009狩猟
タクミは足元に細心の注意を払いながら忍び足でそれに近づく。
それとの距離が五メートルを切ったところで懐から骨杭を取り出した。
タクミは木に体を隠しながら大きく振りかぶり骨杭を投擲する。
杭よりも先にそれの鼓膜へ到達した風切り音にそれは慌てて飛び立とうとする。
しかしそれさえ偏差に織り込まれた高速の骨杭がそれの胴体を貫通し木に突き刺さる。
急所を外れたのかそれは藻掻き逃げようとする。
しかしそれを許さないのは骨杭に着いた返しだ。
骨杭の関節に当たる膨らんだ部分。タクミはそれを鋭利に削ることで返しを作っていた。
投擲された第二射が急所を捉え、それの命はそこで終わりを迎えた。
『美味い!』
タクミは先程仕留めた鳥類の手羽に当たる部位の肉をむしゃむしゃと頬張る。
剣鹿以来の肉食に手が止まらない様子だ。
タクミが仕留めたのは湾曲した長い嘴を持つ鳥に似た生物だ。
体長七十センチメートルほどあり翼を広げればその倍はあるだろう。
体毛は漆黒。
その漆黒の体毛による隠密能力はタクミがクロガネに指摘されてもなお木に何かいるとしか認識できなかったほど。
そして地球上の鳥類と決定的に異なる部位がある。
それは二対四翼の翼だ。
骨格は蝙蝠の羽に似ているが前翼と後翼が完全に分離している。
地表では翼を折り畳み翼の関節にある爪で四足歩行するのだ。
食事を終えたタクミは嘴、爪、羽毛の一部を皮袋に収納しその場を後にする。
『肉は格別に美味しい!』
『同感ダ、……アァそうだタクミ、”ケーキ”って奴をタクミが十の時に食ってた記憶がある。それもやばく美味しそうにな。オレはあれが食いてぇ』
それはタクミが十歳の誕生日に家族と一緒に食べたケーキのことだった。
タクミの記憶の中でも特に鮮明に残る華やかな思い出。
それを観てクロガネは触発されたのだろう。
『あー……誕生日ケーキのことだね。たぶん。えっとね……実はあのケーキの味を僕は知らないんだ』
『……どういうことダ?記憶じゃ確かに美味しいと感じているゾ』
『あの時の僕に味覚は殆どなかったからね。でもそんなことなんて僕はわかってなかったし何より楽しかった。だからかな? あのケーキをとても美味しいと感じたんだ』
少しの間の後クロガネは言う。
『……なあタクミ、来る二十の誕生日ダ。オレ達はケエキを食うゾ』
タクミは目を丸くする。
その言葉がタクミの頭をぐるぐると回る。
そしてタクミは笑いながら答えた。
『
タクミは歩いている。
今までと異なり辺りの木々は二十メートルを超える背の高いものばかりだ。
上を見上げると枝が幾重にも交差している。
その枝には暖かな光を灯す果実がまるでランタンの様に連なり、森林を光で包んでいる。
暗闇は少ないが木が多く見渡しが悪いという奇妙な立地。
『クリスマスみたい』
『クリスマスにしちゃぁ単調な風景だがナ』
木によじ登り光る木の実をちぎり採る。
ちぎった木の実は光を失った。
爪で切り込みを入れ、真っ二つに割ると大量の果汁と種がぼたぼたと眼下の地面へ落ちる。
膜の様に薄い皮ごと果肉を齧る。
『オエ……』
木の実が舌に触れた瞬間タクミは齧ったものを吐き出す。
タクミの舌を襲ったのは強烈な酸味だ。
『ギャハハッ、そいつの実はクソ不味ぃ。汁だけ美味いんダ』
タクミは苦い顔しながら舌を手に擦りつける。
『……先に教えてよ』
駄弁っていると合図がありクロガネへ体の制御が移る。
タクミは鼻を鳴らし周囲の匂いをかぎ分ける。
『獲物ダ。急ぐぞ』
『わかった』
タクミは太い枝の上を走り出す。
枝から枝へ飛び移りながら匂いの方向へ急ぐ。
そして五メートルほどの高さから地面に居るそれを目視した。
その獣は地球に存在する大型の熊と酷似した姿だ。
体毛は白地に茶色い模様が走る。
頭についた兎の様に長い耳を盛んに動かしている。
そして最も目を惹くのはその背だ。
背中の獣毛に光を灯す虫達が張り付き一定間隔で明滅を繰り返している。
灯熊は木の実をちぎっては頬張っており木の上に居るタクミに気づいていない。
タクミは音を立てないように枝の上を歩く。
木々で視線を切るように移動し灯熊の頭上へ辿り着いた。
『一度の奇襲で仕留めるゼ』
タクミは音を立てないように宙へ身を投げる。
体は重力に従い落下を始める。
音が全く発生しない自由落下しながらの奇襲。
しかし灯熊は迫りくるタクミを察知した。
この森は常時上方から照らされている。
それ故に必ず影ができるのだ。
灯熊は動く影を認識した途端体を丸め図太い鳴き声をあげる。
鳴き声に異常性はない。
だが背中にいる虫達は違う。
灯熊の鳴き声を聞いた途端一斉に羽を広げ、最高光度の光を放つ。
一匹一匹の光は強いライトほどだ。だがそれが何百と集まり一斉に放った場合、それは生物の網膜を焼く光となる。
灯熊を中心に森が白く染まる。
その光を近距離でタクミは受けた。
しかしタクミの眼球は無傷だった。
タクミの眼球を守ったのは剣鹿の革と黒鳥の羽毛で作られた目隠しだ。
この世界では常時森全体に明かりが灯されている。
室内を完全に暗くして睡眠するのが常だったタクミにとって、光に包まれた場所で眠るというのはなかなか慣れるものではなかった。
そうした理由から簡易的な目隠しを作っていたのだ。
タクミは落下する直前にその目隠しを付けていた。
それ故に眼球は無事だ。だが、それ故に視覚が一切使えない。
地面が迫る。
地面から一メートルほどの所で太い幹を両足で蹴り、下方向への力を抑えつつ横方向へ体を弾く。
木に足の裏が磨り下ろされ鋭い痛みが走る。
そして空中の不安定な体制から完全な予測で灯熊の首があるであろう場所に骨剣を振り下ろした。
肉を切断する確かな手ごたえ。
着地と同時に地面へ転がり勢いを殺す。
そして直ぐに目隠しを剥ぎ取りながら立ち上がり灯熊へ肉薄する。
骨剣の上段からの斬撃が灯熊の首を完全に切断した。
ガサッと灯熊の頭が草花の上に落ちる。
赤い液体が灯熊の首の付け根から噴き出した。
『ヤったゾタクミ』
『目隠ししながらバンジージャンプなんて二度とやりたくないよ……』
足裏が酷く痛むためタクミはその場に座り込もうとする。
その時、タクミの周りが暗くなった。
タクミが反応するより早くクロガネの意思で前傾になっていた体勢を利用し前方向へ跳ぶ。
後方で何かが高速で地面に着地した音が聞こえる。
タクミはそれに一瞥もせず痛む足裏を無視して全速力で走り出す。
五十メートルほど走ったところで追われていないことを聴覚で確認しタクミは後ろを振り向く。
そこにいたのは――