18.年下の彼氏
僕は椎茸が食べられない。
好き嫌いの問題ではなく、食べられないのだ。あのぐにゃとした歯ごたえでぐにゅっとした食感でぐじゅっとした後味のあの食材を。思い出しただけで吐き気がする。実際吐いてしまう。だから、僕は椎茸が食べられないのだ。
このお話は、椎茸が食べられない僕君と何が何でも食べさせようとするお母さんの戦いの物語です。僕君を助けてくれる彼女ちゃん。なついてくる妹ちゃん。温かく見守ってくれる友人たち。そんな仲間とともに成長していく僕君。はたして僕君は椎茸を食べられるようになるのでしょうか。
私、C子には2つ上の兄がいる。兄はいわゆるヤンキーで外見がちょっと怖い。兄の友達も似たような感じの人たちで「おらっ!」しか言っているのを聞いたことがない。なので集団でいるときにははっきり言って近付きたくなかった。
兄は私には優しい、というよりべた甘だった。私に近づく男子たちを兄たちが威嚇してしまうので私に男の子の友達はいなかった。小学校の頃から私の周りにいる男子はヤンキーの怖いお兄さんしかいなかったので私はすっかり男性恐怖症になっていた。クラスの男子に話しかけられるだけでビクッとしてしまう。中学校までは兄と同じ学校に通っていたので兄が卒業してからも兄を恐れて私に近寄る男子はいなかった。私はますます拗らせてしまった。男子どころか女子の友達もいない立派なぼっちになっていた。
高校は兄とは別の学校に進学した。特別やりたいことがあったわけじゃないけど、男性恐怖症の私に工業高校の選択肢はなかった。私は初めて兄の影響から離れることができた。これを機に私は高校デビューを狙っていた。友達を作って休み時間におしゃべりをしたり、帰りがけに寄り道したり。頑張れば彼氏なんかできちゃったり、きゃーっ!
だけど実際には高校生ともなると同級生男子は声変わりもして身体も大きくなっていて私は怖くて仕方がなかった。話しかけるどころではなかった。女子も皆同じ中学の出身者でグループを作っており私の付け入る隙などなかった。そんなときに彼と出会ったのだ。
1年のクラスで隣の席になったのが僕君だった。僕君は小柄で色白で優しそうな男の子だった。並んで立つと私のほうが大きいくらい。僕君なら怖くない。そのときは一目ぼれだと思っていたけど消去法だったのかもしれない。
私は僕君に積極的にアプローチした。男子と個人的に話すのなんて幼稚園以来だ。緊張してまともな会話になっていなかったと思う。それでも僕君はあきれることなく話に付き合ってくれた。私は舞い上がってしまった。これはもう運命だと思った。出会って1週間で告白した。そして玉砕した。
「ごめん。好きな娘がいるんだ」
僕君にはっきり言われた。もちろんそれはショックだったけど冷静に受け止めている自分もいた。僕君とは出会ってまだ数日、優しいということぐらいしか知らない。初めてお話しできた男子だということで一人勝手に舞い上がっていた。たぶん初恋と言えもしないほどの幼い感情だったのだろう。そう思ったら僕君の彼女に興味がわいてきた。
僕君の付き合っている相手というのはすぐに分かった。別に隠しているわけでもなかったので見ればすぐわかることだった。ふわふわとしたおとなしそうな娘だった。どんな娘なんだろう。気になったけど、話しかけられずに周りをうろうろしているところを呼び止められた。
「おい、あんた、いったい何がしたいんだい。ああんっ」
「えっ……あの……」
怖そうな女子に絡まれ私はうろたえた。何がしたいかなんて私が知りたい。
「僕君にまとわりついていたと思ったら、今度は彼女ちゃんかよ。言っとくけどな。あの二人の邪魔をしようとしたら、ただじゃおかないよ」
「ひっ……」
「A子、そんなに詰め寄っちゃダメよ。怯えてるじゃない」
彼女の友達らしい娘が助けに入ってくれた。
「何か理由がありそうね。話を聞かせてくれる? とりあえず人目につかないところへ行きましょう」
私は放課後の空き教室に連れ込まれた。……もっと怖い状況になっていた。私は泣きべそをかきながら、洗いざらい白状させられた。
*
「飴食べる?」
翌日、HRが終わり帰ろうとしたところを彼女に話しかけられた。私は驚いた。そしてきょろきょろと辺りを見回す。あの二人から話を聞いたのかもしれない。
「いらない?」
「え……あっと……頂きます」
彼女は袋から飴の包みを取り出すと私の手に置いた。
やっぱり……これは仕返しなのだ。
手の上には私の苦手なミント味のキャンディーが載せられていた。
「あ、ありがとうございます……」
「なんで敬語なの?」
いじめてくる相手にそんなこと言われても……私は泣きそうだった。
「ごめんね」
えっ……それは私の言うことじゃないの?
