俺たち以外にはきついだろう。
「練習の合間に自家製エネルギーチャージビスケットとスタミナドリンクだ」
「練習後にはビタミンチャージしてくださいね。味は保証します」
「う、美味いよう。けど……」
「料理部……あんなの彼女にしたくねぇ……」
「僕、悪かった。お前は勇者だったんだな……」
「わ、わかりましたから。あれ(D美先輩)は僕が止めておきます」
「「「すまん……」」」
なんだかんだで親友は彼女ちゃんの彼氏の立場を確立していた。
よくできた彼女だなと素直には褒めにくい。
*
俺たちが2年生の春、監督だった先生が移動した。後任は副顧問だった数学の若い先生だった。秋の大会が3回戦負けだったチームは代替わりして2年生からレギュラーだった俺がキャプテンとなった。これでようやっと俺のチームが作れる。そう思った。だが
「監督、こんな練習じゃ足りません。延長の許可を」
俺たちは監督と練習計画で衝突した。ただでさえ時間が足りないというのにグラウンドの使用時間を週1日も他の部活に譲渡したのだ。
「指導だってぬるすぎます。ミスしたらもっと厳しく言って頂かないと……」
付き添ってきたはずの副キャプテンの僕まで監督にかみついていた。当たり前だ。頑張れなかった中学時代を取り戻すために俺たちは努力に飢えているのだ。
だが、監督は柔和な顔を困らせた表情で言った。
「二郎君、僕君、君たちはMですか?」
「は……?」
ふざけているのかと思ったが、先生はまじめな顔をしていた。
「厳しくって、私は十分に厳しくしているつもりですよ。幼稚園児じゃないんですから怒鳴りつけなくたってわかります。衆目の面前で怒鳴りつけて恥をかかせればできるようになるのでしょうか? 私はそうは思いません。長時間の練習でスタミナが付く? それならもっと効率の良い方法があります。技術? それは個人練習の問題でしょう。全体練習云々ではないはずです。ただ単に練習時間を延ばしたり、怒鳴りつけられたりするのが良いと思うのでしたら君たちはいじめられて喜ぶマゾヒストか自己満足に溺れるオナニストです。反省したほうがいいです」
監督の言葉に俺は衝撃を受けた。俺はこれまで通りの練習をしようとしか考えていなかったからだ。
前の監督は体育の先生で根性論主体の俺たちから見ても昭和の香りがする古いタイプの指導者だった。「あんなのありえないよな」とか「意味不明」とか練習メニューを笑っていた俺たちですら根本的に変えようとは思っていなかった。
「我が校は弱いです。実力的に見れば都大会の3回戦に行ければいいほうでしょう。3年前にそれを覆してあと3つも勝ち上がれたのは太郎君個人の力です」
わかっていたことだが、へこんだ。俺は兄ちゃんほどの実力はない……いまでも大学サッカーで活躍している兄貴ほどの力はない。
「ですが、私はそれでいいと思っています。チームの実力以上の結果を残す天才は必要不可欠なものではないのです」
「……でも、僕は勝ちたいです」
圧倒的な正論に何も言えなかった俺に代わって言ったのは親友だった。誰よりも努力家で勝つことに飢えていたのは僕だった。恵まれない体格に悩み、覆すべく努力してきたのは勝ちたいとの思いからだった。レギュラーにもなれないあいつがここまで執念を燃やしているのだ。俺も熱くならずにはいられない。
「先生、お願いします。俺たちに練習をさせてください!」
「甘えです。そういうことは、今、持っているものを十二分に使い切ってから言いなさい」
監督は取り付く島もなかった。
「まずはチームメイトと自分たちの持っているもの、強み弱みをしっかり話し合いなさい。それをどう改善していくのか練習メニューを考えなさい。グラウンドだけが練習だと思わないことです」
相棒は俺より打ちのめされていた。当然だろう。練習熱心で同級生や後輩だけでなく先輩からまでも信頼されていたやつだ。どM呼ばわりがこれ以上似合う男はいない。それを自己満足だと否定されたのだ。オナニストは言いすぎだと思うが……優しげな顔してあの先生口が悪いな
部室に戻るとチームメイトたちは既に帰ってしまっていた。言い訳ともつかない言葉が口をつく。誰に対しての言い訳だろうか。
「監督の言うこともわからんでもないけどさぁ……あの言い方は……」
「なあ、二郎……」
愚痴をこぼす俺を僕の言葉が遮った。あきれたことにこいつは全く打ちのめされてすらいなかった。
*
秋の都大会3回戦、3年生になった俺たちの最後の大会だ。
くじ運悪く3回戦で全国を経験している私立の強豪と俺たちは当たっていた。後半30分、0対2で俺たちは押されていた。クリアしたボールがタッチを割ったところで監督が動いた。我らがスーパーサブの登場だ。守備に攻撃にと活躍していた分、疲労の色が濃い2年生エースに代わって僕がピッチに入った。
頼むぜ、相棒。執拗にチェイスして奪ったボールを俺は前線にフィードした。敵ディフェンスラインの裏に低いボールを送り込んだ。ゴールエリア手前、キーパーが出るのをためらう位置だ。俺の意図を汲んだ相棒は迷うことなく突っ込んだ。かろうじて戻った敵センターバックがクリアしようとする。しかし、中途半端な腰の高さでは力がこもらない。普段の奴ならはじき返されて終わりだったろう。だが、この高さ、このポジションなら……
いくらチビでも足一本より全体重を乗せたダイビングヘッドのほうが強い!!
ピ、ピーーーーーッ!
ゴールを告げるホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。
*
「すまん。2点目を取られたのは余計だった」
「しかたないよ。それより最後のチャンスに僕がもう一本決めていれば……」
俺たちは負けた。1対2の惜敗だった。
勝つチャンスはあった。相手が強豪であってもだ。
俺たちは勝つつもりだった。そのつもりで最後の1年をこの一撃に賭けて練習してきたのだ。
体格でも技術でも勝るもののない俺たちに残されたのはスピードという選択肢だった。とはいえ強豪校相手に80分フルにスピードで勝てるはずもない。だから残り10分に賭けた。相棒はレギュラーを目指すことをやめた。持てる体力のすべてを10分につぎ込むことにしたのだ。あいつは練習メニューから変えた。スタミナ練習をやめてすべてをスピード練習につぎ込んだのだ。30mダッシュを日に50本。そっちのほうがはるかに苦しいはずだ。そして俺は奴に合わせて最終ラインからのロングフィードをひたすら繰り返した。
俺たちの武器はもう一つあった。ゴール前へのハイボールでは体格に勝る相手に有利だ。足元でも技術に勝る相手のものだろう。だが、中途半端な高さのバウンドボールなら……得意とする奴はあまりいないだろう。足でクリアしようとしても、そこに我らが誇る最小最速FWがいればこじ開けられるはずだ。
狙いは当たった。誤算だったのは勝負の時間までに2点も取られてしまったことだ。同じ手を2度も3度も食らうほど強豪校は甘くない。だから俺たちは負けた。
「悔しいな……」
「ああ、悔しいな」
だが、相棒の顔は言葉とは裏腹に輝いていた。
椎茸食えないせいで武器が手に入ったんだからいいじゃん!
ああーっ! 俺も彼女欲しーいっ!
第20話では僕君の親友の二郎君のお話です。高校に上がり二郎君は僕君と一緒にサッカー部に入りました。大活躍した兄と比べられ期待されプレッシャーを感じる二郎君です。相棒の僕君と一緒にどのように成長していくのでしょうか? 彼女ちゃんの意外な活躍もありそうです。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