「A子ちゃんもB子ちゃんも悪気があったわけじゃないの。大丈夫だよ。二人には先に行ってもらったから。私はC子ちゃんとお話がしたかったの」
「ごめんなさい! もう、僕君には近づかないから。許してください……」
頭を下げる私に彼女はきょとんとしていた。
「近づかないって……。隣の席なんだから無理じゃない?」
「……怒ってないの?」
「C子ちゃんが好きになる気持ちは止められないもの」
「余裕なんだ……二人から聞いてないの?」
「少しだけ。詳しくは聞かなかった。それはC子ちゃんから聞きたいと思ったから。だからお話ししよ」
私には友達がいなかった。強面の兄のおかげでいじめられることはなかったけど仲良くなってくれる子もいなかった。相手から話しかけてもらうのなんて何年ぶりだったろう。彼女のやさしさに甘えて私は自分のことを話した。兄のこと、今まで男子の友達がいなかったこと、初めて男子と口をきいたことで舞い上がってしまい、勢いで告白までしてしまったこと、フラれても納得していたこと、全部話した。
「C子ちゃん、もしかしたらミント嫌いだった?」
彼女は私の話に答えず別のことを聞いてきた。言われて初めて気が付いた。私はもらったキャンディーをずっと握りしめていた。
「え……うん……」
「ごめんね。誤解させちゃったね。仕返しに意地悪されたと思ったんでしょ?」
「……うん」
彼女はキャンディーアソートの袋から別のキャンディーを取り出すとミントキャンディーと取り換えてくれた。今度はイチゴ味だった。封を切って口に入れた。甘酸っぱい香りが口の中に広がる。
「ありがとう。イチゴは好き」
「よかった」
彼女は微笑んだ。
「うらやましいな」
彼女は私のことをそう言った。
「なんで? 友達もいないぼっちで、初めて好きな人ができたのに、その人にはもう恋人がいたんだよ。バカみたいじゃない」
「人を好きになったり、嫌いなものがあったり、そういうのがうらやましいって思うの。わたしは嫌いなものもないし、これといって好きなものもないから」
「だって、あなた僕君の恋人なんでしょ?」
「うん……僕君が好きって言ってくれたの……」
彼女は寂しそうな、困ったような顔をした。
「僕君とはね。生まれたときからの幼馴染なの。家も隣で家族のように一緒にいたの。だから大切な人だし、好きか嫌いかって聞かれれば好きだって思う。たぶん……」
彼女が何を言っているのかわからない。僕君にフラれてもショックを受けなかったのは出会ってまだ数日しかたっていないからだ。彼女みたいに15年も一緒に居たら絶対好きになっていたと思う。変な女がちょっかいかけてきたら怒るだろう。それくらいには私の恋心は本物だった。
でも、私は納得してしまった。この娘は子供なのだ。私よりずっと。私は兄のせいでぼっちになったけど、兄の愛を疑ったことはない。もし私がいじめられたら、何があっても兄は守ってくれただろう。だから私は寂しいと思ってなかった。
物心つく前から持ち合わせていたせいでこの娘は好きがわからないんだ。失いたくないと思うほど執着するような『好き』が彼女にはない。
「そういうことか……」
「うん。そういうことだよ」
そして彼女もそれを理解している。
頭でわかっているからといって解決するものでもない。好きにならなきゃと思ってなれるものではないのだ。
「うれしいとかそういう気持ちを大事にしたらいいんじゃないかな」
「えっ?」
「あなた、私がミント嫌いなことに気づいてくれて私は嬉しかった。あなたは人の気持ちがわかる子だよ」
「そうかな?」
「そうだよ。そして私が『イチゴが好き』って言ったら、あなた喜んだじゃない」
「……」
「そんな些細なことでも、うれしかったらそれを大事にすればいいんじゃない。私にもよくわかってないけど、うれしいとか楽しいとかそんな気持ちの延長線上に好きがあるんじゃないかな。だから、僕君にしてもらってうれしかったとき、一緒にいて楽しいと思ったとき、その気持ちを大切にして育てていけばいつか本当のあなたの『好き』になるんじゃないかな。私は最初から本物なんてないと思う。小さな『好き』の卵を温めて孵して育てていって本物になるんだと思う。だから、初めはわからなくて当たり前だと思う。だから、あなたの恋が本物になるところを見せてよ。そうしたら私の初恋は本当に終わらせられると思うから」
彼女は考え込むように天井を見た。やがて向き直る。
「同じようなことを僕君にも言われた。考えてみるね」
「うん。あなたならできるよ」
あれから私は彼女ちゃんと親友になった。初対面でいきなり心をぶつけ合ったのだ。仲良くなれないわけがない。あのとき私を脅してきたA子とB子とも。あれは友達(彼女ちゃん)を思ってのことだったからわだかまりはなかった。
*
私たちは高3になった。
最近、兄が恋人さんを家に連れてくるようになった。中学の頃から付き合いだったけど、就職してちゃんとすることにしたらしい。今では親公認の仲だ。
恋人さんは4人兄弟の長女で下に妹が二人、弟が一人いる。弟君は恋人さんに連れられてうちにも遊びに来るようになった。小学5年生だけど女兄弟の末っ子なのでとても気の利く優しい子だ。この子だったら兄みたいに乱暴な男子にはならないだろう。
兄と恋人さんが部屋に行ってしまうといつも私が弟君の相手をしていた。末っ子の私にとって弟ができたみたいでちょっとうれしい。
リビングで宿題を見てあげていたとき、弟君が聞いてきた。
「Cちゃんってさ……彼氏とかいるの?」
「いないよ。好きだった人はいたけどね」
弟君はつまらなそうな顔をしながら、それでも気になるみたいだった。
「ふーん。どんなやつ?」
「親友の彼氏。そのときは友達の彼氏だって知らなくて、告白してフラれた」
「どこがよかったの? そいつの」
「うーん……どこかな。優しいんだけど誠実で、フルときも『好きな人がいる』ってちゃんと言うところかな」
「でも、別のやつの彼氏なんだろ」
弟君はなんだか怒ったように言った。
「そうだよ。だからあれは私の初恋の思い出」
「だったらさ。そんなやつ、忘れて俺にしろよ」
抱きしめられた。
「Cちゃんの魅力もわからないようなやつなんかやめて、俺にしろよ」
「僕君はそんなんじゃないんだって……弟君、もしかして妬いてるの?」
びっくりした。兄の恋人さんの弟だから義理の弟になるかもしれないとは思っていた。いい子でなついてくれて本当の弟のように思っていた。けど……
「なんで、俺が姉ちゃんについてこのうちに来ているのかわからなかったのかよ」
「ごめん……」
「謝るな!」
絨毯の上に押し倒された。弟君は私の胸に顔をうずめて、それでも手を緩めなかった。
「謝らないでよ……俺じゃダメなの……」
弟君はきれいな顔をしているし、とても優しい。学校ではモテると思う。7つ年上の私に張り合おうとして生意気な口も利くけど、本当は素直ないい子だ。そんな子が思いの丈をぶつけてきたのだ。はぐらかしていいはずがない。
「弟君。私は男の人が怖いの。お兄ちゃんがあんな人でしょ。お兄ちゃんのお友達もあんな人たちばっかりだったから、男の人が怖い……今も弟君がちょっと怖い……」
「ごめん……俺、優しくするよ」
「怒鳴ったりしない?」
「しない」
「もう、こんなふうに押し倒したりしない?」
「……これはCちゃんだったから……でも、Cちゃんが嫌がるならもうしない」
「約束してくれる?」
「約束する」
「なら……いいよ」
!?
自分が一番びっくりしていた。7つも年下の男の子。弟としか見ていなかったのに……なんで私はOKしてしまったのだろう。
弟君もすぐに大きくなるだろう。そのときに私は怯えたりしないだろうか。
たぶん大丈夫。この子は私だけを見てくれた。私の気持ちも受け止めてくれた。だから大丈夫。
弟君が私の目を見つめている。目で頷くと優しくキスをしてくれた。
*
「Cちゃん、疲れない?」
今日は二人で初詣に来ていた。近所の神社は初詣スポットとして有名なところですごい人込みだった。お参りを済ませたところで弟君改め彼氏君が気を遣って聞いてくれる。
「飲み物買ってこようか?」
「飲み物よりアイスが食べたい」
今日は天気がいい。人混みに揉まれたせいで振袖を着ていた私はのぼせてしまった。
二人で手をつないでコンビニまで歩くことにした。
去年、私は大学を卒業した。今は保育士として働いている。
彼氏君は高校生になった。付き合いだしたとき兄に『鍛えてやる』と言われた彼氏君も(もちろん私と恋人さんが全力で止めさせた)この一年でずいぶん背が伸びた。今は180cm近くある。すっかり長身のイケメンに育った。いまだ男の人は苦手な私だけど彼氏君だけは問題ない。
「Cちゃん、どっちがいい?」
差し出された2つのうちからバニラを受け取った。
「Cちゃん、まだミント苦手なの?」
「いいの、ミントが嫌いでよかったことだってあるんだから」
彼女ちゃんと友達になったあの日のことを思い出す。
「何それ」
チョコミントを食べながら彼氏君が隣で笑う。今の私は幸せだ。
私、C子はミントが食べられない。
第18話はいつも彼女ちゃんの親友の一人C子ちゃんのお話でした。いろいろあってボッチだったC子ちゃんも彼女ちゃんと出会い、変わっていきます。彼氏君もできて幸せそうです。よかったね。
本作は毎週水曜日に投稿する予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。感想・レビューなど頂けたらうれしいです。




